鶴汀楼戯伝~BLゲームの中の人、男ばかりの妓楼に転生する~

鹿月

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番外編 てのひらの温度

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阿明アーメイ、ごめんね。これしかないの。賢いあなたなら、わかってくれるわよね」
 たった一本の蝋燭の明かりしかない薄闇の中、母は蒼白な顔で言った。僕の手を握る手が震えている。溢れる涙を堪えられないようで、ぽろぽろと白い頬に涙がこぼれている。
「ごめんね。ごめんね……あなたはお兄ちゃんだから、手伝ってほしいの」
 血管の浮いた薄い手は驚くほど冷たかった。
 ……分かるはずがない。許せるはずがない。一緒に死んでくれ、だなんて。
 大切な弟妹を、この手で殺せ、だなんて。

 はっと目が覚めた。動悸がひどく、汗もかいている。あの晩の衝撃を、追体験してしまったためか。
 大きく息を飲んで、呼吸を落ちつけた。暗闇の中、耳を澄ますと、となりから寝息が聞こえた。
 ……雪柳。
 そっと手を伸ばした。彼はいつも大きく手を伸ばして大の字になって寝ているから、少し手を伸ばせば触れることができる。
 彼は時々眠れないことがあるみたいで、そんな時僕が手を握ると、ほっとすると言っていた。
 けれど本当は、単に僕が手を握りたいだけなのだ。暗闇は怖いから。あの夜の記憶を、どうしても思い出してしまうから。


 うちにはあのころ毎日借金の督促がきていて、家族は息を殺して過ごしていた。もともと宝飾品店をしていた我が家はそれなりに裕福な商家だったが、父が一番信頼していた使用人の男が、店の資産を全て持ち逃げしたのだ。
 丁度西からの隊商が戻り、たくさんの宝玉を仕入れ、加工に出そうとしていた矢先だった。彼はそれらの宝玉とともに、運転資金を全て持ち去った。
 仕入れた宝玉の代金は払わねばならず、それは莫大な額になった。従業員の給金も払わねばならない。店の商品もあらかた奪われ、商いもできないのに。  
 僕は通っていた私塾をやめて父母の役に立とうとしたが、悪いことは続いた。心労から、父が倒れてしまったのだ。
 父の具合は悪く、当然働く事などできなかった。僕は取り引き先に懸命に頭をさげ、商売のため金を貸してくれと頼んだが、父が病みついている間は商売は無理だろうとすげなく断られた。 
 使用人に暇を出し、家の調度品や宝飾品を売ったりもしたが、日々の生活が精一杯だった。父の薬代も高価だったし、うちには僕の下に4人も子供がいたから。
 日に日に、母もまた追い詰められていった。もともと母の実家にも余裕はないし、父の実家はつまりはうちの店で、そのまま父が継いでいる。父方の祖父母は早世しており、もはや助けてはもらえなかった。

 僕を見つめる母の目は血走っていて、今にも血の涙を流しそうだった。
「お願いよ……阿明」
「ははうえ」
 からからに乾いたのどから声を絞り出した。
「僕が、なんとかします。だから……明日まで待ってください。どうか、思いとどまって。明日には、言うことを聞きますから」
 その手を握り返した。母の目の奥は空洞のように黒黒としていて、もはや僕を映してはいない。けれど、糸が切れた人形のようにこくりと頷いた。

 僕は直ぐに動いた。眠っていたすぐ下の弟を叩き起し、母上の具合が悪いから気を付けろと伝えた。何か言われたら、明日まで待てと兄ちゃんが言っていたと突っぱねろと。そして急いで、貯めていた銭を持って家を飛びだした。
 走って街の門まで行き、最終の乗り合い馬車に飛び乗った。目的地は汀渚の街だ。この州最大の遊里には、父の商売の見学で共に何度か行ったことがあった。
 もう遅い時間だから、待合所には人一人いなかった。無愛想な御者に運賃を払い、馬車に乗り込む。走り続けていたためか、動悸がひどい。暗い馬車の中で胸を抑えながら、僕は泣くことすらできず、ただ息を殺して震えていた。

 汀渚の街の入口には巨大な門があり、通行証の提示が求められる。商売人である父は持っているが、僕は持っていなかった。父と行く時は父のお供として、門の所で発行してもらえたのだ。
 仕方なく、門の横の番所に行き、事情を話した。
 ――鶴汀楼の男妓になりたい、と。
 年配の門番は少し困った顔をして、ここで待っていろと言ったので、番所の椅子に腰掛けて待つことにした。
 しばらくすると、大柄で凛々しい顔立ちの男がやってきた。
「君か。男妓志望というのは」
 慌てて立ち上がると、男は僕を見下ろして言った。かなり身長が高く、僕より頭一つ分は高いかもしれない。彫りが深く、端正な顔立ちだ。彼が妓楼の関係者だろうか。
「……はい。どうしても……男妓になりたくて」
 嘘だ。別に男妓になりたいわけではない。家族を守れるだけの金が欲しいのだ。かつて僕はこの街で男妓を見た事がある。美しく装った彼らに見とれていると、父が言った。ここで頂点を極めれば、屋敷も立つぞと。
 それが強烈に印象に残っていた。もちろんそれがごく一部の選ばれし人だけだということもわかっている。僕にそんな才能があるかもわからない。
 けれど……明日の命を失うくらいなら、ここで頑張ってみた方がよほどいい。
 しかし、僕の差し迫った事情を言ったところで、商売人には響かないだろう。返って買い叩かれるだけだ。商売は駆け引きなのだから。
 ……どうすれば、この身を高く買ってもらえるだろうか。
 僕が頭を悩ませている間に、男は僕の頭からつま先までをざっと見た。
「……どうも。俺は鶴汀楼の楼主、鶴天佑だ。よろしくな」
 そして手を差し出される。
「李耀明です。よろしくお願いします」
 手を掴むと、ぶんぶんと上下に振られた。彼の手は大きくて暖かくて、僕はなんだかてとてもほっとした。
「これは西のほうの挨拶らしいぞ。それにしても君」
 鶴天佑はじっと僕を見つめた。そして握った手に力が入る。
「手が冷たいな。……なにか食うか」
   ……え?
 驚いて彼を見上げた。彼は大きな口をにかっと開けて笑った。
「腹空いてるだろ。人間、腹が空いてちゃ、正常な判断はできないものだ。おごってやるから」
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