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おまけ
初夏の出来事
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桂さんのアルバイト先である雑貨屋の前を通りかかると、まだ明かりがついていた。僕の働いている書店より、ここは三十分早い二十一時半に閉店時間を迎える。だから、いつもなら店内の電気が消えている。照明が点いているイコール、なにかしらトラブルなどで閉店作業がおしているということなのだ。僕は自転車から降り、店の裏手へまわる。店の電気が点いている時は、なるべく一緒に帰るようにしている。僕自身の防犯でもあり、桂さんも少し安心するんじゃないかと思って。すると、
「駿河っちじゃん! おつかれ~」
「店長さん、お疲れ様です」
裏口の前で桂さんがいつもお世話になっている店長さんがタバコを吸っていた。
店長さんと初めてお会いした日は今でも忘れられない。桂さんも僕も互いに昼シフト、夕方五時上がりだったゴールデンウィーク中のある日。「帰りに待ち合わせて、近所に出来たファミレスに行こう」と誘われた。僕の方が先に終わり、お店に着くと、桂さんから申し訳なさそうに、
「もう少しで終わるから、店の裏んとこで待ってて」
と言われた。裏に行くと、今日みたいに店長さんはタバコ休憩中だった。健康的な褐色の肌を大胆に露出している服装、目元に大粒のラメが輝くメイク、そしてタバコ。派手で強そうなイメージを持たせる女性だった。僕がビビッた顔で立ち尽くしていると、
「ん? アタシの店の裏で何か用?」
鋭い目つきで睨みつけられた。
「このお店でお世話になってる桂咲さんの友人で、駿河総一郎と申します」
やや震えた声で自己紹介すると、
「桂っちのストーカーとかじゃないよね?」
とかなり怪しまれた。タイミングよく店から出て来た桂さんに「彼は本当に友人であること」「この後約束があって待ち合わせしていたこと」を説明してもらい、大事にはならなかった。
女性店員しかいない店の裏に、従業員の友人だと言う男がやってきたら、警戒されるのも仕方ない。「不安にさせてしまってすいません」とひたすら謝るしかなかった。誤解が解けた後は、店長さんから気さくに話しかけてくれるようになったからよかったけれど。
「今日ね、閉店十分前にプレゼント包装希望の人が駆け込んできちゃって。しかも、商品選ぶのに時間かけるし、購入した十個の雑貨、全部プレゼント包装。蛍の光流れてんのわかってんのにありえなくない?」
「たまにありますね。閉店間際に駆け込んできて、何十冊も買って全部ブックカバーつけてくださいとか」
「まぁ、売り上げになるからいいんだけど、ぶっちゃけめんどくさいよねー」
「店員側からすると、正直そうですよね」
「その上、お客さんがさぁ、『急いでんだけど』オーラ出してきて。桂っちもこんなたくさんの包装は初でテンパって、もうてんてこまい。今さっきようやく三十分遅れで閉店作業始めたところ。だから、もうちょい待ってもらう感じだわ。ごめんね」
「いえいえ。僕が勝手に待つだけなので」
「そういやさー、桂っちに誕生日プレゼント渡したんだって?」
「えっ! ああ、はい。でもなんでそのことを」
「出勤してきて早々に『駿河にこのスニーカー、プレゼントでもらったんすよ』って自慢されたし」
「そうだったんですね」
「あのドがつくほどピンクのスニーカー、めっちゃ良いね。カワイイ。桂っちも超喜んでたよ」
「気に入ってもらえてるなら良かったです」
こないだの土曜日、天王寺に遊びに行った際に桂さんに誕生日プレゼントとして渡したピンク色のスニーカー。バイトの時も履いていって、自慢しているとは。少し照れてしまう。
「そーいや、ずっと気になってたんだけど、アンタたちってもう付き合ってんだよね?」
「い、いえ! 僕らは友達です」
「そっかぁ。お似合いなのに」
「そうですか?」
ニヤけそうな頬を頑張って押さえつけ、平然を装う。好きな人とお似合いだと言われて嫌な気になるわけがない。店長さんは大きくタバコを吸うと、「はぁ~」とため息と一緒に吐き出した。
