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第4章「大丈夫。ずっと、そばにいるから」

裕翔くんがどんな人でも、私は恐がったりなんて、するわけない 桜十葉side

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あの日の記憶のことは何にも覚えていなくて、でも心にぽっかりと穴が空いているような空虚な気持ちだけは今も残り続けていた。



「桜十葉ー、入るわよー」



人の承諾も聞かずにスタスタと私の部屋の中に入ってきたお母さん。私はそんなお母さんを無視して、ベッドの枕に顔を埋める。



「桜十葉、大丈夫?昨日からずっと元気がないじゃない。急に帰ってきたかと思えば……」



裕翔くんと離れて、今日で2日目。

何だか裕翔くんの事が恋しくて、直ぐに会いたくなってしまうのは私の悪いところだ。



「なーに、裕翔くんと喧嘩でもしちゃった?」


「ううん、……」



私が裕翔くんには考える時間が必要だと直感的に思って、離れただけ。それだけなのに、何だか昨日から不安で不安で仕方ないのは何故だろう。



お母さんなら、裕翔くんのこと、何か知っているのかな。



「お母さん、……裕翔くんってさ。一体何者なんだろう?」



お母さんにそんな事を聞くなんて馬鹿げているとは思ったけれど、それでも聞いてみたくなった。



でも、お母さんは顔を一瞬強ばらせ、私を真っ直ぐに見つめた。



「桜十葉は、まだね……、何も知らなくていいのよ。だから、ちゃんと裕翔くんのそばに居るの。分かった?」



何かを恐れるように。何かを信じるように。

お母さんはいつもとはかけ離れている真剣な顔をして言ったのだ。



私はただ、黙って頷いた。

意味も理由もそんな事、全然分からない。
分からないから、不安になる。
分からないから、怖くなる。



もう、夏休みに入ったというのに私の気持ちは暗いまま。



こんな夏休み、……やだよ。



「よし!今日はお散歩行くついでに買い物して帰ろうか」



そうだった、……。お母さんは今、妊娠中なのだ。お母さんのお腹の赤ちゃんはどんどん大きく成長して、今ではお母さんのお腹はふっくりと大きく膨れている。



でも、そんな事さえも忘れていたなんて、私は本当に裕翔くんの事しか頭になかったんだろうな。



「お母さん、体辛くないの?」


「うん。辛くないよ。優太ね、凄く楽しみにしてるのよ」



そう言ってお母さんは愛おしそうに、まだ見ぬお腹にいる赤ちゃんを見つめた。

私もそんな様子を見て、心が温かくなった。



「よし、じゃあ行こうか」



私とお母さんはお散歩に出かけた。
親子でこうして出歩くなんていつぶりだろう。
相変わらず、一条が、側(そば)で護衛をしてくれていることにも心が温かくなる。



「一条、いつもありがとう」



ちょっと離れている間にまた華やかさとかっこ良さが増したのは気のせいだろうか。



「あ、そうそう。一条くんね、恋人が出来たらしいのよ」


「え!?……ええーー!?」



あまりの事態に私の頭が追いつかない。



「い、一条!恋人って誰?ねえ、教えてよー!」



私の言葉にいつもは冷静な一条の顔が真っ赤に染まる。興味津々な私をお母さんが宥(なだ)めた。



「あ、その……柊(ひいらぎ) はのん様、……です」



え、柊 はのんって私の学校にいたような気がするんだけど、……。

ていうかその子、めっちゃ凄いお嬢様じゃなかった??しかも、真陽くんと同じ苗字……。



「私はもう24歳で、はのん様はまだ15歳なのですが、……」


「え、どうしてそんな凄いお嬢様と恋人になったのっ??というかその子、兄妹とかいたりするの?」


「ええと、……居ないと思いますが」



そっか。じゃあ真陽くんとはのんさんはただ同じ苗字なだけで関係はないんだな。



そしてその後は、一条の恋人の話を私が満足するまで話してくれた。



一条は私の家に仕えているが、もうひとつの柊グループのお嬢様の専属執事でもあったようだ。



そして、そんな柊 はのんさんの事も頬を染めながら沢山話してくれた。

一生懸命に喋る姿が可愛らしいだとか、朝の寝起きが悪い所がとても可愛いとか、キスをねだってくる所がやばいくらいに可愛いとか。



一条の口から出てくる言葉はどれも“可愛い”ばかり。私の口角はどんどん上がっていって、最終的にお母さんに気持ち悪いわよ、とまで言われてしまった。



そっかー、そうだったのか……。

大好きな一条に恋人が出来るのはとても寂しい気持ちになるけれど、仕方がない。



「私、実は自分からはのん様と離れてしまったんです。言い方は少し悪くなってしまうかもしれませんが、私はこの坂口グループに逃げてきただけなのです」


「うん……」


「はのん様と離れてしまってから、ようやく自分にはやっぱり彼女が必要なんだと思いました。桜十葉様の執事として仕えている時も、頭の中ははのん様のことでいっぱいでした」



だから入学式の日のあの時、桜十葉様に危険な目を合わせてしまい、本当に申し訳ありません、と一条は深く頭を下げた。



「えっ!?い、一条、頭を上げて!わ、私もね、その気持ちが分かる気がするの。誰かで頭の中がいっぱいになってるって事はその人の事が本当に好きって事でしょ?そうだったら早くはのんさんの所に戻らなきゃだよ!」



私の言葉に一条の顔がきょとんとなる。



「え、お嬢様、もしかして気になる人がいるのですか!?」



え、……?そういえば私、頭の中でいっぱいになってしまうって事はその人の事が好きって……。



はっ……。



「もしかして、坂口裕翔様でしょうか!?」



っ、……一条、デリカシーが無さすぎるよ。
でも、そういう事になるのかな。

私は、……裕翔くんの事が、……好き。



初めて、認めてしまった気持ち。

今までは気づかないようにして隠してきた気持ちが一気に溢れ出た。



私、裕翔くんの事が好きなんだ……。一条に言われて、初めて気づいた。私はもう、こんなにも裕翔くんに心を奪われてしまっているということを。



突然出会った大人の人。

出会ったその日にいきなりキスをしてくるし、何故か私を愛おしそうに見つめていたあの瞳。



裕翔くんは、私の事を知っていたようだった。
そして、キスやハグを出会った日にしてきた。
まるで、そこには昔の恋人にようやく再会する事が出来た、という気持ちが込められていたように。



