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第一話 皐月
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「……お願い?」
「着ているものを、交換してほしいんです」
「……え?」
ぽかん、という表現がぴったりの顔で皐月が俺を見る。俺は頷いて言った。
「俺が見たのは、あなたがその衣装で亡くなっている絵なんです。だからもしかして、あなたがそれを脱いだら、結末が変わるかも」
「そんなこと……」
「その衣装は目立つから、逃げるには向いてないと思う。それに俺、あなたと背格好似てるから、ギリギリまでごまかせるんじゃないかなって。時間稼ぎくらいにはなるかと」
言い募ると、皐月の表情が変わった。信じられない、というように首を振る。
「馬鹿な。僕の振りをするっていうのか?」
「顔を隠したらいけるかなって……もちろん、ほんの少しのあいだですよ? だからあなたは、その間にできるだけ遠くまで逃げて」
「……君ってやつは」
形のいい細い眉が寄せられる。
「本気で言っているのか? 君がどうなるかわからないんだぞ」
それはわかっている。でも。
「それでも、あなたが死んでしまうより、ずっといいです」
すると皐月は、「バカ」とちいさく呟いた。そしてまるで泣いてるみたいに、笑った。
裏庭の隅は人の目もない。兄さんたちの部屋からは見える窓もあるかもしれないが、基本的に窓は閉じられている。俺たちは急いで服を取り替えた。裏庭でほぼ全裸になるのは恥ずかしかったが、上等な下着も全て。なんとか着替えを終えると、襦袢姿のまま、皐月柄の上着をたたんで胸に抱く。
「これで大丈夫。もしもバレたら、衣装全部返して全身全霊で謝りますから、俺!」
笑って言うと、皐月はまた笑った。俺の素朴な普段着を着ていても皐月はとても綺麗で、これなら彼氏も嬉しいだろうな、なんて思った。すると、ふっと皐月が手を挙げた。俺の頭の上に手をおいて、優しく撫でる。
「……ありがとう、雪柳」
その声は優しくて、俺は急に力が湧いてくるのを感じた。
「どういたしまして! 俺、がんばります!」
腕を立てて、ガッツポーズをしてみせた。皐月には通じないだろうが、皐月は同じポーズを返してくれた。
「それじゃ、行くね」
皐月が言うのに、頷いた。
「約束してください。死なないって」
真っ直ぐ目を見る。俺が今彼にできる、唯一の「呪い」。
すると皐月はまた笑って、うん、と頷いた。
「約束する。……またね」
皐月が扉を出たのを確認してから、錠を締めた。彼がどうやって鍵を入手したのかは知らない。けれど俺がこれを持っているのもまずい気がして、そっと井戸の傍に埋めた。井戸の真ん中の、一歩右隣に。
とりあえず小走りで庭を駈けながら考える。さっき鐘が鳴ったときに秋櫻に聞いたら、申の正刻と言っていたので多分16時。それからしばらくしてから皐月に会ったので、大体今は17時前位だろう。
とりあえずあと少し頑張って、ギリギリのところでばれたら土下座で謝る。鶴天佑は怒るだろうが、命を取られることまではないだろう、と信じたい。
皐月にはああ言ったけど、ぶっちゃけ俺が皐月の振りをするのは不可能だと思う。俺はこれからとりあえず自分の部屋に戻り、換えの服に着替える。そして皐月の部屋に衣装を置きにいく。そうすれば少なくとも皐月は、衣装持ち逃げの罪は免れるはずだ。
楼内に入り廊下を走っていると、急にぐんと後ろに引っ張られた。
なんだ!?と思う間もなく、襟首を掴まれる。
……だ、誰だ!?
