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父の肖像
第一話
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物心ついた頃には、オヤジは天国へと旅立ったあとだった。オレにとってオヤジは写真の中の人。肩幅が広く、頭は丸刈り、太い眉毛がイカつさを強調している。声も、肌の温もりも知らない。だけど、オレが成長するにつれ、おふくろは「お父さんに似てきたわね。丸刈りにしたらもっとそっくりになるのに」とよく言っていた。
そんなオレは、十九年前、父親になった。生まれたばかりの娘、そして愛おしそうに彼女を抱く妻。幸せを噛みしめる反面、
「父親を知らないオレが父親になれるのだろうか」
そんな不安を抱えて、でもガムシャラに、精一杯、娘を愛してきた。
「か、帰ってこないだとー⁉」
オレは思わず椅子から立ち上がる。テーブルの上の雑煮がこぼれかけるのが見えて、慌ててお椀を押さえる。
「おいおい、三が日過ぎに帰って来るんじゃなかったのか」
「帰ってこないよ~」
「帰ってこないよ~……って、呑気におせちをつつくな! なんで咲は帰省しねぇんだ!」
新年が始まってまだ三日しか経ってないってのに、朝っぱらから声を荒らげている自分が恥ずかしい。だが、こんな大事件、叫ばずにはいられない。
「仁志さんが『バイトしてるんだから、交通費は自分で出せ』なんて意地悪なこと言うからじゃない?」
「何が意地悪だ。そりゃあそうだろ! 何のためにアイツはバイトしてるんだ⁉ 学費はもちろん、生活費も少し助けてやってるのに、自分の交通費くらいは……」
「咲の場合、バイト代は本か服に消えてそう」
「そうだとは思うが……。紗子はそれでいいのか⁉ アイツは盆も帰ってこなかったんだぞ」
怒るオレとは対照に、目の前に座っている妻、紗子は平然としている。むしろ、オレを見ることなく、「あ、これ、もう少ないから取り分けちゃうね」なんて小声で言いながら、紅白かまぼこをオレの皿に置いている。
「家を出て半年だから帰ってこなくても良いって言ったのはあなたでしょ」
「うっ……。それはだな、正月は帰って来ると思って……」
「そんなに言うなら交通費出してあげれば良かったのに」
「だからだな……って、これでは堂々巡りじゃねぇか!」
頭を押さえるオレを尻目に紗子は数の子を小気味のいい音を立てつつ咀嚼し、飲み込む。
「咲、一人暮らし、とても楽しんでるみたいよ。お友達とお泊り会したり、文化祭参加したりね」
咲と紗子は友達のように距離が近く、仲のいい親子関係を築いている。頻繁にメッセージのやりとりもしている。反対にオレは咲と連絡を取らない。もともとお互いにあれこれ話す方ではなかったしな。父と娘なんぞそんなもんだろう。
「アイツを遊ばせるために大学に行かせたワケじゃねぇのによ」
「ちゃんと勉強してるわよ……たぶん」
二人とも黙り込む。咲は勉強しない、成績も毎度赤点ギリギリ綱渡り。アイツが高校時代に、補習に一度も引っかからなかったのは本当に奇跡だったと思う。その上、遅刻や忘れ物は日常茶飯事。父親のオレが高校で国語教師やってるっていうのに恥ずかしい限りだが……。
そんなアイツが、「県外の大学を受験したい、合格したら一人暮らしをする」と言い出した時は反対した。だが、咲は真面目で、好きなことにはとことんのめり込むタイプだ。「喜志芸術大学で小説を書くための技術を学びたい」という気持ちは強いものだった。オレはその真剣な気持ちを受け取り、送り出した。
「でもさ、学校終わったら部屋にこもって、友達と遊ぶこともあんまりなかったあの子に遊ぶ機会が増えてるってすごいことだと思うなぁ」
