14 / 16
桂仁志は素直になれない
第十四話
しおりを挟む
「出来ました」
ちゃぶ台に並んでいく。つやつやと輝く白飯。深皿いっぱいに盛られた肉じゃが。茹でられて色鮮やかになったブロッコリーともやし。ねぎとおあげが浮かぶみそ汁。
「静江先生の分を除いても量が多くなってしまいました」
「食べてもいいか?」
「ぜひ温かいうちに」
「それじゃあ、いただきます」
肉じゃがに箸を入れようとして手が止まる。
「どうしました?」
「これ、牛肉か?」
「ええ、そうです。静江先生が教えてくれた肉じゃがのお肉は薄切りの牛肉だったのでその通りに……」
「そうか」
小さく一口サイズに割ったじゃがいもと一緒に肉も口に含む。しっかり噛みしめ、飲み込んで、左手に持った茶碗から白飯をかっ込む。
黙って箸を動かし続ける。舌が喜び、「うまい」という言葉だけが何度も脳内を駆け巡る。オレの食べたかったものばかりが目の前に並んで、それを食べている。夢のような至福の時間だった。
「ごちそーさん」
「おいしかったですか?」
「訊かなくてもわかるだろ? ……うまかった、めちゃくちゃうまかった……」
声が詰まる。目頭を押さえても、涙が止まらなかった。
亡くなった日も、葬式も、一人で生活したこの何週間も、涙など出なかったのに。腹が満たされて、ようやく真正面から現実と向き合っているような、そんな気がした。浅倉がいるのに、いや、浅倉の前だから安心できるのかもしれない。
大人げなく、声を上げて。
浅倉はそんなオレを黙って見守っていた。そして、オレの涙が枯れるのを待って、彼女は口を開いた。
「静江先生には絶対肉じゃが食べてもらおうって決めてたんです。教室に通い始めて最初に習ったのが肉じゃがだったから」
「……そうだったのか。はぁ……オマエすごいな。おふくろの味そのまま出してくるとは」
おふくろが元々西の方の人だから、オレの家は昔から肉じゃがの肉といえば牛肉だった。
豚肉の方がサッパリしてて、値段も安いはずだ。それでも、おふくろは牛肉を選んでいた。
きっとおふくろの思い出の味だったんだろう。そして、それは知らぬ間にオレにも思い出の味として受け継がれていたのか。垂れてくる鼻水をティッシュで乱暴にかむ。
「あの短期間でちゃんとおふくろから学んだのがよくわかった」
「ありがとうございます。本当は……もっと教えてもらいたかったな……」
それはきっとおふくろも無念だったろう。たくさんの生徒に出会って、いろんな料理を教えて、一緒に食べたかったはずだ。特に浅倉姉妹にはやってあげたいことがきっと残っていたと思う。
「さっき、オマエはここに来るのは最後だと言ったな」
「そうですね」
「これで満足したか?」
「そう……ですね。約束は……果たしたので」
「妹と一緒に、線香ぐらいあげに来たらいい。その方がおふくろも喜ぶ」
「ありがとうございます」
数秒、間を開け、浅倉は再び言葉を紡ぐ。
「先生は少し元気になりましたか?」
「え?」
「私、先生のことが心配でした。日に日に痩せていってる気がするし、ぼーっとしてること多くなったし」
「それは……」
「頼る相手、私じゃ、ダメですか?」
俯くオレに静かに浅倉がつぶやく。
「私なら静江先生に教えてもらったレシピ、まだまだ作れるし、それ以外も自分で勉強して作れるように練習してます。他の家事だって頑張ります」
顔を上げても何も言わないオレに不安を覚えているのが伝わる。それでも、浅倉は息を整えて続ける。
「先生と私は十歳も年が離れてるのはもうどうしようもないことわかってます。でも――そんなことで先生のこと諦められない。もし同い年だったとしても、健康じゃなかったら本末転倒です。それなら私がちゃんと栄養考えてご飯作って、健康で過ごせるように生活する方が先生も私も幸せじゃないですか?」
浅倉はオレの手を取り、両手で優しく包み込んだ。この部屋は暑いのに、この手の温かさだけは話したくないとそう思った。
「先生は世界で一番優しくて熱い先生で、素敵な男性です。私は先生に何度も救われました。だからこそ、先生には
いつまでも元気な姿で教壇に立ってほしい。これからも先生の言葉や行動で、考えもしなかった新しい道に進める生徒がきっといるはずです。私はそんな先生をサポートして、一緒に生きていきたいです。恋人じゃなくてもいい、家政婦でもなんだって。私をそばに置いてくれませんか?」