「ちょっとあんた!」
……それは知っている声だった。特徴のある、ドスのきいたセクシーな低音。ベテランの先輩の声だ。これは、まさか。
恐る恐る見上げる。高身長の、迫力のある美女が俺を見ていた。30代くらいだろうか。アイラインと長くカールしたまつ毛に彩られた大きな目、高い鼻に大きな口。全体的にいろいろデカいが、美しくはある。
「……あんた、こんなとこでなにしてるの!」
美女、いやおそらく美男は俺をギロリとにらんだ。ハーフアップに結い上げた髪、鎖骨が見えそうなくらい肩をあらわにした服の着方は男妓っぽいが、この人は、うちの「今の」兄さんではなく。うちの「元の」兄さんで、髪結の春嵐だった。強烈なキャラだったのでよく覚えている。
「まったくもう~! あたしが月季を完璧に仕上げたと思ったら、なんで主役がこんな生まれたままの恰好なワケ!? あり得ないんだけど!」
な、なんか言葉遣いが独特だ。が、確かにこういうしゃべり方だった気がする。彼は声のついているサブキャラだった。妓楼を引退してからは裏方として支えてくれている腕利きの……いうならばメイクアップアーティストだ。
「ちょっとお、うちの弟子どもどこ行ったのよ!? こんな状態のあんた置き去りにしてどこで遊んでるワケ!? あり得ないんだけど!」
あり得ないんだけど、が口癖なんだろうか。肉感的なくちびるをとがらせて怒っている。しかしなぜバレたのか。皐月の衣装は柄が見えないように畳んでいる。しかし実質下着である薄青の襦袢で走っていれば、そりゃ目立つか。
「ぐえっ」
ふたたび襟首を後ろに引かれた。そして顔をのぞきこまれる。キスしそうなほど近くまで濃い美形が迫り、「へえ……悪くないじゃない」と呟いた。……怖い。なんか頭から食われそうだ。肉食っぽい人は女も男も、俺は昔から怖いのだ。なんだか絶対わかり合えない気がするから。
「あんた、もしかして逃げてたの? お客を取るのが怖いのかしら。ウフフ、可愛いわね」
紅をつけた艶やかなくちびるがにたりと笑いの形になる。
「とりあえずはあたしが綺麗にしてあげるわよ。支度部屋に行くわよ!!」
この人、俺を皐月だと思ってる! それはありがたいんだが思っていたのと違う! 春嵐さんは俺の腕をつかんでずんずんと廊下を進んでいく。否定したいけどできないし、しばらく勘違いしてもらうしかないか……。
やがて下位の男妓たちが使う支度部屋についた。上位の兄さんたちは部屋に鏡台があり、化粧品もそろっているが、下位のものたちはここでいろいろなものを共用するのだ。
支度部屋には誰もおらず、皐月のものと思われる、瀟洒な白い木靴がぽつんと置かれていた。これを履いてくるりと回った皐月の姿を思い出す。ちり、と胸が痛んだ。彼は無事、逃げ伸びてくれるだろうか。
「ちょっとそこ座って! あっ、もう~、髪もパッサパサじゃない! んもー。なんで香油で手入れしてないわけ!? あり得ないんだけど!」
俺を椅子に座らせて、ぷりぷりしながら髪を梳き始める。そしてまた俺の顔をのぞきこんだ。
「いい? あたしがあんたをこの妓楼一番の美男子にしてあげる。覚悟なさい!」
その一言が号令となり……。俺はそれから身動きもできず、春嵐さんにされるがままとなったのだった。
「着ているものを、交換してほしいんです」
「……え?」
ぽかん、という表現がぴったりの顔で皐月が俺を見る。俺は頷いて言った。
「俺が見たのは、あなたがその衣装で亡くなっている絵なんです。だからもしかして、あなたがそれを脱いだら、結末が変わるかも」
「そんなこと……」
「その衣装は目立つから、逃げるには向いてないと思う。それに俺、あなたと背格好似てるから、ギリギリまでごまかせるんじゃないかなって。時間稼ぎくらいにはなるかと」
言い募ると、皐月の表情が変わった。信じられない、というように首を振る。
「馬鹿な。僕の振りをするっていうのか?」
「顔を隠したらいけるかなって……もちろん、ほんの少しのあいだですよ? だからあなたは、その間にできるだけ遠くまで逃げて」
「……君ってやつは」
形のいい細い眉が寄せられる。
「本気で言っているのか? 君がどうなるかわからないんだぞ」
それはわかっている。でも。
「それでも、あなたが死んでしまうより、ずっといいです」
すると皐月は、「バカ」とちいさく呟いた。そしてまるで泣いてるみたいに、笑った。
裏庭の隅は人の目もない。兄さんたちの部屋からは見える窓もあるかもしれないが、基本的に窓は閉じられている。俺たちは急いで服を取り替えた。裏庭でほぼ全裸になるのは恥ずかしかったが、上等な下着も全て。なんとか着替えを終えると、襦袢姿のまま、皐月柄の上着をたたんで胸に抱く。
「これで大丈夫。もしもバレたら、衣装全部返して全身全霊で謝りますから、俺!」
笑って言うと、皐月はまた笑った。俺の素朴な普段着を着ていても皐月はとても綺麗で、これなら彼氏も嬉しいだろうな、なんて思った。すると、ふっと皐月が手を挙げた。俺の頭の上に手をおいて、優しく撫でる。
「……ありがとう、雪柳」
その声は優しくて、俺は急に力が湧いてくるのを感じた。
「どういたしまして! 俺、がんばります!」
腕を立てて、ガッツポーズをしてみせた。皐月には通じないだろうが、皐月は同じポーズを返してくれた。
「それじゃ、行くね」
皐月が言うのに、頷いた。
「約束してください。死なないって」
真っ直ぐ目を見る。俺が今彼にできる、唯一の「呪い」。
すると皐月はまた笑って、うん、と頷いた。
「約束する。……またね」
皐月が扉を出たのを確認してから、錠を締めた。彼がどうやって鍵を入手したのかは知らない。けれど俺がこれを持っているのもまずい気がして、そっと井戸の傍に埋めた。井戸の真ん中の、一歩右隣に。
とりあえず小走りで庭を駈けながら考える。さっき鐘が鳴ったときに秋櫻に聞いたら、申の正刻と言っていたので多分16時。それからしばらくしてから皐月に会ったので、大体今は17時前位だろう。
とりあえずあと少し頑張って、ギリギリのところでばれたら土下座で謝る。鶴天佑は怒るだろうが、命を取られることまではないだろう、と信じたい。
皐月にはああ言ったけど、ぶっちゃけ俺が皐月の振りをするのは不可能だと思う。俺はこれからとりあえず自分の部屋に戻り、換えの服に着替える。そして皐月の部屋に衣装を置きにいく。そうすれば少なくとも皐月は、衣装持ち逃げの罪は免れるはずだ。
楼内に入り廊下を走っていると、急にぐんと後ろに引っ張られた。
なんだ!?と思う間もなく、襟首を掴まれる。
……だ、誰だ!?
