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レノア去し後、『遺書』の意味するもの。

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「なあ、せめて首飾りだけでも先に、場所教えてくれないか?」
「猫撫で声で甘えても無駄ですよ。
 私にも、今現在の正確な場所はわかりかねます。」

 朝日が登り、僕らはエル殿下の個室で仮眠から体を目覚めさせる為に、長椅子に腰を下ろし、お茶で喉を潤していた。
 ビビリア様も流石に朝には、リスの着ぐるみからいつものゴスロリ風の黒いワンピース姿に着替えていた。
 アレクはのんびりとお茶を堪能するエル殿下に、少々苛立っていた。

「おいおい!
 わかったから現場撤収させたんじゃないのかよ!」
「だから、今現在は移動してる可能性が高いのですよ。
 場所が確定する前にフライングなんてしたら、逆に処分されてしまう危険があります。
 期を待つことも大事ですよ。
 あの場で私が犯人について言及しなかったのも同じです。
 犯人に逃げ場を与える訳には行かないのですよ。」
「移動って、まさか邸宅外に持ち出されるんじゃないだろうな!おい!」
「アレク。
 少しは落ち着いて下さい。
 大丈夫です。
 手は既に打ってあります。
 それより、トモエ。
 そろそろレノアが邸宅を出る頃ですよ。
 挨拶に行ってきた方がいいでしょう。」
「あ、そうか。
 早朝に出て行くって……。」
「先ほど馬車が邸宅前に付けられたようです。
 おそらく、バックスさんが馬車で送る手筈になっているのでしょう。
 長年この邸宅で共に働いた仲間ですから、せめてもの手向けなのでしょう。
 さ、早くお行きなさい。
 私達はサロンへ移動しますので、挨拶が終わったら、そちらへいらしてください。」
「はい。
 お心遣いありがとうございます。
 では、行ってまいります。」

 僕は三人に一礼して、足早に玄関ホールへ向かった。




「それでは。
 お世話になりました。
 と言うより、近年はお世話していた記憶しかありませんが。
 伯爵もお元気で。
 それだけが取り柄のようなものですし。」
「相変わらず口の悪い女だ。
 ほら。
 マイクが庭の花を束ねてくれた。
 別れの挨拶は苦手だから渡してくれと。
 大切に扱え。」

 僕が玄関ホールに着くと、サジェット伯爵とレノアが向かい合って、中位の大きさだがカラフルで華やかな花束を贈呈していて、傍にレノアの小ぶりの旅行鞄を片手に、バックスさんが目を伏せて立っていた。
 小ざっぱりとしたベージュのワンピースに茶色のブーツという、まさに働く一般女性の装いのレノアは、落ち込む表情など見せず、堂々とした風格が垣間見えた。
 サジェット伯爵の方が何だかバツの悪い感じの、複雑な表情でレノアと目も合わせようとしなかった。

「あの、僕もレノアにお別れの挨拶をしたいのですが。」

 おずおずと、声を掛けた。
 今を逃すと話しかけるタイミングなく、レノアが去ってしまいそうだ。

「トモエ。
 わざわざ、ありがとう。
 さすが、常識をわきまえてるって感じ。
 よく気が付いたわね。
 馬車の音かしら?」
「あ、うん。
 そんな感じです。
 挨拶というか、レノアの元気な顔を見て安心したかったのかも。
 ちょっと、頑張りすぎて無理してるんじゃないか…なんて、勘繰ってしまって。」
 
 そうなんだ。
 始めは元気な振りをして、頑張り過ぎて、行き詰まって独りで悩んでしまう人間を僕はよく知ってる。
 無理はしてほしくないけど、力になれるわけじゃ無いことも自覚している。
 だから。

