上 下
6 / 77
第一話 皐月

2-2

しおりを挟む
2-2 

 秋櫻と一緒に朝の庭を歩く。彼は鶴天佑に頼まれて井戸まで来てくれたらしい。俺にここでの生活を教えてくれる役割だそうだ。
 ここの男妓たちには階級があり、妓楼の名に鶴が入っていることから、鳥の種類が階級の名前になっているという。入りたての秋櫻と俺は「タン」。
 ゲームの収録でこの名前を見たとき、何これ?って聞いたら卵のことなんだそうだ。なるほどピータンのタンか、と思ったのを覚えている。
 位はもちろん低くて、レベルは1。役割は主に先輩のお手伝いをしながら、デビューに向けて勉強をすること。ちなみに初めて客を取ることは「孵化ふか」というらしい。まんまだ。
 大昔の日本と同様、この世界も識字率は高くないが、妓楼の者は幼い頃から文字や詩作を習うのだという。贔屓客と話を合わせるため本も読まねばならないし、手紙を書くのにも必要だから。昔も今も、人の心を掴む商売は大変だ。マメじゃなきゃやれないな。
 表情を愛らしくくるくると変え、いろんな話をしてくれる彼を見ながら、俺は不意に胸がずっしり重くなるのを感じた。彼がここに来たのは、商売が立ち行かなくなった両親を救うためのはずだ。長男の彼は、店のための借金の形として、兄弟を救うために、自ら志願してここにきたという設定だった。これだけの器量だし根性もあるので、ここでめきめき人気を上げていくはずだ。その過程には辛いこともあって……。
 ゲームのキャラと、実際目の前にいる人物とでは全然違う。彼の人生を俺が知っていると知ったら、一体どう思うだろう。思わず考え込み、足が止まる。
「どうしたの? 朝ごはんのあとは仕事があるから、早く行こ?」
 俺を見上げて微笑む。設定か……今思えば転生前の俺にだって、俺の知らない設定があったのかもしれないけど。
 複雑な気持ちのまま、うん、と頷き、俺は彼と共に歩き出した。

 妓楼の敷地は大きい。高い塀に囲まれていて、多分南向きに大きな建物が立っている。建物の北側は従業員しか入れない裏庭になっていて、井戸や洗濯場、物干し場などがある。もちろん物干し場は建物の陰にならない、日当たりのいい部分に作られている。
 ここは川の近くなので、洗濯は川から引いた水でしているそうだ。そのほかには温泉が出るという大きな湯殿がある。別棟だが妓楼と繋がっていて、客も、客が引いたあとには従業員も利用するという。
 そんなことを教えて貰いながら、建物一階の奥にある厨房についた。厨房の床は土間で、時代劇で見るような煮炊きの竈が据えてある。その上で湯気を立てる釜の様子を見ているのは、動きやすそうな作務衣みたいな服の男だ。厨房は食堂につながっており、大きな机の真ん中で、鶴天佑が盆の上に乗せられた朝食を食べていた。大きな椀と、皿の上にはなにやらパンみたいな、ナンみたいな平べったい物体がある。
「おお、来たか。お前らも早く座れ」
 笑顔と共に言われ、彼の前に並んで座る。すぐに厨房の男が俺たちの前にも同じものを置いてくれた。
 これは何だ? ……パンか? ナンか?
「いただきます」
 とりあえず言って、皿を見た。焼けた小麦粉の良い匂い。手に取ってみると温かく、ちぎって口に入れると香りと甘みがじわっと広がる。しっかりとした噛み応えはまさにナンだ。しかも塩がちょうどよくきいていてとてもうまい。まさかこの世界観でこれを食えるとは。夢中で咀嚼していると、隣に座った秋櫻に手首を掴まれた。
「ちょっと待って。豆漿とうしょうの汁につけて食べるんだよ?」
「豆漿?」
 とうしょうってなんだっけ…。
 椀の中は白いとろりとしたスープに、ラー油のオレンジが浮いている。かき混ぜて飲んでみた。豆乳のまろやかな舌触りとどこか懐かしい香り、そして心地よい酸味。トウショウは豆乳、そして酢とラー油が入っているのか。
「これを、こうして、食べる」
 隣に座った秋櫻が、ちぎったナンをスープにつけて口に運ぶ。マネしてみた。
「……うっま!!」
 固いナンがスープをすってじゅわりと口のなかでほどける。うっま! いくらでも食える……。
「うまいです! ありがとうございます!」
 思わず竈の前の男に声をかけると、振り向いた男はぺこりと頭を下げた。肌が浅黒くガタイもいい男で、幅広の布を頭に巻いている。
「このナン、めっちゃうまいです!」
「ナン?」
 男は首を傾げた。聞き知らぬ声に、彼がモブであることを知る。いやモブでも、声が付いているモブもいたとは思うが。
胡餅こべいのことか?」
 鶴天佑の助け舟に、とりあえず頷く。彼は笑って頷いた。
「これはもうさんの故郷でなじみのものらしい。汁に入れる油条ゆじょうの代わりに合わせてみたらうまくてな。手軽に作れるから、朝食はもっぱらこれだ。邪道かもしれんが」
 ゆじょうとはなんだろう。きっといろいろ日本語的な読み方になっているんだろうが、日本語にしづらいものはそのままなのかもしれない。そもそも、そんなはずないのに全て日本語で聴こえるのは、ここがフィクションの世界であるからなんだし。きっと俺の頭に翻訳機でも仕込まれているんだろう、多分。
 鶴天佑の言葉を聞いた孟さんは頷いてにこりと笑う。もとから細い目が糸のようにさらに細くなる。ありがとう孟さん、あなたのおかげで俺、ここで生きていけそうです。
 瞬く間に食べ終えた。暖かな汁で身体もぽかぽかになったところで、鶴天佑からいよいよ仕事を言いつけられた。
「お前には秋櫻と一緒に仕事をしてもらう。客の前に出るから、お前に名をやるよ」
 えっ、いきなり!  てかそうだった、俺のここでの呼び名は知っている。
「……雪柳せつりゅう。君の母さんの、好きだった花だ」

