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第三話
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七年前の四月、第一志望にしていた喜志芸術大学の美術学科に落ち、滑り止めとして受けていた第二志望のキャラクター造形学科に入学した。絵が描ければいいと思って受けてただけだから、マンガもアニメもそんなにわからない。入学時のモチベーションは低かった。まだ卒業式のことを引きずっていて、気持ちは常に底。だけど、何もうまくできないオレにはとにかく大学卒業したという証明が必要だった。証明を得るためだけに通う。ただそれだけの四年間を過ごすつもりだった。
昼休み、外のベンチに座り、おばあちゃんが作ってくれたお弁当をつついていた。昨日の晩ご飯の残りの筑前煮やほうれん草の胡麻和え。横に入っているたまごやきに汁が染みている。全体的に茶色っぽいが、白米の上にかかっている桜でんぶのおかげで華やかだ。一人で過ごす大学生活でおばあちゃんのお弁当を食べるこの時間だけが一番の癒しだった。
一口一口味わっていると、突然、男が一人やって来た。中肉中背で、茶色に染めた髪はくせ毛。毛量が多く、アフロとまではいかないけど、鳥の巣のように盛り上がっている。背負っていた黒いケースから出て来たのはアコースティックギター。軽くチューニングし、音を確認すると弾き語りし始めた。
それがソウタ、綾女草太だった。
あの日何歌ってたっけ……? ああ、フジファブリックの『虹』だ。おばあちゃんがいつも聴いてるラジオからよく流れていたから知ってた。あの頃のソウタは今より歌も演奏も下手で、通りがかる人にくすくす笑われたり、邪魔だと言いたげに白い目を向けられたり。それでも歌い続けるタフさに驚きながら、お弁当を食べ終わる。すると、歌い終わった男は急にオレの方に駆けてきたのだ。
「俺、綾女草太! バンドやらねぇ?」
慌てて周りを見る。他の人に言っているのだと信じたかったが、他に誰もいない。
「一目見て、ビビッと来た! 俺とお前なら絶対売れるバンドになると思うんだけどどうかな?」
「や、やらない」
「えー! なんで」
なんでと言われても、急にそんなこと言われたら困惑するに決まっている。それ以上は何も言わず、荷物をまとめて慌てて逃げた。
翌日も翌々日も……毎日ソウタは昼休みになると同じ場所で歌っていた。斉藤和義とかアジカンを歌ってる日もあれば、全部英語の歌詞の、たぶん洋楽であろう曲を披露したり。日を重ねると、少しずつ足を止めて聴いていく人が増えていた。演奏より、その場の雰囲気で話す台本のないトークや、何度も来てくれた人を覚えて声をかけるとか、そういう細かいところでファンを増やしたように思う。
彼に見つからないように陰に隠れてこそこそ食べても、いつも見つけられ、絡まれる。あまりにもしつこいから、
「そうやっていきなり誘うのはどうかと思うよ」
と勇気を出して忠告をしてみたら翌日からは、
「今日もいい天気だ~。ランチ日和だな?」
「メガネかけはじめたのか。似合ってんじゃん」
と日常会話を挟んでから、勧誘してくるようになった。気がつけば、隣に座って、一緒に昼ごはん食べ始めたり……。高校三年の春、ララちゃんと初めて会った時のような感覚と似ていると、今は思う。
文芸学科所属で、音楽も本も好きというソウタは、オレの知らない世界をたくさん知っていた。ちょっと興味を示せば、「貸すわ」と言って半ば無理矢理マンガやCDを持って来る。「貸してもらったし……」と試しにページを開き、あるいはCDプレイヤーで再生すると、雷が落ちたような衝撃が身体を貫き、新しい世界が手招きする。知らないを知っていく感覚がたまらなく爽快だった。絵を描くのが楽しくなって、油絵以外の水彩画やカラーペン、デジタルイラストにも挑戦するきっかけをくれた。
感想を伝えると、ソウタは「良かっただろ~? オレの勘は間違ってなかったぜ」とニヤニヤと笑う。オレはバンド加入を断ってるのに、アイツはそれでもオレと話してくれるし、物を貸してくれる。もうよくわかんない関係だなと思いながら、数か月が経った。
「なぁ、やっぱり俺とバンドやらね?」
