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男のプライド、女の慈愛。

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 『氷山の輝き』とはサジェット伯爵の祖父が祖母のプロポーズ成功を掛けたプレゼント。
 という事は、サジェット伯爵にとっての『氷山の輝き』こそが動機……。
 あれ?
 でも、ブリジット嬢とは婚約もスムーズに行っていたし、どちらかというとサジェット伯爵よりも確かブリジット嬢の方が熱を上げていたはずでは?
 ……つまり、『氷山の輝き』はブリジット嬢には当たらない……?
 『氷山の輝き』……冷静で、気高く、質素で頑固……僕はこれに当てはまる女性を知っていた。

 レノア!

「お待たせいたしました。
 エルトリアル大公殿下。
 ご指示の通り、レノアを連れ街中を一周して戻ってまいりましたが……はて。
 ホールで何をしようと……。」

 バックスさんは困惑した表情で、周りを見渡していた。
 何が起こっているのか、全くわかっていない人の反応だった。
 だが、それに反してバックスさんの後ろから現れたレノアの表情は全てを理解した、落ち着いて冷静な表情だった。
 バックスさんの脇をすり抜けて、真っ直ぐレノアはカツかつと靴音を鳴らして、エル殿下の正面までやって来た。

「やっぱり、全てバレてしまったのね。
 と言うより、ここまで成功すると実際思っていませんでした。
 もう、十分よサジェット。
 お手数をお掛けして申し訳ございません。
 エルトリアル大公殿下。」
「レノア!
 何を言っている!
 お前など何も関係ない!」

 言葉とは裏腹に、サジェット伯爵は急に舞い戻ったレノアに、明らかに動揺を隠せないでいた。

「サジェット、もう辞めましょう。
 これで、理解できたでしょう。
 身分制度のある国家では、自由な気持ちだけで生活するのは無理なのよ。
 自分ではどうにもならない事柄が、世の中には多々あって皆んなそれを受け入れるしか……。」
「受け入れられるものか!
 どうして、いつも君は私を……。」

 パン!パン!

「はい、とりあえずそこまで。
 さて、レノア、例のもの渡していただけますね。」
「はい。
 私が持つには身分不相応な代物です。
 どうぞ。」

 レノアはエル殿下に促されると、手に持っていたブーケの中から光り輝く『氷山の輝き』を取り出して、手渡した。

「レノア!」
「サジェット伯爵!
 もう十分だと彼女が言った意味がわかりますか?
 その一言が全てだったはずですよ。
 貴方が彼女に見せたかった物は、成功したのです。
 たとえ、この事件が発覚したとしても、レノアのこの慈愛に満ちた一言こそ、貴方のプライドを十分に尊重するという、本来の目的は達成しているのです。
 ……っと、では動機の説明と目的について説明しましょう。
 簡単に言ってしまえば、サジェット伯爵の真の目的は、お金でも爵位でもないのです。
 愛する人に、一人前の男として見て認めてもらう事こそ、彼の目的だったのです。
 そして、慈愛に満ちた彼女は、簡単にそれを認める訳には行かなかったのです。
 何故なら、二人の間には身分の差という見えない壁が存在したからです。」
「全然わかり易くないぞ!
 回りくどい言い方はよせ!
 つまりは、二人は恋仲だった訳なのだな?」