「アタシが桂っちくらい若かったらなぁ。速攻、駿河っちに告ったのに」
「へっ?」
「そんなドン引きしないでくれる?」
「いえ! 引いてなんてないです。突然告るとか言われてびっくりして……」
「ははっ! 冗談だよ。でもね、駿河っち、アタシの初恋の人に似てんの。ちょっとだけだけどね。ま、たとえ告っても駿河っちは桂っちのことしか見えてないもんねぇ」
「いやぁ……その……そうですね」
やっぱりなという、確信を得た店長さんの悪戯さが伺える笑顔。書店で一緒に働く、ベテランの女性スタッフさんたちに「よくお店に来て話し込んでる女の子誰?」と桂さんのことを訊かれた時も同じ表情だったな。年上の女性には何も隠せないなと白旗を上げる。
「お節介だけどさ、卒業するまでに~とか言わず、さっさと告るほうがいいよ。釘は熱いうちに打てって言うじゃん」
「……もしかして『鉄は熱いうちに打て』ですか?」
「あー、それそれ。ま、いずれ告白しようとして結局出来なかった人生の先輩の失敗談だと思って聞き流しといて」
そう言うと、ポケットから携帯灰皿を取り出すと、吸い殻を入れた。
「じゃ、一旦店戻るわ。桂っちには駿河っちがいるからサッサと終わらせなよって言っておく」
店長さんが店内に戻り、一人になった。夜も蒸し暑くなってきた。今日は風も吹かず、じっとりとした汗が纏わりついている。帰ったらすぐにお風呂だな。
早めに告白するべき、か。大学時代が人生の中で一番自由な時間だと、何かの本やネット記事で読んだ。高校生と社会人の間の時期。規則にも、時間に縛られない。だからこそこの時期に興味のある勉強も、日数のかかる海外旅行も、そして恋愛も、なんでも体験しておくべきだと。
でも、もし断られたら? 大学はあと三年通わなきゃならない。しかも、桂さんに至っては同じ学科、マンションの部屋が隣同士と気まずいこと極まりない。今のような心置きなく話せる友達には戻れない。
何で好きだと気づいてしまったんだろう。友達のままずっと一緒にいた方が幸せだったかもしれないのに。桂さんの優しいところやおもしろいところ。小さな「好き」が降り積もって、天王寺に遊びに行ったあの日、「僕は桂咲さんのことが好きだ」と気づいた。恋人として近くにいたい、触れたい、好きでいてほしいと願ってしまった。
今まで出会って来た人には抱いたことがない、僕にとっての初恋。本はそれなりに読んできた。けど、自分がいざこういう場に上がると、どうにもうまく立ち回れそうにない。いつも通りを心掛けて、嫌われないように。それくらいしか浮かばない。これじゃあ、いつまで経っても告白出来ないだろうな。
一人で今後の対策を練ろうとしていると、桂さんと店長さんが店から出て来た。桂さんはどこかぐったりしている。
「あ、お疲れ様です」
「駿河待たせてごめん。マジ疲れた」
「話は聞きました。たくさんの梱包、頑張ったんですよね? すごいです」
「うおっ? なんだよ、褒めてくれんの?」
「特別に」
「特別ってなんだよぉ。普段からもっと褒めてくれたっていいんだからな」
「普段から褒めすぎたら、本当に褒めてほしい時にありがたみ感じませんよ」
寝坊や忘れ物が多く、部屋も散らかりがちの桂さんだが、褒めるべきところは実は結構ある。料理上手だし、書く小説はおもしろく、喜怒哀楽がころころと変わる表情もなんだかんだ愛らしい。だけど、恋人でもない異性から「そういうとこ良いね!」なんていろいろ言われたら気持ち悪がられるだろう。気をつけないと。
店長さんと別れ、家路につくため、お互い自転車で走る。
「駿河はウチの店長とホント仲いいよな」
前を走る僕に届くように少し大きな声量で桂さんが言う。
「いつもお声がけしてくださるので」
「店長、駿河が待ってない日はなんか悲しそうな顔すんだよ」
「そうなんですね」
「まったくワタシより気に入られてどーすんだよ」
桂さんの軽やかに笑う声が風に乗って聞こえる。
「あ、そうだ。駿河ぁ」
「なんです?」
「途中でコンビニ寄っていい?」
「いいですよ」