オレを見る目はまっすぐで、澄みきっている。桜吹雪が舞っていたあの日も、廊下で並んで座った体育祭も、縁側でスイカを片手に話した夏の日も、いつだって彼女は本気でオレに気持ちを伝え続けていた。
「ホント、物好きだなオマエは」
「物好きじゃないです。というか、先生はもっと自信もってください。生徒内でも人気ありますよ?」
「そうかぁ……? からかわれてるだけだと思うが」
「好きだからみんなかまってほしいんですよ」
「そんなもんなのか?」
女心は本当にわからん。空いてる手でこめかみを掻く。
「さて、飯も食わせてもらったし、ちょっと支度するかな」
「支度? 先生、このあと用事あるんですか?」
「何言ってんだ。浅倉家にオマエを送って行かねぇと。あと、ご両親には葬式手伝ってもらったからな。その時のお礼を改めて伝えたいのと、その……オレとオマエの今後の話もだな」
「今後?」
「あ、家政婦としてとかじゃねぇからな。オレはオマエのこと……ちゃんと責任をもってというか……なんつーか」
自分で自分の頬を叩く。気合を入れなおし、浅倉の前で正座をし、彼女の瞳を強く見つめる。彼女が今までそうしてきたように。
「好きなんだよ。一緒に過ごすうちに存在が大きくなりすぎて、これ以上理由つけて諦めるなんてもう出来そうにねぇよ……。だから、そばにいてくれ。オマエを人生の一部にさせてくれないか」
「先生……」
「だけど、オマエに頼ることばかりになるぞ? 金を稼いでくることは出来るが、家のことは本当にサッパリだ。それでもいいのか?」
「それなら私が家事を教える先生になります。一緒に頑張ればいいだけです。それでどうですか?」
オレは大きく頷き、立ち上がる。
「じゃあ、用意すっから」
ちゃぶ台に並んでいく。つやつやと輝く白飯。深皿いっぱいに盛られた肉じゃが。茹でられて色鮮やかになったブロッコリーともやし。ねぎとおあげが浮かぶみそ汁。
「静江先生の分を除いても量が多くなってしまいました」
「食べてもいいか?」
「ぜひ温かいうちに」
「それじゃあ、いただきます」
肉じゃがに箸を入れようとして手が止まる。
「どうしました?」
「これ、牛肉か?」
「ええ、そうです。静江先生が教えてくれた肉じゃがのお肉は薄切りの牛肉だったのでその通りに……」
「そうか」
小さく一口サイズに割ったじゃがいもと一緒に肉も口に含む。しっかり噛みしめ、飲み込んで、左手に持った茶碗から白飯をかっ込む。
黙って箸を動かし続ける。舌が喜び、「うまい」という言葉だけが何度も脳内を駆け巡る。オレの食べたかったものばかりが目の前に並んで、それを食べている。夢のような至福の時間だった。
「ごちそーさん」
「おいしかったですか?」
「訊かなくてもわかるだろ? ……うまかった、めちゃくちゃうまかった……」
声が詰まる。目頭を押さえても、涙が止まらなかった。
亡くなった日も、葬式も、一人で生活したこの何週間も、涙など出なかったのに。腹が満たされて、ようやく真正面から現実と向き合っているような、そんな気がした。浅倉がいるのに、いや、浅倉の前だから安心できるのかもしれない。
大人げなく、声を上げて。
浅倉はそんなオレを黙って見守っていた。そして、オレの涙が枯れるのを待って、彼女は口を開いた。
「静江先生には絶対肉じゃが食べてもらおうって決めてたんです。教室に通い始めて最初に習ったのが肉じゃがだったから」
「……そうだったのか。はぁ……オマエすごいな。おふくろの味そのまま出してくるとは」
おふくろが元々西の方の人だから、オレの家は昔から肉じゃがの肉といえば牛肉だった。
豚肉の方がサッパリしてて、値段も安いはずだ。それでも、おふくろは牛肉を選んでいた。
きっとおふくろの思い出の味だったんだろう。そして、それは知らぬ間にオレにも思い出の味として受け継がれていたのか。垂れてくる鼻水をティッシュで乱暴にかむ。
「あの短期間でちゃんとおふくろから学んだのがよくわかった」
「ありがとうございます。本当は……もっと教えてもらいたかったな……」
それはきっとおふくろも無念だったろう。たくさんの生徒に出会って、いろんな料理を教えて、一緒に食べたかったはずだ。特に浅倉姉妹にはやってあげたいことがきっと残っていたと思う。
「さっき、オマエはここに来るのは最後だと言ったな」