「ちょっとあんた!」
……それは知っている声だった。特徴のある、ドスのきいたセクシーな低音。ベテランの先輩の声だ。これは、まさか。
恐る恐る見上げる。高身長の、迫力のある美女が俺を見ていた。30代くらいだろうか。アイラインと長くカールしたまつ毛に彩られた大きな目、高い鼻に大きな口。全体的にいろいろデカいが、美しくはある。
「……あんた、こんなとこでなにしてるの!」
美女、いやおそらく美男は俺をギロリとにらんだ。ハーフアップに結い上げた髪、鎖骨が見えそうなくらい肩をあらわにした服の着方は男妓っぽいが、この人は、うちの「今の」兄さんではなく。うちの「元の」兄さんで、髪結の春嵐だった。強烈なキャラだったのでよく覚えている。
「まったくもう~! あたしが月季を完璧に仕上げたと思ったら、なんで主役がこんな生まれたままの恰好なワケ!? あり得ないんだけど!」
な、なんか言葉遣いが独特だ。が、確かにこういうしゃべり方だった気がする。彼は声のついているサブキャラだった。妓楼を引退してからは裏方として支えてくれている腕利きの……いうならばメイクアップアーティストだ。
「ちょっとお、うちの弟子どもどこ行ったのよ!? こんな状態のあんた置き去りにしてどこで遊んでるワケ!? あり得ないんだけど!」
あり得ないんだけど、が口癖なんだろうか。肉感的なくちびるをとがらせて怒っている。しかしなぜバレたのか。皐月の衣装は柄が見えないように畳んでいる。しかし実質下着である薄青の襦袢で走っていれば、そりゃ目立つか。
「ぐえっ」
ふたたび襟首を後ろに引かれた。そして顔をのぞきこまれる。キスしそうなほど近くまで濃い美形が迫り、「へえ……悪くないじゃない」と呟いた。……怖い。なんか頭から食われそうだ。肉食っぽい人は女も男も、俺は昔から怖いのだ。なんだか絶対わかり合えない気がするから。
「あんた、もしかして逃げてたの? お客を取るのが怖いのかしら。ウフフ、可愛いわね」
紅をつけた艶やかなくちびるがにたりと笑いの形になる。
「とりあえずはあたしが綺麗にしてあげるわよ。支度部屋に行くわよ!!」
この人、俺を皐月だと思ってる! それはありがたいんだが思っていたのと違う! 春嵐さんは俺の腕をつかんでずんずんと廊下を進んでいく。否定したいけどできないし、しばらく勘違いしてもらうしかないか……。
やがて下位の男妓たちが使う支度部屋についた。上位の兄さんたちは部屋に鏡台があり、化粧品もそろっているが、下位のものたちはここでいろいろなものを共用するのだ。
支度部屋には誰もおらず、皐月のものと思われる、瀟洒な白い木靴がぽつんと置かれていた。これを履いてくるりと回った皐月の姿を思い出す。ちり、と胸が痛んだ。彼は無事、逃げ伸びてくれるだろうか。
「ちょっとそこ座って! あっ、もう~、髪もパッサパサじゃない! んもー。なんで香油で手入れしてないわけ!? あり得ないんだけど!」
俺を椅子に座らせて、ぷりぷりしながら髪を梳き始める。そしてまた俺の顔をのぞきこんだ。
「いい? あたしがあんたをこの妓楼一番の美男子にしてあげる。覚悟なさい!」
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