リズの冒険日記

輝安鉱

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WARNING

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 クエスト二日目。

 新月の今日がいちばんヒュポスの襲撃が多いらしい。
 月の満ち欠けと一体なんの因果関係があるのか不明だが、確かに群れの現れる間隔は前日より短くなっている。

 協会印の強壮剤を一本キメて、明け方から討伐討伐。

 今日を凌げば明日からはぐっと数が減るらしい。森からいちばん近い依頼主宅の前で私たちががんばれば、他の家の被害も軽減されるらしく、村の人から感謝の印の差し入れをいただくこともあった。

「――うま~っ!」

 農家のおばちゃん特製のミートパイ。
 香ばしいソースと噛み応えのあるお肉、ぱりぱりの生地が最高の組合わせ。飲んだことないからわかんないけど、こういうのお酒が欲しくなるってやつなんじゃないかな。

「これなんのお肉ですか?」
「ヤグルだよ」

 さらりとおばちゃんが教えてくれる。
 あぁ、ヤグル。そう、ヤグルなのね。彼らを守りながら彼らの目の前でその肉を食してる状況、すごく人間の業って感じ。おいしいけどね。

「ここの人たちにとっては日常だから」

 ちょっと黙ってしまった私にヨーゼムが苦笑いしながら言う。彼も同じことを考えたんだろう。
 おばちゃんたちはそんな私たちをケラケラ笑ってた。

「気に入ったんなら一頭買ってく?」
「いいです、いいです」

 ありがたいお誘いを丁重にお断りし、油のついた指をなめる。
 群れが途切れている間に急いで腹ごしらえと休憩。多少眠くはあるが、明日まではなんとかもちそうだ。

 ヨーゼムなんて、私が見張りを交代している間に夜の分のヤグルの餌やりや飲み水の入れ替えなどお家の仕事まで手伝ってあげていた。その体力と気遣いにほんと感心する。これが依頼主にまた来てほしいと思われる秘訣だろうか。

 ちなみにアヴィさんは、昨日と同じ。後ろにいるにはいるが寝てるだけ。魔物の数が増えても変わらなかった。お前らだけで対処できるだろってスタンス。何しに来たのかなこの人。

 ヨーゼムとアヴィさん、正反対な二人と組めて今回は諸々、勉強になった。
 午後も引き続きがんばるぞー。

 パイを食べきり、次は矢の回収のため腰を上げる。
 
 すると、遠くから鳥の鳴き声が聞こえた。
 
「――?」

 森のほう、背の高い木々の先が揺れていた。
 鳥たちが何かに追われるように飛び立ち、その群れがこちらに向かってくる。魔術を使って木々の間の暗がりによぉく目を凝らし、見えたのは――

「ヨーゼムっ!! なんかでっかいのが来るっ!!」
「え!?」

 おばちゃんたちと寛いでいたヨーゼムは慌てふためく。

 森から出てきたのは、角を持つ巨人。

 身丈は人の身長の三倍か、四倍か。 
 頭の形は鹿に似ており、枝分かれした二本の角もまさしくそれらしい。豊かな体毛は苔のような緑色。手足は人に近い形をしていて二足歩行。
 片手に倒木を引きずり、草原を走ってやってくる。

「み、皆さん早く避難してくださいっ!」

 ヨーゼムが村人たちの避難を優先する中、私は矢をつがえて困惑していた。

「なに、あれ……?」

 巨人というか巨鹿の存在もそうだけれど、その角の少し下、人間で言うなればこめかみのあたりに張り付いている黒いものが気になる。

 そこに注目して魔術を使う。と、黒い何かに複数の手足が生えているのが見えた。

「っ!」

 私は即座に駆け出した。

 あれは、ヒュポスだ。

 何匹かのヒュポスが巨鹿の頭を食い破り、自分の頭を中に突き刺している。
 寄生してるんだ!

 脳を侵されているからか、巨鹿は赤い瞳から血を流していた。中途半端に開いた口からだらだらと涎が垂れ、近くまで行くと身の毛もよだつ呻き声が絶えず漏れている。

 私は弓をめいっぱい引き絞り、右方からこめかみのヒュポスを狙って矢を放った。

 けど、巨鹿が気づいて振り返ったため、額の骨に弾かれてしまった。

 ただ巨鹿の足は止められた。
 急いで次の矢をつがえて狙いを定める。ヒュポスを殺せば巨鹿を倒せるのかどうかは不明だが、あと他にどうしていいかわからない。

「伏せて!」

 矢を放つ寸前でヨーゼムの声が聞こえ、私は咄嗟に地面に身を投げ出した。
 直後に大木が上を通り過ぎる。
 その風圧に飛ばされてしまいそうだった。

 危なかった。古代魔術でピンポイントに狙いをつけていると、全体の動きが見えにくくなるんだった。
 特に相手は反則級に大きいのだから、普通のリーチで考えているとあっさり潰されてしまう。木を武器にするとかやめてほしい。