「やらない」
服装が半袖になって、強い日差しと徐々に大きくなり始めたセミの声にうんざりする日々が続いても、オレとソウタはこの会話を繰り返していた。
「別に楽器はなんだっていいんだぜ?」
「って言われても。ピアノは最近弾いてないし……」
「ピアノ弾けんの?」
「言ってなかったっけ?」
「初耳!」
「ちょっとだけだけどね……」
お父さんが亡くなった後、生活費と通院費のために、お母さんはピアノを泣く泣く手放してしまった。気がつけば手元に紙とペンさえあればすぐに描ける絵の方が好きになっていた。
お父さんと過ごした日々はお母さんに比べて短い。それでもお父さんの伴奏で一緒に童謡を歌ったことや、お母さんの誕生日にクラシックの曲を披露していた姿がかっこよくて忘れられない。次に鍵盤に触れるなら、お父さんみたいに弾いてみたいものだと空想の中で自分の姿を描いてみたことが何度もあった。だけど、なれそうにはない。もう見ることが出来ないお父さんの背中はあまりにも大きすぎる。
「弾いてないならもう一度始めるチャンスだろ? それに、バンド始めると良いことがある」
「なに?」
「モテるぜ」
答えに肩を落とす。心のどこかで良い答えを期待したオレがバカなんだけど。
「モテなくていい」
「せっかく注目されるってのに」
「でも、それは人気出たらの話でしょ」
「絶対人気バンドになるって! だからこうしてそのバンドにふさわしいと直感で感じたお前に声かけてんだよ」
「オレをどうしてもバンドに入れたいから、一緒にご飯たべたり、本やCDとか貸してくれるの?」
「ん? いやそれは関係ねぇよ。ただ話してておもしろいから」
「ふーん」
ソウタの近くにぞろぞろとファンが歩いてくるのが見える。十二時半がライブ開始時間としてファンの間で定着し始めていた。
「さて、そろそろ今日もライブしてくるわ」
「頑張って」
オレが立ち上がると、ソウタはアコースティックギターを肩から掛けた。
「なあ」
「ん?」
「冗談では誘ってないからな。もし、お前とバンド組めたら楽しいだろうなって真剣に言ってるから。いつでも返事待ってる」
教室に向かう途中にあるベンチで座る。いつも通り、早くクーラーの効いた教室で昼寝してる方が良いのはわかってるけど、目が冴えていた。
ソウタの直感に従ってまっすぐ生きる姿勢に気持ちが揺らいでいる自分がいる。
実際、オレはピアノ弾けるし。何年も触ってないけど、身体が覚えていると、なぜか強い自信があった。バンドをするうえで鍵盤は、オレの存在は要らないなって思ったなら、辞めればいい。それに、
「せっかく注目されるってのに」
さっきソウタが言った言葉。さっきはさらっと流したけど、もし注目されたなら、もしかしたら、キムキムに気づいてもらえるかもしれない。もう一度彼女に再会できたならなんて、「もしも」が浮かんでは消える。もう会えるわけないのに。だけど見つけてしまった、残されたわずかな可能性のためなら、オレは――。
翌日の昼休み、
「ねえ」
「おぉ? お前から声かけてくるとか初めてじゃん。どうした?」
「ちょっと思うことがあって、その、バンドやってもいいかなって」
自分から何か輪に入れてもらうお願いを言うのは初めてだった。握っている拳は汗ばみ、少し震えている。
「ま、マジ?」
「うん」
「冗談じゃなく?」
「からかってない」
オレの答えを聞いたソウタの目が輝きだす。
「じゃ、連絡先交換しようぜ」
「あ。オレ、スマホもケータイも持ってない」
「はぁ~⁉ じゃあ、今度会うまでに買っとけよ」
「別に使わないし、友達もいないから」
そう言うとソウタは首を傾げる。
「俺、友達じゃないの?」
「え? だってオレ、自己紹介もまだしてないし……」
「でも、いつも一緒だったじゃん」
「いつもって昼休みに会うだけだけど」
「物の貸し借りなんか信頼関係がないとしねぇじゃん」
「信頼してくれてたからいろいろ貸してくれたの?」
「当たり前だろ? 信頼してるから……って、お前冷たすぎんだろ!」
頬をつねられた。どうしてだろう、不思議と痛くはない。
「とにかくスマホは友達兼バンドメンバーの俺と連絡とるのに必要。な? 持つ理由はこれで出来たはずだぞ」
「わかった、どうにかする」
「じゃあ、これから俺たちは友達であり、『黄色いフリージア』のメンバーだから」