「それはそうだが」
「咲が一人、知らない土地で生活して、お友達も彼氏も出来て毎日元気に頑張ってるのを私はすっごく嬉しいの。それに、正月だからってそんなに強制しなくてもいいんじゃない? 咲だって一生帰ってこないって言ってるわけじゃなくて……」
「でも、正月だぞ? 正月なのに家族三人揃わないって……ん?」
「なに?」
「今、彼氏って言わなかったか?」
「うん、言ったよ」
「おいおい、咲に彼氏がいるわけねぇだろ」
「失礼ね! 咲は世界で一番かわいいもん!」
「いや、そういう意味じゃなくてよ……」
「それに、仁志さんにも言ったよ」
「聞いてねぇよ」
この一言が引き金となってしまった。紗子はテーブルを一度大きく叩き、立ち上がる。顔は般若の面をつけているような、怒気に溢れた表情だった。
「私、言ったし! 仁志さん『ふーん』って……!」
「い、いつの話だ?」
「咲が文化祭楽しかったって写真送ってくれた時、『彼氏出来た』って報告してくれて……あーあ、また私の話うわの空で聞いてたんだ?」
「オマエはそう言うけどな、ちゃんと聞いてる」
「じゃあ、私がこないだ悩んでるって話した服のこと覚えてる?」
「服ぅ?」
オレの返答に紗子は頬を膨らませる。
「もう! 憧れのカグラミイコがついに私たち庶民でも手が届く低価格のブランド始めるの! 東京にその第一号店出来るから今度旅行がてら見に行こうって言ったじゃん!」
「服くらい好きなの買えばいいだろ」
「仁志さんと一緒に行って選びたかったの!」
「オレに服のセンスないのわかってるのに、なんでオマエはいつもいつも……」
「五十一歳オジさんのセンスなんか頼りにしてない! 私は仁志さんと旅行行きたいの! ずっと子育てに追われてさ! 夫婦水入らずで旅行行ったの、新婚旅行くらいじゃん! 新婚旅行だって最初『連休取りにくい』とかうだうだ言って水に流しかけたこと未だに根に持ってるんだから!」
紗子は勢いよくまくしたてると、箸を昆布巻きに突き刺し、口に含んだ。
そんなオレは、十九年前、父親になった。生まれたばかりの娘、そして愛おしそうに彼女を抱く妻。幸せを噛みしめる反面、
「父親を知らないオレが父親になれるのだろうか」
そんな不安を抱えて、でもガムシャラに、精一杯、娘を愛してきた。
「か、帰ってこないだとー⁉」
オレは思わず椅子から立ち上がる。テーブルの上の雑煮がこぼれかけるのが見えて、慌ててお椀を押さえる。
「おいおい、三が日過ぎに帰って来るんじゃなかったのか」
「帰ってこないよ~」
「帰ってこないよ~……って、呑気におせちをつつくな! なんで咲は帰省しねぇんだ!」
新年が始まってまだ三日しか経ってないってのに、朝っぱらから声を荒らげている自分が恥ずかしい。だが、こんな大事件、叫ばずにはいられない。
「仁志さんが『バイトしてるんだから、交通費は自分で出せ』なんて意地悪なこと言うからじゃない?」
「何が意地悪だ。そりゃあそうだろ! 何のためにアイツはバイトしてるんだ⁉ 学費はもちろん、生活費も少し助けてやってるのに、自分の交通費くらいは……」
「咲の場合、バイト代は本か服に消えてそう」
「そうだとは思うが……。紗子はそれでいいのか⁉ アイツは盆も帰ってこなかったんだぞ」
怒るオレとは対照に、目の前に座っている妻、紗子は平然としている。むしろ、オレを見ることなく、「あ、これ、もう少ないから取り分けちゃうね」なんて小声で言いながら、紅白かまぼこをオレの皿に置いている。
「家を出て半年だから帰ってこなくても良いって言ったのはあなたでしょ」