「そうですね」
「これで満足したか?」
「そう……ですね。約束は……果たしたので」
「妹と一緒に、線香ぐらいあげに来たらいい。その方がおふくろも喜ぶ」
「ありがとうございます」
数秒、間を開け、浅倉は再び言葉を紡ぐ。
「先生は少し元気になりましたか?」
「え?」
「私、先生のことが心配でした。日に日に痩せていってる気がするし、ぼーっとしてること多くなったし」
「それは……」
「頼る相手、私じゃ、ダメですか?」
俯くオレに静かに浅倉がつぶやく。
「私なら静江先生に教えてもらったレシピ、まだまだ作れるし、それ以外も自分で勉強して作れるように練習してます。他の家事だって頑張ります」
顔を上げても何も言わないオレに不安を覚えているのが伝わる。それでも、浅倉は息を整えて続ける。
「先生と私は十歳も年が離れてるのはもうどうしようもないことわかってます。でも――そんなことで先生のこと諦められない。もし同い年だったとしても、健康じゃなかったら本末転倒です。それなら私がちゃんと栄養考えてご飯作って、健康で過ごせるように生活する方が先生も私も幸せじゃないですか?」
浅倉はオレの手を取り、両手で優しく包み込んだ。この部屋は暑いのに、この手の温かさだけは話したくないとそう思った。
「先生は世界で一番優しくて熱い先生で、素敵な男性です。私は先生に何度も救われました。だからこそ、先生には
いつまでも元気な姿で教壇に立ってほしい。これからも先生の言葉や行動で、考えもしなかった新しい道に進める生徒がきっといるはずです。私はそんな先生をサポートして、一緒に生きていきたいです。恋人じゃなくてもいい、家政婦でもなんだって。私をそばに置いてくれませんか?」
オレを見る目はまっすぐで、澄みきっている。桜吹雪が舞っていたあの日も、廊下で並んで座った体育祭も、縁側でスイカを片手に話した夏の日も、いつだって彼女は本気でオレに気持ちを伝え続けていた。
「ホント、物好きだなオマエは」
「物好きじゃないです。というか、先生はもっと自信もってください。生徒内でも人気ありますよ?」
「そうかぁ……? からかわれてるだけだと思うが」
「好きだからみんなかまってほしいんですよ」
「そんなもんなのか?」
女心は本当にわからん。空いてる手でこめかみを掻く。
「さて、飯も食わせてもらったし、ちょっと支度するかな」
「支度? 先生、このあと用事あるんですか?」
「何言ってんだ。浅倉家にオマエを送って行かねぇと。あと、ご両親には葬式手伝ってもらったからな。その時のお礼を改めて伝えたいのと、その……オレとオマエの今後の話もだな」
「今後?」
「あ、家政婦としてとかじゃねぇからな。オレはオマエのこと……ちゃんと責任をもってというか……なんつーか」
自分で自分の頬を叩く。気合を入れなおし、浅倉の前で正座をし、彼女の瞳を強く見つめる。彼女が今までそうしてきたように。
「好きなんだよ。一緒に過ごすうちに存在が大きくなりすぎて、これ以上理由つけて諦めるなんてもう出来そうにねぇよ……。だから、そばにいてくれ。オマエを人生の一部にさせてくれないか」
「先生……」
「だけど、オマエに頼ることばかりになるぞ? 金を稼いでくることは出来るが、家のことは本当にサッパリだ。それでもいいのか?」
「それなら私が家事を教える先生になります。一緒に頑張ればいいだけです。それでどうですか?」
オレは大きく頷き、立ち上がる。
「じゃあ、用意すっから」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~
海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。
そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。
そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
行くゼ! 音弧野高校声優部
涼紀龍太朗
ライト文芸
流介と太一の通う私立音弧野高校は勝利と男気を志向するという、時代を三周程遅れたマッチョな男子校。
そんな音弧野高で声優部を作ろうとする流介だったが、基本的にはスポーツ以外の部活は認められていない。しかし流介は、校長に声優部発足を直談判した!