 ビビリア様が突っ込んだ質問をした。

「う~ん、そこがこの事件の難しいところなんです。
 回りくどく感じるでしょうが……まずは、昔話から。

 ある孫息子の遊び相手として、身寄りの無い少女が伯爵家へ迎え入れられます。
 伯爵家のおぼっちゃまは、弱く泣き虫で、少女はいつの間にか彼を守る事が自分の役目であり、この屋敷に住まわせて貰える理由であると考えるようになりました。
 ですが、少年は青年に、少女は女性へと成長します。
 青年は爵位を引き継ぎ、この屋敷や私有地を維持して行かなくてはなりませんでした。
 しかしながら、彼には財を成したり、維持する才能には恵まれていませんでした。
 逆に他人に簡単に騙されるような優しい青年です。
 彼女はそんな彼に、アドバイスをしました。
 優しい青年伯爵は社交界に出れば、沢山の御息女と繋がりを持つ事ができると。
 運が良ければ、良い縁談でこの屋敷も持ち直すはずと。」
「その通りです。
 エルトリアル殿下。
 私がサジェットに社交界で、若い御息女と仲良くするようにと進めました。
 それが、この伯爵家の為だと思ったのです。
 最善の策だと。
 ……けれど。」
「彼女は彼を思ってのアドバイスだった。
 そこに、自分の私情は一切いれず、彼の幸せを思っての事でした。
 しかし!
 男からしたら、どうでしょう?
 いつも側で見守っていてくれた彼女に、淡い恋心を抱き始めた途端のこの仕打ち。
 プライドはズタズタだったでしょう。
 かといって、現状の家計は火の車。
 使用人にさえ満足に給金を支払うことも出来ません。
 御屋敷の維持費だけで借金も膨らみ、国からの給付金でさえ足りない始末。
 まあ、先祖からの長年の道楽のツケがここへ来て膨れ上がってしまった事もあるのは、可哀想ではありますが。
 青年は自分の心を押し殺しながらも、融資してもらう為の金策で、社交界での接待を続けます。
 毎日、毎晩。
 彼女も陰ながら、服装や身なりをアドバイスしたり、以前よりも懸命に青年に尽くして行った事でしょう。
 そして、彼女も慈愛から青年にほのかな恋心を抱くようになった。
 しかし、違ったのは彼女が利己的で、自分の状況を誰よりも理解していた事です。
 自分の身分で、この感情がバレてしまっては、この家の破滅です。
 折角の二人の努力が水の泡と消えるのです。
 ここはあえて、周りの人間には青年との不仲をアピールし、頃合いを見て青年の前から姿を消すのが最善の策であると確信します。
 
 ……さて、人間とは面倒臭いもので、恋を引き裂かれれば、引き裂かれるほど逆に燃え上がってしまうのが、世の常。

 とうとう、青年が最も恐れていた事態が起こります。
 それはもちろん、お金持ち御息女からの求愛です。
 それも、熱烈で恋愛だけに留まらずに、話は婚約まで進んでしまった。
 逆に、少女はここは潮時が来たと、青年に別れをきちんと告げたはずです。
 いつもなら、少女が説得すれば青年は大人しく納得して、受け入れるはずでした。
 
 しかし!
 青年はもう、少年ではなかったのです。
 全てを失っても構わないほどに彼女に恋をしていたのです。
 青年は自分でも驚くほどの、この恋を成就させる為の作戦を考え出しました。
 彼女は恐らく、その作戦を聞いても首を縦には振らなかったはずです。
 そこで……。

 『犯行予告状』が現れるのです。
 そう、この予告状は不特定多数の者に見せる為の者というよりも、青年が彼女に有言実行を見せて、自分がもう少年ではなく、一人の男として苦難を乗り越えられる事をアピールし、また自分がやり遂げる為の縛りのために用いられた物だったのです。
 彼女は事件が起こるギリギリまで、反対し悩んでいた事でしょう。
 ですが、事件の成功と青年の、今までに見せた事のない度胸と行動力に折れたものと思います。
 
 ……とまあ、ざっとあらすじは、こんなところでしょう。
 ですが、一つだけ気になった事が。
 レノア。
 貴方は『氷山の輝き』を本当に手中に収めるつもりだったのでしょうか?
 サジェット伯爵が貴方にこれを受け取って貰いたい感情はわかるとしても、貴方ならこれを手にし続ける危険性にも気がつくはずかと。 」

 エル殿下はゆっくりとレノアに問いただした。

「はい……全て大公殿下のおっしゃる通りです。
 そして、私がこれを受け取り、持ち去る事に同意したのにはいくつかの事情が。
 一つは保険金を迷惑のかかった使用人に分配させるため。
 そして、もう一つの大きな理由は……。
 先を想像しての事です。
 人間はロマンスや夢だけでは生きていけません。
 私は身をもってそれを知っています。
 サジェットは私を想い、ここまでの事件を起こしてくれました。
 けれど、ここまで……ではダメなんです。
 二人で人知れず生活するにも手に職がないといけません。
 私は労働経験がありますが、彼にはそんな経験は一度もありません。」
「そ、それは、私が死ぬ気で何でもやって……。」
 
 レノアの言葉を遮ろうとしたサジェットを、レノアは優しい眼差しで制止した。

「サジェット、現実的に見て厳しいのよそれは。
 だって、それができてれば、こんな事自体にはなっていないのだから。
 ある程度は私の働きで、やって行こうと思っていました。
 けれど、彼に貧しい生活が出来るとは……。
 いざという時の生活の保険として、これを持ち、いずれはサジェットの為に換金できればと。」
「レノア……君がいれば……どんな生活だって。」

