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トラブル発生、レノアの失態

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「アレク様
 お待たせ致しました!
 残り一本ゲット出来ました!」

 サロンへの道すがら、廊下の中央付近でアレクの後輩らしき若い捜査官が、何やら包みを手渡した。

「マジか!
 名物チーズ入り極太ソーセージ!
 ここへ来て3日目。
 やっと手に入った。」
 「では、僕は仕事に戻りますので、また。
 失礼します!」
 
 包みをアレクに渡した捜査官は、足早に去っていった。

「いけませんね、後輩をアゴで使うとは。
 彼の人権侵害にあたりますよ。
 もしくは、パワハラです。」
「うっさいな。
 これだからフェミニスト気取ってる奴は。
 硬い事抜かすなよ。」
「では、ひと口頂いて見なかった様にしましょう。」

 そういうと、エル殿下はアレクの持っていた包みから顔を出したソーセージをパクリと、ひと口食べてしまった。

「うわっ。
 お前なぁ。
 もっと高級な物、食ってるだろうが。
 しかも、身体にいいやつ。」
「高級でかつ身体にいい物なんて、あまり美味しい物ではありませんよ。
 良薬口に苦しですね。
 美味しいものほど身体に悪いのは、世の常ですよ。
 糖質多めと、高カロリー!
 ああ、美味!美味!
 トモエもひと口どうぞ。
 口止め料ですから安心してください。」
「あ、ありがとうございます。
 じゃあ、ちょっとだけ。」

 パクッ。もぐもぐ。
 うわぁ。
 こんな実は、経験なかった。
 憧れてた。
 男子高校生の日常に。
 男友達と放課後の買い食い風景に、ずっと憧れてたんだ。
 仲間も友達もいない僕には夢だと思っていた光景が目の前に!泣きそう!

 ソーセージをひと口かじって、目を潤ませる僕を心配そうに二人が覗き込んだ。

「そこまで美味いか?
 美味いには美味いが。」
「トモエは純粋なんですよ。
アレクと違って荒んでないんですよ心が。」
「すさ……ってなぁ。
 どうせ俺はヨゴレだよ、はいはい。」

 どう言っても言い返されるのがわかっているアレクは降参した表情で、残りのソーセージを頬張った。

 ガシャーン!

「キャアア!
 なんて事するのよ!
 大事なドレスが!」

 サロンの近くに差し掛かったところで、何かが割れる音と共に、ヒステリックな女性の叫び声が耳に刺さった。

「おやおや。
 これはトラブルのサイン。」
「喜んでる場合いかよ!
 行くぞエル!」

 満面の笑みを浮かべるエル殿下より、先陣を切って、アレクがサロンへ踏み込んだ。

 バアアアン!

「検察捜査官だ!
 何事だ!みんな動くな!」

 アレクがサロンに踏み込むと、両手を挙げたメイドのレノア以外に数人の客がこちらを向いて一時停止した。

「おやおや、客人が増えましたね。
 トモエ、それぞれの名前を記憶、あるいはメモする事はスマホで可能ですか?」
「え?はい出来ますけど。」
「ではこれから、挨拶する人間の名前と特徴を全て記録してください。」
「ええっ。全て?」
「はい。
 宜しくお願いしますよ。」

 エル殿下は僕の耳元で、無茶振りを囁いた。

 目の前の光景はこうだった。
 長椅子の脇に立つレノアは両手をホールドアップ状態で挙げて、華やかなピンクのドレスで二倍に盛り上がった髪型の若い女性が長椅子から立ち上がって叫んだ様だった。
 若い女性のドレスはコーヒーと思われる、茶色の液体で濡れて、足元の床には割れた小さなカップと、蓋が開いたポットが横たわっていた。
 他の四人客もそれぞれワインや紅茶やコーヒー、菓子など様々手に持っているところを見ると、レノアが給仕をしていたのが伺える。
 そして客人達は、凍りついた様に一時停止のまま、レノアと若い女性に視線を送っていた。


「申し訳ありません。
 コーヒーをあまり淹れた事がないので、手が震えてしまったようで。」

 レノアが両手を今度は下で組んで一礼した。
 途端、凍りついていた客人の一人がレノアを押し退けて、コーヒーを溢された若い女性に駆け寄った。

「ブリジットォ!
 大丈夫かい?火傷はしてないかい?」
「火傷はないけど、このドレス!
 まだ遊び着だから良かったものの、パーティー会場で着る服だったら、殺してるわよ!」
「大変申し訳ありません。
 もう、お部屋の準備も済むと思われるので、そちらへ。」
「謝って済む問題じゃないぞ!
 私の娘は今夜の主役だぞ!
 それなのに、サジェットもいなければ、メイドはポンコツ!
 どう言う事だ!
 これだから貧乏伯爵なんぞに、嫁ぐのは反対だったんだ!
 サジェット!サジェットを呼べ!」

 まるで茹で蛸のようにハゲ頭を赤くして、出っ腹を左右に揺らしながら、怒り狂っている中年にエル殿下が近づいた。

「これはこれは、アマネラルク伯爵。
 お久しぶりです。
 サジェット伯爵は私の相手をしていたものですから、すみません。
 主役を差し置いて、ご迷惑をお掛けしました。」

 エル殿下は挨拶がてら軽い会釈をして、アマネラルク伯爵にニッコリと微笑んだ。

「ひっ!
 で、殿下?
 エルトリアル大公殿下!
 いやいや!
 殿下のお相手なら仕方ありませんよ。
 私が怒ったのは、我が娘の嫁ぎ先のメイドの酷さでして。
 こんな仕事をする者を側には置いて置けません。
 サジェット伯爵に一言言わねばと。」
「心中お察しします。
 ですが、ブリジット嬢をこのままにするのは、あまりにもお可哀想です。
 とりあえず、お着替えを優先させた方がいいでしょう。
 時が経つにつれ、主役がこの有様なんてのは他の客人の盛り上がりも冷めること致し方ないですから。」

バタン!

 やんわりとこの場を収めようとしたエル殿下の行為を遮るように、後から来たサジェット伯爵が息を荒げてやってきた。

「何事ですか?
 アマネラルク伯爵、予定より早くいらし…、ブリジット!
 どうしたんです。
 コーヒー、レノア!」

 瞬時に状況を把握したサジェット伯爵は、レノアの片腕をグイッと持ち上げた。

「痛っ。」
「今度、客人に無礼な振る舞いをしたら、クビだと言ったはずだ!」

 さっきまでの穏やかな好青年にあるまじき行動にでたサジェット伯爵にアレクが駆け寄り、レノアを掴んでいたサジェット伯爵の手を掴み返した。

「曲がりなりにも検察捜査官なので、婦女子への乱暴な振る舞いは見すごせない。
 怒りはわかるが、冷静にな。」
「っ。
 …わかったよ。
 だが、こいつの態度の悪さは今回の事だけじゃないいんだ。
 前々から警告していたんだ。」

 ど、どうすればいいんだ。
 
 立ち位置がわからない僕がキョロキョロしていると、エル殿下がそっと自分の口に人差し指を当てた。

 え?静かに見てろって事?

「ふう。わかっています。
 そろそろ、潮時なのはわかっていました。
 先代、先先代のお館様が相次いでお亡くなりになられた今、ここに居座る理由ももう御座いません。
 あすの朝、一番にこの館をおいとま致します。
 長い間お世話になりました。」

 レノアは深々と頭を下げた。

 そんな。
 このままじゃ、レノアが可哀想だ。
 僕はてっきり、エル殿下が助けてくれると思って視線を投げ掛けたが、そうはならなかった。

「さすが、この館の当主、サジェット伯爵。
 妻となるブリジット嬢をいたわり、アマネラルク伯爵の顔を潰さぬ懸命な判断ですね。
 時には厳しく、冷酷な判断を迫られる事は上に立つ者ならば、避けては通れません。」

 ええええええええ!
 どうしたの?

 エル殿下は予想に反して、サジェット伯爵擁護に回ってしまった。
 僕が訳がわからない顔で、アレクの方を見ると、ニヤリと含みのある笑顔でエル殿下を見ていた。

「サジェットー!
 やっぱり、私の選んだ男!
 ねぇ、疲れちゃった。
 私を部屋まで運んで頂戴。」

 ブリジットはサジェット伯爵の行動に感激したのか、飛びつくように抱きついた。

「まったく。
 娘がこうも望んだ結婚に反対はしないが、もし娘に何かあれば、家宝の首飾りや領地を根こそぎ手切金で奪ってやるからな!
 肝に銘じておけ!」

 アマネラルク伯爵は厳しい言葉をサジェット伯爵に浴びせた。
 
 とにかく、サジェット伯爵はブリジットをお姫様のように抱き抱えると、一礼してサロンを出て行った。

「他のメイドを呼んでまいります。
 皆様、大変お騒がせ致しました。」

 レノアは泣いていたのか、下を向いたまま、静かに部屋を後にした。

 パン!パン!

「さて、気を取り直しましょう。
 本日はおめでたい日です。
 この機会に新たなる交流をたのしみましょう。」

 エル殿下が手を叩いて、気持ちの切り替えを促した。

「エル殿下、さっきのは…。」
「トモエ、あれは最善の対応なんだよ。
 エルはサジェット伯爵の立場とアマネラルク伯爵の顔を立て、レノアへの懲罰も最低限の物に押さえたんだ。
 お前には難しいかも知れないが、爵位のある奴らは、バカみたいにプライドを重んじる。」

 エル殿下の代わりに、アレクが僕に説明してくれた。

「感情的で権力をもった男ほど、厄介な者は居ませんね。
 せめて女性なら可愛げがあるのですが。
 レノアが本当に辞めて出て行くのかどうかは、まだわかりませんし。
 さて、トモエ。
 準備して下さい、交流の開始です。」
「あ、スマホ、スマホ。」

 僕はポケットのスマホを確認しつつ、他の客人に声を掛けるエル殿下の背後に控えていた。

「大変お見苦しいところをお見せ致しまして。
 恐縮です。
 大公殿下がいらしてくれるとは、娘共々感謝致しております。」
「頭を上げて下さい、アマネラルク伯爵。
 トラブルとはいつ何時起こるかわからないものですから、お気になさらず。
 ブリジット嬢とキチンとご挨拶出来なかった事は悔やまれますが、パーティー会場にて改めてご挨拶出来ればと。
 さて、こちらのお客人はアマネラルク殿のお知り合いですかな?
 是非ご挨拶をしたいのですが。」
「は、はい!
 こちらは美術商のバリエスタ殿とその妻メリッサ殿、そして奥にいるのは娘の友達のバイオレット嬢です。
 バリエスタ殿は『氷山の輝き』を是非観たいと。
 美術的観点からも興味があると申されまして。
 そこで、パーティーの準備もある事から早めにこちらへ。」

 アマネラルク氏はそう言うと、ワイン片手の細身の男性とティーカップ片手の渋いドレスの女性を紹介した。

 その後の事は、紹介とダラダラした会話が続いたので、僕はコソコソとスマホにメモを取り始めた。

 #アマネラルク伯爵
 商人から財力で伯爵にのし上がった男
 ハゲ頭の小太り体型で身長は低め。
 金の懐中時計をこれ見よがしに、胸に着けて、親指以外全部に指輪を付けてる。
 
 #ブリジット嬢
 アマネラルクの娘でサジェット伯爵の婚約者。
 かなりのヒステリックで、サジェット伯爵にベタ惚れ。
 
 #バリエスタ殿
 爵位は無いが、財力はかなりありそうで、細身の身体には似つかわしくない金の刺繍が至る所に使われた、重厚な正装をしていた。
 しかも、会話は例の首飾りの事ばかり。
 よほど興味があるらしい。
 