「黄色い……ってなに?」
「バンド名だよ」
「一人しかいないのにもうバンド名あったんだ」
「メンバーが一人でも増えたらバンド名は絶対いるだろ? なっ、なんだよ。悪いか?」
後日、買ったばかりのスマホを手に、背中にはソウタの家で眠っていたキーボードを背負い、二人揃って軽音サークルに入った。
歓迎会で、後輩を無下に扱う先輩にソウタがキレて、強制退部。仲介に入ってくれた高野慎二先輩……コウノさんも巻き添えを食らってサークルも所属していたバンドからも辞めさせられた。
一週間後、空きコマで、ソウタと学食で駄弁っているとコウノさんがふらりと現れた。コウノさんはガタイが良く、その上、当時からスキンヘッド。黙っているとただただ怖かった。怖く固い表情で奏でるベースの音は一定で乱れがなく、心地よい。あの人のベースは素敵だとソウタと話していた。
普段あんなに明るくうるさいソウタも黙りこんで何も言わない。かといって、オレもこんな時なんて話し始めればいいのかわからなかった。おろおろと視線を動かしていると、コウノさんが勢い良く頭を下げる。あまりの勢いにテーブルに額を打ち付けるかと心配になったくらいだ。
「悪かった」
「「え?」」
「前々からあいつらのやり方にはちょっと思うことがあった。だけど、新入りのお前らが注意するまで見てみぬふりをしていた。すまん」
「いや、でも、コウノさんはなにも悪いことなんて」
「俺はあいつらのバンドのメンバーだった。だけど、後輩のこともそうだし、音楽についてもどれだけ気に食わなくても意見したことがなかった。こんなみてくれなのに何の勇気もないことを改めて恥ずかしい限りだ。自分を見つめなおすいい機会になったように思う」
コウノさんは頭を上げると、前に座るオレたちの顔をすっと見据えた。
「サークル辞めれてよかった。ありがとう」
「お礼を言われるようなこと……あの、コウノさんはこれからどうするんですか?」
「え? お前らのバンドに入れてくれないの?」
オレとソウタは思わず顔を見合わす。
「むしろいいんですか? 俺のせいで……」
「だから、お前のおかげで目が覚めたんだよ。こんな自分じゃだめだって。お前はある意味恩人だ。それに、あいつらと音楽やるより、お前らと新しくやる方が収穫ありそうだし」
コウノさんは、バンド活動初心者だったオレたちにイロハを教えてくれた。顔は怖いけど、本当に優しい。頼れるお兄ちゃん的存在だ。
ほどなくして、ドラムがいないと聞きつけ、「久しぶりにドラムやりたいから」と半ば無理矢理入って来たのがオヤジさん。未だにソウタが「恥ずかしいから」を理由に「サポートドラム」扱いにされているけど。昔バンドをいくつか掛け持ちしていたこともあり、どんな楽曲でも完璧に叩ききる。コウノさんとの息もぴったりで、リズムが狂うことがまずない。もちろん本業の写真の腕も素人のオレが見てもそのすごさがわかる。
同じ時期に、モデル業を引退して暇をしていた麗子さんが「芸能事務所作っちゃお」とノリで立ち上げてしまったのが芸能事務所「ワンロード」。芸能事務所のゲの字もわからないまま出発したが、オヤジさんと麗子さんが以前仕事でお世話になった業界の人たちが助けてくれた。昼休みライブを通じてできたファンのみんなも、ライブハウスにも足を運んでくれ、自主制作CDも買ってくれた。そのおかげで、トントン拍子でメジャーデビューまで漕ぎつけた。嬉しい反面、インタビューで「デビューするにあたって苦労したことは?」と訊かれるとソウタは若干苦笑いしつつ、「それがないんですよねー」と正直に答えている。
大学時代に出会って、バンド「黄色いフリージア」を組んで、卒業した後も活動続けて、デビューして。こんな長い付き合いになるとは思わなかった。ソウタは同い年だけど、学科が違う。コウノさんにいたっては、学年も学科も違う。それでも、オレたちは音楽でつながってるんだなぁって思う。
まだうなだれている二人に向かって、
「オレ、ララちゃんが世界一好きだけど、みんなのことも好きだから」
そう言うと、二人はキョトンとした表情でオレを見た。
「おいおいタイスケ急にどうした?」
「体調悪いのか?」
「違う。いい機会だから。いつもありがとう、これからもがんばろうねって言いたくなった」
