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第9章「総長様ってのはなぁ、好きなもんを存分に甘やかしてやりてぇもんなんだよ」
夜闇に溶ける愛おしい人 桜十葉side
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私は、気づけば自分の教室に帰ってきていた。中庭からここまで来た記憶が全くない。
私が、そんな……。裕希、さんと……?本当に?明梨ちゃんのことを覚えていなくて、裕希という人との思い出も一切なくて、正直もうどうしたらいいのかわからない。
裕翔くん……。会いに、きて。もう、何もかも一人では抱えきれないよ……っ。
あの日、私は初めて裕翔くんのお兄さんだという裕希さんに会ったと思っていた。正確には、計画されていた拉致だったのだけれど、……。
『俺のこと、覚えて、ない……よね?』
『やっと、見つけた』
裕希さんの、とても悲しそうにしていた顔が今思い出された。私を見つめる瞳は、すごく切なそうな色をしていて揺らいで見えたんだ。
私は、一体どれだけのことを忘れてしまっているのだろう?
明梨ちゃんは、私と初めて出会ったのはこの条聖学院の幼児部の入学式の日だと教えてくれた。
でも、私の記憶には明梨ちゃんとの思い出が全く無くて、明梨ちゃんを初めて知ったのは今年だ。
そして、裕希さんを知ったのも、裕翔くんにお兄さんがいると知ったのもつい最近のこと。
もしかしたら私は、本当に沢山、大事なことを忘れてしまっているのかもしれない。今まで思っていたことが、どんどん確実になっていく。
自分の席で悶々としていると、昼休みはあっという間に過ぎていき、今はもう6限目の終盤。
前の方で化学の先生が硝酸カリウムが何だとか、クロマトグラフィーだとか、難しい言葉を力説している。
いつもは真剣に授業を聞いている私なのに、今日だけは集中することなんて出来なかった。
しっかりしなきゃ……っ。そうしないと、今までしてきた努力が全て水の泡となってしまう。条聖学院高等部特進科。その名の通り全国的にトップで、学校のトップのクラスでもある。
そこに、私はいるんだ。
頭の中にある考え事を一生懸命に消して、残りの授業だけは集中して受けた。
パニックに陥った時は、一度だけでも冷静になることが大切だとお母さんが教えてくれたことがある。だから、その教えに倣って、今だけは悩みを考えないようにしよう。
キーンコーンカーンコーン────。
7限目の終わりを知らせるチャイムが鳴って、途端に騒がしくなる教室。私はそそくさと帰る準備を始める。さっきLINEを見てみたら、裕翔くんからメッセージが届いていたのだ。
【桜十葉、学校お疲れ様。もう俺は校門の外で待ってるから、いつでも来ていーからね。もう男と歩いてきちゃだめだよ?】
そんなメッセージとともに送られてきたお疲れ様というネコちゃんのスタンプ。
か、可愛い……!
「桜十葉ー?どうしたの、そんなにニヤニヤしちゃって」
スマホの画面を見つめていた私に朱鳥ちゃんが声をかけてきた。話すのは昼休みにお弁当を食べたぶりだな。
「う、ううん。何でもないよ」
そう言ってスマホをポケットの中に入れる。
「えー?嘘、絶対に裕翔くんからでしょー?」
今度は朱鳥ちゃんがニヤニヤとしながら、私の腕を軽く小突く。そうやってじゃれ合いながら楽しく笑っていると、朱鳥ちゃんが急に真剣な顔になった。
「桜十葉。ちゃんと、話せた?」
笑っていた私も、朱鳥ちゃんのその一言で笑いを止める。
「うん。自信はないけど、自分なりに頑張れたと思うよ」
うん。私は頑張った。精一杯、できる限り頑張ったんだ。だからそんなに、思い詰める必要なんてないのかもしれない。
だって私には、私の周りには、私のことを思ってくれる大切な人達がちゃんといるんだから。
「そっか、それなら良かった」
「うん」
心底安心したというようにほっと息を吐いた朱鳥ちゃん。
「桜十葉。これからも、何だって私に言ってくれていいから。私はいつでも、桜十葉の悩みを聞いて受け入れる準備、出来てるよ」
そう言って、ふわっと優しく笑う朱鳥ちゃんが私よりもずっと、お姉さんに見えた。記憶喪失になっているのかもしれない、と朱鳥ちゃんに打ち明けた昼休み。
話して良かったって、心の底から思うんだ。だって、こんなにも胸の苦しさが半減したような気がするから。
「朱鳥ちゃん。私の話を真剣に聞いてくれてありがとう」
「えー?も~、大袈裟だよ桜十葉は!」
朱鳥ちゃんは少し照れてしまったのか、私の背中をバシバシと叩きながらへへっと笑っている。
「もー、痛いよ朱鳥ちゃん!」
でも、今の私にはその痛みが何だか嬉しく思えた。
私はその後、朱鳥ちゃんと一緒に校門まで歩いて帰り、そこで別れた。
校門を出て、少し先の角を曲がると高級そうな黒色の車が駐まっていた。
「桜十葉。おかえり」
車が見えたと思った瞬間、目の前が真っ暗になる。心落ち着く優しい匂いが鼻腔をくすぐった。
「ただいま、裕翔くん」
会えていなかった時間を埋めるように、私達はお互いを強く抱きしめた。体が密着して、冷えていた体に体温が戻ってくる。
冷たい風が吹く秋の季節でも、こうやって好きな人と抱きしめ合っていたら、体だけではなく心まで温かくなる。
「桜十葉、すごく寂しかった」
裕翔くんは、少し拗ねたような顔をして私の首元に顔を埋める。そんな様子の裕翔くんを可愛いな、なんて思って裕翔くんのふわふわとした黒色の髪を撫でる。
裕翔くんの髪、すごく柔らかいな…。西日に照らされて、裕翔くんの黒髪がきらきらと光って見える。艶があって、本当に羨ましい。
「私も、裕翔くんに早くに会いたいって思ってたよ」
