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バックストリア編
44.魔獣博士
しおりを挟む「……先程は失礼した」
居ずまいを正し、安楽椅子に腰かけたサイラスは落ち着いた口調で言った。
取り立て屋は出て行け! と椅子を持ち上げて暴れたサイラスであったが、何とかエッタがなだめて、話を聞いてもらえることになった。
「私はサイラス・オークス・エクセライ。周りからは魔獣博士と呼ばれておる」
さっきまでの狂乱がウソのような落ち着いた口調である。
サイラスの向かいに用意された3脚の椅子に、ザゴスらはそれぞれ腰かけた。
「先生、何の取り立てから追われているのです?」
「図書館の取り立てだ。『資料を早く返せ』とせっつかれておってな。彼奴等め、しつこくてかなわぬよ」
「貸出期限は守ってくださいまし……」
エッタは額に手を当てて首を振った。
「何を細かいことを言う。大学の魔法博士どもなら無期限で貸し出しておるのだ。私にその資格がないのは、血統ゆえでしかないのだから、理はこちらにある」
「そんな自分ルールを持ち出して、決まりを守らないなんてダメですよ、もう!」
「悪役」を名乗って街中で魔法ぶっ放しまくってるお前が言うな、とザゴスは思ったが口には出さなかった。
「サイラス師、よろしいか?」
フィオは一つ咳払いをして本題に入る。
「ダンケルスの子か。頼みがあると聞いたが、なんだ?」
「見てもらいたいものがある。魔獣の一部なのだが……」
フィオは黒い角を取り出すと、サイラスに差し出した。
「む、それは……!」
「ご存知か、これが何なのか」
サイラスは眉間にしわを寄せ、絞り出すように言った。
「ブキミノヨル……」
「不気味の、夜?」
「どういう意味ですの?」
エッタの問いに直接答えず、サイラスは厳しい表情のまま顔を上げた。
「これをどこで?」
「『魔女の廃城』。アドイック近郊の、旧王都コーガナの辺りだ」
フィオは「魔女の廃城」に見たことのない魔獣が現れ、それが遺したものだ、と角の来歴を語った。アドイックの魔法研究所では何もわからなかったことは話したが、偽勇者と王宮の密命に関しては伏せておいた。単純に、魔法研究所所長・デミトリ師からの「魔獣調査の『クエスト』」ということにした。
説明を聞き終え、サイラスは「ふうむ……」と思案気に顎髭を撫でる。
「間違いない、ブキミノヨルだ」
「先生、その『不気味の夜』というのは?」
聞き慣れない単語であった。サイラスの口ぶりからすれば、この角の持ち主である魔獣の名のようだが……。
「『マーガン前哨』の戦いは知っているだろう?」
それは300年前の勇者の冒険譚に語られる、「マーガン原生林」に陣取った悪しき魔道士と、勇者ヒロキ・ヤマダ一行の戦いのことであった。
「あの戦いに語られる造魔獣、それがブキミノヨルという魔獣だ。」
勇者に相対した、魔王に魂を売った魔道士。彼がその邪なる力で造り出し、勇者に差し向けたのが、造魔獣と呼ばれる特殊な魔獣であったという。
「待ってくれ」
フィオは造魔獣の名を聞いて、困惑したように続ける。
「造魔獣というのは、獅子の頭に山羊の角を持ち、蛇の尾を持つ巨大な怪物だと聞いている。我々が見たのはそんなものではないのだが……」
「確かに、『ヤマダ戦記』ではそう書かれておるな」
「ヤマダ戦記」は、現在最も流布している勇者の物語だ。上中下に補遺が一冊の全四巻の構成となっている。フィオも勇者の末裔として、この物語は諳んじる程に読み聞かせられてきた。なので、そこに登場する造魔獣であるならば、その姿を見た瞬間に同定できるはずなのだが……。
「だが、所詮は物語だ」
どこか嘲るようにも聞こえる口調に、フィオはムッとした表情を浮かべる。
「それは、勇者の伝説は嘘だったという意味か?」
「必ずしも真実をすべて伝えているわけではない。そう言った方がよさそうですわね」
エッタが横から口を挟む。弟子の言葉に、サイラスはうなずいてみせた。
「『ヤマダ戦記』がどのような史書や記録を元に書かれたのかは、専門外なので知らぬが、しかしいくつかの歴史書を紐解けば、『マーガン前哨』の造魔獣は二種類存在したことが書かれておる」
「ヤマダ戦記」では、獅子頭に山羊の角の魔獣のみが「造魔獣」という書き方であったが、サイラスの言うところの他の歴史書には固体名として「ヒノヤマ」と呼ばれていたことが明記されているという。
