暗き闇夜に光あれ

sino

文字の大きさ
上 下
22 / 27

3話-7

しおりを挟む
ー22ー

突然の事態に体が対応できないのは何故か。
それは事態が見えていないからだ。
速すぎるか巨大すぎるかは問わないが、多くの場合見えていないからこそ人は対処できず潰れるのである。
人間その気になれば、時速300キロの球を綺麗に打ち返すことだって出来るのだ。
見えているのに対処できないはずはない。

勘違いしている。
そもそも陽子は『それ』の攻撃を無抵抗に受けていた訳じゃない。
殴りに行ったために躱すことができなかったのだ。カウンターなんて相手が自分より速くても躱せるものではない。
それを異形は勘違いした。
自分の攻撃を相手は対処できていないと。
つまり、自分の攻撃は問答無用で敵に当たるのだと。

その点で彼の指示は明確であった。
足を止める、立ち止まるということは自分から攻撃を仕掛けないことに繫がる。
要するに彼はこう言ったのだ。
防御に専念しろと。
それを知ってか知らずか彼女は相手の攻撃を見極めようと腰を少し落とした。
結果はすぐに目に見える形で現れた。

ー23ー

(…は?どうなってやがる。)
『それ』は目の前の異常事態に頭を悩まれていた。
攻撃が一切当たらない。
前、横、上。様々な角度を織り混ぜたパンチや蹴りが全て相手の手に阻まれる。
勿論、相手が防御に徹しているため手痛い反撃を受けているわけでは無いが、それでも何をしても通じないというのは気分が悪い。
異形は焦れていた。
だが、手がなくなった訳ではない。
(そろそろ、背後に回るか。)
必勝の手だ。
狼男の方ならともかく、目の前の女に対処できるはずはない。
それにもし攻撃を受けてもさほど痛くはないのだ。
そう考えながら、『それ』は予備動作を開始した。
地面に足を踏み込んで、すぐに離さず溜め込む。そして体全体のバネを使って、足を一気に蹴り込み加速する。
瞬時に景色が入れ替わった。
前からの視線が途切れることはないが、向こうはこの速度に付いて来れない。
「虚しいなあ、目に見えているのにただ見ていることしか出来ないんだからよ!」
紳士な物言いは何処へやら、怒りのままに口調も荒くなっていた。
元々こちらが地だったのだろう。

「じゃあな!吸血鬼に生まれなかったことを後悔しながら死ねや!!」
その言葉と共に『それ』は止めの一撃に入った。



ー24ー

来た。
背後に回ってからのキック。
『それ』にとって、その行動は必殺の一手であろう。
故に必ず来る。
それが「読める」。
『それ』が冷静であったならまた事態は違っていただろう。
「感情操作」を使って、陽子を撹乱させる可能性もあった。
だが今の異形にとってその手段は、身体能力では勝てないという自分の敗北を認める行為であった。
だから、使って来ない。

後は、陽子だ。
行動を制限したところで反応できなければ何の意味もなさない。
ここだけは賭けだ。彼は彼女が対処できる方に賭けた。
「あれだけ大見得きって見せたんだ。」

「ちゃんと決めろよ、陽子。」
かくしてバトンは託された。

ー25ー

あれ程どうしようもないと思っていた吸血鬼の攻撃は、彼のちょっとしたアドバイス、足を止めるという助言だけで、受けきることに成功した。
理屈は単純だ。
キャッチボールをする時、まず最初に教わるのはボールを取りに行くなというものだ。自分より高いところにあるボールを取るのは不可能だ。そのため、そういう球を取るときは落ちてくるのを待って胸の前で取るのである。
今回もそうだ。
自ら相手の方へ突っ込んでいくから手がぶれて避けられない。
だが、パンチはこちらへ向かって飛んでくるのだ。
ならば、それを待って受けてやれば良い。

実践は予想以上に上手くいった。
最初は戸惑ったものの、回を重ねるごとに慣れていき、今では少し手前で捌けるまでになった。
そして、その過程は彼女に状況を把握するだけの余裕を与えた。