そう言って、ぎゅうっと裕翔くんの胸元に顔を寄せた。
「あー、もう……何でそんな可愛いこと言うのかな」
裕翔くんは何やら呟いた後、私を抱きしめていた腕を離して、私の頬に手を添えた。
お互いの顔がゆっくりと近づいていき、やがてその距離は0になる。お互いの吐く息が、鼻筋にあたる。そして、2人の唇が重なった。
「んっ、…ふっ……ぁあ……っ」
深いキスに息が続かなくなって、少しだけ口を開ける。すると、その口の隙間から裕翔くんの舌が入ってきた。唇を離そうとしても、裕翔くんの腕が私の腰に回っていて、到底敵わない。
何度も何度も、違う角度から深いキスが降ってくる。もう限界、というところで裕翔くんの胸板を叩いた。
「ん、もう限界?俺はもっとしたいのに」
そう言って、裕翔くんは意地悪く笑った。綺麗な顔がまた近づいてくる。
「ちゅっ」
最後は、触れるだけのキスだった。
裕翔くんは私の背中に手を添えて、車のドアを開ける。まるで、王子様にエスコートしてもらうお姫様になったような気分で、すごくドキドキした。
「段差、気をつけてね」
裕翔くんの手に自分の手を重ねる。本当に、裕翔くんは優しすぎる。1つひとつの動作が、言動が、私のことを大切にしてくれているって教えてくれる。
「ふふっ、ありがとう。裕翔くん!」
「ん?何が?当たり前のことをしているだけだよ」
裕翔くんは、私がお礼を言う意味が分からない、というような表情をして不思議そうにしている。
こんなことを普通に出来る人、中々いないだろうなあ。私はそんな幸せに浸りながら裕翔くんの車に乗り込んだ。
私がシートベルトを締めると、裕翔くんはゆっくりと車を運転し始める。運転している裕翔くんを見るの、久しぶりだな……。いつもは、車で行ったら早く着いてしまうからといって歩いて帰るのに、今日は違うみたい。
裕翔くんは、朝と同じ黒いシャツの上に上質なスーツを着ている。裕翔くんの長い脚に似合う、スーツのパンツ。
「裕翔くん、これからどこかに行くの?」
「うん。……ああ、桜十葉にはまだ言ってなかったね。今日は、ずっと俺の側にいて」
「?…うん。それで、どこに向かってるの?」
私の質問に答えない裕翔くんの横顔をちらりと見つめる。
もう学校からは遠ざかり、裕翔くんの家がある方向とは逆方向へと車は走行している。
「んー、着いてからのお楽しみ」
朝、言っていたことと関係しているのかな?今日は、グループの集まりがあるから、そこに私も一緒に来てほしいと裕翔くんが言っていた。
私は、これまでもあまり裕翔くんの暴走族の仲間達と関わる機会が少なかったから、分かることは少ない。ここは、何も聞かずにいるのが一番だろう。
車で走ること1時間。辺りの風景は、私の住む街とはすっかり変わっていて、高い建物やビルが見当たらない。でも、バリッバリの田舎というわけでもなさそうだ。
「裕翔くん、こんなに遠い所でグループの集まりがあるの?」
私の質問に、裕翔くんが首を縦に振る。
「そうだよ。でも、今日は集まりというよりは特攻、かな。それより桜十葉はバイクの後ろに乗ったことはある?」
裕翔くんはこちらを向いて、ニヤリと笑う。
太陽があと少しで沈み終わる。辺りはもう暗くて、明かりがないと歩けないというくらいに闇が深まっている。
「ううん。乗ったことない」
もしかして、裕翔くんの乗るバイクの後ろに乗せてもらえたりするのかな?そう考えて、少しわくわくとした気持ちになる。
「でも、特攻なら私達の街でも出来るのに、なんで?」
「桜十葉が住む街を、綺麗なままにしておきたいから」
憂いを帯びた裕翔くんの横顔。スーツ姿で、高級そうな黒色の車を運転する大人の男の人。
裕翔くんが、私の手を運転していない方の手で優しく握った。その横顔は、すごく綺麗で、すごく優しくて、すごくかっこよくて。
夜闇に溶けて、消えてしまいそうなほど、儚い。なんて、思った。私の手を握る裕翔くんの手は、すごく温かくて安心する。裕翔くんが、私の隣で生きていてくれている。私の側に、いてくれている。
それだけで、私はもう十分なんだ。十分すぎるくらい、裕翔くんには沢山のものをもらっている。
優しく拾って、どこかに閉まっておかないと、裕翔くんからの贈り物はすぐに消えてしまいそうな気がする。
「綺麗なまま……」
「うん、そう。桜十葉の街を、暴走族なんかで汚(けが)してしまいたくなんかない」
そんなところまで、裕翔くんは考えてくれるのか。その事実に、心臓がドクン、と鳴った。
そのまま、車は走行し続ける。私達は、お互い無言だった。いつの間にか、私はその静けさの中、眠りについていた。
眠りから覚めた時には、私はどこかの部屋のソファの上にいた。
「桜十葉、起きた?」
「ん、……んん」
目をゆっくりと開けると、目の前には裕翔くんの整った顔。と、2人の慣れない顔。
「あ、桜十葉ちゃんおはよう」
「ふぅ、やっと起きたのか」
「桜十葉の名前を気安く呼ぶな」
「うわ、裕翔マジかよー。余裕ねぇ男は嫌われるぞ!」
「そうだぞ、裕翔」
「はあ、お前らなぁ……」
目の前で繰り広げられる会話の嵐。何だか、入っていける雰囲気ではない。裕翔くんの隣りにいる人達は、前に会ったことのある人たちだった。
「桜十葉ちゃん!俺、來翔!俺のこと覚えてくれてる?」
「俺は滉大だ。よろしく」
金髪の髪色の人は來翔さん、暗めの青髪の人は滉大さんだ。一番はやっぱりずば抜けて裕翔くんだけど、二人もすごく綺麗な容姿をしていた。
來翔さんの右の耳には、髪色と同じ金色のピアスが光っている。
滉大さんの耳にはピアスの穴はなく、変わりに首に藍色のネックレスをつけていた。來翔さんは、明るめの色が好きで滉大さんは暗めの色が好きなのかもしれない。
じゃあ、裕翔くんの好きな色は何だろう?