 村人たちを逃がすことはできたのか、ヨーゼムが双剣を抜いて巨鹿の間合いに入り込む。
 でも短剣使いじゃ、この巨躯の敵とは相性が悪過ぎだ。

 ヨーゼムが隙を狙って足を斬りつけるも、長い毛に覆われた体は浅くしか傷つかない。

 その時、巨鹿の角が一瞬光り、きぃん、と金属を打ち合わせるような音がしたかと思うと、私の頬を槍がかすめた。

 後ろの地面に刺さったものを見れば、槍というより、巨大な棘のようだった。
 三角の植物の棘に似てる。
 それが巨鹿の角から四方八方に振りまかれ、しばらく止まらなかった。

 なにこれなにこれ、じっとしてたら危ない!
 巨鹿が頭を振るから、足元にいたヨーゼムにも棘は振りかかり、彼も慌てて逃げなければならなかった。

 だめだ、なかなか攻撃の隙ができない。

「アヴィさんっ!!」

 私はあらん限りの声で、頼みの魔法使いを呼んだ。

 その姿を放牧場の横にすぐ見つけた。
 彼の周囲には、地面から光が伸びて、頂点でドーム状に交わっていた。

 駆け寄ったら、光のドームより中には入れなかった。光の線の間に見えない壁が嵌め込まれているみたい。
 これは、もしかしてあらゆる攻撃を防ぐという魔法障壁というやつ?
 やっぱりちゃんと魔法使えるんだ。

「アヴィさんも戦ってください! このままじゃ…っ」

 透明な壁をばんばん叩いて催促する。お願い出てきて!
 けれど、アヴィさんは引きつった顔で絶対に防御壁を解かなかった。

「あれは上位クエストのホーンケノスだぞ! 俺らでどうにかできるわけないだろ!?」

 ホーンケノス? それが巨鹿の名前? 何か知ってるなら教えてほしい。

「倒し方は!? 魔法は効かないんですか!?」
「知らねえよ! あっち行けよ固まってたら狙われるだろ!?」
「防御壁作れるんでしょ!? 援護してくださいよっ!」
「嫌だ!」

 嫌だって! そんなこと言ってる場合か!
 と憤慨する暇もなく、また棘が飛んできた。慌てて転げるように避け、もう仕方なくヨーゼムのもとへ走る。あの人だめだアテにならない。

 怖いのはそりゃそうだ。
 見るからにブロンズランクの私たちが敵うレベルではないし、ましてや魔物に寄生されている分、何をしてくるのかも予測不能。

 かといって、守らなきゃいけない人たちが後ろにいるのに縮こまっていられないじゃないか!

「ヨーゼム!」

 一生懸命駆け回ってホーンケノスの注意をひいてくれていたヨーゼムと合流。
 止まらず逃げながらの作戦会議を始める。

「あいつの頭に張り付いてるヒュポス、見えてる!?」
「ヒュポス!?」

 私もヨーゼムも怒鳴り合うみたいに声が大きくなってしまう。どうせ化け物相手だ、作戦が聞こえたって平気だろう。

「寄生されてるから村を襲おうとするのかも! あれ引き剥がしたら止まらないかな!?」
「と、とりあえずやってみようか!? リズの矢は届く!?」
「ちょっと難しい! さっきもはずした!」

 矢の回収前に相手が来たので、矢筒に残っているのはあと五本だ。

「ヨーゼムがあいつに登ってヒュポスを斬ることはできない!? 私が囮になるから!」
「え!? の、登るのはたぶんできるけど、でも!」
「私なら大丈夫! 防御用の魔術があるから! ヨーゼム行ってお願い!」
「っ、わかった!」

 すぐさま私は矢をつがえて放つ。
 わりと近距離から思いきり引き絞って放ったのに、ホーンケノスの体にはうまく刺さらず、相手が身動きするだけで抜けてしまう。よほど毛皮が分厚いのかもしれない。

 ただ、さすがに矢が刺さるのはムカつくようで、奴は私を目がけて大木を振り下ろす。

 当たれば死ぬ。
 その恐怖を堪え、立ち止まって魔術を発動した。

 私に向かう力はすべて打ち消す、アーデイティシルの古代魔術。

 以前ワントさんで試した時のように、ホーンケノスは急に地面に手を突き、木は私の真横に逸れて落ちた。怖い!

