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第一話 皐月
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いよいよ、花祭りの日はやってきた。朝から良く晴れていて、青空が美しい。
雨が降ると中止になってしまうので、とりあえずは良かった……いや良くない。今日がきっと勝負の日だ。とりあえず今日のスケジュールを聞いて対策を練ろう、と思っていた。
楼内は慌ただしいかと思いきや、昼までは割といつも通りで、昼飯を食べたあたりから急に慌ただしくなった。化粧や着付けも行う髪結がいつもより多い。兄さんたちはここぞとばかりに自分を飾り、俺たちはそのお手伝いでかけずりまわる。なにせ化粧中は動けないから、あれを取れこれを取れと指図されたり、笑える話をしろと無茶ぶりされたりもした。無理だっつの。
ちょこまか動きまわりながらも、俺は常に皐月の動向を伺っていた。皐月は下着なのか薄青の襦袢を着て、化粧をしてもらっていた。衣装を着用するのは最後みたいだ。
朝のうちに、俺たちは鶴天佑から今日のスケジュールを聞いていた。
花祭りが始まるのは、酉の正刻だそうだ。酉の刻は17時から19時の間で、17時を初刻、18時を正刻というらしい。兄さんたちは行列を作って妓楼の前から出発し、桃花の並木を歩き、並木の終わりに待つ客と出会う。そして、それぞれの相手にエスコートされて妓楼に戻る、というイベントだ。
おそらく、皐月が抜け出すとすれば、衣装を着つけてから行列の先頭に立つまでの間だ。
なので俺は先に動くことにした。皐月が衣装の着付けに入るときに、そっと裏庭へと移動したのだ。正直、今日の俺達はいつにもまして存在感がない。いれば用事を言いつけられるが、いなければいないでなんとかなる。秋櫻には申し訳ないので、少し外すけど心配しないでくれ、と言っておいた。そして俺は裏庭の扉の傍で、皐月を待つことにした。
とはいえ扉の前は目立ちすぎるので、井戸の陰に身をひそめる。冷たい石造りの井戸を背に座りこみ、俺は手をこすり合わせて温めながら彼を待った。
……どれくらい経っただろうか。
不意に、人の気配がした。首をすくめて井戸の陰に隠れる。軽い足音が聞えた。
……がしゃん、錠が扉に触れる音。かちゃかちゃ、金属と金属が触れ合う音。やがて、かちゃり、と小気味のいい音がした。……開いたか。
俺は立ち上がり、皐月の前にころがりでた。
「……セツ、リュウ?」
信じられない、というように皐月が呟いた。美しく描かれた眉と、目尻にひかれたアイライン。俺を見る目は化粧でいつもの倍くらいに見える。髪は見事に結い上げられ、綺麗な白い額が見えた。現代でも十分通用するような美しい化粧だった。
「皐月さん……」
西日に照らされた皐月の美しい顔がゆがむ。
「なんで、お前が……」
「どこ、行くんですか?」
ストレートに切り込んだ。皐月は目を逸らし、いや、と呟く。
「別に。ただ、外の空気を吸いに来ただけ」
「そうですか。……じゃ、帰りましょ? みんな待ってる」
ここですんなり帰ってくれれば、彼に脱走できる機会は減る。客が寝たあとまで動けなくなるはず。しかしやはり彼は抵抗を示した。
「ちょっと気分が悪いんだ。しばらく一人にしてくれ。ちゃんと戻るから」
扉を背に立っていてその言葉は説得力皆無だ。俺は大きく息を吸い込んで、言った。
「……皐月さん。外に、行くんですよね」
皐月の目が大きく見開かれる。
「その鍵、もう開いてるんじゃないですか?」
ちらと鍵を見る。彼の影に隠れてよく見えないが、確かに開いた音がした。
「な、そんな、こと」
きっと、美しい目に怒りが宿る。お芝居はあまり上手くないようだ。一拍置いて、言った。
「俺の母親、占術師だったんです。天佑さんに聞いたらわかると思うけど」
「……それが?」
今度は疑念が目に宿る。俺は気が急くのを抑えながら続けた。
「その力……俺もちょっとだけ、あるみたいで。これから起こること、ちょっとだけわかるんです」
「……は?」
驚いたように呟く。それを無視してかぶせた。
「皐月さんが今日脱走すること。だからここにきました」
皐月が息を呑むのがわかった。占いは尊ばれる世界観だと思うから、ここで諦めてくれれば。
「その脱走はうまくいかない。だから俺、止めにきたんです」
「なんで……そんなことわかるんだよ」
力のない問いかけ。いきなりこんなことを言われて、混乱しているのかもしれない。
「俺もわかりません。母譲りとしか。でも俺には、悲しい未来が見える。だからお願いします。行かないでください」
精一杯の懇願。目が合う。皐月は酷く辛そうな顔で俺を見た。
「無理だ」
……だろうな。そんなに簡単に行くはずがない。
「お相手が待ってるから、ですか?」
聞くと、硬い表情で頷く。
「でも、そのままだと、二人とも恐らく……亡くなります」
……しん。と静寂が支配する。皐月は驚きの表情で俺を見ていた。
「それでも、行きますか?」
頼む、行かないといってくれ。誰も死なせたくなんかない。だが恋する人は、時に説得不可能だとも知っている。
「……すまない」
目を伏せて言う。落胆と諦めが同時にやってきた。
彼がどのような経緯で死に至るかはわからない。けれど俺は、彼に死んで欲しくはない。なんとかしなきゃ……。
