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2章
64.手紙を出した意味
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「じゃ、ここにサイン下さいね」
「はいはーい」
差し出された伝票に俺がサインを書く間に、行商の青年は馬車の荷台から木箱に入った食料を勝手口から運び入れてくれる。
人里離れたこの屋敷では、数日おきに来てくれるこの行商の青年の食料定期便がライフラインだ。
「にしても、前回の発注でえらい沢山の食料を頼んでたのに、もう無くなったのかい?」
「えぇ、お客様が四人もいたので、綺麗さっぱりですよ」
いくつかの木箱をテキパキと運び込み、額の汗を袖で拭いながら問う青年に、俺はこの八年でマスターしたと自画自賛している、女の子らしい柔らかな微笑みを浮かべながら答える。
「今回はいつもと同じ量だけど大丈夫?」
「大丈夫です。明後日にはお客様方は撤収されるそうなので。はい」
「はいどーも。お客様方って例のダンジョンの異変の調査の?」
俺が返した伝票を受け取りながら、青年はほんの少し声を潜めた。
「えぇ、私も詳しい話は聞いてませんが、結構すごいハンターさん達らしくて、魔素の問題は既に解決したみたいなので、近々アルハト遺跡の立入禁止も解除されるみたいですよ」
S級のハンターなんて、ハンター経験のある俺からしたら結構すごいどころか、ハチャメチャに凄いんだけどなーと思いつつ、俺も青年のノリに合わせて声を潜めて答えれば、青年は訳知り顔で納得したように「なるほどねぇ」と神妙な顔で頷く。まぁ、おそらく何も分かってはいないだろうが。
とは言え、俺だって把握しているのは、アルハトのダンジョンで魔素の異変があって、それをエミリア師匠が国に報告してハンター達が来たって事くらいだ。
エミリア師匠は経過報告を隊長のバルファさんから何かしら聞かされている様だったが、厄介事は解決しているようだし、俺も突っ込んだ話は尋ねなかった。必要ならエミリア師匠がちゃんと説明をしてくれるという信頼もあったし、何より俺は、やって来たハンター達の中に、我ながらねちっこく片想いしてた相手――エドが居た事で頭がいっぱいだったから正直、魔素どころでは無くなっていたのだ。
「って訳で、お偉いハンター様方が解決してくれたようだから、お前さんも安心して観光すると良いぞ」
明らかに俺に向かってでは無い行商の青年の声に、思考を飛ばしていた頭を上げると、いつの間にか馬車の荷台から顔を出していたらしい黒髪の十代後半ほどの男と目が合った。
「あ、こんにち……」
俺が挨拶をしようとすると、黒髪の男はその伸び過ぎた前髪の隙間からでも分かるくらい、眉間にシワを寄せて荷台に引っ込む。
「チッ」と言う盛大な舌打ちのおまけ付きで。
「はぇ?」
「いやぁ~、ごめんねイリアさん。気にしなくていいよ、街道ぶらぶら歩いてたから拾った観光客なんだけど、何だか色々あったみたいで、女性やイケメンに対して始終こんな感じなんだよ」
突然の事に呆気にとられる俺に、行商の青年が「俺もイケメンに劣等感を感じるのは、分かる気がしちゃってねぇ」などと黒髪へのフォローの様なモノを入れる。その姿に、チップを弾んでもらったのだろう事が伺えて、現金なヤツだなーと少し笑ってしまった。
しかし、黒髪君。女性やイケメンにピンポイントとは……なるほど、確かに切ない人生を歩んできた人なのかもしれないな。でも、八つ当たりはいかんな。
「持っていくのは、この手紙だけですね」
「あ、はい。お願いします」
手紙とは勿論、俺がエドに宛てて書いたモノだ。行商の青年は荷を持って来てくれるだけでなく、集荷もしてくれるのだ。
俺が荷台に視線を送っているうちに、行商の青年はささっと雑務をこなし御者台に飛び乗る。
「じゃあ、俺はこれで!」
長居は無用とばかりに出発した青年に、俺は手を振って見送る。
因みにこの行商の青年、俺がアルハトに来た時に乗っていた馬車を走らせていたあの御者の少年の八年後の姿だったりするんだよなー、全く時が経つのは早いモノである。
