手の届かない君に。

平塚冴子

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2学期

哀しみの道化師その2

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まずい…。金井先生と2人きりだ。
さっきの久瀬と金井先生の話しの緊張感がまだ室内には残っていた。
「武本先生…記憶の欠落してるのはあなただったんですね。
今の久瀬君の話しを聞いてそう思いました。
違いますか?」
「…そうです。」
「少しだけ…協力しましょうか?」
「えっ…。」
「ただし、一気には呼び起こす事は出来ません。
久瀬君の言う通り、傷が深ければ精神崩壊を招きかねません。
ですから、ほんの少しだけ思い出すようにします。いいですね。」
「はぁ。精神崩壊…?」
田宮は僕は記憶の欠落の話しをしたがらなかったのはその為なのか?

僕は金井先生と向かい合う形に座りなおした。
「では、いつの頃の記憶が無いと思いますか?」
「小学校…いや中学生の頃も…?」
「無理にハッキリさせないで下さい。
イメージだけで結構です。
では、何かキーワード的なものはありませんか?」
「雨の中…血液…友達…そして傷付けて無くした…。僕は罪人…!」
ドクンドクンドクン。
あれ…。苦しい…。

ボクハイナイ…ボクナンカイラナイ…!

「武本先生!」
「っはあっ!」
「ゆっくり呼吸して下さい。ゆっくりです!眼を閉じて!」
「はぁ。はぁ。」
ギュ…。僕はブレスレットを右手で握った。
「大丈夫ですか…?」
「はい…。」
「確かに…重症ですね。これは。
真朝君と久瀬君はこれを一瞬で見抜いていたんですか…。」
金井先生は僕をソファに横にさせて、考え込んでいた。

あの友達の顔を思い出した。
名前は思い出せなかったけど…。
知的でクールな瞳…僕に無い物を持っていた…。
田宮…君に少しだけ似ていた気がする…。

僕は少しして、落ち着きを取り戻した。
「すいませんでした。取り乱していたようで…。」
「いえ。ただ、思ったより強いブロックが掛けられてる様です。
別方向からどうにかするしかないですね。」
「はぁ。」
金井先生にも難しいのか…。

コンコン。ガチャ。
「ふうっ。お待たせ…はぁ。」
久瀬が戻って来た。
って…バスローブ!?
「ごめん、ちょっと水飲んで一休みさせて。」
久瀬は倒れ込む様にソファに座って水を煽った。

「これは…。どういう事かな…。勉強会と関係がわからないが…。」
「…だろうね。あんたらが好きな普通やら常識を超えた話しだからね。」
久瀬は乾ききらない髪をかきあげた。
「金井先生は僕が今、何をして来たか薄々分かってるよね。」
「この状況ならね。」

「問題はそこじゃないよ。
相手は麗華…実の母親だよ。」
「おい!それって!非道徳的な…!」
僕は思わず叫んだ。
「いつからだ…まさか…勉強会…つまり小学生か!?」
金井先生も驚きを隠せない。
「狂気?最悪?非道徳?汚い?特別な事?ねぇ。
麗華はね、息子の俺を性的対象でしか愛せないんだよ。
むしずが走るだろ!ドン引きするよな!
でも、そうゆう事してる人間だって普通の顔して歩いてるんだよ。
この世の中はね。
普通ってさ…普通っていう名前の理想なんだよねー。
全ての人が普通でなんてあり得ないんだよ。
子供は親を選べない…。
どんな親だろうとね。
運が悪けりゃ狂気という現実を見せられる。」

「児童相談所とか助かる方法があったはずだろ…。
そんな最低な親!」
金井先生は久瀬に噛み付いた。
「あははは。だからダメなんだよ。
そんな、中途半端な正義感なんかクソ食らえだ!助かる?マジでそう思ってんの?
児童相談所に行ったら幸せか?
親が捕まって幸せか?
そんなの…助けるって言わないんだよ。」
僕も金井先生もあまりの現実に口を出せなくなっていた。
「死にたい子供の集まりだって言ったろ。
勉強会…。
死にたい理由を僕等は共有し合った。
田宮がその中の1つ1つをゆっくりと砕いて時に逆説で、時に屁理屈で論破して行った。
そして…思考の変換を促した。
辛い事を辛いと思わない様に…立ち止まった足を未来のある別方向へと導いた。
そして…生きる為には汚い人間でなければならないと学んだ。
純粋過ぎる人間にはこの世界は地獄でしかない。
どう?綺麗事を並べて悟った振りをする奴らよりも真理に近いと思わないか?」
「思考の変換…。
辛い事を別な自分の都合のいい方向にすり替える…。」
金井先生が目を丸くしていた。
「そう。辛くて辛くてってずっと考えて、純粋な自分を守ろうとしても、死へと向かってしまう。
じゃあどうすれはいいと思う?
…簡単な事さ…自分よりも不幸な人間を見ればいい。
自分よりも可哀想だと。
それだけで、人間はまだ自分がマシだと…自分がまだ優位に立てると…。
本当…汚ねぇ生き物だ…。」
「全てを受け入れ…そして…その上で思考の変換…生きる為の本質の力を君達に与えたんだ。
真朝君は小学生でそれをやってのけたんだね。」
金井先生は混乱してる僕とは違い理解していた。
「それだけじゃない。言ったろ。
俺は…田宮よりマシだと思っちまったんだ…。俺の方がまだあいつより不幸じゃないって…。
あいつの勉強会最後の一言で…田宮の罠にはまった。
瞬間、俺はもう…死にたい事を忘れてしまったんだ。
あいつだけを…置き去りにして…。」
久瀬はボロボロになりながら話してくれた。

久瀬の傷もまた相当深い物だったんだ。
常識なんかでこの世の中は動いていない。
人間は全てが平等で全てがいい人間とは限らない。
正論だけでは理解出来ない世界。
狂気も異常も全て人間の中にある…普通とは本来そういう物なのだ。
どんなに否定しても必ず何処かに歪んだ物は存在してまたそれに苦しむ者がいて…。
普通を語る人間はそれらに目をつむり、耳を塞いでいるだけなのだ…。

普通が…幸せとは限らない…。
そうだな…普通を望むあまりに…自分の罪に向き合わないなんて…なんて罪深い事なんだろう。

僕と金井先生は疲れ切った久瀬を休ませてその場を立ち去った。
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