同じ一年生にしてフィギュアスケートの国民的スター・氷堂を巻き込みつつ、果たして太一と流介は声優部を作ることができるのか否か?!
ナツキス -ずっとこうしていたかった-
帆希和華
ライト文芸
紫陽花が咲き始める頃、笹井絽薫のクラスにひとりの転校生がやってきた。名前は葵百彩、一目惚れをした。
嫉妬したり、キュンキュンしたり、切なくなったり、目一杯な片思いをしていた。
ある日、百彩が同じ部活に入りたいといい、思わぬところでふたりの恋が加速していく。
大会の合宿だったり、夏祭りに、誕生日会、一緒に過ごす時間が、二人の距離を縮めていく。
そんな中、絽薫は思い出せないというか、なんだかおかしな感覚があった。フラッシュバックとでも言えばいいのか、毎回、同じような光景が突然目の前に広がる。
なんだろうと、考えれば考えるほど答えが遠くなっていく。
夏の終わりも近づいてきたある日の夕方、絽薫と百彩が二人でコンビニで買い物をした帰り道、公園へ寄ろうと入り口を通った瞬間、またフラッシュバックが起きた。
ただいつもと違うのは、その中に百彩がいた。
高校二年の夏、たしかにあった恋模様、それは現実だったのか、夢だったのか……。
17才の心に何を描いていくのだろう?
あの夏のキスのようにのリメイクです。
細かなところ修正しています。ぜひ読んでください。
選択しなくちゃいけなかったので男性向けにしてありますが、女性の方にも読んでもらいたいです。
よろしくお願いします!
Rotkäppchen und Wolf
しんぐぅじ
ライト文芸
世界から消えようとした少女はお人好しなイケメン達出会った。
人は簡単には変われない…
でもあなた達がいれば変われるかな…
根暗赤ずきんを変えるイケメン狼達とちょっと不思議な物語。
スパイスカレー洋燈堂 ~裏路地と兎と錆びた階段~
桜あげは
ライト文芸
入社早々に躓く気弱な新入社員の楓は、偶然訪れた店でおいしいカレーに心を奪われる。
彼女のカレー好きに目をつけた店主のお兄さんに「ここで働かない?」と勧誘され、アルバイトとして働き始めることに。
新たな人との出会いや、新たなカレーとの出会い。
一度挫折した楓は再び立ち上がり、様々なことをゆっくり学んでいく。
錆びた階段の先にあるカレー店で、のんびりスパイスライフ。
第3回ライト文芸大賞奨励賞いただきました。ありがとうございます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】その同僚、9,000万km遠方より来たる -真面目系女子は謎多き火星人と恋に落ちる-
未来屋 環
ライト文芸
――そう、その出逢いは私にとって、正に未知との遭遇でした。
或る会社の総務課で働く鈴木雪花(せつか)は、残業続きの毎日に嫌気が差していた。
そんな彼女に課長の浦河から告げられた提案は、何と火星人のマークを実習生として受け入れること!
勿論彼が火星人であるということは超機密事項。雪花はマークの指導員として仕事をこなそうとするが、日々色々なことが起こるもので……。
真面目で不器用な指導員雪花(地球人)と、優秀ながらも何かを抱えた実習生マーク(火星人)、そして二人を取り巻く人々が織りなすSF・お仕事・ラブストーリーです。
表紙イラスト制作:あき伽耶さん。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる