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第三話 雪柳

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 翌朝、目が覚めると、彼はもういなかった。またやっちまった……と頭を抱える。いったい俺、何時間寝たんだろう……。
 あきれ顔の秋櫻がやってきて、洸永遼が置き手紙を残していったことを伝えてくれた。俺は文字が読めないので、秋櫻に読んでもらう。商家出身の彼は読み書きができるのだ。
「『……おはよう。君とゆっくりできないのは残念だけど、またすぐに会えるから。今日もいい日になりますように』だって。洸さんて本当に素敵だよねえ」
 ほう、とため息をついて、秋櫻が片頬に手を当てる。そしてもう片方の手で手紙を差し出した。
「字もすごく綺麗だよ。お手本みたい」
 秋櫻の手元の書面をのぞきこむ。楷書フォントみたいな美しい字だ。
「でも、すごく急いでたみたいだった。忙しい合間を縫って、君に会いに来たのかな」
 秋櫻が小首を傾げる。いつも余裕に満ちた洸永遼の、昨日のふるまいには違和感があったし、きっと何かが起こっているんだと思う。けれど彼はそれを言わないし、聞いても俺にはきっと何もできない。
 月季兄さんの言うように、俺たちは仮初の恋人……いや、恋人ですらない。
 ——客と男妓。その関係性がなんだかはがゆくて、俺はくちびるを引き結んだ。
 しかしまさかその彼と、すぐに再会することになるとは、そのときは夢にも思わなかった。


 その夜は真波さんのお務めだった。昨日からの雨は一日中振りやまず、屋根を叩く雨の音が聞こえていた。
 そろそろ真波さんが来る時間かと、テーブルに着いたまま耳を澄ませる。すると、階段のほうで何やら言い争うような声が聞こえた。
「困りますっ…」
 焦ったような鶴天佑の声。
「至急なんです!」
 これは……洸永遼の声、か?
「なんで……?」
 慌てて立ち上がって、扉へと急いだ。勢いよく開くと、廊下の向こうに、黒い袍に身を包んだ真波さんと、鶴天佑、そして洸永遼の姿があった。
「洸さん!」
 思わず叫んだ。揉み合っていたらしい男たちはたちどころにこちらを見る。
「……雪柳」
 洸永遼が呟いた。急いで三人のもとへ駆け寄る。険しい顔をした真波さんと、困惑したような鶴天佑、そして申し訳なさそうに眉を寄せた洸永遼。まったく状況がつかめない。すると鶴天佑が声をひそめて言った。
「雪柳……。洸さんがどうしても、程将軍に話があると……」
 驚いて目を見張る。しかし、いまは営業時間だし、廊下でもめていたらほかの部屋にも迷惑だろう。
「……とりあえず、部屋に入りませんか…?」
 俺が言うと、鶴天佑も頷いて、男二人に「お願いできますか?」と言った。
 皐月のための小さな部屋は、男四人が入ればいっぱいだ。そもそも二人用に作られた部屋なので、椅子だって2脚しかない。俺は真波さんと洸永遼を座らせようとしたが、洸永遼は首を振り、テーブルのそばに立つ。
 鶴天佑と俺も傍に立って、なぜか男3人が立ったままというおかしな状況になってしまう。
「申し訳ありません…。どうしても、ご相談致したく。けれどご勤務中にはお話できない内容でしたので」
 洸永遼が深々と拱手しながら言う。真波さんは椅子に座ったまま「……礼を失している」と呟いた。そりゃそうだ。洸永遼はきっと仕事終わりの真波さんの後をつけたのだろう。彼と出会ったころのことが思い出される。
「ほんの少しでいいんです。『砂条』のことで」
 ……サジョウとはなんだろう。俺がそう思う間もなく、ぴくりと真波さんの眉が動いた。すっとその手が上がる。
「鶴さん。私は彼と話をしようと思う。外してくれないか」
「……いいんですか?」
 鶴天佑が様子をうかがうように言った。真波さんが頷く。
「ああ。すぐに終わらせる。雪柳は……ここに置いておいて構わない」
 ……えっ!?
 いきなり飛んできたボールに驚く。俺はいていいのか? なんだか深刻な話っぽいけど。
「……あなたは、呼ぶまでは来ないでほしい」
「かしこまりました」
 鶴天佑は拱手し、俺にちらと目線を送ると、そのまま扉を出て行った。俺はとりあえず洸永遼に椅子を勧める。
「洸さん、とりあえず座ってください。お願いですから。……程将軍、いいですよね?」
 真波さんが頷くのを見て、洸永遼がためらいながらも座る。真波さんは「君も……」と言ったが椅子がない。
「ありがとうございます。でも僕はこのままで大丈夫です」
 いつもの洸永遼なら、「膝にでも乗るか?」とでも言いそうなものだが、さすがの彼も神妙な顔をしている。そりゃそうだ。こんな氷点下の空気を味わったのは久々だ。
「……無礼をして申し訳ありません。青鎮将軍ではなく、私人である貴殿に、お話があります」
 洸永遼の改まった口調に、真波さんはふと顔を上げた。
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