突如、ラッシュが止んだ。
相手が攻撃をやめた。
それと同時に、『それ』は強く足を踏み込んでいる。

「溜め」だ。
彼女はいち早く認識した。
相手が何かの予備動作を行っていると。

その予兆はすぐに行動に現れた。
強烈な風と共に、対象が彼女の背後に回り込む。
目は自然とその後を追った。


足を振り上げるのが見えた。
ただのパンチで私は吹っ飛んだのだ。
蹴りなんて受ければ、どうなるか想像もつかない。少なくともただじゃ済まない。最悪死ぬことになる。


恐怖はある。


逃げ出したいとも思う。


まだ生きていたいと感じている。



だが、それで良い。
誰かがそう言っている気がした。



恐怖を感じないヒーローはいない。



死にたいと思った英雄もいない。




彼らは苦難を恐れなかった訳ではない。



ただそこに「正義」があるから、

自分に一握りの「勇気」があるから、

彼らは立ち上がるのだ。


恐怖はあった。
だが、迷いはなかった。

死ぬかもしれない。
だが、私は死なない。


この拳は先に相手を捉える。
この腕はそのまま意識を刈り取る。


ーー躊躇いはない。


彼女の体は反転する。


ーー視線は途切れない。


勢いが腕に伝わる。


ーー私は勝つ。



ーーそんな、ただ一つの確信を持って、







彼女の拳は放たれた。








ー26ー


『それ』の目に、振り向き様にパンチを放つ彼女の姿が映った。
…愚かな女だ。異形は思った。
3倍の速さで動く自分の蹴りに、防御を解くどころか、カウンターを決めようとする。夢物語だ。考えるまでもなく、自分の蹴りが先に相手に着弾する。それが最後、彼女は腰を折られ地面に倒れこむことになるだろう。
やはり人間は愚かだ。勇気と無謀の区別もつかない。『それ』は間抜けさを嘲笑うが如く、蹴りに入った。



…唐突に、異形は得もいわれぬ違和感に襲われた。何か、何かがおかしい。
足は真っ直ぐ横腹に向かう。
何かが早すぎる。想像通りなら今、それは顔の後ろ辺りにあるはずなのに。

足が自分の体の横ラインを通過した。




その直後、『それ』は自らの違和感の正体に気づいた。
初動だ。彼女のパンチが早すぎるのだ。
速いのではない。早い。
何故、自分が背後にいた時点で彼女は後ろを向いていたのか。
蹴り始めた瞬間に、既に拳が突き出されていたのか。
読まれていた?それだけじゃない。
それだけなら問題ない。
分かっていても防げない。
それ程に人と吸血鬼の間には差がある。
故に必殺なのだ。

つまり、それ以外に何か根本的なことを間違っている。
彼女の能力が飛躍的に上がった?
違う。
私の速度が落ちたのか?
違う。
では何だ。何があるというのだ。

そして、異形がその原因について考え、答えを出した時、



既に彼女の拳は相手の腹の溝を捉えていた。



ー27ー

50mを5秒で走るA君がいる。同じ距離を15秒で走るB君がいる。
50mを両者が同時に走る時、どちらが早くゴールに着くだろうか。
考えるまでもない、A君だ。

では初速や加速を考えず、B君に50m走らせると同時に、A君に160m走らせるとどうか。
早く着くのはB君の方だ。
「そう、ただそれだけのことだ。」
彼はその様子を遠目から見ていた。
「自分より3倍速い奴を相手にする時、相手と全く同じ行動をしてたんじゃ勝てない。ならば、どうするか…」
単純だ、と彼は続けた。

「簡単なことだ。自分が相手の1/3の行動で動けば良い。徹底的に無駄を省き、相手の行動を読んで、常に先回りしていれば良い。」

話は異形の視点に変わる。
「背後に回るという行為には蹴ることも考えると、少なくとも3歩かかる。勿論、その後に足を振り上げて、下ろすという動作が付いてくる訳だ。」
そのまま彼女視点に移った。
「一方で、背後を振り返るという行為にかかる歩数は、後ろに突き出す一歩のみだ。更に後ろを振り返る際に体重移動も同時に行えるため、そのまま拳を繰り出せる。攻撃までの段階が格段に少ない。つまり、吸血鬼がいくら3倍で動けているとしても、陽子のパンチが先に届く。」

「これが『それ』の犯したミスだ。」

彼は更に話を続ける。
「それに、今回の要点はもう一つある。威力だ。」

「最初の一撃で、『それ』は陽子のパンチが思ったより軽いと感じていた。故に多少の反撃は無視できると考えていたのだろう。だが、違う。攻撃を防げたのは威力が弱かったからだけじゃない。すんでの所で急所を回避できたからだ。」