***
「そう言えば日本で学生やってた頃とか、クラスに一人くらいあの黒髪君みたいな取っ付きにくい奴いたなー」
備蓄棚の前で食料を整理しながら、今は懐かしいばかりの日本での記憶を思い出しつつ、俺は木箱からジャガイモを一つ取り出した。
少々の葉物の野菜なんかは裏庭の花壇で育てているが、当然それで全てを賄えるわけもなく、保存のきく根菜類や小麦、肉や嗜好品などは定期便で購入して、牛乳やバターは近くにお住まいの村人さん達と物々交換をして手に入れる。マーケットを歩けば大体のモノが揃ったマーナムでの暮らしに比べたら中々に不便だが、俺が育った崑崙の方がぶっちぎりで不便だったのでさほど苦労は感じない。
「しっかし、見事なジャガイモだな! 今夜はマッシュポテトを作ってやろうかな」
マッシュポテトはエドが好きな料理の一つだった。
アイツは、丁寧に濾した口どけなめらかなマッシュポテトが好きで、よく俺の皿からマッシュポテトを強奪しては、代りと言ってボイルしたニンジンを俺の口に突っ込んでいた。
そう言う昔のアレコレを思い出しながら、エドが屋敷に来てからはアイツが好きだった料理や、味の好みを意識した食事をせっせと作っていた。
それは、単に好きな奴に旨いモノを食わせてやりたいと言う気持ちからの行動でもあったが、俺がエド好みの食事を作るのはソレなりの訳がある。
「だってエドってば、顔色が悪すぎなんだよなぁ」
そう、よくよく観察しているとエドの顔色は酷いモノだった。以前より落ち着いたように見えたエドの雰囲気はどうやら不摂生も一因の様で、目の下にはうっすらクマの様なモノがあるし、肌は荒れ、唇も少しカサついていた。
昔は何徹してもケロッとしてツヤツヤしていた男のそんな姿に衝撃を受けた俺は、栄養のある食事を摂らせねばと言う使命感に燃えたのだ。
「自意識過剰かもしれないけど、俺を探してるせいだったら申し訳なさすぎるしな……」
そんな想いもあり、せっせとエドの好みに合うようなバランスの良い食事を作った甲斐あってか、初日より肌艶が良くなったハンサム顔にこっそりガッツポーズをしてしまったのは昨日の事だ。
「でも、明後日にはエドも帰っちゃうんだよなー」
「帰っちゃうんだよなー、じゃありませんんん!」
「……また来た」
俺の独り言に応える様に後ろからかけられた声に、ほぼ反射で口がぼやいてしまう。
「折角わたくしがっ! エド君がこの地に来るように暗躍したのにっ! 何も伝えないなんてっ!」
ギギギと首を回して振り返れば、いつの間にかやって来ていたエミリア師匠が両手で持ったハンカチをキィーっと噛みしめている。この数日ですっかり見慣れた光景であるが、この光景もいい加減に見納めなきゃなと、俺は用意していた台詞を口にする。
「あのですね、エミリア師匠のお心遣いは本当に感謝しています。ですが、俺は大丈夫だから探すなって手紙をね、さっき定期便に乗せて出したんです。だから、この話はもう終わりにしましょうね」
そう、あんな手紙を出したからには、俺だってエドへの気持ちをいい加減整理して先に進まないと……。
「そ、そんなぁ」
しかしエミリア師匠は、俺の言葉にいっそ不思議なほど動揺して涙目になってしまう。
彼女は俺の意思を尊重しつつも、初日から一貫して俺とエドの仲をどうにかしたがってこんな調子なのだが、今日は一段と感情が豊かだ。
「は、ハンターの皆さんは明後日の昼前には発ちますが、まだ時間は――」
「じゃあ最後にアイツの好物でも作ってやりますよ」
俺はエミリア師匠の言葉を遮ってニッと笑い、手の中のジャガイモを木箱に戻す。
「俺、ちょっと収穫しに裏庭に行ってきますね!」
作業棚から蔦で編んだ籠を掴むと、エミリア師匠の返事を待たずに俺は裏庭へと走った。
「ちょ、ちょっと、イリアちゃん!」
後ろからまたもキィーっとやっている声が聞こえたが、俺は聞えないふりで足を動かした。
せめて女の子になっていなかったら、せめてエドが結婚していなかったら、せめて呪いの進行が止まっていたなら……俺だって。