 すかさずヨーゼムが蹄の足でホーンケノスの腕を駆けのぼる。さながら山羊が崖の上を跳ねるような身軽さだ。
 怪物が体勢を立て直す前に肩まで辿り着く。
 そこから首の毛を掴んでさらに登り、こめかみに刺さったヒュポスたちを切り落とした。

 私はヨーゼムを払い落そうとするホーンケノスの手のひら目がけて立て続けに矢を放つ。その間にヨーゼムは頭の反対側に回り、そちらのヒュポスもすべて切り落とした。

 これでどうだ!?
 どうにかうまいこと正気に戻って森に帰ってほしい。矢、刺さんないんだもん。

 でも、少し経ってもホーンケノスの様子に変化はなし。

 だめだった!? 意味なし!? 次どうしよう!?

 ホーンケノスは頭の上をすばしこく逃げ回るヨーゼムを手で払い落そうとしてる。あの指にかすっただけでどれだけの衝撃かわからないし、落ちたら普通に死ぬ高さだ。
 ヨーゼムが危ない、けど矢はあと一本しかない。
 一本でどうやって……。

 ふと、ホーンケノスのこめかみに刺さったままのヒュポスの残骸が目についた。

 そうだ、ヒュポスには矢が刺さる。ヨーゼムが斬ってくれた断面へ矢を打ち込めば、ホーンケノスの脳にまで届くんじゃない?

 もちろん、それだけじゃだめだ。そもそも矢の一本で死ぬ体の大きさじゃない。脳味噌に致命的なほど深く刺せるかも怪しい。
 だから普通の矢じゃだめ。使うのは毒矢だ。

 私は急いでリュックから黒い丸薬の入った袋を取り出した。一粒ずつ紙に包んである丸薬を、直接素手で触らないように矢じりにくっつける。

「ヨーゼム、上に飛んで!」

 彼が近くにいては矢を放てない。間違えて当てたら、この毒は本当にひどいことになるから。
 
 ヨーゼムは私の声に反応し、襲い来るホーンケノスの手を避け、タイミングを見て高く跳び上がる。
 ホーンケノスもそちらに視線がつられた。

 私はホーンケノスが落とした大木の幹に立ち、こめかみを狙って矢を放つ。

 今度は的が動かず、当てることができた。

 矢は羽根が半分埋まるほど深く刺さった。
 そのためホーンケノスが野太い雄叫びを上げる。
 ヨーゼムはその頭にいったん着地したものの、ホーンケノスが暴れ留まることができない。

 私は矢を放った直後に全力で走り、ヨーゼムの落下地点へ手を伸ばした。

 古代魔術は私に向かう力をすべて無効化する。だったら落下の衝撃も無効化されるはず!

 最後は頭から勢いよく地面に滑り込む。
 背中から落ちかけたヨーゼムの下にぎりぎり片手が入り、彼の体は一瞬浮き上がって、私の手の横に静かに落ちた。

「ヨーゼム!?」

 ぱっと見たところ、大きな怪我はない。
 彼はびっくりした顔で仰向けに固まっている。

 それを急いで引っ張り起こし、苦しみもがくホーンケノスから離れた。

「な、なにをしたの?」
「我が家秘伝の毒を矢につけたの」

 代々製法を受け継いできた古代の猛毒。
 特別な器具と材料がなきゃ作れない。なかなか今まで使えなかったけど、あの巨鹿に効くかどうか。

 しばらくすると、ホーンケノスは

 矢の刺さったところから皮膚が黒く液状化し、徐々に全身に広がっていく。
 それとともに放たれる異臭。肉の腐る匂い。
 どろどろの中から骨が剥き出しになる。

 断末魔のような、ホーンケノスの呻き声。

 暴れる手足も、鳴くための筋肉も全部毒に溶かされる。

「なにをしたの!?」

 ヨーゼムが泣きそうな顔で肩を揺さぶってきた。
 いや、ええと、私もまさかここまでなるとは思わなかった。前に鳥を射った時にはこうなったけど、まさかあの巨体でも同じことになるなんて。
 毒というより呪いみたい。古代人、恐るべし。

 ホーンケノスは最後の力を振り絞って手を伸ばし、けれど結局、指先も村には届かないうちに、骨だけ残して溶け消えた。

 黒いどろどろが血だまりのように草地に広がっている。
 私もヨーゼムもしばらくは放心状態で、肩で息をしているだけだった。

 我に返ったのは、どこからか人の声が聞こえた時。

 村の人ではない。森から出てきたグラーザが二頭、こちらへすごい速さで向かっていた。

「おーいそこの人! 無事かぁ!?」

 近くまで来たその人たちの胸には、銀色に輝くメダルが付いていたのだった。
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