でも、まさかだよね……。だって私は裕翔くんの事なんて何にも知らなかったんだもん。



これは私の思い違いなんだろう。



その時になぜだか分からないけれど、モヤッとした霧のようなものが私の頭を支配したようだった。そして、少しだけど、頭痛が起きて頭が痛くなった。



まるで、私が私自身を抑制(よくせい)するように。何かを思い出させないために。



その事実を知ることはまだまだ先のこれからの話。



私はお母さんの買い物を手伝い、家に帰った。



一条は、はのんさんの所へと戻った。

やっぱりちょっと寂しいけれど、一条にもそういう大切な人がいたという事がそれ以上に嬉しかった。



これで、一条とはもう会えなくなる。

でも、一条がはのんさんと幸せになれたらいいな。私に言ってくれていた言葉や心配する顔、本当に大事に思ってくれていた事は多分全部本当の事だろう。



だって一条は、私の前では決して嘘なんて付かなかったから。でも、自分の好きな人に付いてしまうなんて、本当にバカだよ。



一条は不器用な所もあるけれど、とても完璧な執事だった。一条は1ヶ月間、私に全力で仕えてくれていたんだ。



「桜十葉、さっき一条さんと話していた事は本当の事なの?」


「う、うんっ……」


「そう、……裕翔くんが好きなのね。人って同じ人を2回好きになることもあるものなのね……」



お母さんの声が横切る車によって消され、最後の方が聞き取れなかった。



「私、ちょっと公園で休んできてもいい?」


「そう?分かったわ。1人は危ないからちゃんとお手伝いさんと行くのよ?」


「うん、分かってる」



その後、お母さんと家まで帰り、私はお母さんの側近(そっきん)である由美子(ゆみこ)さんというお手伝いさんと公園へ出かける。



「由美子さん、私に付き合ってくれてありがとうございます」


「いえいえ、満足するまで公園に居ていいですよ。私が着いていますので。あと、専属部隊も近くに呼んでおりますので」



そ、そんな大袈裟な……。でも確かに日が傾きかけてる頃は少し危ないよね。



私が行きたいと言っていた公園は家のすぐそこにある小さな公園だ。

昔、よく誰かと遊んでいたことだけがこの公園の思い出だ。



私は公園に入り、近くにあったベンチに座る。



「あの、大変恐縮ですがお手洗いに行って参ります。すぐに戻りますので」



私は快く了承し、夕方の公園を見つめる。
夕日が遊具に差して、とても綺麗……。



がたっ……。



後ろで何か物音がした。
そして、



「おと、は……?」



その声に私の心が温かくなる。まさか、こんな所で会えるなんて。



「裕翔くんっ……!」


「桜十葉、どうしてこの場所にいるの?ねぇ……」


 
裕翔くんはなぜか目を見開いたまま、私を見つめていた。



どうしてって……、



「なんかね、来たくなっちゃったの。体が勝手に動いた。ここの公園ね、昔誰かと遊んでたんだよね……。でも誰だったんだろ……」



っ……!目の前に甘い香りが広がる。



いつの間にか、私は裕翔くんの大きな腕に包まれるようにして抱きしめられていた。

私は不思議に思いながらも裕翔くんの背中に手を回した。