「よ、よろしくお願いします……」
思わず背中が縮みこむ。この部屋には、KOKUDOの総長様、副総長様、そして壱番隊隊長の3人が勢揃いしているのだ。萎縮もしてしまうのも当然だ。
「桜十葉。今からは桜十葉に着替えてほしい洋服があるんだけど、嫌じゃない?」
裕翔くんが私の前まで歩いてきて、ソファの前に跪くようにして座る。裕翔くんと視線の位置が同じになる。
「う、うん。別に大丈夫だよ。どんな服?」
「來翔、あの服を持ってきて」
「はいはーい。もー、全く。人使いが荒いんだから!」
裕翔くんは、來翔さんにそう命令のように言い、楽しそうに笑っている。來翔さんは部屋を少しの間出て行って、またすぐに戻ってきた。
手に持っていたのは、────黒色のワンピース。
袖やスカートには、金色の糸で蝶の刺繍が巧みに描かれている。キラキラとしたパールや真珠も縫われていて、すごく綺麗だった。
スカート丈は長く、ワンピースだけどドレスにも見える。そのワンピースがとても高価なものだと、一目で分かってしまう。
「ひ、裕翔くん?こんなに高そうなもの、さすがに着れないよ…」
私がこれを着るのを、遠慮してしまう。何だかすごく申し訳ないのだ。
「大丈夫、そんなに高いものでもないから。俺が桜十葉に着てほしくて、特別に作ってもらったものだからね」
「な、何円くらいなの……?」
ドクドクと血が激しく脈打つのを感じる。何だか、すごく嫌な予感がする。
「んー、それはちょっと言えないかな。でも、これ着てほしい。お願い、桜十葉…?」
大人のお兄さんが、両手を合わしてお願いしますのポーズをしてくる。子犬のような瞳を向けられて、思わずうっ、となってしまう。
「桜十葉ちゃん。このワンピ、裕翔が桜十葉ちゃんに着てもらうのすごい楽しみにしてたんだよ。もちろん俺も見たいけどっ!」
「だから名前で呼ぶな」
來翔さんがそう私に教えてくれる。裕翔くん、私が着るのを楽しみにしてくれてたんだ……。それなら、着てみようかな。
「裕翔くん。これ、ありがとう。似合うか自信ないけど、着てみる!」
せっかく裕翔くんが私に着てほしいと言ってくれたワンピースだもん。裕翔くんに、この綺麗なワンピースを着た私を見てほしい。
「本当に?すごい嬉しい」
「うわ…裕翔、すごい顔」
滉大さんが半ば引いたような顔をする。私はその反応が不思議で、首を傾げる。だって裕翔くんはいつもこんな感じだから。嬉しい時は、すごく優しい顔をするし、楽しい時は本当に満面の笑みで笑うのだ。
「総長様ってのはなぁ、好きなもんを存分に甘やかしてやりてぇもんなんだよ」
裕翔くんの見たこともない表情に、半ば引いている2人に向かって、裕翔くんはニヤリと笑った。
その表情は、悪魔のようで心臓が思わず跳ねた。
裕翔くんは、あまり汚い言葉を話さないからすごく新鮮だ。そういう素の姿を見れるのも、すごく嬉しい。
「じゃあ桜十葉、この部屋出てすぐ右に小さめの部屋があるからそこで着替えておいで。俺達もちょっとここで着替えなきゃいけないから」
「うん。分かった!」
裕翔くんは私の頭を優しく撫でて、立ち上がった。私もそれに続いて立ち上がった。裕翔くんは、來翔さんから黒色のワンピースを受け取り、私と一緒に部屋を出た。
どうやら、私が着替える部屋までワンピースを持ってきてくれるみたいだ。優しいな……。優しくて、胸がぽわん、と温かくなる。
今まで居た部屋を出てすぐ右に、裕翔くんが言っていた部屋の扉があった。裕翔くんはその扉を開けて、私の背中を優しく押した。
「じゃあ、ここで着替えてね。はい、これ」
「うん!ありがとう、裕翔くん」
裕翔くんからワンピースを受け取って、満面の笑みでお礼を言う。すると、裕翔くんはとても嬉しそうに笑って、私のおでこに優しく口づけをした。
最後に頭を撫でられて、裕翔くんは部屋から出ていった。
私は部屋の扉の鍵をして、ワンピースを衣装ケースの中に掛ける。条聖学院の深めの赤色をしている制服を脱いで、肌着だけの状態になる。
ワンピースを着る時、もう一度だけ躊躇してしまったけれど、意を決して袖を通した。着てみると、私にすごくぴったりだ。
ウエストがしっかりと分かるワンピースで、スカートがふわっとしていて本当にドレスみたいだ。
でも、思った以上に胸元が開いたドレスだ。肩が出るようになっている作りのようで、冬に着るには少し肌寒いかもしれない。
「私、このワンピース似合ってるのかなぁ……」
こんなにも大人の色気というものが漂うワンピースを私が着て、本当に大丈夫かな?おかしくないのかな…?
蝶の模様が適度に縫われているが、それだけでなく、よく見ると小さな花の飾りが所々で光っている。
私は不安な気持ちを抱きながら部屋の扉を開けた。部屋を出てすぐにさっきまで私がいた部屋があり、そのもう少し先には広々とした大広間のようなものがある。
天井はすごく高くて、そこから豪華なシャンデリアが吊るされている。やっぱり、裕翔くんはお金持ちなのかな……?
私ばかりがもらっていて申し訳なく思ってしまう。
「「「「桜十葉様!!!!今日は坂口様とのご同行、お喜び申し上げます!!!!!!」」」」
大広間に恐る恐る顔を出した、その時───。
私はいきなりの大きな声に体をビクッと震わせ、心臓が縮まるのを感じた。
「へっ……!?」
あまりの驚きに変に抜けた叫び声を聞かれて、すごく恥ずかしい。
「ごめん、桜十葉。驚かせた?」
裕翔くんが暴走族の部下の人達が作った道から私の方へ歩いて来た。
その姿は、まるで、───。どこかの悪役ヒーローのようにかっこよかった。
「かっこいい……」
さっきびっくりしてしまったばかりなのに、裕翔くんのあまりのかっこよさに思わずため息を吐いてしまう。
裕翔くんはさっきのスーツとは違う、黒い服を着ていた。いわゆる、特攻服というものだ。金色の刺繍で、『坂口裕翔 初代黒堂総長』『愛羅武勇』という文字が印されていた。
愛羅武勇は、アイラブユーと読む。I LOVE YOUはロマンティックな言葉のはずだが、『修羅の如く武勇を愛する』というような意味に読めなくもないらしい。
ちなみにこれは、一時期暴走族の四字熟語にハマっていたお父さんが私に力説していた言葉なのだが……。
私が驚いたことに申し訳なさそうにして眉を下げていた裕翔くんが、私が思わず呟いた言葉により驚きを隠せないというような表情になっている。
そして何よりも、さっきから私の体全身に注がれる、裕翔くんの熱い視線が私を落ち着かせてくれない。
変かな?やっぱり、似合わないかな?
こんなに綺麗で可愛いワンピース、やっぱり私が着こなせるわけなんてなかっ……。
「桜十葉、すごく綺麗だ」
裕翔くんが私に近づいて、優しく肩に触れる。裕翔くんの温かい手が私の肌に直に当たって、ドキッとする。
裕翔くんの綺麗な顔が、どんどん近づいてくる。唇が触れ合う後ほんの少しの時、────
「愛してる」
───え?裕翔くんの口から囁かれた言葉。その言葉は、あまりにも重々しくて、裕翔くんの真心だと、言われてすぐに分かる。
「ひ、ひろ……っ。んんっ…」
裕翔くん?と言い終わらないうちに、裕翔くんの唇が私の唇に重なった。それは一度だけでは終わらなくて、何度も何度も角度を変えて落とされていく。
「んっ、……裕翔…く……んぁっ」
裕翔くんの腕が腰に回っていて、ぐっと腕に力を入れる。二人の距離が0になって、お互いの体が密着し合う。後頭部に手を添えられて、深いキスから逃れることは出来ない。
「っ、桜十葉……、離したくない、よ……っ。ずっと、俺だけのものでいて」
裕翔くんは掠れた声でそう言って、私の少し開いた口の隙間から、下を滑り込ませる。お互いの舌が絡み合って、唇が長く触れ合う。
「裕翔くんっ……も、限界…」
「やだ、……絶対に離さないから」
いつものように甘く深すぎるキスをする裕翔くん。でも、裕翔くんがいつもの裕翔くんではないみたい。声も掠れて、キスの合間に見える裕翔くんの瞳は涙で濡れているみたいだ。
「んんっ、ねぇ……裕翔くん…大丈、夫?」
いつもはそんな顔、しないのに。いつもはすごく優しそうな顔をしているのに、今の裕翔くんはすっごく苦しそうだよ。
裕翔くんの涙が伝染して、私まで泣きそうになってしまう。
ああ、私、もうこんなにも裕翔くんのことが、好きになってしまっていたんだ。裕翔くんが泣いていたら、私まで悲しい気持ちになってしまう。私も、泣いてしまう。
裕翔くん。あなたは一体、どんな秘密を隠しているの?それは、私には言えないこと?
私は、裕翔くんが思っている以上に裕翔くんのことが好きなんだよ。それなのに、君は私の愛情を疑ってばかりで、今もまだ、一人寂しい暗い森の中にいるみたい。
私は裕翔くんの両頬を両手で掴み、キスを止める。
「裕翔くんっ!今ここで、全部話して!もう、怖がらないでよ!裕翔くんがまだ私に話せない秘密があって、それを言うことが出来ないのは、私の愛情を疑ってるってことにもなるんだよ!?私を信じてよ、……お願いだから。私はちゃんと、裕翔くんのことが大好きなんだから!!」
「桜十、葉……」
裕翔くんの瞳が限界にまで見開かれる。唇をわなわなと震わせて、必死に涙を堪えようとしている。
「私、言ったよね?もう覚悟出来てるって。私はもう、裕翔くんと一緒に堕ちる覚悟、出来てるの。だからちゃんと、受け止めてあげられる」
裕翔くんの頬に添えていた私の手を、裕翔くんの大きな手が包み込む。私が裕翔くんの涙を優しく親指で拭った後、裕翔くんは倒れるようにして床に座り込んだ。
私も一緒になって、大広間の冷たい床に座り込む。周りには沢山の人がいるのに、私たちはそれにお構いなしだ。
裕翔くんは瞳を伏せて眉を震わせた。
「みんな、少しだけ時間をくれないかな……。特攻を1時間、遅らせてほしい。相手にもそう伝えておいてくれない?」
裕翔くんが俯いていた顔を上げて、みんなの方を向く。
すると、近くで裕翔くんの話を聞いていた滉大さんと來翔さんが真剣な顔をして頷く。滉大さんは黒色の上質そうな特攻服。來翔さんは、背中に白鳥の絵がカラフルな色の糸で縫われた白色の特攻服。
2人とも、すごく似合っている。
「おら、お前らさっさと外に出ろ!!これは総長の命令だ!!!!」
さすが、副総長とでも言うべきか。その威力は凄まじい。特攻服を着た男の人たちは、動きを揃えて素早く退散していく。
滉大さん、すごいな……。
「じゃあ裕翔、ぴったり1時間だからな!あっちは俺たちより弱いから文句言えないだろうけど、さすがに遅れるのは容赦しねぇぜ!!」
「……ああ。分かってる」
來翔くんのいつも通りの明るい声に少しだけ裕翔くんの口が緩む。
2人だけの大広間。しんと静まった空間に、私たちの吐く息だけが響いている。
「桜十葉、ここは寒いから温かい部屋に行こう」
裕翔くんの目は、もう揺れていなかった。何かを覚悟したように、そして何かを諦めたように、真っ直ぐな瞳をしていた。
「う、うん……」
そうして、私たちは暖房の入っている最初にいた部屋に行った。
✩.*˚side end✩.*˚
私が、そんな……。裕希、さんと……?本当に?明梨ちゃんのことを覚えていなくて、裕希という人との思い出も一切なくて、正直もうどうしたらいいのかわからない。
裕翔くん……。会いに、きて。もう、何もかも一人では抱えきれないよ……っ。
あの日、私は初めて裕翔くんのお兄さんだという裕希さんに会ったと思っていた。正確には、計画されていた拉致だったのだけれど、……。
『俺のこと、覚えて、ない……よね?』
『やっと、見つけた』
裕希さんの、とても悲しそうにしていた顔が今思い出された。私を見つめる瞳は、すごく切なそうな色をしていて揺らいで見えたんだ。
私は、一体どれだけのことを忘れてしまっているのだろう?