あんな手紙を出しながら、そんな風に考えてしまう自分は女々しくて嫌だった。
「はいはーい」
差し出された伝票に俺がサインを書く間に、行商の青年は馬車の荷台から木箱に入った食料を勝手口から運び入れてくれる。
人里離れたこの屋敷では、数日おきに来てくれるこの行商の青年の食料定期便がライフラインだ。
「にしても、前回の発注でえらい沢山の食料を頼んでたのに、もう無くなったのかい?」
「えぇ、お客様が四人もいたので、綺麗さっぱりですよ」
いくつかの木箱をテキパキと運び込み、額の汗を袖で拭いながら問う青年に、俺はこの八年でマスターしたと自画自賛している、女の子らしい柔らかな微笑みを浮かべながら答える。
「今回はいつもと同じ量だけど大丈夫?」
「大丈夫です。明後日にはお客様方は撤収されるそうなので。はい」
「はいどーも。お客様方って例のダンジョンの異変の調査の?」
俺が返した伝票を受け取りながら、青年はほんの少し声を潜めた。
「えぇ、私も詳しい話は聞いてませんが、結構すごいハンターさん達らしくて、魔素の問題は既に解決したみたいなので、近々アルハト遺跡の立入禁止も解除されるみたいですよ」
S級のハンターなんて、ハンター経験のある俺からしたら結構すごいどころか、ハチャメチャに凄いんだけどなーと思いつつ、俺も青年のノリに合わせて声を潜めて答えれば、青年は訳知り顔で納得したように「なるほどねぇ」と神妙な顔で頷く。まぁ、おそらく何も分かってはいないだろうが。
とは言え、俺だって把握しているのは、アルハトのダンジョンで魔素の異変があって、それをエミリア師匠が国に報告してハンター達が来たって事くらいだ。
エミリア師匠は経過報告を隊長のバルファさんから何かしら聞かされている様だったが、厄介事は解決しているようだし、俺も突っ込んだ話は尋ねなかった。必要ならエミリア師匠がちゃんと説明をしてくれるという信頼もあったし、何より俺は、やって来たハンター達の中に、我ながらねちっこく片想いしてた相手――エドが居た事で頭がいっぱいだったから正直、魔素どころでは無くなっていたのだ。
「って訳で、お偉いハンター様方が解決してくれたようだから、お前さんも安心して観光すると良いぞ」
明らかに俺に向かってでは無い行商の青年の声に、思考を飛ばしていた頭を上げると、いつの間にか馬車の荷台から顔を出していたらしい黒髪の十代後半ほどの男と目が合った。
「あ、こんにち……」
俺が挨拶をしようとすると、黒髪の男はその伸び過ぎた前髪の隙間からでも分かるくらい、眉間にシワを寄せて荷台に引っ込む。
「チッ」と言う盛大な舌打ちのおまけ付きで。
「はぇ?」
「いやぁ~、ごめんねイリアさん。気にしなくていいよ、街道ぶらぶら歩いてたから拾った観光客なんだけど、何だか色々あったみたいで、女性やイケメンに対して始終こんな感じなんだよ」
突然の事に呆気にとられる俺に、行商の青年が「俺もイケメンに劣等感を感じるのは、分かる気がしちゃってねぇ」などと黒髪へのフォローの様なモノを入れる。その姿に、チップを弾んでもらったのだろう事が伺えて、現金なヤツだなーと少し笑ってしまった。
しかし、黒髪君。女性やイケメンにピンポイントとは……なるほど、確かに切ない人生を歩んできた人なのかもしれないな。でも、八つ当たりはいかんな。
「持っていくのは、この手紙だけですね」
「あ、はい。お願いします」
手紙とは勿論、俺がエドに宛てて書いたモノだ。行商の青年は荷を持って来てくれるだけでなく、集荷もしてくれるのだ。
俺が荷台に視線を送っているうちに、行商の青年はささっと雑務をこなし御者台に飛び乗る。
「じゃあ、俺はこれで!」
長居は無用とばかりに出発した青年に、俺は手を振って見送る。
因みにこの行商の青年、俺がアルハトに来た時に乗っていた馬車を走らせていたあの御者の少年の八年後の姿だったりするんだよなー、全く時が経つのは早いモノである。
***
「そう言えば日本で学生やってた頃とか、クラスに一人くらいあの黒髪君みたいな取っ付きにくい奴いたなー」