 サジェット伯爵は泣きそうな顔を隠すかのように、レノアを背中から抱きしめた。

 パンパン!
 エル殿下が二人を優しい眼差しで見つめながら手を叩いた。

「ど――んな生活ですか?……なるほど。
 ……では、ちょうど良いです。
 私の実験動物の世話をする者が、次々と辞めてしまいまして。
 何せ、世界中から研究のために取り寄せてるので、気味悪がって長続きしないのですよ。
 ふむ、その上今現在、私付きの執事は新前で教育が行き届かない。
 使用人経験者のプロがいればこの件も解決ですね。
 あ~これは、ラッキーですね。
 一石二鳥とはまさにこの事!」

「エル殿下……一石二鳥って。
 まさか、レノアとサジェット伯爵を?」

 僕はほわほわした胸を押さえつつ、エル殿下を見上げた。

「あ、事件についての問題点はそのままにはしませんよ。
 まずは、事件の代償としてサジェット伯爵の爵位剥奪、および全ての領土を一旦国の管理下に置きます。
 領地整備も国王の仕事の一つです。
 館の使用人は、国からの新しい領主着任までの館の維持に努めて下さい。
 厳正なる審査を経て人選を行い、速やかなる着任を促します。
 アマネラルク伯爵及びブリジット嬢への賠償責任ですが、レノアとサジェットが私と雇用契約を結べば、その賠償責任は雇用主である私に義務が移ります。
 彼には大型貿易船一隻を譲りましょう。
 彼はやり手の商売人です。
 他人の土地を奪って維持するより、利率の良い儲けが見込める船の方が魅力的でしょう。
 私としても、貿易商との繋がりはいくらあっても良いのです。
 世界を舞台に商売する商人からは、得る情報量が半端ないですから。
 ウィンウィンの関係ですよ。
 ブリジット嬢ですが、こればかりは時間の必要な問題でしょう。
 私が使っていない避暑地の別荘を半年間お貸ししましょう。
 各国の要人が多数別荘を保有していて、毎晩のようにイベントが行われます。
 しばし、日常を忘れてリフレッシュできる事でしょう。」

 レノアとサジェットは顔を見合わせて、頷いた。
 この話に乗ると決めた二人は同時にエル殿下にひざまずいた。

「エルトリアル大公殿下……。
 ありがたきお言葉。
 仰せの通り、雇入れの契約をお願いいたします。」
「おいおい!
 待て待て!
 検察捜査庁動いてんだぞ!
 報告書どうやって書けってんだよ!」

 アレク様が目を吊り上げて長い髪を掻きむしった。
 カクッ!
 ビビリア様が狂乱するアレクに膝カックンをした。
 
「うおっ。」
「いつもの事であろう。
 何を今更。
 エルは一度決めたら、簡単には変更せん。
 諦めるのだな。
 上司にはエル関係と言えば、否が応でも納得するであろう。」
「マジかよ……。
 俺が昇進できずに、現場担当なのはきっとエルのせいだ!
 クソッタレ!」
「ところで、エル殿下。
 その『氷山の輝き』はどうなるんです?
 二人に返すとか……?」
「残念ですが、そこまで神様のような善人ではありません。
 所有権は私に移してもらいます。
 ……あ、仕事ぶりが優秀で、もしお二方がご結婚に至るようであれば……、お祝いとして贈ることも有り得るとは思いますが、今は何とも。
 私はしっかり仕事をしてくれる人間には、それ相応の対価をお支払い致します。
 よろしいですね。」

 ウィンクしてエル殿下は『氷山の輝き』をシルクのハンカチに包んだ。

 フェミニスト……まさにフェミニストの解決の仕方だ。
 犯人を捕まえて、裁いて正義を気取る探偵とは違う。
 変人だなんてとんでもない。
 すごい人だ。
 爵位でも、知識でも、権力でもなく、人としての尊厳を感じ、僕は興奮と安堵の混じった言い知れぬ感情が湧き上がって、顔が紅潮してきた。
 
「トモエ。
 レノアは仕事には厳しい女性です。
 先に音を上げないようにして下さいよ。
 しばらくは貴方の基本仕事の教育係を彼女にお願いするつもりですので。
 あ、これは貴方が預かってください。
 丁重にお願いしますよ。
 何せ家宝だった代物ですから。」

 ポン。
 シルクに包まれた首飾りを、エル殿下はなんと、僕に預けた。

「ええっ!
 ぼ、僕?
 こんな高価な物持った事ないですよ!
 あわわ!
 執事とかが預かって……あ、僕が執事だ。
 あああああもう!」

 両手で雛鳥を抱えるかの如く首飾りを持ちながら、抜足、差し足、忍足で僕は、エル殿下の後を追うようにして、ホールを出た。
 僕らの姿が見えなくなるまで、レノアとサジェット伯爵は膝をつき頭を下げ続けていた。
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