「呆れた。
 人が良すぎるのも問題よ。
 トモエ。
 人間って、もっとエゴイストな生き物よ。」
「あ、そうなんだけど、どうしてもレノアに言っておきたい事が。
 僕は権力も無いし無力だし、頼りないけど……、話を聞くことは得意なんだ。
 だから、行き詰まったらいつでも、僕に吐き出しに来てくれて構わないから。」
「ふふっ。
 ありがとう。
 そうね、大切な誰かが存在してくれるだけで、前を向いて歩いていけるわ。
 だから、きっとこの先の私も大丈夫。
 バカね、泣きそうな顔みせないの。
 元気でね。
 サジェットもお幸せに。」
「ご、ごめんなさい。
 僕、涙腺緩くて。
 お元気で。」
「……。」

 返事をせすに、ソッポを向いたままのサジェット伯爵をスルーして、レノアは笑顔のままバックスさんと共に、邸宅を出て行った。

 サジェット伯爵と二人きりで、数分気まずい空気が流れた。
 おもむろにサジェット伯爵が口を開いた。

「これから、どうしたらいいんだ。
 首飾りは盗まれてしまって、アマネラルク氏は娘に恥までかかされたと、怒り狂っている。
 もう、婚約どころではない。
 責任を取る方法を考えなくては。
 ……エルトリアル殿下は今どこに居られますか?」
「あ、えっとサロンに向かうと仰ってました。」
「アマネラルク氏への責任の取り方について、相談に乗って貰おう。
 私ひとりでは何も考えられない。」

 レノアの事よりも、首飾りが盗まれた事の自分の立場の危うさで、頭がいっぱいのようだ。
 まったく、この人はなんてクズなんだろう。
 口には出さないけど、僕はちょっとこの伯爵に呆れてドン引きしていた。
 どこの世界にもクズな人間っているんだな。
 爵位あっても、人としてはなぁ。

 よろよろと歩く出すサジェット伯爵の後をついて、僕はサロンへと向かった。
 昨夜のゴタゴタと事件の事情聴取などの疲れからか、早朝のこの時間にはエル殿下一行とアレク捜査官、そしてサジェット伯爵しかいなかった。
 サジェット伯爵はサロンに入ると真っ先に、ソファに腰掛けるエル殿下の元へ駆け寄り、今後の身の振り方について相談し始めた。

「もう、お終いです。
 さすがに、ブリジットとの婚約は解消でしょうし、慰謝料的な請求も覚悟しなければなりません。」
「そうでしょうね。
 アマネラルク氏は御世辞にも、慈悲深い方とは言い難い。
 どんな時にも、自分の利益が最優先のタイプでしょう。
 下手をすれば、この邸宅や領地まで差し出せと言ってくるかも知れません。」
「仕方ありません…使用人達には申し訳ないが、どうすることも…。
 私には死んでお詫びをする事しか出来ませんよね…。」

 泣き言を言うサジェット伯爵に、いつもの優しい言葉を掛けるのかと思いきや、事態は急変した。
 エル殿下の口から思いもよらないセリフが返って来たのだ。

「そうですね。
 死を選ばないと、せっかく書いたであろう『遺書』が無駄になってしまいますし。
 もっと、アピールした方が効果的ですよ。
 私を利用しようとしたのでしょうが、それはあまりにも安易な考えです。」
「な……。
 そんなつもりは『遺書』って…。」
「アレク!今すぐサジェット伯爵の部屋へ。
 わざと見つけやすい場所、机の上とかベット脇にあるかと。
 切々と婚約破棄されると思い込んだ男の、傷心が書かれているはずです。」

 エル殿下は表情を変える事なく、淡々と話しているがその反面、サジェット伯爵の表情は真っ青になり、異常な汗をかき始めていた。
 
 『遺書』って何?
 どう言う事?
 それって……いやいや、どうして?
 エル殿下はサジェット伯爵を疑ってる?
 この件で一番のハズレくじを引くのは、彼じゃないのか?
 損をするのに、事件を起こさなきゃならない動機は?
 待って、待って、頭の整理が追いつかないよ。