僕らが住むマンションの手前にあるコンビニに入る。レジには人がおらず、二人いる店員さんは品出しで忙しそうだ。僕は食材を買うとなると、駅前にあるスーパーに行く。特売の商品を探して、自炊が基本。そのためコンビニにはあまり入らない。スーパーでも見かける商品も多いのに、なんだかすべてが目新しく見える。
「今日はほとほと疲れたから、甘いもの買うぞ」
桂さんは意気揚々とカゴを手に持つと、早速入り口のアイスコーナーを見ている。
「駿河って好きなアイスとかお菓子とかある?」
「あまり食べたこと自体がないのでピンとこないんですよね」
おこづかいをもらえない、おやつの時間というものもない家庭環境下で育った僕。高校時代に先輩がお菓子やジュースをこっそり持ってきて、分けてもらった時に食べたくらいだ。こうやってコンビニやスーパーに行っても、お菓子やアイスのコーナーには普段立ち寄らない。
「そっか。じゃあ、ワタシチョイスでなんか買うから一緒に食べようぜ」
そう言って商品をあれやこれやと入れていく。
「そんなに買うんですか?」
「えっ、たぶん二千円はいかないくらいだぞ?」
「お菓子やジュースで二千円ってなかなかかと」
「自分の機嫌は自分で取る。そのための出費」
「今日そんなに大変だったんですね」
「そりゃあもう……。お菓子食べつつ、あとでたっぷり話聞いてくれな?」
「わかりましたよ」
買い物を終え、マンションに着くと、
「お風呂入ったら駿河んとこ行くから。ジュースは冷蔵、アイスはちゃんと冷凍室に入れとくんだぞ。じゃ、あとで」
と買った商品が入ったビニール袋を僕に手渡すと部屋に入って行った。何もなければ、お風呂に入った後、軽く食事を摂って、小説を書いたり読書をしてから寝ている。お菓子食べるならご飯は抜いておこう。
三十分後、インターフォンが鳴る。液晶画面には桂さんが立っている。ドアを開けると、
「駿河っ! 甘いもん食べるぞ!」
サンダルを脱いで、キッチンに直行した。Tシャツに緑色ジャージのハーフパンツ、すっかり見慣れた部屋着姿。風呂上りだから顔はすっぴんで、どこか少し幼く見える。
「さて何から食べる? やっぱ暑いしアイスか?」
バイト終わりで疲れているはずなのに、生き生きとしている。僕は床に座りながら、
「桂さんが食べたいものからでいいですよ」
と言うと、
「じゃ、アイスから行くか!」
冷凍室から二人分のアイスを手にし、僕の横に座った。胸元まである長い髪。下ろしているから、少し動くだけでシャンプーの香りがふわりと漂ってくる。
「これ、アイスの中でもかなり有名なヤツなんだよ」
「へぇ、そうなんですね」
全体が水色のパッケージに、男子小学生のキャラクターが描かれている。その横の吹き出しに「ソーダ味」と表記がある。
「風呂上りにはこういうサッパリしたシャーベット系のアイスが火照った身体に染み渡るんだなぁ~」
袋を開けると木の棒に刺さった水色のアイスが出て来た。一口かじる。思ってたより柔らかく、ほろほろと砕ける。口に含むとすぐに溶けて、ほどよい甘さが舌に広がる。喉ごしも後味も爽やか。好みの味だ。
「どうだ駿河?」
「とてもおいしいです」
「そうだろ。他のも開けるかー」
「まだアイス食べてるのにですか」
アイス片手に、コンビニ袋をひっくり返し、中身をローテーブルに出す。動物の形をしているクッキー、イチゴやバナナなど様々な味が入っているチョコレート、ビッグサイズのポテトチップス。グミは同じメーカーの味違いで数袋。シール付きのウエハースもある。そうだ、まだ冷蔵庫にはコーラが控えているし。
「これこそ豪勢ってやつだよな~」
「いつもこんなに買うんですか?」
「さすがに毎回じゃねぇよ。いつもはこの半分くらい。今日は疲れMAXだし、駿河がいるからな。奮発した」
バイトでの出来事から、いつものように創作のことや、最近読んだ本について桂さんと話す。そういえば、こんな夜遅くに会って話すのは初めてだな。深夜に友達とはいえ、女性を招き入れる……いや、向こうが上がりこんでるんだけど、あまり良くはないだろうな。でも、お菓子を食べながら、好きな人と話をするのは、なぜこんなに楽しいんだろう。
「ふふっ……アハハ!」
「ちょっと、突然なんです?」