明梨ちゃんは、私と初めて出会ったのはこの条聖学院の幼児部の入学式の日だと教えてくれた。
でも、私の記憶には明梨ちゃんとの思い出が全く無くて、明梨ちゃんを初めて知ったのは今年だ。
そして、裕希さんを知ったのも、裕翔くんにお兄さんがいると知ったのもつい最近のこと。
もしかしたら私は、本当に沢山、大事なことを忘れてしまっているのかもしれない。今まで思っていたことが、どんどん確実になっていく。
自分の席で悶々としていると、昼休みはあっという間に過ぎていき、今はもう6限目の終盤。
前の方で化学の先生が硝酸カリウムが何だとか、クロマトグラフィーだとか、難しい言葉を力説している。
いつもは真剣に授業を聞いている私なのに、今日だけは集中することなんて出来なかった。
しっかりしなきゃ……っ。そうしないと、今までしてきた努力が全て水の泡となってしまう。条聖学院高等部特進科。その名の通り全国的にトップで、学校のトップのクラスでもある。
そこに、私はいるんだ。
頭の中にある考え事を一生懸命に消して、残りの授業だけは集中して受けた。
パニックに陥った時は、一度だけでも冷静になることが大切だとお母さんが教えてくれたことがある。だから、その教えに倣って、今だけは悩みを考えないようにしよう。
キーンコーンカーンコーン────。
7限目の終わりを知らせるチャイムが鳴って、途端に騒がしくなる教室。私はそそくさと帰る準備を始める。さっきLINEを見てみたら、裕翔くんからメッセージが届いていたのだ。
【桜十葉、学校お疲れ様。もう俺は校門の外で待ってるから、いつでも来ていーからね。もう男と歩いてきちゃだめだよ?】
そんなメッセージとともに送られてきたお疲れ様というネコちゃんのスタンプ。
か、可愛い……!
「桜十葉ー?どうしたの、そんなにニヤニヤしちゃって」
スマホの画面を見つめていた私に朱鳥ちゃんが声をかけてきた。話すのは昼休みにお弁当を食べたぶりだな。
「う、ううん。何でもないよ」
そう言ってスマホをポケットの中に入れる。
「えー?嘘、絶対に裕翔くんからでしょー?」
今度は朱鳥ちゃんがニヤニヤとしながら、私の腕を軽く小突く。そうやってじゃれ合いながら楽しく笑っていると、朱鳥ちゃんが急に真剣な顔になった。
「桜十葉。ちゃんと、話せた?」
笑っていた私も、朱鳥ちゃんのその一言で笑いを止める。
「うん。自信はないけど、自分なりに頑張れたと思うよ」
うん。私は頑張った。精一杯、できる限り頑張ったんだ。だからそんなに、思い詰める必要なんてないのかもしれない。
だって私には、私の周りには、私のことを思ってくれる大切な人達がちゃんといるんだから。
「そっか、それなら良かった」
「うん」
心底安心したというようにほっと息を吐いた朱鳥ちゃん。
「桜十葉。これからも、何だって私に言ってくれていいから。私はいつでも、桜十葉の悩みを聞いて受け入れる準備、出来てるよ」
そう言って、ふわっと優しく笑う朱鳥ちゃんが私よりもずっと、お姉さんに見えた。記憶喪失になっているのかもしれない、と朱鳥ちゃんに打ち明けた昼休み。
話して良かったって、心の底から思うんだ。だって、こんなにも胸の苦しさが半減したような気がするから。
「朱鳥ちゃん。私の話を真剣に聞いてくれてありがとう」
「えー?も~、大袈裟だよ桜十葉は!」
朱鳥ちゃんは少し照れてしまったのか、私の背中をバシバシと叩きながらへへっと笑っている。
「もー、痛いよ朱鳥ちゃん!」
でも、今の私にはその痛みが何だか嬉しく思えた。
私はその後、朱鳥ちゃんと一緒に校門まで歩いて帰り、そこで別れた。
校門を出て、少し先の角を曲がると高級そうな黒色の車が駐まっていた。
「桜十葉。おかえり」
車が見えたと思った瞬間、目の前が真っ暗になる。心落ち着く優しい匂いが鼻腔をくすぐった。
「ただいま、裕翔くん」
会えていなかった時間を埋めるように、私達はお互いを強く抱きしめた。体が密着して、冷えていた体に体温が戻ってくる。
冷たい風が吹く秋の季節でも、こうやって好きな人と抱きしめ合っていたら、体だけではなく心まで温かくなる。
「桜十葉、すごく寂しかった」
裕翔くんは、少し拗ねたような顔をして私の首元に顔を埋める。そんな様子の裕翔くんを可愛いな、なんて思って裕翔くんのふわふわとした黒色の髪を撫でる。
裕翔くんの髪、すごく柔らかいな…。西日に照らされて、裕翔くんの黒髪がきらきらと光って見える。艶があって、本当に羨ましい。
「私も、裕翔くんに早くに会いたいって思ってたよ」
そう言って、ぎゅうっと裕翔くんの胸元に顔を寄せた。
「あー、もう……何でそんな可愛いこと言うのかな」
裕翔くんは何やら呟いた後、私を抱きしめていた腕を離して、私の頬に手を添えた。
お互いの顔がゆっくりと近づいていき、やがてその距離は0になる。お互いの吐く息が、鼻筋にあたる。そして、2人の唇が重なった。
「んっ、…ふっ……ぁあ……っ」
深いキスに息が続かなくなって、少しだけ口を開ける。すると、その口の隙間から裕翔くんの舌が入ってきた。唇を離そうとしても、裕翔くんの腕が私の腰に回っていて、到底敵わない。
