61 / 77
第三話 雪柳
4-1
しおりを挟む
翌朝、目が覚めると、彼はもういなかった。またやっちまった……と頭を抱える。いったい俺、何時間寝たんだろう……。
あきれ顔の秋櫻がやってきて、洸永遼が置き手紙を残していったことを伝えてくれた。俺は文字が読めないので、秋櫻に読んでもらう。商家出身の彼は読み書きができるのだ。
「『……おはよう。君とゆっくりできないのは残念だけど、またすぐに会えるから。今日もいい日になりますように』だって。洸さんて本当に素敵だよねえ」
ほう、とため息をついて、秋櫻が片頬に手を当てる。そしてもう片方の手で手紙を差し出した。
「字もすごく綺麗だよ。お手本みたい」
秋櫻の手元の書面をのぞきこむ。楷書フォントみたいな美しい字だ。
「でも、すごく急いでたみたいだった。忙しい合間を縫って、君に会いに来たのかな」
秋櫻が小首を傾げる。いつも余裕に満ちた洸永遼の、昨日のふるまいには違和感があったし、きっと何かが起こっているんだと思う。けれど彼はそれを言わないし、聞いても俺にはきっと何もできない。
月季兄さんの言うように、俺たちは仮初の恋人……いや、恋人ですらない。
——客と男妓。その関係性がなんだかはがゆくて、俺はくちびるを引き結んだ。
しかしまさかその彼と、すぐに再会することになるとは、そのときは夢にも思わなかった。
その夜は真波さんのお務めだった。昨日からの雨は一日中振りやまず、屋根を叩く雨の音が聞こえていた。
そろそろ真波さんが来る時間かと、テーブルに着いたまま耳を澄ませる。すると、階段のほうで何やら言い争うような声が聞こえた。
「困りますっ…」
焦ったような鶴天佑の声。
「至急なんです!」
これは……洸永遼の声、か?
「なんで……?」
慌てて立ち上がって、扉へと急いだ。勢いよく開くと、廊下の向こうに、黒い袍に身を包んだ真波さんと、鶴天佑、そして洸永遼の姿があった。
「洸さん!」
思わず叫んだ。揉み合っていたらしい男たちはたちどころにこちらを見る。
「……雪柳」
洸永遼が呟いた。急いで三人のもとへ駆け寄る。険しい顔をした真波さんと、困惑したような鶴天佑、そして申し訳なさそうに眉を寄せた洸永遼。まったく状況がつかめない。すると鶴天佑が声をひそめて言った。
「雪柳……。洸さんがどうしても、程将軍に話があると……」
驚いて目を見張る。しかし、いまは営業時間だし、廊下でもめていたらほかの部屋にも迷惑だろう。
「……とりあえず、部屋に入りませんか…?」
俺が言うと、鶴天佑も頷いて、男二人に「お願いできますか?」と言った。
皐月のための小さな部屋は、男四人が入ればいっぱいだ。そもそも二人用に作られた部屋なので、椅子だって2脚しかない。俺は真波さんと洸永遼を座らせようとしたが、洸永遼は首を振り、テーブルのそばに立つ。
鶴天佑と俺も傍に立って、なぜか男3人が立ったままというおかしな状況になってしまう。
「申し訳ありません…。どうしても、ご相談致したく。けれどご勤務中にはお話できない内容でしたので」
洸永遼が深々と拱手しながら言う。真波さんは椅子に座ったまま「……礼を失している」と呟いた。そりゃそうだ。洸永遼はきっと仕事終わりの真波さんの後をつけたのだろう。彼と出会ったころのことが思い出される。
「ほんの少しでいいんです。『砂条』のことで」
……サジョウとはなんだろう。俺がそう思う間もなく、ぴくりと真波さんの眉が動いた。すっとその手が上がる。
「鶴さん。私は彼と話をしようと思う。外してくれないか」
「……いいんですか?」
鶴天佑が様子をうかがうように言った。真波さんが頷く。
「ああ。すぐに終わらせる。雪柳は……ここに置いておいて構わない」
……えっ!?
