甘い毒の寵愛

柚杏

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「オレには……親も兄弟もいない。産まれた時に奴隷商に売られたらしい。主人がそう言ってた。親に売られたのか、それとも盗賊にでも襲われて誘拐されたのか。全く何もわからない。オレには何もない。だから羨ましいよ、半分でも血が繋がっている家族がいるんだから」
 多くの奴隷仲間は同じような境遇ばかりで、それが普通だった。みんな、何も持っていない。空っぽだ。
 なんの目的もない。ただ毎日の仕事をこなすだけ。
「では、こうしよう」
「なに?」
「私の元に来なさい。その体質、このまま死なせるにはもったいない」
「は……!?」
 剣の切っ先がシアンの頬に触れた。ひんやりと尖った刃に自分の顔が歪んで映った。
「なんであんたのとこなんかに!! 絶対、嫌だね!!」
 似た境遇だから同情でもしたのか、それとも利用価値があると思ったのか。
 なににせよ王子の命を狙っている人間に飼われるなんて屈辱でしかない。
「ならば価値はないな」
 頬に触れた切っ先がシアンの赤い髪を雑に切った。
 パラパラと赤い髪が石の床に落ちていく。
(王子が……綺麗って言ってくれたのに)
 ベッドの上の王子はいつも甘く優しい。
 毒を治療するためだけに呼ばれ、抱きたいと思ったから抱かれている。そこに愛情はないはずなのに身体を重ねている瞬間は愛されているような錯覚に陥る。
 空っぽの自分の中を王子が埋めてくれるみたいで、幸せでたまらない。
 こんなバラバラになった髪を見たらもう王子は綺麗だと言ってくれないかもしれない。そう想像するだけで哀しくて泣きそうになる。
「王子の命と引き換えならどうだ? 君が私の元に来るなら王子の命は助けよう」
 石の床に散らばった髪を呆然と見ていたシアンはハリス公からのその提案に顔を上げた。
 ハリス公の元に行けば王子は命を狙われなくて済む。食事に毒を入れられることも、暗殺者に殺されることも。
「保証はないだろ」
「君の命を取り引きに使えば王子は継承を放棄するさ。その後、君は私の元に来る。それで取り引き完了。誰も死なず、誰も苦しまない」
「王子がオレなんかの命のために取り引きするわけないだろ」
 この命にそんな価値はない。
 たとえ王子が取り引きに応じたとしても、ハリス公の元へなんて行きたくない。それなら新死んだ方がマシだ。
 それに王子には王になって、奴隷制度を変えてもらわなければいけない。
 王子との少ない絆の一つがその約束なのだから。
 自分がいなくても王子にはセシルもいるし、守ってくれる下臣もいる。どんなに邪魔されても王子は必ず王になる。
 ならなきゃいけない人だ。
「死んでも嫌だね」
 挑発するように舌を出して睨み付けた。
「ならば二人とも死ね」
 振り翳された鋭い剣。
 両手両足の鎖が邪魔で自由に動けないシアンはもうダメだと覚悟を決めて目を閉じた。
(なるべく痛くないように一回で終わらせてくれ!!)
 それくらい祈ったって罰は当たらないだろう。
 どうか王子が王に即位できるように。そのためなら多少痛くても我慢するから、絶対にハリス公の思惑通りにしないでくれと強く願った。
 ――キン、と甲高い音が響いた。
 覚悟していた痛みがいつまで経ってもなく、シアンは恐る恐る目を開けた。
「……王子……?」
 目の前にはノア王子がハリス公の剣を自分の剣で受け止めていた。
 これは夢ではないかと、何度も目を瞬かせる。
「おまえ……なぜここが……」
「叔父上……残念です」
 ハリス公の顔がみるみるうちに怒りみ満ちたものに豹変する。
「叔父上の従者一人を取り込んで見張らせてました。貴方は国のことを一番よく考えていると信じていました」
 ハリス公の剣を振り払って、そばに控えていた兵士たちに目配せすると兵士たちは素早くハリス公を取り囲み捕まえる。
「なにをする!! 離せ!!」
 怒鳴り散らす声とともに兵士たちに連行されていくハリス公の声がどんどん小さくなっていく。
 しばらく呆然としたまま、ハリス公の怒号の反響を聞いていると王子がシアンの前に膝をついて髪に触れた。
「王子……なんで……」
「おまえが叔父上をやたら気にしていたから動向を調べさせていた。まさかこんなことになるなんて……」
「オレのなんとなくの勘を信じたの?」
「おまえの方がハリス公のことを理解していると思った。間に合って良かった……」
 髪に触れていた手がシアンを引き寄せ抱き締めた。
 冷えていた身体がふわりと温まる。
 王子の匂いがすぐ近くでする。心臓の音が聞こえる。何度も閨で感じた匂いと鼓動。
 ――この命を守れて良かった。
 これでもう王子が命を狙われる心配はない。
「薬草園で倒れたおまえを叔父上がここに運んでいくのを見張らせていた従者が気付いてあとをつけた。その後連れていかれた場所を確認し俺に報告してきた。遅くなってすまない。怖かっただろ?」
「……そんなことない。本物の王子様みたいだった」
 ホッとすると身体の冷えが戻って来た。毒の副作用なのか意識が再び遠のいていく。
「俺は本物の王子様だよ」
 フッと笑う王子に安堵してシアンはそのまま王子の腕の中で意識を手放した。


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