何度も何度も、違う角度から深いキスが降ってくる。もう限界、というところで裕翔くんの胸板を叩いた。
「ん、もう限界?俺はもっとしたいのに」
そう言って、裕翔くんは意地悪く笑った。綺麗な顔がまた近づいてくる。
「ちゅっ」
最後は、触れるだけのキスだった。
裕翔くんは私の背中に手を添えて、車のドアを開ける。まるで、王子様にエスコートしてもらうお姫様になったような気分で、すごくドキドキした。
「段差、気をつけてね」
裕翔くんの手に自分の手を重ねる。本当に、裕翔くんは優しすぎる。1つひとつの動作が、言動が、私のことを大切にしてくれているって教えてくれる。
「ふふっ、ありがとう。裕翔くん!」
「ん?何が?当たり前のことをしているだけだよ」
裕翔くんは、私がお礼を言う意味が分からない、というような表情をして不思議そうにしている。
こんなことを普通に出来る人、中々いないだろうなあ。私はそんな幸せに浸りながら裕翔くんの車に乗り込んだ。
私がシートベルトを締めると、裕翔くんはゆっくりと車を運転し始める。運転している裕翔くんを見るの、久しぶりだな……。いつもは、車で行ったら早く着いてしまうからといって歩いて帰るのに、今日は違うみたい。
裕翔くんは、朝と同じ黒いシャツの上に上質なスーツを着ている。裕翔くんの長い脚に似合う、スーツのパンツ。
「裕翔くん、これからどこかに行くの?」
「うん。……ああ、桜十葉にはまだ言ってなかったね。今日は、ずっと俺の側にいて」
「?…うん。それで、どこに向かってるの?」
私の質問に答えない裕翔くんの横顔をちらりと見つめる。
もう学校からは遠ざかり、裕翔くんの家がある方向とは逆方向へと車は走行している。
「んー、着いてからのお楽しみ」
朝、言っていたことと関係しているのかな?今日は、グループの集まりがあるから、そこに私も一緒に来てほしいと裕翔くんが言っていた。
私は、これまでもあまり裕翔くんの暴走族の仲間達と関わる機会が少なかったから、分かることは少ない。ここは、何も聞かずにいるのが一番だろう。
車で走ること1時間。辺りの風景は、私の住む街とはすっかり変わっていて、高い建物やビルが見当たらない。でも、バリッバリの田舎というわけでもなさそうだ。
「裕翔くん、こんなに遠い所でグループの集まりがあるの?」
私の質問に、裕翔くんが首を縦に振る。
「そうだよ。でも、今日は集まりというよりは特攻、かな。それより桜十葉はバイクの後ろに乗ったことはある?」
裕翔くんはこちらを向いて、ニヤリと笑う。
太陽があと少しで沈み終わる。辺りはもう暗くて、明かりがないと歩けないというくらいに闇が深まっている。
「ううん。乗ったことない」
もしかして、裕翔くんの乗るバイクの後ろに乗せてもらえたりするのかな?そう考えて、少しわくわくとした気持ちになる。
「でも、特攻なら私達の街でも出来るのに、なんで?」
「桜十葉が住む街を、綺麗なままにしておきたいから」
憂いを帯びた裕翔くんの横顔。スーツ姿で、高級そうな黒色の車を運転する大人の男の人。
裕翔くんが、私の手を運転していない方の手で優しく握った。その横顔は、すごく綺麗で、すごく優しくて、すごくかっこよくて。
夜闇に溶けて、消えてしまいそうなほど、儚い。なんて、思った。私の手を握る裕翔くんの手は、すごく温かくて安心する。裕翔くんが、私の隣で生きていてくれている。私の側に、いてくれている。
それだけで、私はもう十分なんだ。十分すぎるくらい、裕翔くんには沢山のものをもらっている。
優しく拾って、どこかに閉まっておかないと、裕翔くんからの贈り物はすぐに消えてしまいそうな気がする。
「綺麗なまま……」
「うん、そう。桜十葉の街を、暴走族なんかで汚(けが)してしまいたくなんかない」
そんなところまで、裕翔くんは考えてくれるのか。その事実に、心臓がドクン、と鳴った。
そのまま、車は走行し続ける。私達は、お互い無言だった。いつの間にか、私はその静けさの中、眠りについていた。
眠りから覚めた時には、私はどこかの部屋のソファの上にいた。
「桜十葉、起きた?」
「ん、……んん」
目をゆっくりと開けると、目の前には裕翔くんの整った顔。と、2人の慣れない顔。
「あ、桜十葉ちゃんおはよう」
「ふぅ、やっと起きたのか」
「桜十葉の名前を気安く呼ぶな」
「うわ、裕翔マジかよー。余裕ねぇ男は嫌われるぞ!」
「そうだぞ、裕翔」
「はあ、お前らなぁ……」
目の前で繰り広げられる会話の嵐。何だか、入っていける雰囲気ではない。裕翔くんの隣りにいる人達は、前に会ったことのある人たちだった。
「桜十葉ちゃん!俺、來翔!俺のこと覚えてくれてる?」
「俺は滉大だ。よろしく」
金髪の髪色の人は來翔さん、暗めの青髪の人は滉大さんだ。一番はやっぱりずば抜けて裕翔くんだけど、二人もすごく綺麗な容姿をしていた。
來翔さんの右の耳には、髪色と同じ金色のピアスが光っている。
滉大さんの耳にはピアスの穴はなく、変わりに首に藍色のネックレスをつけていた。來翔さんは、明るめの色が好きで滉大さんは暗めの色が好きなのかもしれない。
じゃあ、裕翔くんの好きな色は何だろう?