「態勢が危ういとはいえカウンターの形を防ぎ、更に腕で攻撃を受け止めた。だから、大した痛手も受けずにいられたんだ。それを怠り、急所にまともに受けた今回…」


「果たしてあんたは倒れずにいられるかな、吸血鬼。」

そう言って、彼は事の経過を見守った。




ー28ー

結末は一瞬だった。
溝に重い一撃を受けた吸血鬼は、強烈な痛みに膝をついた。
想像以上の痛み。
予想外のダメージ。
その全てに困惑しながら、異形は自らの過ちを察した。
しかし、『それ』にも吸血鬼としての意地があった。
こちらを睨みつけたまま倒れるのをなんとか拒否する。
まだ勝負は終わっていない。
そう自分に言い聞かせながら、気力を振り絞って上体を起こそうとする。
陽子も油断せず、臨戦態勢を保った。


だが、それも長くはもたなかった。


気力の尽きた吸血鬼は、遂に前方へ倒れ込むと、




そのまま眠るように気絶した。





一方の陽子は、気絶した異形の前で茫然と立ち尽くしていた。
あまりの呆気なさに勝利を実感できなかったのだろう。
感情を出すこともなく、目の前で物言わず倒れる異形をただ上から見下ろしていた。

彼はその肩をポンと叩いた。
「お疲れ。」
短い言葉だった。
陽子の成した偉業を考えれば、少なすぎる称賛だ。
だが、彼女にとってはそれで十分だった。
「…そっか、勝ったんだな。」
彼のその言葉に、ようやく彼女は自分の勝利を知った。
そこに激しい喜びはない。
陽子は安堵し、ほっと一息ついた。

ただ勝ったという確かな実感だけが、ゆっくりと彼女を包んだ。







ー29ー

彼女が静かに喜びに浸る様子を、彼は横目に見ていた。
圧倒的格上を倒したのである。
感動もひとしおだろう。
だが、自分が思っている以上に陽子の感動は薄い。理由としては、呆気なく終わったが故に実感が湧かなかったためなのだが、側から見ているだけの彼はそれを理解することはできなかった。
そのため、彼は別の角度からアプローチした。

つまり彼女が上手く喜べないのは、心残りがあるからだろうと。
そのことを彼は知っている。
陽子の親友の件だ。
彼は頭の片隅にある記憶を引っ張り出してきた。
あの時、何か気になることがあったのだ。
いつの頃だったか。
記憶を更に深く潜る。

写真だ。親友の写真を見せられた時だった。
あの時、何かを感じたのだ。
何処かで会ったような…そんな気が………



…しばらくして彼は思い出した。
と同時に彼は内心青ざめた。
『始祖』に会いに行った時だ。
そうだ。あの時に、

俺が思いきりぶん殴った奴だ。

彼はしばらく陽子にそれを伝えるべきか悩んだ。
そして、彼はそれを「一部内容を省いて」話すことに決めた。
嘘をついているのではない。
情報を選択しているのだ。
そう誰かに言い訳をしながら、彼は言った。
「おい、陽子。」
陽子がこちらを振り向く。
彼は笑顔で言った。

「今日中に全部終わらせちまおうぜ。」

「…は?」
彼女のキョトンとした声が静かな公園に響いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

珈琲

羽上帆樽
ファンタジー
飲めば流れる。何もかも。 薄暗い喫茶店の中。紅茶と奴が相対している。珈琲の出る幕はない。すでにタイトルに出ているのだから。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】彼女以外、みんな思い出す。

❄️冬は つとめて
ファンタジー
R15をつける事にしました。 幼い頃からの婚約者、この国の第二王子に婚約破棄を告げられ。あらぬ冤罪を突きつけられたリフィル。この場所に誰も助けてくれるものはいない。

【完結】不協和音を奏で続ける二人の関係

つくも茄子
ファンタジー
留学から戻られた王太子からの突然の婚約破棄宣言をされた公爵令嬢。王太子は婚約者の悪事を告発する始末。賄賂?不正?一体何のことなのか周囲も理解できずに途方にくれる。冤罪だと静かに諭す公爵令嬢と激昂する王太子。相反する二人の仲は実は出会った当初からのものだった。王弟を父に帝国皇女を母に持つ血統書付きの公爵令嬢と成り上がりの側妃を母に持つ王太子。貴族然とした計算高く浪費家の婚約者と嫌悪する王太子は公爵令嬢の価値を理解できなかった。それは八年前も今も同じ。二人は互いに理解できない。何故そうなってしまったのか。婚約が白紙となった時、どのような結末がまっているのかは誰にも分からない。

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

処理中です...