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浅倉紗子は諦めを知らない

第五話

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 体育大会は、高校生になるとヤル気のないヤツが多い。
 特に女子ばかりだから、「日に焼ける」だ、「暑い」だと文句が出る。「小麦粉の中に顔を突っ込みたくないし、顔が真っ白になるから飴食い競争だけは嫌だ」と、出場競技を決めるだけでも骨が折れる。
 ようやく決まったと思えば、教師陣も運動会の準備に駆り出される。日よけのテントを立てたり、校庭に白線を引いたり。通常授業だけでも用意するものが多いと言うのにと、額からは汗を垂らし、心の中では愚痴をこぼす。
 帰ったらすぐに風呂に入り、飯を食って寝る。いつもなら寝る前に少し読書するが、この期間にそんな体力はない。
 夜遅くまでの会議も増え、浅倉が来ていても会うことはなくなった。だが、テーブルにレシピ本が置いてあったり、水切り台に置かれた食器の多さ、なにより目の前に出されたのは中華丼の量でわかる。
 どんぶりにご飯、その上にレンジで温めなおした八宝菜がかけてある。並々と乗せられていて今にも零れそうだ。
「今日も今日とて多いな」
「先生にはいっぱい食べてもらって、精をつけて頑張ってくださいって紗子ちゃんが言ってたわよ」
「にしても、量を考えろよ……」
 見た目に反してさっぱりとしていて、疲れた体を癒す、そんなやさしい味だった。

 体育大会当日は朝からカンカン照りに見舞われた。こうも暑いと早く帰りたいという気持ちでいっぱいになる。しかし、終われば片付けが待ち構えている。ああもう考えるだけで憂鬱だ。

 生徒が入場し、校長の話を流し聞きしたあと、教室から引っ張りだしてきた各々の椅子に座る。出欠確認と簡単な注意事項を説明するため、二年A組の場所へ向かう。あれだけみんなイヤだと騒いでいたのに、当日になるとどこか浮かれた表情を浮かべてやがる。

「桂先生あたしたちのことちゃんと応援してよね」
「おうおう。応援しとくよ」
「優勝したらみんなになんか買ってー」
「は?」
「C組は優勝したら景品としてお菓子買ってくれるって」
 C組ということは山田先生のクラスか……。ヤル気を菓子で釣るとは。
「桂学級にそんな制度はない」
一斉に「えぇー」と不協和音に近い声が上がる。
「先生、株下がっちゃったよ」
「ケチ!」
「やっぱりC組になりたかったー」
「うるせぇ、勝手に言ってろ」
 まだ続くブーイングを背中に浴びながら退散する。

 オレが批判される原因になった山田学級の様子を覗く。
「山田先生ぇ、優勝したらお菓子買ってくれるっていう約束忘れてないよね?」
「勿論! 優勝したらみんなにお菓子配るからね。頑張って優勝目指そう!」
 オレとは違い、山田先生は生徒の甘えにも全力で応える。
 オレはああいうタイプの教師にはなれねぇな。ある程度、生徒とは距離は保ちたい。嫌われても媚び売るよりマシだ。そう考えると浅倉はオレのポリシーに反している。スッと近づいてきて、好意を隠さずに、むしろぶつけてくるんだからとんでもねぇヤツだ。

 改めてそんなことを思って眺めていると、浅倉を見つけた。
 他のヤツらが山田先生の発言一つ一つに騒いでいるのに、後列でジッとしている。授業を受けている時より表情が硬い。運動が苦手なのだろうか。オレも苦手で午後にある教員による五十メートル走のことを考えると気が重くてたまらん。だからわからんでもない。

 そのあとはタイムスケジュールに沿って、滞りなく競技が消化されていく。振り分けられた仕事がない時間は教員テントに座って待機。
 スポーツ観戦はあまり得意じゃない。この時間を有効に使って、本でも読んでいたいところだがこれでも仕事中だ。さすがに二年生が出場する競技は見逃すと後で生徒からまた怒られそうだから、しっかり見ておく。
 その中の五十メートル走に浅倉の姿があった。顔色はやはりあまりよくない。それでも三位でゴールしたから大したものだ。走り終わると、体育座りで競技終了まで待機しているのだが、膝に顔を埋めている。結果に納得しなかったのかもしれない。
 浅倉のあんな姿を見るのは初めてだった。いつもニコニコ笑みを浮かべ、オレに話しかけてくるアイツがと思うと、少し心が痛む。
 全員が走り終わり、順番に退場門をくぐっていく。すると浅倉はクラス席に戻らず、校舎の方へ歩いて行く。その足取りはふらつき、今にも力尽きてもおかしくなかった。オレは思わず立ち上がり、彼女を追った。

 入ってすぐの廊下で両足を投げ出し、壁に頭を預けうつむき、ぐったりと座りこんでいる浅倉の姿。慌てて駆け寄り、目線を合わせる。
「おい! 浅倉! しっかりしろ!」
「……へ?」
 上げた顔は真っ赤で額には脂汗が滲んでいる。目が潤み、どこかうつろだ。
「大丈夫……じゃないよな?」
「えへへ、廊下なら……冷たいかなって……」
 力なく笑う。息づかいも荒く、呂律が少し回っていないように感じる。
「ここで涼んどけ」
 オレが立ち上がろうとすると、手首を握られる。が、力が入らないようで、すぐに滑り落ちる。
「行かないで……」
「大丈夫だ。飲み物自販機で買ってくるだけだから」
 小さく頷くと安心したように浅倉は目を閉じた。校舎裏にある自販機へ走り、ポカリスウェットを買って戻る。
「買って来たぞ」
 呼びかけても反応がない。寝ているのか、まさか気絶してないだろうな。

