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Mission3 婚約者として為すべきこと
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ノア様やリリー様の前以外では良い婚約者を演じなければならない。あの人たちが思う、こうあるべき姿でいなければならない。
私はこの国の反逆者であり、裏切り者なのだから───。
どんなに心の中で悔やもうとも、私が今していることはもう取り返しのつかない重大なことだ。
それを知らずに私のことを好きでいてくれる颯霞さんや颯霞さんの御両親には本当に心が痛む。
けれどいつかは、こうやって人を思う心さえ私は手放さなければならなくなるのだ。
そう心に強く刻んで、一度決めたことを曲げない決心を私は今、ここでする。
「二人の婚約式の取り決めをしなければならないね。どうかな、私はもう近々開催したいと思っているのだが」
国一番の軍隊を率いる隊長と、この国で最も高い位についている名家のお嬢様の婚約。それはこの国にとって、とても喜ばしいことで、とても重大なことでもある。
「俺もその考えに賛成です」
私の隣で颯霞さんがそう言ったのが聞こえ、私は何とも居た堪れない気持ちになった。苦虫を噛み潰したように唇を噛み、三人には気付かれないほどに拳を強く握る。
「縁壱さん、颯霞もそう言っていることだし、もう日程を決めてしまいましょうか」
「そうだね、茉吏。……七海さんはどう思う?」
穏やかな優しい声でそう尋ねられ、私は一瞬思考が停止した。けれど、すぐに反応して「私もそれで良いと思います」と笑顔で返した。
そんな取り繕った笑顔の裏で、私は本当にこれでいいのかと、自分自身に問い掛ける。
もしも選択を誤れば、颯霞さんのことを深く傷つけることになるのだから。
「…ん、七海さん。どうかしましたか?顔色が悪いですが、」
「……っあ、いえ。別に何でもありません」
颯霞さんは心配そうな声でそう言った。意図せずに俯きがちになっていた顔を勢いよく上げた。
そこには、心配そうに眉を下げている茉吏様と、少し訝し気にこちらを窺う縁壱様のお顔、そして颯霞さんの私を労わるような憂いな表情があった。
「……っ、」
その様子を見た途端、私は何も言えなくなった。私はこの人たちに、これからどれだけ酷い行いをしてゆくのだろう。
それを考えるだけで、虫唾が走るほどに寒気がする。私には、人間としての気持ちがないのか。
そう問い詰めてしまいたくなるほど、私は非情だった。
「七海さん、本当に平気なのかい?もし具合が悪いのなら今日はもう休んだ方がいい」
縁壱様にそう言われ、私は素直に頷いておく。颯霞さんが私の肩を抱いて立ち上がり、縁壱様の書斎を後にした。
去り際、颯霞さんが御両親に「七海さんは俺が寝室に連れて行くから」とだけ伝えて、大きくて重たい扉を閉めた。
◇◇◇
「……あの、颯霞さん。本当にありがとうございます」
私は多分、颯霞さんが私の異変に気付いてくれなければ今もあの場で死ぬほど心地の悪い思いをしていたのだろう。
そして、自分のことをこれでもかと言うほどに妬み、蔑み、忌み嫌っていただろう。
「……はい。あの、七海さん」
「……何でしょう」
「俺は、七海さんが何かを抱えて苦しんでいるのならそれを吐き出せてもらえる人になりたいと思っています」
「……」
「勿論、無理に話す必要はありません。……ただ、本当に七海さんのその悩みが、一人では抱えきれなくなるほどに大きなものとなった時に、俺は七海さんの側にちゃんといるということを分かっていてもらいたいんです」
私の世界は、酷く冷たかった。
人の心の温かさを知らなかったから、そんなものに触れたことがなかったから、私はどんな酷い仕打ちにも耐え抜くことが出来ていた。
……でも、貴方の優しさを知ってしまったら、その陽だまりのような温かさを知ってしまったら、───。
私はきっと、………。
……きっと、“弱くなってしまう”。
人を傷付けることに、悲しみを覚えてしまう。私はやっぱり、あの人たちの忌み子なのだから……。
◇◇◇
昔から体が弱かった。よく話す子でもなかったし、人よりも秀でた才能を持っていた子でもなかった。
両親の期待に応えられない私は、“いらないもの”だった。
体が弱い上に、鬼を倒す“異能”さえも使えないどうしようもない子だった。