「裕翔くん……?大丈夫?」


「っ……、ちょっと大丈夫じゃないかも。だからもう少し、……このままでいさせて」



裕翔くんが私の首元に顔を埋める。そして、顔をゆっくりと上げ、私にキスをした。



柔らかくて甘い感触が唇に伝わってくる。

噛み付くような強引なキスじゃなくて、とても優しい触れるだけのキス。



裕翔くんは何度も何度も角度を変えて、優しく私の唇に自分の唇を重ねる。

お互いの愛を、確かめ合うように……。



そして、唇がヒリヒリとしてしまうくらいキスをした後、裕翔くんはもう一度私を抱きしめた。



「俺さ、言わなきゃいけないことがあるんだ。この2日間、ずっと考えてた」


「うん、……。裕翔くん、こっちを見て?」



私の首元に顔を埋めながら喋っていた裕翔くんの顔を私の顔の方に向かせる。

私は裕翔くんの目を真っ直ぐに見つめ、続きを待つ。



「俺の家は、代々───、ヤクザの家系なんだよ。そして俺は、……っ、そんな坂口グループの組長の息子なんだ」



裕翔くんの言葉があまりにも予想していたものとは違っていた事にとても驚いた。それと同時に、いつかの昔に、すでに聞いていたような気がするのは、なぜだろう。

不思議で、不思議すぎて、その真相は遠ざかっていくばかりだ。



「そして俺は、今でも黒堂の暴走族の総長、……をやっている」



こ、黒堂……。総長……?

裕翔くんの口から出てくる言葉が私の知らない言葉ばかりで、動揺してしまう。



でも、それ以上に……。辛かったんだね、裕翔くん。
裕翔くんを全部、受け入れたいと思う気持ちが膨らむ。目の前の存在が、どんどん愛おしいものに変わっていく。



「俺の事、……怖くなった?」



裕翔くんの声がとても震えている。
私は裕翔くんの震える体をギュッと抱きしめた。



「っ、…バカだなぁ裕翔くんは。本当に、バカだよ」



裕翔くんは、わけが分からないという顔をして、瞳を揺らがす。私は、裕翔くんのサラサラな髪の毛を力いっぱい撫でた。本当に、バカだよ……。私の気持ちも知らないで。



「そんな事ない。だって、ヤクザの息子だろうが、暴走族の総長だろうがそんな事、私にはどうだっていいもん。裕翔くんは、裕翔くんなんだから」



そう。裕翔くんは誰よりも強くて、優しい人。

ヤクザと聞いたら、何だかすごく怖いイメージがあるけれど、そんな事で裕翔くんを怖がる理由なんてどこにもない。



「っ、……おとはっ」


「裕翔くんがどんな人でも、私は恐がったりなんて、するわけない」



裕翔くんの瞳から、1粒の涙が流れる。
私はその涙を優しく拭った。



「大丈夫。ずっと、そばにいるから」



私はそう言って、裕翔くんのことをもっと強く抱きしめる。



「裕翔くん、……。私もね、言いたいことがあるの。私、裕翔くんの事が……大好きだよ」



気付かないふりをして、ずっと心の奥に隠してきた気持ち。こんなにも人を愛おしいと思ったのはあなたが、初めてなんだ。



だから、何度でも伝える。
あなたを愛している、と。



✩.*˚side end✩.*˚

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