「いや、駿河、めっちゃお菓子食べるからさ。気づいたら、だんだん面白くなっちゃって」
気がつけば、机の上にお菓子の包装袋が散らばっている。慌ててまとめて、ゴミ箱に捨てる。
「すいません。ついつい手が伸びてしまって」
「いいんだよ。ちなみにどれがおいしかった?」
「どれもおいしくて……決めれないですね」
ものによっては名前もパッケージも初めて知ったが、どれもおいしく、気づけば頬が緩む。写真に撮って、またスーパーで探せるようにしておこうなんて思っている。
「そっかそっか。ワタシのチョイスに間違いはなかったってワケだ」
嬉しそうに言ったあと、
「ほんと、駿河、出会った頃より表情柔らかくなったよな」
「そう、ですかね?」
「だんだん、いろんな表情見せてくれるようになって嬉しいなーって。特に今さっきみたいに駿河の笑った顔、すごく良いと思うぞ」
咄嗟にうつむいて表情を隠す。
「なぁんだ、駿河照れてんのか?」
「……わかってるなら、少し放っておいてください。恥ずかしいので」
「へへっ、カワイイヤツめ」
「誰がカワイイですか」
「悪い悪い」
「まったく。僕をあまりからかわないでください」
顔を上げると桂さんと視線が合った。彼女は僕の瞳の奥を覗くように見ている。
「……駿河といると疲れも嫌なことも忘れられる。ありがと」
そう言うと微笑んだ。
この人は、恐ろしいほどに素直だ。好きも嫌いも、感謝の気持ちも、どんな感情でも表情や言葉でストレートに表現する。
僕だってそう思っているのに。いつもの笑顔も、恥ずかしそうにはにかむ顔も、たまに見せる微笑みも、あなたの笑う顔が好きだ。あなたといると、楽しいことがたくさんあって。こんなに楽しい生活は生まれて初めてなんだ、と。そう伝えられたなら。彼女のようにはうまく出来ない、もどかしさ。
「あの……その……」
「ん?」
「……僕ら明日授業あるのにこんなにのんびり話しこんでていいんですか?」
「まだ日付変わったとこだろ? ワタシ、いつもまだ起きてるし」
「それならいいですけど、朝、どうなっても僕は知りませんからね」
「そう言いながら起こしてくれるだろ、駿河は。だから、もう少しだけ、な?」
「まったく、桂さんは……」
僕はいつ自分の思いを桂さんに伝えることが出来るだろうか。焦る気持ちと、まだこうしてこの関係のままでいたいと思う気持ちの間で揺れ動いていた。僕の夜明けはまだ少し遠い。
「駿河っちじゃん! おつかれ~」
「店長さん、お疲れ様です」
裏口の前で桂さんがいつもお世話になっている店長さんがタバコを吸っていた。
店長さんと初めてお会いした日は今でも忘れられない。桂さんも僕も互いに昼シフト、夕方五時上がりだったゴールデンウィーク中のある日。「帰りに待ち合わせて、近所に出来たファミレスに行こう」と誘われた。僕の方が先に終わり、お店に着くと、桂さんから申し訳なさそうに、
「もう少しで終わるから、店の裏んとこで待ってて」
と言われた。裏に行くと、今日みたいに店長さんはタバコ休憩中だった。健康的な褐色の肌を大胆に露出している服装、目元に大粒のラメが輝くメイク、そしてタバコ。派手で強そうなイメージを持たせる女性だった。僕がビビッた顔で立ち尽くしていると、
「ん? アタシの店の裏で何か用?」
鋭い目つきで睨みつけられた。
「このお店でお世話になってる桂咲さんの友人で、駿河総一郎と申します」
やや震えた声で自己紹介すると、
「桂っちのストーカーとかじゃないよね?」
とかなり怪しまれた。タイミングよく店から出て来た桂さんに「彼は本当に友人であること」「この後約束があって待ち合わせしていたこと」を説明してもらい、大事にはならなかった。
女性店員しかいない店の裏に、従業員の友人だと言う男がやってきたら、警戒されるのも仕方ない。「不安にさせてしまってすいません」とひたすら謝るしかなかった。誤解が解けた後は、店長さんから気さくに話しかけてくれるようになったからよかったけれど。
「今日ね、閉店十分前にプレゼント包装希望の人が駆け込んできちゃって。しかも、商品選ぶのに時間かけるし、購入した十個の雑貨、全部プレゼント包装。蛍の光流れてんのわかってんのにありえなくない?」
