仙年恋慕

鴨セイロ

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2章

65.ご立派な大胸筋

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 不気味な古代魔導具の仮面から呪いをくらって女の子になった時から、俺は魔法が使えなくなっていた。

 エミリア師匠の見立てでは、俺にかけられたのは“反転の呪い”ではないかとの事で、肉体の性別が反転したことによって体中に走っていた魔力を通す回路も反転、故に魔力が体内で逆流するから魔法が使えないのではと、正確に言うともう少し複雑らしいのだが、結局は大体そんな感じ。
 まぁ、ここまで分かっても、今では失われた古い時代の呪術式で組まれた呪いの解呪法なんて、そうそう分かるはずもなく、俺は八年も簡単な生活魔法も使えない女の子をやっているわけだが……。


 エミリア師匠から逃げるようにやって来た裏庭の菜園の、更に奥にある小さな果樹園に俺は居た。

「ほ~ら、育て育て~」

 俺が白い蕾をつけたベリーの灌木に右手をかざすと、固く閉じていた蕾達は次々にふわりと花弁を広げた。
 そこそこの数の花が開いたところで、今度は左手に持った筆で花の中心を次々に刷き、花を受粉をさせる。

「コレくらいで良いかな」

 再び花達に向かって右手を翳せば、花達はあっという間に白い小さな花弁を散らせ、花の後には緑色の小さな実がぐんぐんと育ち、やがて鮮やかな紅に染まったベリーがたわわに実った。
 目の前で艶々と日の光を浴びて輝くベリーをプチっと摘んで口に放り込めば、口いっぱいに爽やかな酸味と甘味が広がる。

 そう、俺は最後にこのベリーでエドにタルトを作ってやろうと考えたのだ。
 エド自身は明言したことは無いが、食事の際に甘いデザートを欠かさなかったり、いつもいつの間にか屋台で菓子を買ってもぐもぐと頬張っていたので、俺は早々にエドが甘党な事に気が付いたものだ。

「もう一つ」

 今度は小ぶりなベリーを口に放り込み、その甘味に舌鼓をうちながら俺は次々とベリーを摘み取り持って来た籠へと収穫していった。
 あらかたベリーを摘み終わり一息ついた俺の目に、木の上に実るまだ緑色が目立つ、けれどサッカーボールほどの大きな果実が目に入る。

「よし、アレも育てて収穫するか」

 前述したとおり、俺は呪いで魔力の回路が反転して魔法が使えない。
 そして、俺の仙人としてのアイデンティティ能力である氣も、魔力と同じ様に反転の呪いの影響は受けている。しかし、今ほど俺がベリーを育てたのは氣の力によるものだ。
 何故そんな事が出来るのかと言えば、どうやらこの右腕、エドに潰された後に俺が治療失敗し、温泉でお爺さんに神経は直してもらったが、骨は少し歪んだままだった。その為、骨を伝う氣の流れ――人間が仙人になれる素養が仙人骨持ちであるかどうか、と言うだけあって、氣は骨を伝うのだ。ちなみに、魔力は肉を伝うぞ――まぁとにかく、骨が歪んだままだった右腕は、氣の流れが少々悪くなっていたのだが、反転の呪いを受けた今、その少々流れが悪くなっていた分の氣が使える様なのである。

「怪我の功名ってやつかな!」

 スカートをたくし上げて、うんしょうんしょと木に登りながら、ふふっと思わず笑いが溢れる。

「とは言え、使える氣はたかが知れてるからこーやって、至近距離まで近づかないと木の実一つ育てられないんだよなぁ」

 かつて、焼け野原になった森にエドと共に入り、木々を育て森の修復を手伝った事もあった俺だが、今では少々早く植物を実らせるくらいが関の山、比較的得意だった氣による治癒の方は擦り傷が治せるかなーくらいのものしか出来なくなった。

「治癒どころか、呪いのせいで体力も落ちてるから木登りひとつでひと苦労だしな」

 額に汗しながらせっせと幹を登れば、頭の直ぐ上に目的の果実があった。
 実のなった枝は細過ぎたため、俺はその下の俺が乗っても折れなそうな枝に立ち上がり、伸ばした両手から緑色の実に氣を与えた。すると実は、大地が夕焼けに染まるみたいにゆっくりと色付き、やがて鮮やかなオレンジ色になる。

「うん、良い感じだな」

 ほど良く熟した木の実を収穫せんと俺の伸ばした両手の指先がオレンジ色を掠めるが、後ちょっとの所で大きな実はなかなか捕まらない。
 指がかすめる度に、ゆさんゆさんと揺れて逃げ回るオレンジ色の大玉に、俺は意を決して不安定な枝の上で背伸びをした。

「あと、ちょっと」

 俺の手がやっとオレンジを捕まるというその時――

「うわぁぁぁ!! イリア何やってんだよ!」

「ひゃっ!?」

 突然響いたセスの声に驚き、俺の肩が跳ねた。
 その拍子に爪先立ちしていた両の足はズルッと滑って枝から離れ、傾いた体は空に投げ出される。

「イリアッッ!!」

 悲鳴みたいなセスの声が響く中、俺はひっくり返った視界に慌てる事なく身体を捻り、両手両足で安全な落下姿勢をとり、迫る地面への着地に備えた。
 こちとら呪われて体力は落ちても、元ハンターぞ! これくらい余ゆ――

