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バックストリア編

48.恋愛事情

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「待たせたわね」

 グレースはそう言いつつ、ザゴスの向かいの席に腰かける。注文を取りに来た給仕に「お茶をお願い」と頼んだ。

「受付で何してたんだ?」

 ザゴスといざこざを起こしたウルリスという冒険者は、仲間と思しき魔道士に担がれて、運び出されていった。「健康の神」の礼拝所にでも連れて行くのだろう。

 そのウルリスを撃退した形になったグレースは、ザゴスを「せっかくだから、少し話しましょう」と誘い、「ちょっと用事を済ませるから待っていて」と受付でエリンと何やら書類をかわしていた。

「『クエスト』の発注よ。大学からの依頼を持ってきたの」

 冒険者は言うまでもなく、「クエスト」を受領する側である。

「今、大学で働いてるからさ、こういう小間使い的なこともやらなきゃいけないわけ」
「え、お前冒険者辞めたのかよ?」

 もったいねぇ、とザゴスは呻いた。

 グレースと言えば、アドイックで一番の魔道士として名高い。水属性の中でも氷系統に特化したスタイルで、氷にまつわる魔法ならばありとあらゆるもの、魔道士が普通使わないような探索士スカウト向きの魔法まで使えるという触れ込みだった。

「一応、今はまだ休業ってことにはなってるけどね」

 冒険者証はまだ返却していないが、ゆくゆくはそうするつもりだという。

「魔法の研究者になろうと思ってさ」
「そりゃまたどうしてだ?」
「元々、冒険者にならなかったら、研究者になろうって思ってたのよ」

 そういうことが聞きたいわけじゃないわね、とグレースは言い直す。

「魔人に負けたからよ」

 あの時、魔人へ姿を変えたタクト・ジンノは、すぐにザゴスとフィオに攻撃を仕掛けてきた。そこはフィオの機転によって命を拾ったものの、気絶してしまった。

 その後、大闘技場コロシアムでは、王国騎士団やその場にいた冒険者、「武闘祭」の出場者たちと魔人との攻防が繰り広げられたのだが……。

「頑張って冒険者やって、色んなものを積み上げてきて、それなりに自分は強いと思ってたのよ、これでもね……」

 それは攻防と呼べるものではなかった。一方的な殺戮、凄惨な虐殺の巷であった。

 魔人が一つ腕を振るうだけで、屈強な騎士たちがまとめて消し飛ぶ。いくら攻撃しても、魔人の肌はかすり傷一つ負わない。圧倒的な力の差、正に次元の違う存在だった。

「ああ、わたしがやってきたことって、こんなものなのかって思っちゃったのよ」

 その時のことを思い出したのか、グレースは端正な顔を歪めた。

「けどよ、一回負けたぐらいで辞めちまっていいのかよ。それこそ、その積み上げてきたもんがよ、もったいねぇんじゃねぇか?」

 これまで常勝だった分、敗北が重いのだろう。それはザゴスにもよくわかる。

「負け慣れてねぇから、そう思うだけだぜ」

 慣れたくはないわね、とグレースは眉をひそめる。

「というか嫌味? 自分たちは勝ったからって、そんなこと」
「魔人にか?」

 ザゴスは「勇者」タクト・ジンノには、勝ったと考えている。しかし、「魔人」となると話は別だ。

「俺らは何もしてねぇよ。クソガキの自滅だぜ、あんなもんはな」

 あら、そうなの? とグレースは意外そうに首を傾げる。

「まあ、今となってはどうでもいいけどね」

 運ばれてきたティーカップをすする彼女の瞳は、揺れているように見えた。研究者になる、というのも、どこか自棄やけになっているようにすらも思える。

「実際のとこよぉ」

 ん? とグレースはカップをソーサーに置いた。

「他に理由あんだろ? 魔人以外でよ」

 そして、そっちの問題の方が大きいのではないか。不思議とザゴスはそんな気がした。

「あら、意外と鋭いのね」

 グレースは一瞬目を見開く。

「自分のパートナーが男か女かもわからなかった癖に」
「な、何で知ってんだ!?」

 誰から聞いた!? といきり立つザゴスに、グレースは「カマかけただけよ、わかりやすいわね」と肩をすくめる。

「確かに、今挙げた理由が全部じゃないわ」

 カップを抱えるように持ち、中の水面をグレースはじっと見つめた。

「一番はさ、バジルのやつよ」

 バジル・フォルマースは、グレースとパーティを組んでいた剣士だ。「天神武闘祭」にも二人で出場し、ザゴスは彼らと準決勝で剣を交えた。このバジルもまた、アドイック冒険者ギルドでは一番の剣士だと言われている。

「バジルがどうかしたのかよ?」
「あいつ、『天神武闘祭』でいい結果を残せたら、結婚しようって言ってたのよ」

 結婚、とザゴスは目を丸くする。

「確かに優勝できなかったけど、わたし達2位じゃない、繰り上がりで」

 タクト・ジンノとカタリナの組は、その後の魔人騒動のこともあり失格扱いになっている。そのため、決勝の前に行われた三位決定戦を制したバジルとグレースの二人が、今年の準優勝の称号を得ていた。