「よ、よろしくお願いします……」
思わず背中が縮みこむ。この部屋には、KOKUDOの総長様、副総長様、そして壱番隊隊長の3人が勢揃いしているのだ。萎縮もしてしまうのも当然だ。
「桜十葉。今からは桜十葉に着替えてほしい洋服があるんだけど、嫌じゃない?」
裕翔くんが私の前まで歩いてきて、ソファの前に跪くようにして座る。裕翔くんと視線の位置が同じになる。
「う、うん。別に大丈夫だよ。どんな服?」
「來翔、あの服を持ってきて」
「はいはーい。もー、全く。人使いが荒いんだから!」
裕翔くんは、來翔さんにそう命令のように言い、楽しそうに笑っている。來翔さんは部屋を少しの間出て行って、またすぐに戻ってきた。
手に持っていたのは、────黒色のワンピース。
袖やスカートには、金色の糸で蝶の刺繍が巧みに描かれている。キラキラとしたパールや真珠も縫われていて、すごく綺麗だった。
スカート丈は長く、ワンピースだけどドレスにも見える。そのワンピースがとても高価なものだと、一目で分かってしまう。
「ひ、裕翔くん?こんなに高そうなもの、さすがに着れないよ…」
私がこれを着るのを、遠慮してしまう。何だかすごく申し訳ないのだ。
「大丈夫、そんなに高いものでもないから。俺が桜十葉に着てほしくて、特別に作ってもらったものだからね」
「な、何円くらいなの……?」
ドクドクと血が激しく脈打つのを感じる。何だか、すごく嫌な予感がする。
「んー、それはちょっと言えないかな。でも、これ着てほしい。お願い、桜十葉…?」
大人のお兄さんが、両手を合わしてお願いしますのポーズをしてくる。子犬のような瞳を向けられて、思わずうっ、となってしまう。
「桜十葉ちゃん。このワンピ、裕翔が桜十葉ちゃんに着てもらうのすごい楽しみにしてたんだよ。もちろん俺も見たいけどっ!」
「だから名前で呼ぶな」
來翔さんがそう私に教えてくれる。裕翔くん、私が着るのを楽しみにしてくれてたんだ……。それなら、着てみようかな。
「裕翔くん。これ、ありがとう。似合うか自信ないけど、着てみる!」
せっかく裕翔くんが私に着てほしいと言ってくれたワンピースだもん。裕翔くんに、この綺麗なワンピースを着た私を見てほしい。
「本当に?すごい嬉しい」
「うわ…裕翔、すごい顔」
滉大さんが半ば引いたような顔をする。私はその反応が不思議で、首を傾げる。だって裕翔くんはいつもこんな感じだから。嬉しい時は、すごく優しい顔をするし、楽しい時は本当に満面の笑みで笑うのだ。
「総長様ってのはなぁ、好きなもんを存分に甘やかしてやりてぇもんなんだよ」
裕翔くんの見たこともない表情に、半ば引いている2人に向かって、裕翔くんはニヤリと笑った。
その表情は、悪魔のようで心臓が思わず跳ねた。
裕翔くんは、あまり汚い言葉を話さないからすごく新鮮だ。そういう素の姿を見れるのも、すごく嬉しい。
「じゃあ桜十葉、この部屋出てすぐ右に小さめの部屋があるからそこで着替えておいで。俺達もちょっとここで着替えなきゃいけないから」
「うん。分かった!」
裕翔くんは私の頭を優しく撫でて、立ち上がった。私もそれに続いて立ち上がった。裕翔くんは、來翔さんから黒色のワンピースを受け取り、私と一緒に部屋を出た。
どうやら、私が着替える部屋までワンピースを持ってきてくれるみたいだ。優しいな……。優しくて、胸がぽわん、と温かくなる。
今まで居た部屋を出てすぐ右に、裕翔くんが言っていた部屋の扉があった。裕翔くんはその扉を開けて、私の背中を優しく押した。
「じゃあ、ここで着替えてね。はい、これ」
「うん!ありがとう、裕翔くん」
裕翔くんからワンピースを受け取って、満面の笑みでお礼を言う。すると、裕翔くんはとても嬉しそうに笑って、私のおでこに優しく口づけをした。
最後に頭を撫でられて、裕翔くんは部屋から出ていった。
私は部屋の扉の鍵をして、ワンピースを衣装ケースの中に掛ける。条聖学院の深めの赤色をしている制服を脱いで、肌着だけの状態になる。
ワンピースを着る時、もう一度だけ躊躇してしまったけれど、意を決して袖を通した。着てみると、私にすごくぴったりだ。
ウエストがしっかりと分かるワンピースで、スカートがふわっとしていて本当にドレスみたいだ。
でも、思った以上に胸元が開いたドレスだ。肩が出るようになっている作りのようで、冬に着るには少し肌寒いかもしれない。
「私、このワンピース似合ってるのかなぁ……」
こんなにも大人の色気というものが漂うワンピースを私が着て、本当に大丈夫かな?おかしくないのかな…?
蝶の模様が適度に縫われているが、それだけでなく、よく見ると小さな花の飾りが所々で光っている。
私は不安な気持ちを抱きながら部屋の扉を開けた。部屋を出てすぐにさっきまで私がいた部屋があり、そのもう少し先には広々とした大広間のようなものがある。
天井はすごく高くて、そこから豪華なシャンデリアが吊るされている。やっぱり、裕翔くんはお金持ちなのかな……?