「そんなこと言うなよ。涙が出る」
「コウノさんが泣いちゃったらダメっすよ! 俺も泣けてくる」
「そんなに?」
ノックの後、扉が開いた。オヤジさんが顔をのぞかせる。
「三人とも待たせたね。ララちゃんの準備出来たから……ってなんで二人は泣きそうなんだ?」
昼休み、外のベンチに座り、おばあちゃんが作ってくれたお弁当をつついていた。昨日の晩ご飯の残りの筑前煮やほうれん草の胡麻和え。横に入っているたまごやきに汁が染みている。全体的に茶色っぽいが、白米の上にかかっている桜でんぶのおかげで華やかだ。一人で過ごす大学生活でおばあちゃんのお弁当を食べるこの時間だけが一番の癒しだった。
一口一口味わっていると、突然、男が一人やって来た。中肉中背で、茶色に染めた髪はくせ毛。毛量が多く、アフロとまではいかないけど、鳥の巣のように盛り上がっている。背負っていた黒いケースから出て来たのはアコースティックギター。軽くチューニングし、音を確認すると弾き語りし始めた。
それがソウタ、綾女草太だった。
あの日何歌ってたっけ……? ああ、フジファブリックの『虹』だ。おばあちゃんがいつも聴いてるラジオからよく流れていたから知ってた。あの頃のソウタは今より歌も演奏も下手で、通りがかる人にくすくす笑われたり、邪魔だと言いたげに白い目を向けられたり。それでも歌い続けるタフさに驚きながら、お弁当を食べ終わる。すると、歌い終わった男は急にオレの方に駆けてきたのだ。
「俺、綾女草太! バンドやらねぇ?」
慌てて周りを見る。他の人に言っているのだと信じたかったが、他に誰もいない。
「一目見て、ビビッと来た! 俺とお前なら絶対売れるバンドになると思うんだけどどうかな?」
「や、やらない」
「えー! なんで」
なんでと言われても、急にそんなこと言われたら困惑するに決まっている。それ以上は何も言わず、荷物をまとめて慌てて逃げた。
翌日も翌々日も……毎日ソウタは昼休みになると同じ場所で歌っていた。斉藤和義とかアジカンを歌ってる日もあれば、全部英語の歌詞の、たぶん洋楽であろう曲を披露したり。日を重ねると、少しずつ足を止めて聴いていく人が増えていた。演奏より、その場の雰囲気で話す台本のないトークや、何度も来てくれた人を覚えて声をかけるとか、そういう細かいところでファンを増やしたように思う。
彼に見つからないように陰に隠れてこそこそ食べても、いつも見つけられ、絡まれる。あまりにもしつこいから、
「そうやっていきなり誘うのはどうかと思うよ」
と勇気を出して忠告をしてみたら翌日からは、
「今日もいい天気だ~。ランチ日和だな?」
「メガネかけはじめたのか。似合ってんじゃん」
と日常会話を挟んでから、勧誘してくるようになった。気がつけば、隣に座って、一緒に昼ごはん食べ始めたり……。高校三年の春、ララちゃんと初めて会った時のような感覚と似ていると、今は思う。
文芸学科所属で、音楽も本も好きというソウタは、オレの知らない世界をたくさん知っていた。ちょっと興味を示せば、「貸すわ」と言って半ば無理矢理マンガやCDを持って来る。「貸してもらったし……」と試しにページを開き、あるいはCDプレイヤーで再生すると、雷が落ちたような衝撃が身体を貫き、新しい世界が手招きする。知らないを知っていく感覚がたまらなく爽快だった。絵を描くのが楽しくなって、油絵以外の水彩画やカラーペン、デジタルイラストにも挑戦するきっかけをくれた。
感想を伝えると、ソウタは「良かっただろ~? オレの勘は間違ってなかったぜ」とニヤニヤと笑う。オレはバンド加入を断ってるのに、アイツはそれでもオレと話してくれるし、物を貸してくれる。もうよくわかんない関係だなと思いながら、数か月が経った。
「なぁ、やっぱり俺とバンドやらね?」
「やらない」
服装が半袖になって、強い日差しと徐々に大きくなり始めたセミの声にうんざりする日々が続いても、オレとソウタはこの会話を繰り返していた。
「別に楽器はなんだっていいんだぜ?」
「って言われても。ピアノは最近弾いてないし……」
「ピアノ弾けんの?」
「言ってなかったっけ?」
「初耳!」
「ちょっとだけだけどね……」