沢山の子たちからいじめられ、仲間はずれにされ、挙句の果てには両親にさえ、無視され虐められた。
幼き子供の言うことは時に大人よりも残酷で、私の心は抉れた。この時の私は、自分は欠陥品なのだと、そう思い込んで生きていた。
『七海、今日からお前に剣術を教えてやろう』
そんな私に、父がある日優しい顔をしてそんなことを言ってきた。その顔は、酷く気味が悪かった。
何を考えているのか分からない暗く濁った瞳で見つめられ、私はただ頷くしかなかった。
父の機嫌がいい時は、大抵良くないことが私の身に起こる。
『これがお前にやる刀だ。大切に使いなさい』
渡された刀は重かった。屋敷の庭の草木がキラキラと陽光に反射した透明の刀に映えていて、それがこの上なく美しかった。
私はその日から木刀を使い体を鍛え始めた。父が私に与えて下さったんだ、認めてくれる最後の機会を……。
そう思いながら、私は早朝から晩まで体が疲れていることも構わずに鍛え続けた。
そんな私を、弟妹たちはこっそりと草の陰から覗き見て、嘲笑っていた。
いつもはとても窮屈に感じていた気持ちの悪い視線たち。だけどこの頃の私はそんなもの眼中にも入らなくなるほどに、刀を振るうことだけに熱中していた。
『ふっ……はぁっ、はぁっ……!!』
何度も何度も刀を振るっていた私の手は、やがて大きな豆が出来て、それが治る頃にはもう既に分厚く硬い剣術をしてきた立派な手になっていた。
子供の時は、それが誇らしくて仕方がなかった。
ドサッと庭の草むらに転がり、私は春の夜の星空を見ていた。父がくれた刀をとても大切そうに握り締めて……。
病弱で布団に寝ていたばかりの日々。そんな日々を抜け出して、私は今、確実に強くなっている。
もう私は、何の期待もされない可哀想で惨めな子供なんかじゃない───。
……そう、信じていた。
信じていたのに───。
『全く、あの子はいつになったら成長するのですか。あの出来損ないは私たちの家系に泥を塗っているだけですよ満代さん』
『優笑、そのような言葉は慎みなさい。あの子は十分頑張っているんだ』
『でも貴方……』
『あの子たちにもきちんと言っておくんだな。七海を馬鹿にするなと。月に茜に光にそれから何だ?数が多すぎて分からん』
私の母は、短気な人だった。父はそんな母の家に婿として迎え入れられたのだ。
それだからか、父と母の間に序列関係が生まれ、必ず一番じゃなければ気が済まない母がこの子規堂家の当主として最も偉い位置に着いていた。
『あの子は私たち子規堂家の恥です。今すぐにどこかへ嫁がせて追い出すべきなんですよ』
『…はぁ、何を言っているんだ優笑。だから言っているだろう、七海は私の実の娘なのだぞ。そのようなことが出来ようものか』
母が私を理由もなく忌み嫌うそのわけ。弟妹たちがそんな母を倣って私を馬鹿にするそのわけ。それは、
私が母の実子ではないから───。
『優笑、考えるのだ。あのような者を嫁がせて、我々に相手側から迷惑書が送られてきたらどうするのだ。きっと婚約も長くは続くまい。面倒事は増やしたくないのだ』
その言葉を聞いた瞬間、私の心の中で何かが砕け散る音がしたんだ。
私を庇ってくれているようだった父の言動は、ただ面倒事を避けるためだけの、表面だけの嘘だったということ……。
なぜ、そんなことにも気付かなかったのだろう。ちょっと考えれば、簡単に分かることだったのに。父に少しでも実の娘を思う気持ちがあると期待した自分が馬鹿だった。
私は、自分が思っていたよりもずっと、愚かな人間だったのだ───。
両親の会話を偶然耳にしたその日から、七海は全ての希望を失い、また前のような惨めな生活に戻りつつあった。
一日でも鍛錬をサボってしまったら、体は重く動かなくなる。そこから私の体にずっと隠れて潜んでいた病気が、徐々に私の体を蝕んでいった───。
『あれはもしかすると異能を発するかもしれない。このまま剣術を続けさせれば、体も丈夫になり子規堂家も今よりもっと飛躍出来よう』
父が本当に見ていたのは、夢見ていたのは、私の気持ちなどではなくて“異能”……。
ただ、それだけだった───。
私はまだ、知らなかった。本当は、私は父の実の娘でさえないということを。汚い大人たちの手駒にされ、私はこの二人の娘としてこの日本国に生きていたということを……。
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