「たまにありますね。閉店間際に駆け込んできて、何十冊も買って全部ブックカバーつけてくださいとか」
「まぁ、売り上げになるからいいんだけど、ぶっちゃけめんどくさいよねー」
「店員側からすると、正直そうですよね」
「その上、お客さんがさぁ、『急いでんだけど』オーラ出してきて。桂っちもこんなたくさんの包装は初でテンパって、もうてんてこまい。今さっきようやく三十分遅れで閉店作業始めたところ。だから、もうちょい待ってもらう感じだわ。ごめんね」
「いえいえ。僕が勝手に待つだけなので」
「そういやさー、桂っちに誕生日プレゼント渡したんだって?」
「えっ! ああ、はい。でもなんでそのことを」
「出勤してきて早々に『駿河にこのスニーカー、プレゼントでもらったんすよ』って自慢されたし」
「そうだったんですね」
「あのドがつくほどピンクのスニーカー、めっちゃ良いね。カワイイ。桂っちも超喜んでたよ」
「気に入ってもらえてるなら良かったです」
こないだの土曜日、天王寺に遊びに行った際に桂さんに誕生日プレゼントとして渡したピンク色のスニーカー。バイトの時も履いていって、自慢しているとは。少し照れてしまう。
「そーいや、ずっと気になってたんだけど、アンタたちってもう付き合ってんだよね?」
「い、いえ! 僕らは友達です」
「そっかぁ。お似合いなのに」
「そうですか?」
ニヤけそうな頬を頑張って押さえつけ、平然を装う。好きな人とお似合いだと言われて嫌な気になるわけがない。店長さんは大きくタバコを吸うと、「はぁ~」とため息と一緒に吐き出した。
「アタシが桂っちくらい若かったらなぁ。速攻、駿河っちに告ったのに」
「へっ?」
「そんなドン引きしないでくれる?」
「いえ! 引いてなんてないです。突然告るとか言われてびっくりして……」
「ははっ! 冗談だよ。でもね、駿河っち、アタシの初恋の人に似てんの。ちょっとだけだけどね。ま、たとえ告っても駿河っちは桂っちのことしか見えてないもんねぇ」
「いやぁ……その……そうですね」
やっぱりなという、確信を得た店長さんの悪戯さが伺える笑顔。書店で一緒に働く、ベテランの女性スタッフさんたちに「よくお店に来て話し込んでる女の子誰?」と桂さんのことを訊かれた時も同じ表情だったな。年上の女性には何も隠せないなと白旗を上げる。
「お節介だけどさ、卒業するまでに~とか言わず、さっさと告るほうがいいよ。釘は熱いうちに打てって言うじゃん」
「……もしかして『鉄は熱いうちに打て』ですか?」
「あー、それそれ。ま、いずれ告白しようとして結局出来なかった人生の先輩の失敗談だと思って聞き流しといて」
そう言うと、ポケットから携帯灰皿を取り出すと、吸い殻を入れた。
「じゃ、一旦店戻るわ。桂っちには駿河っちがいるからサッサと終わらせなよって言っておく」
店長さんが店内に戻り、一人になった。夜も蒸し暑くなってきた。今日は風も吹かず、じっとりとした汗が纏わりついている。帰ったらすぐにお風呂だな。
早めに告白するべき、か。大学時代が人生の中で一番自由な時間だと、何かの本やネット記事で読んだ。高校生と社会人の間の時期。規則にも、時間に縛られない。だからこそこの時期に興味のある勉強も、日数のかかる海外旅行も、そして恋愛も、なんでも体験しておくべきだと。
でも、もし断られたら? 大学はあと三年通わなきゃならない。しかも、桂さんに至っては同じ学科、マンションの部屋が隣同士と気まずいこと極まりない。今のような心置きなく話せる友達には戻れない。
何で好きだと気づいてしまったんだろう。友達のままずっと一緒にいた方が幸せだったかもしれないのに。桂さんの優しいところやおもしろいところ。小さな「好き」が降り積もって、天王寺に遊びに行ったあの日、「僕は桂咲さんのことが好きだ」と気づいた。恋人として近くにいたい、触れたい、好きでいてほしいと願ってしまった。
今まで出会って来た人には抱いたことがない、僕にとっての初恋。本はそれなりに読んできた。けど、自分がいざこういう場に上がると、どうにもうまく立ち回れそうにない。いつも通りを心掛けて、嫌われないように。それくらいしか浮かばない。これじゃあ、いつまで経っても告白出来ないだろうな。