 その瞬間、一陣の風が吹いた。

「わっ、え!?」

 想定していた着地の衝撃はなく代わりに優しい風がふわりと俺を押上げ、身体は浮遊感に包まれた。
 しかし、着地の準備をしていた俺の手足は、空中を掻いてほとんど反射的に目の前に現れたモノに抱きついてしまった。

「おぉう!?」

 落ちる俺を風の魔法で浮かせて、おそらくお姫様抱っこ状態で受け止めようとしてくれたのだろう。
 しかし、助けようとした対象に正面からムギュッと抱きつかれ、風魔法を使った主は困惑の声をあげた。
 そうこうしている間に、魔法で生み出された風は消え去り辺りはしんと静まり返る。

「……、……」

 とても、とても懐かしい風だった。

「…………えっと、大丈夫か?」

 なんとも言えない僅かな間の後、頭上から聞こえたその声に俺は抱き付いた拍子にそのご立派な大胸筋にめり込ませてた顔を、おずおずと上げる。

「怪我は……ない様だな」

 目が合えばこちらを案じる言葉をくれる。
 そこには両手を軽くあげた、まるで降参ポーズのハーフエルフのハンサム顔が――

「――っ」

「ん?」

「にぎゃぁぁぁぁぁ!!」

「へ!? え? ちょっ、ちょっと落ち着け!」

 突然奇声を上げた俺に、ハンサム顔――エドが慌てるが知ったことでは無い!
 なんの心の準備も無く、こんな形でエドとエンカウントしたら流石に平静でいられなかった。こちとらお前に惚れてんだぞ! 至近距離でそのハンサムは心臓に悪いっ!

 俺はなかばパニックに陥り、奇声を上げながらエドにしがみついていた両手足をめちゃくちゃな勢いで離した。

「南無三っ!!」

「な、なむ? って、おまっ落ちる!」

 焦った様子のエドの声と共に、俺の視界はまたもグルリと回った。


 ***


「ん、んん?」

 ピチチチと、小鳥のさえずりが聞こえる穏やかな午後だ。
 尻から地面にズドンと落ちるはずだった俺は、再びなんだか癖になりそうな弾力に顔をめり込ませていた。

「あー、改めて聞くが怪我はないか?」

 頭上から、疲れと呆れを滲ませた声がする。

「へ? あっ! うぉぉぉぉ!!」

 再びかけられたその声に跳ね起きれば、眼下にハーフエルフのイケメンが転がっていた。
 と言うか、俺がそのイケメンハンサム男前の腹に馬乗りしている状況で……。
 どうやらこのハンサム、自由落下離脱を選んだ俺をとっさに庇い、ついでに俺の下敷きになっている様なのだが!? あの一瞬で? どうしてこうなった??

「いや、うぉぉぉって、その外見に対してリアクションが勇まし過ぎやしないか?」

「わわわ、悪い! っじゃないや、ごめんなさい! 下敷きにするつもりはっ」

 先程よりは少し冷静になれたが、カッカッと上がる体温に、俺は滝のような汗をかきながらペコペコと頭を下げる。
 エドは苦笑をしながら、そんな俺を見上げていた。
 何だかその目が、満足げなような何かを悟ったような、この場にそぐわない塩梅で、俺は奇妙な戸惑いを覚えながらも、思わずその空色の瞳に見入ってしまう。
 しかし、それも一瞬の事で。

「えーっとだな。下敷きは構わんのだが、一つお願いがある」

「?」

 エドのお願いと言う言葉に、俺は首をかしげる。

「そのだな、手の力を少し抜いて欲しいというか……」

 少々言いにくそうに告げられた言葉に視線を下げれば、俺の両の手が、ご立派な大胸筋をむんずと……、そう、むんずとワシ掴んでるーっ!!

「つ、ンッッ」

「あわわわ、そんな変な声出すな!」

 エドの口から漏れた、何だか如何わしい声に俺は慌てふためいてしまう。

「変な声なんか出してない! そっちこそ急に指に力を入れるんじゃない!」

「ち、違う! その、眼下の絵面に驚いて……って、俺は何を言ってるんだ!? 今すぐ退くか――」

 ちょっと耳の赤くなってるエドの姿に、俺は余計アタフタしながら、尻を乗せている逞しい腹筋の上から退かねばと腰を上げようとした瞬間――

「貴様っ! 私のエドヴァルドに何という如何わしい事をしているんだっ!」

 響くコンラートさんの怒声と共に俺の体に衝撃が加わって、俺の体は木の葉みたいに吹っ飛んだ。

「へ?」

 瞬きの間に、俺は今度こそ地面にひっくり返っていた。
 状況をいまいち把握できていない俺に、血相を変えたセスが慌てて駆け寄ってくる姿が視界に入る。

 あ、そう言えばこの子ずっと居たっけな。

 などと呑気に考える俺の頭上を、ピチチチと小鳥たちが飛び去って行った。
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