「うっ……。それはだな、正月は帰って来ると思って……」
「そんなに言うなら交通費出してあげれば良かったのに」
「だからだな……って、これでは堂々巡りじゃねぇか!」
頭を押さえるオレを尻目に紗子は数の子を小気味のいい音を立てつつ咀嚼し、飲み込む。
「咲、一人暮らし、とても楽しんでるみたいよ。お友達とお泊り会したり、文化祭参加したりね」
咲と紗子は友達のように距離が近く、仲のいい親子関係を築いている。頻繁にメッセージのやりとりもしている。反対にオレは咲と連絡を取らない。もともとお互いにあれこれ話す方ではなかったしな。父と娘なんぞそんなもんだろう。
「アイツを遊ばせるために大学に行かせたワケじゃねぇのによ」
「ちゃんと勉強してるわよ……たぶん」
二人とも黙り込む。咲は勉強しない、成績も毎度赤点ギリギリ綱渡り。アイツが高校時代に、補習に一度も引っかからなかったのは本当に奇跡だったと思う。その上、遅刻や忘れ物は日常茶飯事。父親のオレが高校で国語教師やってるっていうのに恥ずかしい限りだが……。
そんなアイツが、「県外の大学を受験したい、合格したら一人暮らしをする」と言い出した時は反対した。だが、咲は真面目で、好きなことにはとことんのめり込むタイプだ。「喜志芸術大学で小説を書くための技術を学びたい」という気持ちは強いものだった。オレはその真剣な気持ちを受け取り、送り出した。
「でもさ、学校終わったら部屋にこもって、友達と遊ぶこともあんまりなかったあの子に遊ぶ機会が増えてるってすごいことだと思うなぁ」
「それはそうだが」
「咲が一人、知らない土地で生活して、お友達も彼氏も出来て毎日元気に頑張ってるのを私はすっごく嬉しいの。それに、正月だからってそんなに強制しなくてもいいんじゃない? 咲だって一生帰ってこないって言ってるわけじゃなくて……」
「でも、正月だぞ? 正月なのに家族三人揃わないって……ん?」
「なに?」
「今、彼氏って言わなかったか?」
「うん、言ったよ」
「おいおい、咲に彼氏がいるわけねぇだろ」
「失礼ね! 咲は世界で一番かわいいもん!」
「いや、そういう意味じゃなくてよ……」
「それに、仁志さんにも言ったよ」
「聞いてねぇよ」
この一言が引き金となってしまった。紗子はテーブルを一度大きく叩き、立ち上がる。顔は般若の面をつけているような、怒気に溢れた表情だった。
「私、言ったし! 仁志さん『ふーん』って……!」
「い、いつの話だ?」
「咲が文化祭楽しかったって写真送ってくれた時、『彼氏出来た』って報告してくれて……あーあ、また私の話うわの空で聞いてたんだ?」
「オマエはそう言うけどな、ちゃんと聞いてる」
「じゃあ、私がこないだ悩んでるって話した服のこと覚えてる?」
「服ぅ?」
オレの返答に紗子は頬を膨らませる。
「もう! 憧れのカグラミイコがついに私たち庶民でも手が届く低価格のブランド始めるの! 東京にその第一号店出来るから今度旅行がてら見に行こうって言ったじゃん!」
「服くらい好きなの買えばいいだろ」
「仁志さんと一緒に行って選びたかったの!」
「オレに服のセンスないのわかってるのに、なんでオマエはいつもいつも……」
「五十一歳オジさんのセンスなんか頼りにしてない! 私は仁志さんと旅行行きたいの! ずっと子育てに追われてさ! 夫婦水入らずで旅行行ったの、新婚旅行くらいじゃん! 新婚旅行だって最初『連休取りにくい』とかうだうだ言って水に流しかけたこと未だに根に持ってるんだから!」
紗子は勢いよくまくしたてると、箸を昆布巻きに突き刺し、口に含んだ。
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