 ――心が震えるのが、わかった。
 史琉という少年の心が反応したみたいに、胸がいたい。
 俯いて、はい、と頷く。
 日本語読みでは、雪柳ゆきやなぎ。真っ白な小さな花がぶわっと木を包んで、小さな丸い集合体みたいになる花だ。顔も知らない母だけど、確かにこの世界では存在したんだと改めて思う。そして俺の故郷の母親は、今どうしているだろうかとも。
 鶴天佑はうんと頷き、言った。
「よろしく頼むぞ、雪柳」
 セツリュウ。それがここでの俺の名前だ。とりあえず今目の前のことを頑張ろう。ここで生きてきた史琉とその母親のためにも。
 でも出来れば、向こうに帰りたい。それが無理なら男妓のトップより、もっと平穏なモブ的人生を送りたい。覚悟を決めたんだかそうでないんだかわからない状態の俺をよそに、鶴天佑はもう一度頷いた。
「……月季げつきのところへ行ってくれ、こいつと一緒に。皐月こうげつは具合が悪いらしくてな」
 皐月というのは俺達とおなじ蛋なのだろうか。そして月季の名前は知っている。この妓楼のいわゆるナンバー1というやつで、キャラデザではすごい美形だった。すこし胸がときめく。
 俺のときめきなど我関せずで鶴天佑は続けた。
「秋櫻、皐月の役割をお前がやって、お前がいつもやっていることをこいつに任せろ。皐月によれば、湯を運ぶくらいだと言っていた」
 秋櫻は神妙な表情で頷く。
「……はい。いつもは湯をいれた桶と手ぬぐいを僕が持ってきます。月季兄さんには暖かいお茶と、お茶にあう甘味を、皐月兄さんが運んでいますね」
「頼む。こいつに、妓楼の朝を見せてやれ」
 秋櫻は気遣わしげに俺を見た。
 ――大丈夫だ、俺だって伊達に何年も社会人をやってない! 
 うん、と頷くと、秋櫻は笑みを浮かべ、鶴天佑に向かって、「わかりました」とうなずいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

友達が僕の股間を枕にしてくるので困る

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
僕の股間枕、キンタマクラ。なんか人をダメにする枕で気持ちいいらしい。

ハメられたサラリーマン

熊次郎
BL
中村将太は名門の社会人クラブチーム所属のアメフト選手た。サラリーマンとしても選手としても活躍している。だが、ある出来事で人生が狂い始める。

勇者の股間触ったらエライことになった

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
勇者さんが町にやってきた。 町の人は道の両脇で壁を作って、通り過ぎる勇者さんに手を振っていた。 オレは何となく勇者さんの股間を触ってみたんだけど、なんかヤバイことになっちゃったみたい。

こんな異世界望んでません!

アオネコさん
BL
突然異世界に飛ばされてしまった高校生の黒石勇人(くろいしゆうと) ハーレムでキャッキャウフフを目指す勇人だったがこの世界はそんな世界では無かった…(ホラーではありません) 現在不定期更新になっています。(new) 主人公総受けです 色んな攻め要員います 人外いますし人の形してない攻め要員もいます 変態注意報が発令されてます BLですがファンタジー色強めです 女性は少ないですが出てくると思います 注)性描写などのある話には☆マークを付けます 無理矢理などの描写あり 男性の妊娠表現などあるかも グロ表記あり 奴隷表記あり 四肢切断表現あり 内容変更有り 作者は文才をどこかに置いてきてしまったのであしからず…現在捜索中です 誤字脱字など見かけましたら作者にお伝えくださいませ…お願いします 2023.色々修正中

異世界に転移したショタは森でスローライフ中

ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。 ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。 仲良しの二人のほのぼのストーリーです。

【完結】お嬢様の身代わりで冷酷公爵閣下とのお見合いに参加した僕だけど、公爵閣下は僕を離しません

八神紫音
BL
 やりたい放題のわがままお嬢様。そんなお嬢様の付き人……いや、下僕をしている僕は、毎日お嬢様に虐げられる日々。  そんなお嬢様のために、旦那様は王族である公爵閣下との縁談を持ってくるが、それは初めから叶わない縁談。それに気付いたプライドの高いお嬢様は、振られるくらいなら、と僕に女装をしてお嬢様の代わりを果たすよう命令を下す。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

敵国軍人に惚れられたんだけど、女装がばれたらやばい。

水瀬かずか
BL
ルカは、革命軍を支援していた父親が軍に捕まったせいで、軍から逃亡・潜伏中だった。 どうやって潜伏するかって? 女装である。 そしたら女装が美人過ぎて、イケオジの大佐にめちゃくちゃ口説かれるはめになった。 これってさぁ……、女装がバレたら、ヤバくない……? ムーンライトノベルズさまにて公開中の物の加筆修正版(ただし性行為抜き)です。 表紙にR18表記がされていますが、作品はR15です。 illustration 吉杜玖美さま

処理中です...