 僕が混乱してる中、アレクは一目散にサロンを出て、サジェット伯爵の部屋へ駆け出した。

「首飾りは初めから高価なので、盗難込みの損害保険には当然入っているでしょうし、なおかつサジェット伯爵が自殺認定されれば、あわよくば死亡保険も降りるでしょう。
 つまり、盗難損害保険保険と死亡保険のダブルです。
 死体が発見されなくても、遺書が明確にあり、一年間の遺体発見がなければ支払われる保険もあるんですよ。」
 
 ……あれ、でもそれって。

「何を言ってるのですか?
 エルトリアル殿下。
 本人が死んだら、保険金受け取れないじゃないですか。
 確かに、遺書は書きました。
 私は疲れてるのです。
 人生において、運命において。」

 サジェット伯爵の表情が一変した。
 さっきまでの、弱々しい子猫が追い詰められて虎の表情になったかのようだ。
 ギラギラとした眼光でエル殿下を睨みつけた。
 しかし、エル殿下はそんなことには一向に動じず続けて話し始めた。

「それは、受取人の問題ですね。
 確認は後で出来ますが、おそらく盗難損害保険、死亡保険共に受取人は……バックスさんですよね。」
「!」

 ええええええ?
 バックスさん?
 どっからそんな答え出てきたの?
 何で?

「この屋敷の使用人は給料の支払いも滞りがちでしたよね。」
「そ、それは…。
 その通りですが、本来ならブリジットと結婚すれば、その、アマネラルク伯爵の…。」
「援助を受けられた……ですか?
 利権を横取りしようとするアマネラルク氏の元での仕事を、使用人達は望むでしょうか。
 おそらく、ブリジット嬢のお付きの使用人も大勢導入されて、蔑まされる事は安易に想像出来ます。
 いずれは首を切られるのは目に見えていたでしょう。
 そして、退職するにも、満足の行く退職金も望めません。
 この先の使用人達の処遇は、暗雲に満ちているのです。」
「だからと言って、私がこんな騒ぎを起こした犯人かのような言いがかりは、流石に酷い。
 あなたにはわかっていないのです。
 あの首飾りがどんなに、この家に……私にとって大事なものか。」
「いえ。
 その逆ですよ。
 わかっているから、ここまで時間を掛けさせて貰いました。
 あなたにとって、この事件は初めての人生を賭けた大勝負です。
 あの首飾り……そしてその意味が表す物こそ、この事件の動機となり得る核心部分なのですから!」

 サロン内が張り詰めた空気に包まれて、息さえ止めずにいられなかった。
 誰も身動きせず、一分程の沈黙が続いた。

「はああ、ち、ちょっと待ってください。
 頭が混乱して。
 犯人、遺書だの動機ごちゃごちゃして。
 どうでしょう、ここはエル殿下の考えを最後まで聞いてから反論しては。
 言葉の応酬で内容が頭に入ってきません。」

 我慢の限界だった。
 呼吸が苦しいやら、頭が混乱する中で、僕はなんとか言葉を捻り出した。
 今の時点では、エル殿下の言動は突拍子もないとしか言いようがない。
 待って、待って、頭の整理が追いつかないよ。

 正しい事だとしても、サジェット伯爵に認めさせる程の効力はないように思えた。
 ビビリア様は黙ったまま、腕組みしながらエル殿下とサジェット伯爵を見つめて佇んでいた。
 
 

 ダダダ!バン!


「エル!あったぞ!
 確かに『遺書』だ!
 おい!サジェット!どういう……!」

 アレクが右手に封筒を握り締めサロンに飛び込んで来た。
 すかさず、エル殿下はソファから立ち上がった。

「……では、舞踏ホールへ行きましょう。
 首飾りがあの晩、どこへ消えたのか、今どこにあるのか。
 そして、いつ戻るのか全てのあらましをお話ししましょう。」
「戻る……ですって?」

 明らかに、動揺して額に汗を流すサジェット伯爵と僕らを引き連れて、エル殿下は先陣を切って舞踏ホールへと歩み出した。
 
 僕は高鳴る心臓の前でスマホを握り締め小走りで、後についていった。

 
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