「つまり、『ヤマダ戦記』にないもう一種類が、この角の持ち主だと?」
そうである、とサイラスは重々しく肯定した。
「その名が、ブキミノヨル。この角は、かの造魔獣のもので間違いない」
「断言できるのか?」
うむ、とサイラスは確信を持った様子でうなずいた。
「昨年、ちょうど『マーガン前哨跡』の調査が行われたのだが」
原生林の奥深く、「マーガン前哨跡」に人が入るのは、300年前の戦い以来のことであったという。
「その際、前哨跡にその角と同じものが大量に散らばっているのが見つかった」
サイラスは、フィオの持つ角を指差す。
「造魔獣は一般の魔獣と違い、死しても体の一部が残るのではないか、というのが今の見解だ」
その量からして、ブキミノヨルは雑兵としての役割を負っていた造魔獣なのではないか、と推測されている。言わば地味な存在であったために、「ヤマダ戦記」では描かれなかったのだろう。
「ってことはよ、あの『魔女の廃城』に現れた魔獣は、300年前の生き残り?」
「それは考えにくい」
ザゴスの言葉にサイラスは首を横に振った。
「造魔獣とは、そこまで永く生きられるものではない」
確信があるのだろうか、サイラスは断言する。
「では、誰かが新たに造った?」
エッタの考えにも、サイラスは「それもどうだろうな……」と首を傾げる。
「造魔獣の製造は、『邪法』として禁止されている。そもそも、その製法自体も残っておらん」
もしそれを知る者が、偽勇者事件の黒幕ならば。フィオは眉を寄せる。
「そうですわよね……。『邪法』については厳しく取り締まられていますもの」
「お前も大学時代に一度、『邪法』に手を出して警告を受けたことがあったな」
「嫌ですわ先生、3度ですわよ」
何が嬉しいのか、エッタはころころと笑う。
「何をしてるんだ、君は」
「だって、まさか『物を転送する魔法』が『邪法』の範疇に入っているとは思わなくって」
一度目は過失だったのだろうが、二度目と三度目はわざとだったのではないか。じっとりとしたフィオの視線に、エッタは目を逸らした。
「物の転送は、ガンドール家の連中が追い求めても得られなかった、『召喚』に通じる技術だからな。自分たちができなかったものが成功するのを快く思わず、『邪法』ということにしてしまっておるのだろうよ」
ガンドール家の魔道士が聞けば、烈火のごとく怒り出しそうなことを、サイラスは事もなげに言った。「邪法」に対する態度からしても、この師匠にしてこの弟子あり、という感じかとザゴスは改めて思う。
「とは言え、最近製造されたものと見た方がよいだろうな」
造魔獣が300年を生き残ることは、「邪法」に手を染める何者かがいることよりも可能性が低いようだ。
「誰が造ったか、ということはわからないだろうか?」
サイラスは「やってみよう」とフィオの手から角を受け取る。
「調査してみれば、何かわかることがあるやもしれん。少し日にちはかかるが……」
「構わない。よろしくお願いする」
サイラスは造魔獣の角を布で包み、丁寧な手つきで傍らのサイドボードの上に置いた。
「造魔獣についてもっと知りたいなら、スヴェンという男を訪ねるといい」
ふと思いついたように、サイラスはそう口にした。
「古典魔法学を専攻するまだ若い研究者だが、昨年の『マーガン前哨跡』の調査団を率いたやり手だ。ブキミノヨルについても、より詳しいことが聞けるだろう」
「その方に会うには、大学に行けばよろしいので?」
いや、とサイラスは少し言い淀んだ。
「……恐らくは、大学図書館のロビーで、猫の毛づくろいをしているだろう」
「猫?」
「何で猫を図書館で……?」
当惑したようにザゴスとフィオは顔を見合わせた。
「まあ、かわいらしい方ですね」
二人の様子をよそに、エッタは弾んだ声を上げる。
「猫が好きらしい。いつも黒い猫を連れているから、すぐにわかるだろう」
そんなところだな、とサイラスは立ち上がる。それを見て、三人も席を立った。
「サイラス師、ご協力感謝する」
「先生、ありがとうございました」
礼を言ってその場を辞す三人に、ふとサイラスは呼びかける。
「ヘンリエッタよ」
「はい?」
名を呼ばれて、エッタは階段の手前で振り返った。
「久しぶりに、お前の顔が見られてよかった」
「わたくしもですわ、先生」
エッタはにっこりと笑い返した。
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