【9】やりなおしの歌【完結】

ホズミロザスケ

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第三章 やりなおしの歌

第二十六話 やりなおしの歌8

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「あぁ、そうだ。ちょっとついてきてくれるかしら」
 キタエさんの後ろをついていく。二階へと上がり、突き当りの部屋へ。
「定期的に換気や掃除してるけど、油絵の具の匂いがするわね」
「……懐かしい、です」
 一気に美術準備室の風景が、夕暮れの中、真剣なまなざしでキャンバスに向かうダダの姿が浮かんだ。
 キタエさんはカーテンを開き、窓を開けた。心地よい風と光が入って来た。部屋には埃避けカバーで覆われたベッド、物が一つも置かれていない勉強机、所々に絵具が付着しているイーグル。壁に立てかけている大量のキャンバスたち。
「キムキムちゃん、太介が卒業式の日、寝坊したことは……」
「最近知りました。卒業式が終わったら、会って話そうって約束してて……。昼頃までは待ち合わせ場所にいたんですけど、見廻りに来た先生に『お前以外に残ってる生徒はいないから帰りなさい』って怒られて。そのまま他の友達と遊びに……」
「待っててくれてありがとうね」
「アタシは……最後まで待っていてあげれなかった。お礼を言われる資格はないです……」
 帰らずに待っていれば、もしかしたら。一度きりの人生だから、ない未来を考えたって無駄なだけなのにどうして何度も考えてしまうんだろう。悪い癖だ。
「あの日、私は朝からおじいちゃんの病院に行ってたの。行く前に起こしたんだけど、二度寝しちゃったのね。夜遅くまで絵描いてたから。帰ってきたら、玄関でうずくまって泣いてたわ。『約束、破っちゃった』って。詳しくは訊かなかった――ううん。訊けなかった。あんなに泣いてる太介を見るのが初めてで私もどうしたらいいのか、わからなくて。でもきっと、何か約束する相手はキムキムちゃんしかいないと思ったから」
「あの……ダダは他に何か言ってましたか?」
「『絵、描くのやめる』って」
「えっ」
「『もう描く意味がない、大学も行かない』なんて言い出したのよ。私もなんて言ってあの子を落ち着かせたのか、覚えてない。それくらい必死になっちゃった。太介もあの卒業式の日のこと、相当ショックだったんだと思うわ」
 卒業式の日のこと、ダダも心にしこりを残して、アタシと接してたのかもしれない。アタシは、待っていたことを伝えて、会えず悲しかったけど、怒ってはいないってことと、そして、告白しようとしていたということ。すべて真正面から伝えるべきだった。
「絵、見てみる?」
「いいんですか?」
「良いわよって……私が言うのも変だけど。太介には内緒ね」
「了解です」
 キャンバスの絵を見ながら、キタエさんと話した。これは何を描いたものだろうとか、この絵は中学生の時のよ、と解説してもらったり。ダダは本当にたくさんの絵を描いていたんだなとビックリした。
描きたいという気持ちが生まれる瞬間ってどんな感覚なんだろう。ダダの心の中にしかわからないだろうけど、教えてもらえばよかった。ダダはなんて答えたかな。
「これが最後の一枚」
キタエさんは裏返っていたキャンパスをひっくり返す。
 描かれていたのは女性の上半身。褐色の肌、根元が黒色、その下は金色に染めたセミロングの髪。シャツの首もとを大きく開け、リボンを緩めた服装。いつもの抽象的な画風とは違い、しっかりとしたタッチで描かれていた。手前には大小さまざまのバラが束ねられた花束を持った骨ばった男性の手。
「これ……」
「たぶん、キムキムちゃんだと、私も思ってるの」
「初めて見ました」
「この絵を抱きしめて泣いてたの。もしかしたら渡すつもりだったのかもねぇ」
――ねぇねぇ今度、アタシに絵、描いてよ。
――アンタの絵を家に飾りたいの。
あの夏の日のアタシの言葉。最後に「ウソウソ! 冗談!」って言ったけど、ダダは本当に描いてくれてたんだ。
「九十九本のバラの花束なんて、きっとおじいちゃんになにか教えてもらったのね」
「バラ、数えたんですか?」
「ちょっと、本数が気になっちゃって」
「……どういうことですか?」
 絵を片付ける手を止めると、アタシの方へ振り返る。
「ふふふ。それは……内緒よ」
「えぇ!」
「きっとあなた自身で確認した方がいいわ。それか、太介本人から聞いてみてちょうだい」
 と笑顔を浮かべた。
 金田家から出発する直前、キタエさんはアタシの手を握った。
「もし、また太介と再会した時は仲良くしてあげてね」
「……もちろんです」
 そう答えたけれど、果たしてダダがアタシの前に再び現れるのだろうか。もう顔も見たくないと思われるほど、嫌いになったかもしれない。

 帰宅すると、部屋には夕暮れが差し込んで、オレンジと黒のコントラストが目に映る。ダダは帰っていない。急に身体が重くなって、ベッドに沈んでいく。
 少し休むつもりが、目を覚ますと部屋はすっかり真っ暗になっていた。すさまじい空腹に襲われながら、電気を点ける。深夜二時。こんな時間に目が覚めてしまうなんて。いっそのこと朝ならよかったのに。ケトルに水を入れ、目についたしょうゆ味のカップ麺を手にした。何も食べないよりは良い。
 腹が満たされた時、キタエさんの一言がふと反芻する。
(九十九本のバラの花束なんて――)
 九十九本のバラの花束……。なんで百本ではなく九十九本? なんでバラ? アタシのイメージがバラだった? 昔も今も不釣り合いな気がしてならない。スマホで検索してみる。
 検索窓に『九十九本のバラの花束』と入れて、検索のボタンを押した。答えは一瞬で表示された。
『九十九本のバラの花束は、永遠の愛・ずっと好きだった、という意味を持ちます』
 頬が熱くなる。それ以上の意味はいらなかった。言葉にならなくて、ただ涙が流れた。

 アタシにとって、ダダとの時間はつかの間の、学生らしい放課後だった。大人になって再会しても、変わらないダダにどれだけ安心しただろう。ご飯食べて、テレビ観たり、絵を描いてるのを眺めたり。あの日よりも長く、近く、一緒にいて、この人といるのが楽しいと思った。遅れてきた青春がそこにあった。
 好き、結婚したいとまで言ってくれたのに。素直に受け取れず、意地を張ったアタシはなんてバカなんだ。臆病だ。弱虫だ。情けない。アタシも好きなのに、ダダの気持ち、どんなに切実だったのかもわからずに、過去に結び付けて、決めつけて逃げた。自分がすべて終わらせてしまった。後悔しても、もう遅い。でも、叶うなら、もう一度やり直させてほしい。
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