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26 重なり合う二人……②

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 このままじゃまずいということは分かっていた。
 走り去る黒宮を目で追いかけながら、俺は一歩目を踏み出せずにいた。
 追わなきゃいけない。
 そんなことは言われずとも分かっている。
 それでも、足は動かない。

 どうしてか。――答えは分かってる。
 それが動機であってはいけないと、俺は知っているからだ。
 ただ、呼び止めるんじゃなくて。
 ただ、引き留めるんじゃなくて。
 もっと明確な答えが必要なんだ。
 俺にはそのための、言葉が紡ぎ出せない。
 だから俺の足は、地面に縫い止められていた。

「……もうっ! 白里くん! 何やってるの!!」
「白鷺……ッ?! どうしてここに……?」
「良いから走る! 言い訳は走りながら聞くから!」

 そんなふうに背中を押され空き教室からつまみ出された。
 ぶるぶると震えるケータイ。白鷺からの着信だ。

 とりあえず走りながら応答する。
 矢継ぎ早に声が飛んでくる。白鷺からの指示だ。

『姿は?! 見える?!』
「見えない! 何処に行ったんだ!?」
『そんなのは走りながら考えなさい!』

 俺は学園祭が始まったばかりの、賑やかな校内を走り抜ける。
 女の子同士の集まりを避けて、馬鹿っぽい男子の群れを突き飛ばし、親子連れに頭を下げながら、とりあえず正面へ走り続ける。

『……どうせ、またつまらないこと考えてたんでしょ』
「はぁ? つまらないことって、なんだよ!」
『理由も分からないのに追いかけてもしょうがないとか。何て声を掛ければ良いのか分からないとか』
「うぐ……」

 完全に図星だ。幼馴染みとはいえ、的確過ぎはしないか。

『理由なんてどうでもいいでしょ? 男女関係を避けてた白里くんには分かんないしね、どーせ』

 呆れたような声音が返ってくる。
 それについては、俺はなんとも返せない。
 覚悟も甲斐性もなければ、貝のように閉じ籠もるべきだ。
 その考えは、それほど間違ってはいないはず。……そうだよな?

『なんて言えば良いか? そんなの走りながら考えなさいよ! 今まで散々待たせたんだから、四の五の言ってる場合じゃないでしょ!』

 横暴というか滅茶苦茶というか。ここに来てこいつの意見は意味が分からん。
 どうして白鷺が、俺を助けてくれるんだ?
 どうして黒宮との関係を後押ししてくれるんだ?
 どうして状況を理解してるんだ? しかも俺より正確に。

『見えた! そのまま中庭へ向かって!』

 どうやら司令塔は想像以上に優秀らしい。
 俺への罵倒だけでなく、索敵まで行ってくれているらしい。……いや、敵ではないけど。

『どうして敵に塩を送るのかって? そんなの教えてあげないよ。君にだけは、絶対にね』

 中庭へ向かう渡り廊下を抜けて一般校舎へ。
 廊下を曲がって外へ出れば中庭だ。もう少しで追いつく。

『もう、分かってるんでしょ?! 君には、黒宮さんしかいないんだから!』

 ケータイの向こうからは、そんな意味ありげな声が聞こえた。
 真意を問おうにも、息が保たない。
 俺は肩で息をしながら中庭に辿り着く。
 葉っぱだけの桜の木の下、黒宮が立ち尽くす。
 俺はその背に、追いついた。
 電話は、いつの間にか切れていた。
 確かに、もう必要ない。
 ここからは、あいつのアシストは必要ない。
 必要なのは言葉。
 俺が、俺だけで紡いだ言葉。
 俺の心。俺の気持ち。
 それだけで良い。それだけで良かったんだ。

「おい、待てよド変態娘。初めから何もかも狂ってたお前が、今更乙女チックな反応を見せるんじゃねえ」

 黒宮がビクリと肩を震わせた。
 もう、止まらない。脈絡もなく吐き尽くすだけだ。

「最初は意味が分からなかったよ。お前の好感度を稼いだつもりなんてなかったし、興味もなかった。ただの背景でしかなかったんだ」

 その背は、小さい。細い。ともすれば、簡単に頽れてしまうような容貌だ。

「だけど、分かったんだ。それがこいつに存在する精一杯の感情なんだって。狂ってるし、気味が悪いけど、それでも曇りっけひとつない湧き出る感情そのものなんだって」

 いつからだ。それが当たり前になったのは。当たり前の風景として、なくてはならない存在になったのは。

「誘惑されるたびにドキドキして、ソワソワして……。俺にはこんな感情、似つかわしくないはずのものだったのにさ」

 黒宮の髪が、風に揺られる。白い頬がちらりと垣間見える。

「ようやく分かったんだ。俺にも、資格とやらはあったんだ。当たり前の、普通の人みたいに、人を好きになっても良かったんだ。お前を拒絶しなくても良かったんだ」

 後になって思えば、笑い話なのかもしれない。
 拗らせただけの青臭い悩みだったんだなって。

「なぁ、黒宮。今なら言えるぞ。ようやく、覚悟が決まったんだ」

 いつか今日の日のことも笑って話せる日が来る。
 昔のことも、今は無理でも、そのうち、きっと……。

「熱いパトスが俺に命じるんだ。俺はお前の全てを知りたい」

 ああ……。でも、頼むからこの瞬間の俺の顔だけは話さないでくれ。
 これだけは本当に、死ねる気がするからさ。

 振り向いた黒宮の顔がどんな表情だったかって? それは俺の胸の中だけに秘めさせてくれ。
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