お父さんが亡くなった後、生活費と通院費のために、お母さんはピアノを泣く泣く手放してしまった。気がつけば手元に紙とペンさえあればすぐに描ける絵の方が好きになっていた。
お父さんと過ごした日々はお母さんに比べて短い。それでもお父さんの伴奏で一緒に童謡を歌ったことや、お母さんの誕生日にクラシックの曲を披露していた姿がかっこよくて忘れられない。次に鍵盤に触れるなら、お父さんみたいに弾いてみたいものだと空想の中で自分の姿を描いてみたことが何度もあった。だけど、なれそうにはない。もう見ることが出来ないお父さんの背中はあまりにも大きすぎる。
「弾いてないならもう一度始めるチャンスだろ? それに、バンド始めると良いことがある」
「なに?」
「モテるぜ」
答えに肩を落とす。心のどこかで良い答えを期待したオレがバカなんだけど。
「モテなくていい」
「せっかく注目されるってのに」
「でも、それは人気出たらの話でしょ」
「絶対人気バンドになるって! だからこうしてそのバンドにふさわしいと直感で感じたお前に声かけてんだよ」
「オレをどうしてもバンドに入れたいから、一緒にご飯たべたり、本やCDとか貸してくれるの?」
「ん? いやそれは関係ねぇよ。ただ話してておもしろいから」
「ふーん」
ソウタの近くにぞろぞろとファンが歩いてくるのが見える。十二時半がライブ開始時間としてファンの間で定着し始めていた。
「さて、そろそろ今日もライブしてくるわ」
「頑張って」
オレが立ち上がると、ソウタはアコースティックギターを肩から掛けた。
「なあ」
「ん?」
「冗談では誘ってないからな。もし、お前とバンド組めたら楽しいだろうなって真剣に言ってるから。いつでも返事待ってる」
教室に向かう途中にあるベンチで座る。いつも通り、早くクーラーの効いた教室で昼寝してる方が良いのはわかってるけど、目が冴えていた。
ソウタの直感に従ってまっすぐ生きる姿勢に気持ちが揺らいでいる自分がいる。
実際、オレはピアノ弾けるし。何年も触ってないけど、身体が覚えていると、なぜか強い自信があった。バンドをするうえで鍵盤は、オレの存在は要らないなって思ったなら、辞めればいい。それに、
「せっかく注目されるってのに」
さっきソウタが言った言葉。さっきはさらっと流したけど、もし注目されたなら、もしかしたら、キムキムに気づいてもらえるかもしれない。もう一度彼女に再会できたならなんて、「もしも」が浮かんでは消える。もう会えるわけないのに。だけど見つけてしまった、残されたわずかな可能性のためなら、オレは――。
翌日の昼休み、
「ねえ」
「おぉ? お前から声かけてくるとか初めてじゃん。どうした?」
「ちょっと思うことがあって、その、バンドやってもいいかなって」
自分から何か輪に入れてもらうお願いを言うのは初めてだった。握っている拳は汗ばみ、少し震えている。
「ま、マジ?」
「うん」
「冗談じゃなく?」
「からかってない」
オレの答えを聞いたソウタの目が輝きだす。
「じゃ、連絡先交換しようぜ」
「あ。オレ、スマホもケータイも持ってない」
「はぁ~⁉ じゃあ、今度会うまでに買っとけよ」
「別に使わないし、友達もいないから」
そう言うとソウタは首を傾げる。
「俺、友達じゃないの?」
「え? だってオレ、自己紹介もまだしてないし……」
「でも、いつも一緒だったじゃん」
「いつもって昼休みに会うだけだけど」
「物の貸し借りなんか信頼関係がないとしねぇじゃん」
「信頼してくれてたからいろいろ貸してくれたの?」
「当たり前だろ? 信頼してるから……って、お前冷たすぎんだろ!」
頬をつねられた。どうしてだろう、不思議と痛くはない。
「とにかくスマホは友達兼バンドメンバーの俺と連絡とるのに必要。な? 持つ理由はこれで出来たはずだぞ」
「わかった、どうにかする」
「じゃあ、これから俺たちは友達であり、『黄色いフリージア』のメンバーだから」
「黄色い……ってなに?」
「バンド名だよ」
「一人しかいないのにもうバンド名あったんだ」
「メンバーが一人でも増えたらバンド名は絶対いるだろ? なっ、なんだよ。悪いか?」
後日、買ったばかりのスマホを手に、背中にはソウタの家で眠っていたキーボードを背負い、二人揃って軽音サークルに入った。