いきなり飛んできたボールに驚く。俺はいていいのか? なんだか深刻な話っぽいけど。
「……あなたは、呼ぶまでは来ないでほしい」
「かしこまりました」
鶴天佑は拱手し、俺にちらと目線を送ると、そのまま扉を出て行った。俺はとりあえず洸永遼に椅子を勧める。
「洸さん、とりあえず座ってください。お願いですから。……程将軍、いいですよね?」
真波さんが頷くのを見て、洸永遼がためらいながらも座る。真波さんは「君も……」と言ったが椅子がない。
「ありがとうございます。でも僕はこのままで大丈夫です」
いつもの洸永遼なら、「膝にでも乗るか?」とでも言いそうなものだが、さすがの彼も神妙な顔をしている。そりゃそうだ。こんな氷点下の空気を味わったのは久々だ。
「……無礼をして申し訳ありません。青鎮将軍ではなく、私人である貴殿に、お話があります」
洸永遼の改まった口調に、真波さんはふと顔を上げた。
あきれ顔の秋櫻がやってきて、洸永遼が置き手紙を残していったことを伝えてくれた。俺は文字が読めないので、秋櫻に読んでもらう。商家出身の彼は読み書きができるのだ。
「『……おはよう。君とゆっくりできないのは残念だけど、またすぐに会えるから。今日もいい日になりますように』だって。洸さんて本当に素敵だよねえ」
ほう、とため息をついて、秋櫻が片頬に手を当てる。そしてもう片方の手で手紙を差し出した。
「字もすごく綺麗だよ。お手本みたい」
秋櫻の手元の書面をのぞきこむ。楷書フォントみたいな美しい字だ。
「でも、すごく急いでたみたいだった。忙しい合間を縫って、君に会いに来たのかな」
秋櫻が小首を傾げる。いつも余裕に満ちた洸永遼の、昨日のふるまいには違和感があったし、きっと何かが起こっているんだと思う。けれど彼はそれを言わないし、聞いても俺にはきっと何もできない。
月季兄さんの言うように、俺たちは仮初の恋人……いや、恋人ですらない。
——客と男妓。その関係性がなんだかはがゆくて、俺はくちびるを引き結んだ。
しかしまさかその彼と、すぐに再会することになるとは、そのときは夢にも思わなかった。
その夜は真波さんのお務めだった。昨日からの雨は一日中振りやまず、屋根を叩く雨の音が聞こえていた。
そろそろ真波さんが来る時間かと、テーブルに着いたまま耳を澄ませる。すると、階段のほうで何やら言い争うような声が聞こえた。
「困りますっ…」
焦ったような鶴天佑の声。
「至急なんです!」
これは……洸永遼の声、か?
「なんで……?」
慌てて立ち上がって、扉へと急いだ。勢いよく開くと、廊下の向こうに、黒い袍に身を包んだ真波さんと、鶴天佑、そして洸永遼の姿があった。
「洸さん!」
思わず叫んだ。揉み合っていたらしい男たちはたちどころにこちらを見る。
「……雪柳」
洸永遼が呟いた。急いで三人のもとへ駆け寄る。険しい顔をした真波さんと、困惑したような鶴天佑、そして申し訳なさそうに眉を寄せた洸永遼。まったく状況がつかめない。すると鶴天佑が声をひそめて言った。
「雪柳……。洸さんがどうしても、程将軍に話があると……」
驚いて目を見張る。しかし、いまは営業時間だし、廊下でもめていたらほかの部屋にも迷惑だろう。
「……とりあえず、部屋に入りませんか…?」
俺が言うと、鶴天佑も頷いて、男二人に「お願いできますか?」と言った。
皐月のための小さな部屋は、男四人が入ればいっぱいだ。そもそも二人用に作られた部屋なので、椅子だって2脚しかない。俺は真波さんと洸永遼を座らせようとしたが、洸永遼は首を振り、テーブルのそばに立つ。
鶴天佑と俺も傍に立って、なぜか男3人が立ったままというおかしな状況になってしまう。
「申し訳ありません…。どうしても、ご相談致したく。けれどご勤務中にはお話できない内容でしたので」
洸永遼が深々と拱手しながら言う。真波さんは椅子に座ったまま「……礼を失している」と呟いた。そりゃそうだ。洸永遼はきっと仕事終わりの真波さんの後をつけたのだろう。彼と出会ったころのことが思い出される。
「ほんの少しでいいんです。『砂条』のことで」
……サジョウとはなんだろう。俺がそう思う間もなく、ぴくりと真波さんの眉が動いた。すっとその手が上がる。
「鶴さん。私は彼と話をしようと思う。外してくれないか」
「……いいんですか?」
鶴天佑が様子をうかがうように言った。真波さんが頷く。
「ああ。すぐに終わらせる。雪柳は……ここに置いておいて構わない」
……えっ!?
いきなり飛んできたボールに驚く。俺はいていいのか? なんだか深刻な話っぽいけど。
「……あなたは、呼ぶまでは来ないでほしい」
「かしこまりました」
鶴天佑は拱手し、俺にちらと目線を送ると、そのまま扉を出て行った。俺はとりあえず洸永遼に椅子を勧める。
「洸さん、とりあえず座ってください。お願いですから。……程将軍、いいですよね?」
真波さんが頷くのを見て、洸永遼がためらいながらも座る。真波さんは「君も……」と言ったが椅子がない。
「ありがとうございます。でも僕はこのままで大丈夫です」
いつもの洸永遼なら、「膝にでも乗るか?」とでも言いそうなものだが、さすがの彼も神妙な顔をしている。そりゃそうだ。こんな氷点下の空気を味わったのは久々だ。
「……無礼をして申し訳ありません。青鎮将軍ではなく、私人である貴殿に、お話があります」
洸永遼の改まった口調に、真波さんはふと顔を上げた。
0
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜
長月京子
恋愛
学院には立ち入りを禁じられた場所があり、鬼が棲んでいるという噂がある。
朱里(あかり)はクラスメートと共に、禁じられた場所へ向かった。
禁じられた場所へ向かう途中、朱里は端正な容姿の男と出会う。
――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る。
不思議な言葉を残して立ち去った男。
その日を境に、朱里の周りで、説明のつかない不思議な出来事が起こり始める。
※本文中のルビは読み方ではなく、意味合いの場合があります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない
すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。
実の親子による禁断の関係です。
オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜
トマトふぁ之助
BL
某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。
そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。
聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる