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アドイック編

34.末路

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 王都より西へ10マルン(※約15キロ)、「魔女の廃城」と呼び習わされるその場所にタクトは降り立った。

 灰色の肌、生えてきた角と翼、変わり果てた自分の姿に、しかしタクトは満足していた。この世界を壊すのに、ふさわしい姿だと思えたから。

 ここを壊したら、次は元の世界に戻ろう。あの金髪を虫みたいに踏み殺してやる。

 ディアナ姫を連れて行ったら、三浦は驚くだろうな。あいつは生かしておいてやろう。オレみたいに、チートに恵まれてないなんて可哀想だしな。

 タクトは、崩れた城壁の隅に座り込むディアナに目を向けた。泣き腫らした目で彼女はタクトを見上げる。

「にらまないでよ、立場わかってる?」

 タクトは呆れたように両腕を広げた。

「さっきの見たでしょ? 何人相手にしたって、オレは勝てる。誰も君を助けに来られないよ。いくら一国の王女と言ってもね。軍隊が敵わないんだから、諦めるしかない」
「バカなことを……!」

 バカじゃないよ現実だよ、とタクトは立ち上がったディアナを嘲るように言った。

「だからさ、君はもうオレのものになるしかないんだよ」
「いいえ、それは違います!」

 ディアナ姫は、異形の姿の相手にも怯まずにはっきりと言い放った。

「条件を忘れたのですか? あなたは『天神武闘祭』で優勝できなかった。わたしの夫になることなどできませんよ」

 はぁ? とタクトは顔を歪める。

「そんなの関係ないでしょ。夫になるんじゃなくて、オレのものにするだけなんだから」
「言い方を変えても同じです。負けたあなたには、そんな権利はありません!」

 ギリっとタクトは奥歯を噛んだ。

 何が負けた、だ。大闘技場コロシアムは破壊した、あの決勝で戦った連中も死んだに決まってる。だったら、オレが最終的な勝者なのは明白だろう。

 それをこいつは、ぐちゃぐちゃと文句をつけて……。もっと思い知らせないといけない、自分の立場というものを。

 タクトは腕を振り上げる。ディアナ姫は身を固くした。騎士団を腕の一振りで壊滅させたのをその目で見ていたから。

 灰色の腕が振り下ろされるその瞬間――突然魔人は、タクトは膝をついた。

「あ……、あ……?」

 逞しくなった身体が、空気が抜けるように縮んでいく。角と翼は抜け落ち、チリとなって消えた。灰色の肌は元の黄色がかった色に戻り、髪も瞳も黒くなった。

「な、なんで……?」

 身構えていたディアナ姫も、驚いた顔で見ている。口から出る声は弱々しくなり、受ける印象が一層幼くなっていたからだ。

 目の前にいるのは、もはや魔人でも、勇者でもなかった。

 ただの、神野拓人という少年であった。



 鬱蒼と生い茂った木々が、曇り空を突き刺すように並んでいる。かつてコーガナという都のあったこの土地は、300年の時を経て人の立ち入らない森林に姿を変えていた。

 森の奥にそびえる打ち捨てられた城は、外壁が崩れ、瓦礫が散乱し、草木が石畳の隙間から伸び放題に伸びている。その様は往時の栄華と、この地で起こった戦いの激しさを語り継ぐかのようであった。

 魔王に攻め込まれ陥落して以降、人の寄り付かぬ地となったここに、ヒルダと名乗る魔女が住み着いたのは100年前のことだった。

 アドニス王家に呪いをかけ、森に数多の魔獣を呼び寄せて、敵対したというこの魔女が現れて以降、旧王都コーガナの一帯は「魔女の廃城」と呼ばれるようになった。

 ザゴスとフィオは、れた堀にかかる橋を渡り廃城の奥を目指す。冒険者ギルドの派遣した探索士スカウトの情報によれば、魔人はこの奥に降りたという。

 薄暗い廃城の広間を抜け、二人は中庭に出た。

 流麗な細工の施された庭だったそうだが、今は見る影はない。崩れた像や噴水、更には100年前この城を根城にした魔女が植えたと思しき奇妙な植物が繁茂する様が、ある種の異様な雰囲気を醸し出している。

 そんな中、半壊した東屋の中に、ザゴスとフィオは二つの影を見て取った。

 奥にいる銀髪の少女は、見紛うことなくディアナ姫。そして、もう一人は……。

「魔人、じゃねえぞ……」
「どうやら読みが当たったらしい」

 膝をつき呆然とする全裸の貧相な少年の後ろ姿を見て、フィオは安心したようにため息をついた。

「タクト・ジンノ!」

 フィオが声をかけても、少年はこちらを向かなかった。ディアナ姫が二人に気付き、ハッとした様子で顔を上げ駆け寄ってくる。

「フィオラーナ、来てくれたのですね……」
「ええ。姫様、ご無事で何よりです」
「そちらの大きな方もありがとうございます」

 一国の姫君にそう言われ、ザゴスはさすがに恐縮した様子で頭を下げる。

「して姫様、彼は?」
「わかりません。先程突然、あの魔人のような姿から萎んでしまって」

 ディアナ自身も話しかけてみたが、ずっと上の空で返事をしないという。一人で逃げ出そうかとも思ったが、周囲に強力な魔獣がうろついていることはディアナも気付いていたので、下手に動かない方がいいだろうと、ここに留まっていたのだという。

「一体何があったのでしょう? 『戦の女神』の裁きでしょうか?」
「いえ、我々の策です。彼の冒険者登録を取り消したのです」

 フィオの気付いた「ゴッコーズ」封じ、それが冒険者登録の取り消しであった。

 タクト・ジンノは冒険者になる以前は「ゴッコーズ」が使えなかった、とビビは語っていた。ならば、冒険者でなくなれば「ゴッコーズ」は使えなくなるのではないか、とフィオは考えたのである。

 その思い付きに確信を持てたのは、300年前の勇者ヒロキ・ヤマダが残した「冒険者であることは勇者の第一条件」という言葉からであった。

「本当に『ゴッコーズ』は使えないのでしょうか?」
「そうでしょう。彼の中にあった力が感じられない」
「わかるのですか?」

 ええ、とフィオはうなずく。

「決勝でさし向かった時、あるいは姿が変化した時、感じた気配がありません。それどころか、雰囲気そのものが変わっている……。まるで別人になったかのようだ」
「雰囲気は、そうですね。わたしも思います。もっとふてぶてしかったような……」

 すぐ背後でかわされる会話にも、少年は虚空を仰いだままであった。

 フィオは再び少年の名を呼んだ。

「貴様はこれより捕縛され、処刑される。大闘技場コロシアムを破壊し、自分の仲間や騎士団を殺戮、王族の誘拐、そして勇者を騙った罪は何より重い」

 処刑、という言葉にも反応はない。おい! とフィオは肩を掴んだ。

「貴様は自分のしたことを自覚せねばならない。罪の重さを背負いながら、刑の執行を待つのだ。こんなところで惚けて、それから逃げるなど許されんぞ!」

 揺さぶられる彼は、まるで糸の切れた操り人形のようにされるがままだった。

 やめとけ、とフィオの手を止めたのはザゴスだった。お姫様を頼む、とザゴスは言って、今度は自分が彼にさし向かった。

「おい、クソガキ」

 ザゴスは屈んで少年と視線を合わせる。

「悔しくねぇのか、テメェ」

 ボケっとしやがって、と何も映さないような乾いた瞳に毒づく。

「テメェを負かしたヤツがここにいるんだぞ、ちっとは抵抗してみせろや! それとも『ゴッコーズ』がなけりゃ何にもできねぇのかよ、あぁ?」

 挑発するようなザゴスの言葉にも、やはり返事はない。

「負けて癇癪起こして仲間二人も殺して、散々暴れてテメェはなにがしたかったんだよ? 何が欲しかったんだよ? 異世界とやらから、わざわざ来てよぉ……」

 ここで初めて、少年の目が揺れた。

「見せてみろや、テメェの力でよぉ!」
「お、オレは……」

 少年は、拓人は初めて口を開いた。

「欲しかった、ものは……」

 その時、頭上から大きな羽音が聞こえた。

「!? 何だありゃ……」

 空にいたのは灰色の魔獣だった。人間のような体格であるが、背中にはコウモリのような翼が一対生えている。頭には額から生えた一本づのの他は、目も耳も鼻も口も何もない。その手には漆黒の槍のようなものが握られていた。

 見たことのない魔獣だ。この「魔女の廃城」にもよく「クエスト」で訪れるザゴスにも見覚えがない。いや、強いて挙げるなら……。

「ザゴス!」

 フィオはディアナを背にかばいながら警告する。空の魔獣が槍を振り上げたのだ。ザゴスは立ち上がり、斧を構えた。

「い……あ……?」

 放たれた槍は一瞬でザゴスの傍らに血だまりを作る。

 拓人の身体を、脳天から貫いて。

「! この……!」
「雷よ!」

 フィオの放った雷魔法が魔獣の背中を撃ち、魔獣は地に落ちた。うつ伏せに突っ伏すその頭に、ザゴスは斧を振り下ろす。ぐしゃり、と魔獣の頭が潰れた。

「何だってんだ、こいつ……」

 魔素に分解されていく灰色の体を見下ろして、ザゴスはつぶやいた

「さあな……。初めて見る魔獣だったが……」

 惨状に目を背けていたディアナが「あの……」と口を開く。

「似ていませんでしたか、さっきの魔獣……。タクト・ジンノが変化した、あの姿に……」
「! 確かに……」

「俺も、お姫様と同じことを思ったぜ」
「あの体格や翼、何か関連が……?」

 フィオは魔獣の遺骸を見下ろす。ほとんどが魔素と変わった体の中で、唯一額に生えていた一本角だけがしっかりとその形を残していた。

「『魔石晶』、でもねぇか……。何から何までおかしな魔獣だな」
「これは持ち帰っておこう」

 フィオはねじくれた角を拾い上げ、自分の物入れにしまった。

 ザゴスは血だまりを見下ろす。神の力を振るい暴れ回った「クソガキ」が言い残そうとしたことは、もう二度と知ることはできない。

「……帰るか」

 祈るように目を閉じた後、ザゴスはフィオとディアナを振り返った。
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