歓迎会で、後輩を無下に扱う先輩にソウタがキレて、強制退部。仲介に入ってくれた高野慎二先輩……コウノさんも巻き添えを食らってサークルも所属していたバンドからも辞めさせられた。
一週間後、空きコマで、ソウタと学食で駄弁っているとコウノさんがふらりと現れた。コウノさんはガタイが良く、その上、当時からスキンヘッド。黙っているとただただ怖かった。怖く固い表情で奏でるベースの音は一定で乱れがなく、心地よい。あの人のベースは素敵だとソウタと話していた。
普段あんなに明るくうるさいソウタも黙りこんで何も言わない。かといって、オレもこんな時なんて話し始めればいいのかわからなかった。おろおろと視線を動かしていると、コウノさんが勢い良く頭を下げる。あまりの勢いにテーブルに額を打ち付けるかと心配になったくらいだ。
「悪かった」
「「え?」」
「前々からあいつらのやり方にはちょっと思うことがあった。だけど、新入りのお前らが注意するまで見てみぬふりをしていた。すまん」
「いや、でも、コウノさんはなにも悪いことなんて」
「俺はあいつらのバンドのメンバーだった。だけど、後輩のこともそうだし、音楽についてもどれだけ気に食わなくても意見したことがなかった。こんなみてくれなのに何の勇気もないことを改めて恥ずかしい限りだ。自分を見つめなおすいい機会になったように思う」
コウノさんは頭を上げると、前に座るオレたちの顔をすっと見据えた。
「サークル辞めれてよかった。ありがとう」
「お礼を言われるようなこと……あの、コウノさんはこれからどうするんですか?」
「え? お前らのバンドに入れてくれないの?」
オレとソウタは思わず顔を見合わす。
「むしろいいんですか? 俺のせいで……」
「だから、お前のおかげで目が覚めたんだよ。こんな自分じゃだめだって。お前はある意味恩人だ。それに、あいつらと音楽やるより、お前らと新しくやる方が収穫ありそうだし」
コウノさんは、バンド活動初心者だったオレたちにイロハを教えてくれた。顔は怖いけど、本当に優しい。頼れるお兄ちゃん的存在だ。
ほどなくして、ドラムがいないと聞きつけ、「久しぶりにドラムやりたいから」と半ば無理矢理入って来たのがオヤジさん。未だにソウタが「恥ずかしいから」を理由に「サポートドラム」扱いにされているけど。昔バンドをいくつか掛け持ちしていたこともあり、どんな楽曲でも完璧に叩ききる。コウノさんとの息もぴったりで、リズムが狂うことがまずない。もちろん本業の写真の腕も素人のオレが見てもそのすごさがわかる。
同じ時期に、モデル業を引退して暇をしていた麗子さんが「芸能事務所作っちゃお」とノリで立ち上げてしまったのが芸能事務所「ワンロード」。芸能事務所のゲの字もわからないまま出発したが、オヤジさんと麗子さんが以前仕事でお世話になった業界の人たちが助けてくれた。昼休みライブを通じてできたファンのみんなも、ライブハウスにも足を運んでくれ、自主制作CDも買ってくれた。そのおかげで、トントン拍子でメジャーデビューまで漕ぎつけた。嬉しい反面、インタビューで「デビューするにあたって苦労したことは?」と訊かれるとソウタは若干苦笑いしつつ、「それがないんですよねー」と正直に答えている。
大学時代に出会って、バンド「黄色いフリージア」を組んで、卒業した後も活動続けて、デビューして。こんな長い付き合いになるとは思わなかった。ソウタは同い年だけど、学科が違う。コウノさんにいたっては、学年も学科も違う。それでも、オレたちは音楽でつながってるんだなぁって思う。
まだうなだれている二人に向かって、
「オレ、ララちゃんが世界一好きだけど、みんなのことも好きだから」
そう言うと、二人はキョトンとした表情でオレを見た。
「おいおいタイスケ急にどうした?」
「体調悪いのか?」
「違う。いい機会だから。いつもありがとう、これからもがんばろうねって言いたくなった」
「そんなこと言うなよ。涙が出る」
「コウノさんが泣いちゃったらダメっすよ! 俺も泣けてくる」
「そんなに?」
ノックの後、扉が開いた。オヤジさんが顔をのぞかせる。
「三人とも待たせたね。ララちゃんの準備出来たから……ってなんで二人は泣きそうなんだ?」
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