 かがんで顔を覗きこむ。こんなに近くで浅倉の顔を見るのは初めてだ。
 生徒のほとんどが「今流行りだから」と眉を細くしているのに、彼女は凛々しく太めの眉。睫毛は長く、瞼を開けば大きな瞳をしているから目元の印象が一番強い。
 頭が小さく、隣に立たれるとオレの顔の大きさが目立ってるだろうななんて常々思っていたりする。正直、浅倉は美人だと思う。
 こんな美人がオレにしつこく告白してくるなんて夢やマンガみたいな話だ。……今はそんな場合じゃない。早く起こしてやらねぇと。

「浅倉」
 彼女の頬に缶の表面をあてがう。「ヒェッ……!?」という悲鳴と共に一気に目が開いた。
「ほれ、戻って来たぞ。飲め」
 プルタブを開けて渡す。喉を鳴らし勢いよく飲み始め、水の中から浮上した時のように「ぷはっ」と大きく口を開け、息を整えた。
「ありがとうございます……。ちょっと生き返りました」
「そうかそうか」
 タオルで汗を拭いながらその場に座りこむ。
 運動場から少し離れてることもあって、生徒の賑やかな声や、競技を盛り上げるBGMが遠くに聞こえる。開け放っている窓やドアから入って来る風が心地よく肌を撫でていき、このままここで一日を終えたいくらいだ。
 浅倉は缶に付いた水滴を指でなぞりながら、オレの方を見る。
「実は朝からあまり体調優れなかったんです」
「そうだったのか」
「でも、桂先生が今年も五十メートル走出るって聞いてたからどうしてもその姿見たくて」
「はぁ!? 呆れた……。その言い方だと去年も見てただろ。オレ、そんなに速くねぇし、カッコよく走ってねぇよ」
「いつも見れない一面が見れるチャンス逃したくないんです」
「だからって、無理はすんなよ」
「それは……ごめんなさい」
「わかればヨロシイ」
 女の気持ちは本当にわからん、特に浅倉は本当に何考えてんのかわからん。頭を抱えてしまう。
「それにしても、私、先生に助けてもらったの、二回目になりますね」
「え……?」
「え?」
「どういうことだ?」
「先生、もしかして私と初めて会った日のこと、覚えてないですか……?」
「覚えて……えぇ?」
 混乱するオレを見て、少し悲しそうにうつむいた。
「一年生の時、部活見学の途中で体調悪くなってきて、友達と別れて先に帰ろうとしたんです。でもどんどん気分悪くなって、廊下で倒れてしまいました。冷や汗止まらないし、視界もぼやけてきて、もうだめだと思ってた私に『大丈夫か』って……」

 思い出してきた。
 顧問をしている文芸部の部室を出て、職員室に向かう途中だった。今日みたいに廊下の壁に寄りかかり、生徒が座りこんでいた。声をかけても、返答がなく、かなりマズイ状態だと判断した。

「先生が『保健室の先生呼んでくるから待ってろ』って、ぐったりしてる私にジャージかけてくれましたよね」
「そうだったな。寒そうに震えてたから思わず。早く連れて行かねぇととは思ったけどよ、オレがおぶってやるわけにもいかなかったから」
「お姫様抱っこしてくれてもよかったのに」
「何言ってんだ。男のオレが女子生徒に触れるなんてご法度だし、下手に動かしちゃいけねぇ場合だってある」

 オレは保健室にいた先生連れて、その生徒――浅倉のもとに戻り、一人では立ち上がれなかった彼女の腕を肩に乗せ、二人がかりでベッドに運んだのだった。

「オレはそのあとすぐ職員室戻ったけど、問題なかったんだな」
「ベッドで休んだら回復したので、そのまま帰りました」
「よかったな」
「保健室の先生から『桂先生が助けてくれたのよ』って教えてもらって、後日お借りしたジャージを洗って先生の机に置いておいたんです」

 そうだ。その袋に『ありがとうございました 浅倉』ってメモが付いてて……。ああ。だからオレはあの告白された日に浅倉のことを「見覚えがある」と感じていたのか。

「一年生の時は先生が担当の授業なかったから、ちゃんと顔合わせてお礼言うタイミングなくて……。こないだ、告白した時にも言おうとしたけど言えなかったから。改めてありがとうございました」
「おう」
「また助けてくださるなんて。先生は命の恩人です」
「オレは教師として、人として当たり前のことをしたまでだ」
「でも、なんで私が校舎の中に入ったのわかったんですか?」
「えっ? あー……たまたま校舎に入って行くのが見えただけだ。例え浅倉じゃなかったとしても、生徒がフラフラの状態で校舎の中へ入って行ったら確認していたさ」
「なんだ。走ってるところも見てくれてたのかと」
 黙り込む。走ってるところ見ていたが、意図として見ていたわけじゃない。

「さて。体調落ち着くまでここにいたらいい。もし何か言われたら『桂先生が陰で休んでおけ』って言えばなんとかなるだろ」
「先生、行っちゃうんですか」
「オマエは体調が悪いけど、オレがここにいたら怒られるに決まってんだろ」
「私の体調良くなるまで一緒にいてもらったって理由つけても……?」
「そう言われても……」
「だって、このあと急に体調また悪くなったら、次こそ誰もいないし……」
「それなら救護テント連れてってやるから……」
「救護テント、外じゃないですか。ここで涼む方がいいです」
 眉をハの字にして、上目づかいで言ってくる。
「あぁ……もう……ワガママだな」
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