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殿下の交友録 執事の初仕事
しおりを挟むその後、二日ほど静養させて貰ってから、職務開始となった。
なんとなくここが、異世界だというのだけは理解できた。
とはいえ、右も左もわからない状態なので、基本的な事以前から始めなくてはならなかった。
この国についての知識だ。
エル殿下直々に講師になって貰い、マルニシア王国について勉強しなければならなかった。
エル殿下の書斎を間借りして、豪華な机に向かい、丸メガネの位置を直しつつ、使い慣れない羽根ペンでメモを取っていた。
勉強なんて久しぶりなので、机に向かうのも、ちょっと恥ずかしい感じだ。
服装も着ていたリーマンスーツをしまい、新たな執事服が出来上がるまで、エル殿下の昔の遊び着をお借りした。
袖口に大きなレースが付いていて、度々こそばゆくなる。
「マルニシア王国の十八代国王が、私の実弟であるマルトリアル・マルニシア。
現在二十四歳です。
彼は私とは似ても似つかぬ大人物でね。
国民の信頼も厚く、正義と秩序を重んじる優秀な統治者です。
彼は若くして、大魔女リルルとの法的契約を結び、互いの権利と秩序でこの国を更なる安定へと導いた。
私には真似の出来ない、実に良くできた実弟なのです。」
「僕のいた世界では、長男が一番の王位継承者となりますが、ここは違うんですね。」
「いやいや、ここでも同じなのだが、私が例外中の例外。
ヤバい兄と良くできた弟じゃ、誰もが弟を王様へと願うだろ。
私だって、平和でキチンと統治された国で生活したいし、公爵に甘んじれば自由に行動出来るし、一石何鳥もあったのですよ。」
「確かに、自由度は王様になれば制限されてしまいますが、そもそも権力を持った王様になりたいとは思わなかったのですか?」
「何故?
王様などより、私は私でいたいのですよ。
私の目でものを見、私の脳で世界を感じ、私の肌で空気を感じる事。
下手に王様になれば、それもままならない。」
「ふぁ。
理解できないけど、凄い事言ってるのは伝わります。」
「ありがとうトモエ。」
「それと、あのこの大魔女リルルって、何故魔女と。
法的契約って?」
「うむ、良い点に気が付いたね。
魔法使い族と普通の人間には、隔たりが多少なりともあります。
魔法使い族はそもそも数が少ない、そして人間は数は多いけれど、魔法の様な特殊な能力を持っていない。
お互いの欲望や、ひがみのぶつかり合いで、歴史上何度も衝突した。
そこで、我が弟が現在の魔法使い族の長である、大魔女リルルと協力関係を法的に結ぶ事を提案したのです。
特別な魔法にある程度の法的規則を課し、そのかわり逆に自由に使える魔法も法的に認める。
そして、人間は魔法使いを排除するのではなく、同胞として共生して行く事を認め、権利を法的に保護したのです。
この時、元々あった検察捜査庁と対になる魔法監査庁という組織も誕生した。
つまり魔法犯罪を取り締まる組織ですね。」
「国王すごいキッチリした方なんですね。
あまりエル殿下と似ていない気がします。」
「よく言われます。
きっと、王としての資質を私が母親の腹に全部置いて産まれたのでしょう。
そして後に、弟が産まれる時に全て拾い上げて産まれて来てくれたと思っていますよ。
あ、そのうち国王と形式上面会して頂きますよ。
国王も忙しいので、だいぶ後になってしまうかもしれませんが。
なにせ一応、国費で給金を支払う事になりますので。」
「ええええ!む、無理です!
国王様に失礼です!」
「ああ、心配要らないよ。
内々に挨拶させるだけだから、こちらに寄った時にでも構わないでしょう。
弟は私のする事に文句を言わないから。
ただ、形式は重んじるから、形だけです。
会って挨拶した程度の形が必要なのです。」
「はい。
その際はご無礼のないように気をつけます。」
エル殿下は優しく、僕に頭をポンと手を乗せて笑顔を見せた。
いい子だね、と言われてる気がして、ホワホワした。
僕が人生で出会った人間の中で、最も優しい人だ。
お金持ちでも地位が高くても、おごったところが一つもない。
コンコン。
「殿下、今しがた、アレクサンドリア様がお見えになりました。
南サロンにてお待ちです。」
使用人がドア越しに業務連絡をした。
「連絡ありがとう。
すぐに向かうよ。
さて……アレク?
おやおや、何か起こりそうな予感。
よし、早速トモエも一緒に行こう。
彼を紹介しましょう。
執事として私の交友を把握する、いいチャンスです。」
「は、はい!」
鼻を膨らませて浮き足立つエル殿下と違い、初仕事だと思うと緊張で筋肉が引き締まったままの僕は、右手と右足、左手と左足を同時に出しながら、書斎を出て南サロンへと向かった。
コンコン。ガチャ。
「いらっしゃいアレク。
君にしては珍しいな。
午前中にここに来るのは?
仕事関係かな?」
南サロンで、長椅子に足を投げ出して座っていた黒髪の長髪長身のガッチリしたイケメンが、こちらに歩み寄ってきた。
「あ……ん、半分半分か。
お前の様子見ってのも兼ねてるから。
ってか、エル!お前サジェット伯爵の招待状の返事出してないだろう!
婚約発表のパーティの返事!
明後日だろうが!」
「あ、ついつい。
このところ、予期せぬ事が起こったので。
どの道、暇を持て余しているので参加するつもりでいたのですが。
あれ?アレクはサジェット伯爵の知り合いでしたか?」
「俺は、サジェット伯爵の遠い親戚に当たるらしい。
……ん?誰だ?
その子爵みたいなフリフリの小僧は。」
エル殿下の陰で申し訳なさそうに顔を覗かせる僕にアレクは気がついた。
「は、初めまして。
執事の……いや、まだ執事見習い程度のトモエです。
宜しくお願いします!」
「し、執事?
エルの?
ぷっ!
可哀想…に。
どおりでイカれた格好を。」
アレクは目を細めてマジマジと僕を覗き込んだ。
「あ、いえこれは執事服が間に合わなくて、とりあえずお借りしたまでで。」
「うちの執事をいじめないでくださいよアレク。
耳まで真っ赤になったじゃないですか。
彼はトモエだ。
ま、異国から来たからまだ勉強中なので優しくてください。
トモエ、彼は友達のアレクサンドリア、アレクでいいですよ。
検察捜査庁と魔法監査庁の両方またにかけて捜査官をしています。」
「どうも、よろしく。
執事見習さん。」
「こ、こちらこそ。」
「で、話しを戻すぞエル。
明後日の婚約発表前に、サジェット伯爵のエルターニャ家の先先代から伝わる、『氷山の輝き』と言われるダイヤがふんだんに盛り込まれた首飾りに窃盗の犯行予告カードが届いた。」
「犯行予告カード?
ゾクゾクしますね!
それで、それで?
あ、立ち話もなんだし、まずは腰を降ろしましょう。
トモエ、そこの茶器で私の分のお茶を入れてください。
ささ、アレク座って座って!」
エル殿下は浮き足立ちながらも、アレクを椅子へと座らせ、僕に執事としての仕事を誘導した。
このさり気ない気遣い、本当に頭が下がります。
「やっぱり飛びついたな。
サジェット伯爵はそれほど裕福ではないエルターニャ家だが、この度婚約された令嬢はもっと上の格であるアマネラルク伯爵の御令嬢。
政略結婚にも似た結婚な訳だ。
サジェットは顔だけは美形で評判も良いからな。
相手の娘が骨抜きにされたと、根っからの噂だが。
さて、そのサジェット伯爵のエルターニャ家には先先代から妻に引き継がれる家宝の首飾りがあって、それは伯爵家が今より財力があった頃からの物で、相当な値打ち品だ。
『氷山の輝き』とと呼ばれる大きなダイヤを中心に二十七個のダイヤが装飾されている。
当然、婚約発表の場で御令嬢に披露される予定なのだが、それに乗じてコレを狙う輩が出てきたんだよ。」
「なるほど、という事は私もそのお宝を拝めるのですね。
早々に参加の返事を送らねば。」
「おい!
そういうとこじゃねーだろうが!
ったく、お前はすぐに脱線する。
いいか、首飾りの犯行予告だよ!泥棒からの!
昨晩、ダンスホールの壁に、このカードが貼り付けられていたんだよ。」
アルクはお茶を飲もうとしたエル殿下の目の前に犯行予告カードと思われる物を押し付けた。
『婚約発表パーティーの場にて、エルターニャ家の家宝『氷山の輝き』を頂きに参上』
「怪盗何とか……ではなさそうですね。
つまり、狙いはこれだけに絞られている。
字体もわざと特定出来ない様にして、書かれていますね。」
「それで、俺たち検察捜査庁はこの首飾りの警備を事前に頼まれた。
前日から二人一組で捜査員を警備に配置させる事になっている。」
「あははは、それで何も無かったら、逆に労力の無駄になってしまいますね。」
いや、笑い事ではない様な。
エル殿下はいつでもマイペースだな。
僕はお茶のおかわりを継ぎ足しながら、二人の会話に聞き耳を立てていた。
「笑うな!
何もなければそれで良し!
だがな、お前に招待状を出してるというじゃないか!
何もない訳ないだろう!
エル、お前が関わると、何かが起こる!」
「ん……、それは褒め言葉だと思う事にして、とりあえずは現場を見たり、状況を把握したいのですが。
明後日、早めにサジェット伯爵邸へ赴くとしよう。」
「あの……。
つかぬ事をお聞きします、アレク様。
エル殿下は探偵みたいな感じなんでしょうか?」
僕はどうしても聞きたくなり、口を挟んでしまった。
「あ、申し訳ありません!
つ、つい。」
「ああ、そうか。
トモエだっけ?
コイツの性癖知らないんだっけ?」
アレクは小さいため息をついてエル殿下を指差した。
「アレクよ、性癖とは。
言い方言い方、もっとオブラートに包むように頼みますよ。」
「エルの頭は、トラブル事が起きると脳内麻薬ってのがドバドバ出るんだと。
そんで、活性化された脳でトラブルの原因を追求、把握。
そしてしまいには解決しちまうんだよ。
それも、無償のボランティア。
逆に言えば、コイツの脳みそはトラブルを無意識に求めてるのさ。
脳内麻薬に飢えてる、ど変態。
ま、俺とも仕事で知り合ってね。
ちょいちょい、利用させて貰ってる。」
「ええ……。
それ、公爵様の扱いじゃないですよね。」
「トモエ、そこは気にしなくて良いのですよ。
単なる産まれた場所の運命に、我が思考を左右されたくは無いのです。
それに、アレクの様な者が友達としていてくれる分、知識量も大幅に増えて良い事づくめなのですから。
大公爵の扱いと天秤にかけても、利益があるのは前者の方ですからね。」
「ほらな。
こういう、変人公爵様なんだよ。
ま、貢ぎ物の代わりが、こういう話の種なんだよ。
エルのお好みは厄介ごとの種が一番ってね。」
「我が友は、私の好みを一番理解してくれていて頼もしい限りです。
トモエ、君もサジェット伯爵邸に同行を頼むみますよ。
おそらくスマホが役に立つと思われますからね。」
「あ、はい。
もちろんです。」
「よし!
これでエルの協力は取り付けた。
これから、警備の打ち合わせも兼ねてサジェット伯爵邸へ向かう。
ついでに、エルが執事を連れての参加とも伝えておこう。」
「助かるよアレク。
では、ちょっと待って下さい。
サジェット伯爵もせっかく招待状を送ってくれたのです。
私も返事を一筆書くので、少しだけ待ってください。」
そう言うと、エル殿下はそそくさと部屋を出て行ってしまった。
どうしよう。
アレクと二人きりになってしまった。
どうやってもてなせば……。
「トモエといったな。
これから大変だぞ。
ある意味、エルは自分に正直だが、ワガママと言えばワガママだ。
奴の執事を目指すなら、相当の覚悟をしておけ。」
「あ、はい。
ワガママに付き合うのは、慣れてます。
もっとひどいワガママに我慢して来たので。」
桂木 聖の強権的ワガママに比べたら、きっとどんなワガママだって大丈夫。
「そうか、安心した。
ああ見えて、エルは孤独だ。
なるべく長く側にいてやって欲しい。」
「あ、はい。
アレク様はエル殿下を理解して下さってるんですね。」
「どうかな。
俺自身はそう思いたいが……。
アイツのいる場所は高すぎて……な。
ところで、トモエ、メガネをはずしてみてくれないか?」
「え、あ、はい。
こうですか?」
アレクは僕に歩み寄ると、顔をマジマジと観察し始めた。
「あの?