 #メリッサ婦人
 夫に嫌々ついて来た妻のようで、度々扇子であくびを隠し、話しも半分しか聞いていないようだ。
 彼女は首飾りにはさほど興味は無いらしい。
 
 #バイオレット嬢
 ブリジット嬢の友達というわりには落ち着いた雰囲気で、おそらく二十歳過ぎの女性だ。
 名前同様のバイオレットのドレスに身を包み、シャンパン片手にエル殿下を凝視していた。
 
 #レノア
 この館の使用人で幼少から、仕えて…。

 僕はレノアについてのメモを取ろうとして、ため息を吐いた。
 何処の世界も弱者に全ての罪を押し付けるんだな。
 同じ人間なのに。
 不平等というよりも、単に哀しかった。
 弱い者の気持ちは痛いほどわかる。
 そして、わかっていながら何も出来ない自分が歯痒く、て歯痒くてしかたなかった。

「皆様、お早いおつきでしたので、昼食を御用意させて頂きました。
 食堂の方へいらして下さい。」

 俯いていた僕の耳に、レノアの代わりに来た執事らしき男性の声が聞こえた。
 メモに夢中で入ってきたのに気が付かなかった。
 かなりの高齢のようだが、背筋がピンと伸びてれいぎただしく、ロマンスグレーな紳士に見えた。

「ああ、お気遣い嬉しい限りですが、私はちょっとした物をすでに食しておりますので、ご遠慮を。
 食べ過ぎで身体が重いなんて、パーティのダンスに支障が出ますので。」

 はああああ?
 食べたって、ソーセージひと口ですけど。
 夜だって、僕は会場の食事を普通には出来ないと思いますけど。
 さすがに飢餓状態必須になりますけど!

 エル殿下の言葉に、心の中で叫びながらも、口元をグッと噛み締めた。

 僕ら以外の客人は昼食を頂くために、サロンを次々と後にした。

「では、エルトリアル大公殿下はお部屋の方へ。
 改めてお茶をお運び致します。
 早急にこの場の清掃をしないといけませんので、ご足労ですが移動をお願い致します。」
「はい。
 では、移動しましょう。
 荷物の整理もあるし。
 ええ、と…。」
「バックスで御座います。
 長年この館の執事を務めていますが、婚約パーティの準備でご挨拶が遅れた事を、お許し下さい。」

 バックスは深々と詫びの礼をした。

「いいえ。
 サジェット伯爵にも色々と御事情がある事は重々承知しています。
 人員にも制限がありますから、お気遣いなさらないで下さい。
 私は執事を付き添わせていますので。」
「ありがとうございます。」

 #バックス執事
 長年この屋敷に仕えている執事。

 アレクも一緒に僕らと部屋をでた。
 サロンを後に部屋を移動する道すがら、スマホにメモした。



「検察捜査員の昼食は国費で保証されてますよね。
 一つや二つ予備されてるはずですよね。」
「やっぱり!それが目当てかよ。」
「え?ええ?」
「私はやる事がいっぱいなのですよ。
 何時間も食事やお喋りに時間を割くほど、時間を持て合わせてはいないのですよ。」
「だからって、捜査官の弁当のお溢れを期待する公爵なんて、お前くらいだぞ。」
 
 あ、お昼ご飯にありつけるのか!

「良いではないですか。
 庶民の味を知る事も、公爵には必要ですよ。
 それに、派遣捜査員の昼食と言えば、片手で食せるハンバーガーやホットドッグなど。
 他の作業も出来るし、食事に集中したとしても短時間でのカロリー接種が可能です。
 効率的経済的に優れた昼食です。」
「言い方良く言ってるけど、単なるジャンクフードだからな。」

 僕はお昼が食べられるなら、何でも構わない!
 塩おにぎりでも、大感謝だ。

「まあいい、俺の分のついでに持って来てやるよ。」

 荷物のある部屋への行き方をアレクに説明して、僕とエル殿下は客室へ、アレクは一旦昼ご飯を獲得しに分かれた。



 
 
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