備蓄棚の前で食料を整理しながら、今は懐かしいばかりの日本での記憶を思い出しつつ、俺は木箱からジャガイモを一つ取り出した。
少々の葉物の野菜なんかは裏庭の花壇で育てているが、当然それで全てを賄えるわけもなく、保存のきく根菜類や小麦、肉や嗜好品などは定期便で購入して、牛乳やバターは近くにお住まいの村人さん達と物々交換をして手に入れる。マーケットを歩けば大体のモノが揃ったマーナムでの暮らしに比べたら中々に不便だが、俺が育った崑崙の方がぶっちぎりで不便だったのでさほど苦労は感じない。
「しっかし、見事なジャガイモだな! 今夜はマッシュポテトを作ってやろうかな」
マッシュポテトはエドが好きな料理の一つだった。
アイツは、丁寧に濾した口どけなめらかなマッシュポテトが好きで、よく俺の皿からマッシュポテトを強奪しては、代りと言ってボイルしたニンジンを俺の口に突っ込んでいた。
そう言う昔のアレコレを思い出しながら、エドが屋敷に来てからはアイツが好きだった料理や、味の好みを意識した食事をせっせと作っていた。
それは、単に好きな奴に旨いモノを食わせてやりたいと言う気持ちからの行動でもあったが、俺がエド好みの食事を作るのはソレなりの訳がある。
「だってエドってば、顔色が悪すぎなんだよなぁ」
そう、よくよく観察しているとエドの顔色は酷いモノだった。以前より落ち着いたように見えたエドの雰囲気はどうやら不摂生も一因の様で、目の下にはうっすらクマの様なモノがあるし、肌は荒れ、唇も少しカサついていた。
昔は何徹してもケロッとしてツヤツヤしていた男のそんな姿に衝撃を受けた俺は、栄養のある食事を摂らせねばと言う使命感に燃えたのだ。
「自意識過剰かもしれないけど、俺を探してるせいだったら申し訳なさすぎるしな……」
そんな想いもあり、せっせとエドの好みに合うようなバランスの良い食事を作った甲斐あってか、初日より肌艶が良くなったハンサム顔にこっそりガッツポーズをしてしまったのは昨日の事だ。
「でも、明後日にはエドも帰っちゃうんだよなー」
「帰っちゃうんだよなー、じゃありませんんん!」
「……また来た」
俺の独り言に応える様に後ろからかけられた声に、ほぼ反射で口がぼやいてしまう。
「折角わたくしがっ! エド君がこの地に来るように暗躍したのにっ! 何も伝えないなんてっ!」
ギギギと首を回して振り返れば、いつの間にかやって来ていたエミリア師匠が両手で持ったハンカチをキィーっと噛みしめている。この数日ですっかり見慣れた光景であるが、この光景もいい加減に見納めなきゃなと、俺は用意していた台詞を口にする。
「あのですね、エミリア師匠のお心遣いは本当に感謝しています。ですが、俺は大丈夫だから探すなって手紙をね、さっき定期便に乗せて出したんです。だから、この話はもう終わりにしましょうね」
そう、あんな手紙を出したからには、俺だってエドへの気持ちをいい加減整理して先に進まないと……。
「そ、そんなぁ」
しかしエミリア師匠は、俺の言葉にいっそ不思議なほど動揺して涙目になってしまう。
彼女は俺の意思を尊重しつつも、初日から一貫して俺とエドの仲をどうにかしたがってこんな調子なのだが、今日は一段と感情が豊かだ。
「は、ハンターの皆さんは明後日の昼前には発ちますが、まだ時間は――」
「じゃあ最後にアイツの好物でも作ってやりますよ」
俺はエミリア師匠の言葉を遮ってニッと笑い、手の中のジャガイモを木箱に戻す。
「俺、ちょっと収穫しに裏庭に行ってきますね!」
作業棚から蔦で編んだ籠を掴むと、エミリア師匠の返事を待たずに俺は裏庭へと走った。
「ちょ、ちょっと、イリアちゃん!」
後ろからまたもキィーっとやっている声が聞こえたが、俺は聞えないふりで足を動かした。
せめて女の子になっていなかったら、せめてエドが結婚していなかったら、せめて呪いの進行が止まっていたなら……俺だって。
あんな手紙を出しながら、そんな風に考えてしまう自分は女々しくて嫌だった。
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