一人で今後の対策を練ろうとしていると、桂さんと店長さんが店から出て来た。桂さんはどこかぐったりしている。
「あ、お疲れ様です」
「駿河待たせてごめん。マジ疲れた」
「話は聞きました。たくさんの梱包、頑張ったんですよね? すごいです」
「うおっ? なんだよ、褒めてくれんの?」
「特別に」
「特別ってなんだよぉ。普段からもっと褒めてくれたっていいんだからな」
「普段から褒めすぎたら、本当に褒めてほしい時にありがたみ感じませんよ」
寝坊や忘れ物が多く、部屋も散らかりがちの桂さんだが、褒めるべきところは実は結構ある。料理上手だし、書く小説はおもしろく、喜怒哀楽がころころと変わる表情もなんだかんだ愛らしい。だけど、恋人でもない異性から「そういうとこ良いね!」なんていろいろ言われたら気持ち悪がられるだろう。気をつけないと。
店長さんと別れ、家路につくため、お互い自転車で走る。
「駿河はウチの店長とホント仲いいよな」
前を走る僕に届くように少し大きな声量で桂さんが言う。
「いつもお声がけしてくださるので」
「店長、駿河が待ってない日はなんか悲しそうな顔すんだよ」
「そうなんですね」
「まったくワタシより気に入られてどーすんだよ」
桂さんの軽やかに笑う声が風に乗って聞こえる。
「あ、そうだ。駿河ぁ」
「なんです?」
「途中でコンビニ寄っていい?」
「いいですよ」
僕らが住むマンションの手前にあるコンビニに入る。レジには人がおらず、二人いる店員さんは品出しで忙しそうだ。僕は食材を買うとなると、駅前にあるスーパーに行く。特売の商品を探して、自炊が基本。そのためコンビニにはあまり入らない。スーパーでも見かける商品も多いのに、なんだかすべてが目新しく見える。
「今日はほとほと疲れたから、甘いもの買うぞ」
桂さんは意気揚々とカゴを手に持つと、早速入り口のアイスコーナーを見ている。
「駿河って好きなアイスとかお菓子とかある?」
「あまり食べたこと自体がないのでピンとこないんですよね」
おこづかいをもらえない、おやつの時間というものもない家庭環境下で育った僕。高校時代に先輩がお菓子やジュースをこっそり持ってきて、分けてもらった時に食べたくらいだ。こうやってコンビニやスーパーに行っても、お菓子やアイスのコーナーには普段立ち寄らない。
「そっか。じゃあ、ワタシチョイスでなんか買うから一緒に食べようぜ」
そう言って商品をあれやこれやと入れていく。
「そんなに買うんですか?」
「えっ、たぶん二千円はいかないくらいだぞ?」
「お菓子やジュースで二千円ってなかなかかと」
「自分の機嫌は自分で取る。そのための出費」
「今日そんなに大変だったんですね」
「そりゃあもう……。お菓子食べつつ、あとでたっぷり話聞いてくれな?」
「わかりましたよ」
買い物を終え、マンションに着くと、
「お風呂入ったら駿河んとこ行くから。ジュースは冷蔵、アイスはちゃんと冷凍室に入れとくんだぞ。じゃ、あとで」
と買った商品が入ったビニール袋を僕に手渡すと部屋に入って行った。何もなければ、お風呂に入った後、軽く食事を摂って、小説を書いたり読書をしてから寝ている。お菓子食べるならご飯は抜いておこう。
三十分後、インターフォンが鳴る。液晶画面には桂さんが立っている。ドアを開けると、
「駿河っ! 甘いもん食べるぞ!」
サンダルを脱いで、キッチンに直行した。Tシャツに緑色ジャージのハーフパンツ、すっかり見慣れた部屋着姿。風呂上りだから顔はすっぴんで、どこか少し幼く見える。
「さて何から食べる? やっぱ暑いしアイスか?」
バイト終わりで疲れているはずなのに、生き生きとしている。僕は床に座りながら、
「桂さんが食べたいものからでいいですよ」
と言うと、
「じゃ、アイスから行くか!」
冷凍室から二人分のアイスを手にし、僕の横に座った。胸元まである長い髪。下ろしているから、少し動くだけでシャンプーの香りがふわりと漂ってくる。
「これ、アイスの中でもかなり有名なヤツなんだよ」
「へぇ、そうなんですね」