僕……何か変ですか?」
「そうじゃなくて。
なかなか可愛い顔してるなぁと。」
「はあっ?」
「エルの執事じゃなかったら、口説いてるところだ。」
「え?ええ?男、男!僕は。」
「ん?知ってる。
ここでは男色なんて珍しくないぞ。
愛は全てを超えるからな。」
「ひえぇ!」
身震いしてすくみ上がる僕を見て、クスクスとアレクは笑い出した。
「一つ教えてやろう。
エルの側ではその心配は一切無い。
そもそも、アイツは恋愛感情を他人に抱かない。
それすらも、つまらないらしい。
あ、あの歳で童貞という訳ではないよ。
むしろ、早かったくらいだ。
性体験は十四、五歳で色々体験して出した答えが『退屈でつまらない』だったそうだ。」
「せ、性体験?十四、五際?
ち、中学生!」
「そう、男女問わずね。
アイツにしてみればそれは性体験じゃなく、生態実験だったんだよな。
もったいないよな。
地位も名誉も、ルックスもスタイルも飛び抜けてるのに、人間らしさがマイナスでほぼ相殺されてしまう。
つまりは、性欲ゼロなんだよアイツ。」
「ふぁあ。」
理解に苦しむあまり、目の前に星がチラついた。
経験の無い僕には、もう話の内容だけで頭がパンパンのオーバーヒート状態になってしまった。
コンコン、ガチャ。
「お待たせ。
アレク、この手紙をサジェット伯爵へ渡してください。
ビビリア嬢に頼んで、転送魔法陣の調整も済んでありますから使って下さい。」
「そうだな、それがいい。
着地の場所は……サジェット伯爵領土内の転送魔法陣は確か市内の市場の噴水前か。」
「あれ?
魔法は使えるのに、箒で飛んだり、魔法で空を飛んだりはしないんですね。」
僕の質問にアレクとエル殿下は目を合わせて、ニッコリ笑った。
「出来る出来ないであれば、出来ますが、それこそ法律に引っ掛かるのですよ。
箒で飛べる魔法使いは一級以上で、許可証が必要です。
魔法でむやみに物理的移動をするのも、法律違反なんですよ。
ですから、魔法陣を転々と置き、魔法の使えない者たちも移動が出来るように管理されているのです。
あ、我が家に転送魔法陣があるのは、特例です。
王家の者のみ、緊急事態に対応出来るように魔法使いの常駐と共に転送魔法陣の常設が義務付けられてるので。」
「だな。
そしてそれを監視する、俺の仕事みたいなのが必要なんだ。
魔法使いの犯罪を減らして、差別をなくすのも、ある意味で魔法使いを保護する為の法令なんたぜ。
魔法なんてある意味、最強の犯罪武器になり得てしまうからな。
便利だけじゃ済まないんだ。」
「そうですよね。
便利だからって、何もかも自由って訳には行きませんよね。
勉強になります。」
転送魔法陣って、どこでもドアみたいと思ってたけど、いわば魔法版の飛行機、タクシーといった感じなのか。
待ち時間がないのが便利そうだけど。
魔法陣なんてそんな話しを聞くと、本当にここは異世界なんだなぁと実感する。
アレクはエル殿下からの手紙を胸ポケットにしまうと、エル殿下とハグして頬にキスして別れを告げた。
チュ。
「じゃあな、明後日サジェット伯爵邸で。」
「ええ。」
「わっ。」
挨拶ってわかってるんだけど、慣れてないせいか、こっちが恥ずかしくなって僕は下を向いて一礼した。
深い意味なんてない、挨拶のキス。
日本人にはハードル高い光景だ。
それから、エル殿下は僕の指導を早めに切り上げて、明後日の婚約パーティー出席の為の準備をし始めた。
応援ありがとうございます!
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