次の瞬間、ひらめいた。言葉が口をついて出る。
「……わかりました。じゃ、お願いがあります」
雨が降ると中止になってしまうので、とりあえずは良かった……いや良くない。今日がきっと勝負の日だ。とりあえず今日のスケジュールを聞いて対策を練ろう、と思っていた。
楼内は慌ただしいかと思いきや、昼までは割といつも通りで、昼飯を食べたあたりから急に慌ただしくなった。化粧や着付けも行う髪結がいつもより多い。兄さんたちはここぞとばかりに自分を飾り、俺たちはそのお手伝いでかけずりまわる。なにせ化粧中は動けないから、あれを取れこれを取れと指図されたり、笑える話をしろと無茶ぶりされたりもした。無理だっつの。
ちょこまか動きまわりながらも、俺は常に皐月の動向を伺っていた。皐月は下着なのか薄青の襦袢を着て、化粧をしてもらっていた。衣装を着用するのは最後みたいだ。
朝のうちに、俺たちは鶴天佑から今日のスケジュールを聞いていた。
花祭りが始まるのは、酉の正刻だそうだ。酉の刻は17時から19時の間で、17時を初刻、18時を正刻というらしい。兄さんたちは行列を作って妓楼の前から出発し、桃花の並木を歩き、並木の終わりに待つ客と出会う。そして、それぞれの相手にエスコートされて妓楼に戻る、というイベントだ。
おそらく、皐月が抜け出すとすれば、衣装を着つけてから行列の先頭に立つまでの間だ。
なので俺は先に動くことにした。皐月が衣装の着付けに入るときに、そっと裏庭へと移動したのだ。正直、今日の俺達はいつにもまして存在感がない。いれば用事を言いつけられるが、いなければいないでなんとかなる。秋櫻には申し訳ないので、少し外すけど心配しないでくれ、と言っておいた。そして俺は裏庭の扉の傍で、皐月を待つことにした。
とはいえ扉の前は目立ちすぎるので、井戸の陰に身をひそめる。冷たい石造りの井戸を背に座りこみ、俺は手をこすり合わせて温めながら彼を待った。
……どれくらい経っただろうか。
不意に、人の気配がした。首をすくめて井戸の陰に隠れる。軽い足音が聞えた。
……がしゃん、錠が扉に触れる音。かちゃかちゃ、金属と金属が触れ合う音。やがて、かちゃり、と小気味のいい音がした。……開いたか。
俺は立ち上がり、皐月の前にころがりでた。
「……セツ、リュウ?」
信じられない、というように皐月が呟いた。美しく描かれた眉と、目尻にひかれたアイライン。俺を見る目は化粧でいつもの倍くらいに見える。髪は見事に結い上げられ、綺麗な白い額が見えた。現代でも十分通用するような美しい化粧だった。
「皐月さん……」
西日に照らされた皐月の美しい顔がゆがむ。
「なんで、お前が……」
「どこ、行くんですか?」
ストレートに切り込んだ。皐月は目を逸らし、いや、と呟く。
「別に。ただ、外の空気を吸いに来ただけ」
「そうですか。……じゃ、帰りましょ? みんな待ってる」
ここですんなり帰ってくれれば、彼に脱走できる機会は減る。客が寝たあとまで動けなくなるはず。しかしやはり彼は抵抗を示した。
「ちょっと気分が悪いんだ。しばらく一人にしてくれ。ちゃんと戻るから」
扉を背に立っていてその言葉は説得力皆無だ。俺は大きく息を吸い込んで、言った。
「……皐月さん。外に、行くんですよね」
皐月の目が大きく見開かれる。
「その鍵、もう開いてるんじゃないですか?」
ちらと鍵を見る。彼の影に隠れてよく見えないが、確かに開いた音がした。
「な、そんな、こと」
きっと、美しい目に怒りが宿る。お芝居はあまり上手くないようだ。一拍置いて、言った。
「俺の母親、占術師だったんです。天佑さんに聞いたらわかると思うけど」
「……それが?」
今度は疑念が目に宿る。俺は気が急くのを抑えながら続けた。
「その力……俺もちょっとだけ、あるみたいで。これから起こること、ちょっとだけわかるんです」
「……は?」
驚いたように呟く。それを無視してかぶせた。
「皐月さんが今日脱走すること。だからここにきました」
皐月が息を呑むのがわかった。占いは尊ばれる世界観だと思うから、ここで諦めてくれれば。
「その脱走はうまくいかない。だから俺、止めにきたんです」
「なんで……そんなことわかるんだよ」
力のない問いかけ。いきなりこんなことを言われて、混乱しているのかもしれない。
「俺もわかりません。母譲りとしか。でも俺には、悲しい未来が見える。だからお願いします。行かないでください」
精一杯の懇願。目が合う。皐月は酷く辛そうな顔で俺を見た。
「無理だ」
……だろうな。そんなに簡単に行くはずがない。
「お相手が待ってるから、ですか?」
聞くと、硬い表情で頷く。
「でも、そのままだと、二人とも恐らく……亡くなります」
……しん。と静寂が支配する。皐月は驚きの表情で俺を見ていた。
「それでも、行きますか?」
頼む、行かないといってくれ。誰も死なせたくなんかない。だが恋する人は、時に説得不可能だとも知っている。
「……すまない」
目を伏せて言う。落胆と諦めが同時にやってきた。
彼がどのような経緯で死に至るかはわからない。けれど俺は、彼に死んで欲しくはない。なんとかしなきゃ……。
次の瞬間、ひらめいた。言葉が口をついて出る。
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