「だからもういいじゃない、身を固めましょうって言ったら、あいつ何て言ったと思う?」

 めきめきと音がするかと錯覚するぐらい、グレースは強くカップを握っている。さすがのザゴスも、この剣幕には怯んだ。氷の魔道士の口調に熱気がこもる。

「『優勝しなければ意味はない。ここで落ち着いては、高みが目指せない』よ? 何なのよあのバトル馬鹿は! 何年わたしのことを待たせてると思ってんのよ、あいつ!」

 怒りのあまり無意識の内に錬魔してしまっているのか、カップの中の茶が凍りつき始めている。ザゴスも、目の前から冬に吹きすさぶ北風のような強い冷気を感じていた。

「で、付き合いきれないからこっちに来たってわけ」
「お、おう、そりゃあ、まあ、酷いな……」

 もごもごと、そう言うしかザゴスにはできなかった。グレースは大きく白い息を吐き、カップの中を見て「あーあ」と漏らした。

「つーか、そんな仲だったのか……」
「え、気付いてなかったの?」

 ザゴスは耳ざとい方ではないし、バジルやグレースともそれほど付き合いがあるわけではない。というか、こうしてグレースと顔を突き合わせて話すなんてこと、アドイックにいた頃には考えられなかったのだが。

「まあ、ずっとパーティ組んでるな、とは思ってたけどよ……」
「鋭いとこあると思ったけど、こっちの方面は鈍いのね」

 モテねぇんだからしょうがねぇだろ、とザゴスは内心で呟いた。

「つーか、そういう仲なら周りにも言っときゃよかったんじゃねぇか? それならクサンのヤツもお前を……」

 言いかけて、ザゴスはその日一番の冷気を感じた。グレースは目を見開き、じっとザゴスの顔に突き刺すような視線を送る。

「そいつの名前は、二度と出さないで」

 正に氷を背中に入れられた気分であった。ザゴスはぎこちなくうなずいた。

 と、そこでギルドに人が入ってきたのにザゴスは気付いた。フィオとエッタだ。ザゴスは手を挙げて二人を呼んだ。

「待たせたな、ザゴス……と、君は確か準決勝の……」

 グレースはフィオに「どうも」と挨拶をする。

「あー! 人が地道に調査してる間に美人とデートとは、いいご身分ですわね!」
「デートじゃねえよ!」

 今そういう話題は避けたいのに、こいつは! とザゴスは内心で冷や汗をかく。

「調査というが、君なんて猫と遊んでいただけじゃないか」

 フィオににらまれて、エッタはぷいとそっぽを向いた。

「わたしは、人のものに手を出したりはしないから安心して、ダンケルス卿」
「む……」

 フィオはバツ悪そうに下を向き、エッタは傍で「あらあらー」とにやつく。

「それにしても、『七色の魔道士』とパーティを組んでるって話、本当だったのね」

 グレースはエッタに目を向ける。

「おや、わたくしも有名ですわね」
「魔道士であなたの名前を知らないヤツはもぐりよ」

 そう言いながら、グレースは立ち上がる。

「行くのか?」
「ええ、お茶ごちそうさま」

 そして、去り際にフィオとザゴスの顔を見比べるようにしてからこう言った。

「何の用事でこっちに来たかは知らないけど、あんた達は仲良くね。せっかく優勝したんだからさ」

 ごく自然に茶を奢らせていきやがったな、とザゴスは凍りついたカップを見つめた。



「で、あの人誰だったんです? 準決勝とか聞こえましたけど」

 ギルドを出て行ったグレースの背中を見送って、エッタはフィオとザゴスに尋ねる。

「アドイックの冒険者のはずだが……何故ここにいたんだ?」

 ザゴスはかいつまんで彼女の事情を話した。

「引退したのか、もったいない……」
「準優勝ということは、お強いんでしょう?」

 フィオもエッタも同じ感想を抱いたようだ。ただ、エッタは「わたくしほどではなかったとしても」と一言多かったが。

「で、そっちはどうなった?」
「猫はやはりかわいい、という調査結果がまとまりましたわ」

 真顔で述べるエッタに、何言ってんだお前、とザゴスは力なく突っ込んだ。いちいち気にしていると疲れるので、適度にあしらうこともこれからは考えなくてはなるまい。

「こちらはこちらで興味深い情報が得られた」

 フィオはスヴェンから得た情報をザゴスに明かした。あの魔獣はブキミノヨルという造魔獣キメラでほぼ間違いないこと、角は造魔獣キメラを造り出す核であったこと、「マーガン前哨跡」から出た角からは新たに造魔獣キメラを造り出せないこと……。

「これらの情報を総合すると、あの造魔獣キメラは、魔法技術に明るい何者かが造り出したのではないだろうか、という推論が成り立つ。魔王が寄越したもの、という線は薄いのではないか、とボクは考えている」

 半分ぐらい何言ってんのかわからなかったが、とそれは心の中に押しとどめて、ザゴスは尋ねる。

「結局のとこ、どこの誰が何のために造ったかってのは……」
「わからない」

 フィオは首を横に振った。

「ただ、角の錬成式を知ることのできる立場にあった者が怪しい、と言えるだろう」
「つまりは、『マーガン前哨跡』の調査をしていた人たちですわね?」
「じゃあ、そいつらを締め上げたらいいのか?」
「片っ端からボコボコですわね!」
「待て。話はそう簡単にいかない」

 いかにも先走りそうな二人に、フィオは釘を刺した。

「相手は名だたる学者たちだ、確たる証拠もなしに締め上げるのはまずい」

 特に今は王家の密命で動いている。王の名を背負っているからこそ下手なことはできない、とフィオは声を潜めて警告した。

「そうですわよ、ザゴス。まったく、野蛮なんですから!」
「お前真っ先に賛成しただろうが!」

 そうでしたっけうふふ、とエッタはとぼけてみせた。

「全然誤魔化せてねぇからな、それ……」
「ともかく、サイラス師の調査結果に期待するしかあるまい」

 今日はもう遅い、宿で休もう。フィオの提案に、ザゴスもエッタもうなずいた。
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