全体が水色のパッケージに、男子小学生のキャラクターが描かれている。その横の吹き出しに「ソーダ味」と表記がある。
「風呂上りにはこういうサッパリしたシャーベット系のアイスが火照った身体に染み渡るんだなぁ~」
袋を開けると木の棒に刺さった水色のアイスが出て来た。一口かじる。思ってたより柔らかく、ほろほろと砕ける。口に含むとすぐに溶けて、ほどよい甘さが舌に広がる。喉ごしも後味も爽やか。好みの味だ。
「どうだ駿河?」
「とてもおいしいです」
「そうだろ。他のも開けるかー」
「まだアイス食べてるのにですか」
アイス片手に、コンビニ袋をひっくり返し、中身をローテーブルに出す。動物の形をしているクッキー、イチゴやバナナなど様々な味が入っているチョコレート、ビッグサイズのポテトチップス。グミは同じメーカーの味違いで数袋。シール付きのウエハースもある。そうだ、まだ冷蔵庫にはコーラが控えているし。
「これこそ豪勢ってやつだよな~」
「いつもこんなに買うんですか?」
「さすがに毎回じゃねぇよ。いつもはこの半分くらい。今日は疲れMAXだし、駿河がいるからな。奮発した」
バイトでの出来事から、いつものように創作のことや、最近読んだ本について桂さんと話す。そういえば、こんな夜遅くに会って話すのは初めてだな。深夜に友達とはいえ、女性を招き入れる……いや、向こうが上がりこんでるんだけど、あまり良くはないだろうな。でも、お菓子を食べながら、好きな人と話をするのは、なぜこんなに楽しいんだろう。
「ふふっ……アハハ!」
「ちょっと、突然なんです?」
「いや、駿河、めっちゃお菓子食べるからさ。気づいたら、だんだん面白くなっちゃって」
気がつけば、机の上にお菓子の包装袋が散らばっている。慌ててまとめて、ゴミ箱に捨てる。
「すいません。ついつい手が伸びてしまって」
「いいんだよ。ちなみにどれがおいしかった?」
「どれもおいしくて……決めれないですね」
ものによっては名前もパッケージも初めて知ったが、どれもおいしく、気づけば頬が緩む。写真に撮って、またスーパーで探せるようにしておこうなんて思っている。
「そっかそっか。ワタシのチョイスに間違いはなかったってワケだ」
嬉しそうに言ったあと、
「ほんと、駿河、出会った頃より表情柔らかくなったよな」
「そう、ですかね?」
「だんだん、いろんな表情見せてくれるようになって嬉しいなーって。特に今さっきみたいに駿河の笑った顔、すごく良いと思うぞ」
咄嗟にうつむいて表情を隠す。
「なぁんだ、駿河照れてんのか?」
「……わかってるなら、少し放っておいてください。恥ずかしいので」
「へへっ、カワイイヤツめ」
「誰がカワイイですか」
「悪い悪い」
「まったく。僕をあまりからかわないでください」
顔を上げると桂さんと視線が合った。彼女は僕の瞳の奥を覗くように見ている。
「……駿河といると疲れも嫌なことも忘れられる。ありがと」
そう言うと微笑んだ。
この人は、恐ろしいほどに素直だ。好きも嫌いも、感謝の気持ちも、どんな感情でも表情や言葉でストレートに表現する。
僕だってそう思っているのに。いつもの笑顔も、恥ずかしそうにはにかむ顔も、たまに見せる微笑みも、あなたの笑う顔が好きだ。あなたといると、楽しいことがたくさんあって。こんなに楽しい生活は生まれて初めてなんだ、と。そう伝えられたなら。彼女のようにはうまく出来ない、もどかしさ。
「あの……その……」
「ん?」
「……僕ら明日授業あるのにこんなにのんびり話しこんでていいんですか?」
「まだ日付変わったとこだろ? ワタシ、いつもまだ起きてるし」
「それならいいですけど、朝、どうなっても僕は知りませんからね」
「そう言いながら起こしてくれるだろ、駿河は。だから、もう少しだけ、な?」
「まったく、桂さんは……」
僕はいつ自分の思いを桂さんに伝えることが出来るだろうか。焦る気持ちと、まだこうしてこの関係のままでいたいと思う気持ちの間で揺れ動いていた。僕の夜明けはまだ少し遠い。
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