私ばかりがもらっていて申し訳なく思ってしまう。
「「「「桜十葉様!!!!今日は坂口様とのご同行、お喜び申し上げます!!!!!!」」」」
大広間に恐る恐る顔を出した、その時───。
私はいきなりの大きな声に体をビクッと震わせ、心臓が縮まるのを感じた。
「へっ……!?」
あまりの驚きに変に抜けた叫び声を聞かれて、すごく恥ずかしい。
「ごめん、桜十葉。驚かせた?」
裕翔くんが暴走族の部下の人達が作った道から私の方へ歩いて来た。
その姿は、まるで、───。どこかの悪役ヒーローのようにかっこよかった。
「かっこいい……」
さっきびっくりしてしまったばかりなのに、裕翔くんのあまりのかっこよさに思わずため息を吐いてしまう。
裕翔くんはさっきのスーツとは違う、黒い服を着ていた。いわゆる、特攻服というものだ。金色の刺繍で、『坂口裕翔 初代黒堂総長』『愛羅武勇』という文字が印されていた。
愛羅武勇は、アイラブユーと読む。I LOVE YOUはロマンティックな言葉のはずだが、『修羅の如く武勇を愛する』というような意味に読めなくもないらしい。
ちなみにこれは、一時期暴走族の四字熟語にハマっていたお父さんが私に力説していた言葉なのだが……。
私が驚いたことに申し訳なさそうにして眉を下げていた裕翔くんが、私が思わず呟いた言葉により驚きを隠せないというような表情になっている。
そして何よりも、さっきから私の体全身に注がれる、裕翔くんの熱い視線が私を落ち着かせてくれない。
変かな?やっぱり、似合わないかな?
こんなに綺麗で可愛いワンピース、やっぱり私が着こなせるわけなんてなかっ……。
「桜十葉、すごく綺麗だ」
裕翔くんが私に近づいて、優しく肩に触れる。裕翔くんの温かい手が私の肌に直に当たって、ドキッとする。
裕翔くんの綺麗な顔が、どんどん近づいてくる。唇が触れ合う後ほんの少しの時、────
「愛してる」
───え?裕翔くんの口から囁かれた言葉。その言葉は、あまりにも重々しくて、裕翔くんの真心だと、言われてすぐに分かる。
「ひ、ひろ……っ。んんっ…」
裕翔くん?と言い終わらないうちに、裕翔くんの唇が私の唇に重なった。それは一度だけでは終わらなくて、何度も何度も角度を変えて落とされていく。
「んっ、……裕翔…く……んぁっ」
裕翔くんの腕が腰に回っていて、ぐっと腕に力を入れる。二人の距離が0になって、お互いの体が密着し合う。後頭部に手を添えられて、深いキスから逃れることは出来ない。
「っ、桜十葉……、離したくない、よ……っ。ずっと、俺だけのものでいて」
裕翔くんは掠れた声でそう言って、私の少し開いた口の隙間から、下を滑り込ませる。お互いの舌が絡み合って、唇が長く触れ合う。
「裕翔くんっ……も、限界…」
「やだ、……絶対に離さないから」
いつものように甘く深すぎるキスをする裕翔くん。でも、裕翔くんがいつもの裕翔くんではないみたい。声も掠れて、キスの合間に見える裕翔くんの瞳は涙で濡れているみたいだ。
「んんっ、ねぇ……裕翔くん…大丈、夫?」
いつもはそんな顔、しないのに。いつもはすごく優しそうな顔をしているのに、今の裕翔くんはすっごく苦しそうだよ。
裕翔くんの涙が伝染して、私まで泣きそうになってしまう。
ああ、私、もうこんなにも裕翔くんのことが、好きになってしまっていたんだ。裕翔くんが泣いていたら、私まで悲しい気持ちになってしまう。私も、泣いてしまう。
裕翔くん。あなたは一体、どんな秘密を隠しているの?それは、私には言えないこと?
私は、裕翔くんが思っている以上に裕翔くんのことが好きなんだよ。それなのに、君は私の愛情を疑ってばかりで、今もまだ、一人寂しい暗い森の中にいるみたい。
私は裕翔くんの両頬を両手で掴み、キスを止める。
「裕翔くんっ!今ここで、全部話して!もう、怖がらないでよ!裕翔くんがまだ私に話せない秘密があって、それを言うことが出来ないのは、私の愛情を疑ってるってことにもなるんだよ!?私を信じてよ、……お願いだから。私はちゃんと、裕翔くんのことが大好きなんだから!!」
「桜十、葉……」
裕翔くんの瞳が限界にまで見開かれる。唇をわなわなと震わせて、必死に涙を堪えようとしている。
「私、言ったよね?もう覚悟出来てるって。私はもう、裕翔くんと一緒に堕ちる覚悟、出来てるの。だからちゃんと、受け止めてあげられる」
裕翔くんの頬に添えていた私の手を、裕翔くんの大きな手が包み込む。私が裕翔くんの涙を優しく親指で拭った後、裕翔くんは倒れるようにして床に座り込んだ。
私も一緒になって、大広間の冷たい床に座り込む。周りには沢山の人がいるのに、私たちはそれにお構いなしだ。
裕翔くんは瞳を伏せて眉を震わせた。
「みんな、少しだけ時間をくれないかな……。特攻を1時間、遅らせてほしい。相手にもそう伝えておいてくれない?」
裕翔くんが俯いていた顔を上げて、みんなの方を向く。
すると、近くで裕翔くんの話を聞いていた滉大さんと來翔さんが真剣な顔をして頷く。滉大さんは黒色の上質そうな特攻服。來翔さんは、背中に白鳥の絵がカラフルな色の糸で縫われた白色の特攻服。
2人とも、すごく似合っている。
「おら、お前らさっさと外に出ろ!!これは総長の命令だ!!!!」
さすが、副総長とでも言うべきか。その威力は凄まじい。特攻服を着た男の人たちは、動きを揃えて素早く退散していく。
滉大さん、すごいな……。
「じゃあ裕翔、ぴったり1時間だからな!あっちは俺たちより弱いから文句言えないだろうけど、さすがに遅れるのは容赦しねぇぜ!!」
「……ああ。分かってる」
來翔くんのいつも通りの明るい声に少しだけ裕翔くんの口が緩む。
2人だけの大広間。しんと静まった空間に、私たちの吐く息だけが響いている。
「桜十葉、ここは寒いから温かい部屋に行こう」
裕翔くんの目は、もう揺れていなかった。何かを覚悟したように、そして何かを諦めたように、真っ直ぐな瞳をしていた。
「う、うん……」
そうして、私たちは暖房の入っている最初にいた部屋に行った。
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