仙年恋慕

鴨セイロ

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2章

50.魔女の屋敷の住人達とエド sideエドヴァルド

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「まさか、街を出て一月も経たないうちに行方不明になるなんて……」

 ――ポチャン。

 濡れた前髪から雫が落ちる。
 無精をしてまめにカットをしなくなった髪は、今は肩に付くほど伸びていた。

「……普通、思わないだろ」

 猫足のバスタブに身を沈め、俺は一人ごちる。

 おそらくイオは連絡が取れない状況なのだと分かった瞬間、俺は権力の象徴ともいえる取得したばかりのS級ハンター資格ライセンスを使い、イオの魔導通貨カード情報の開示を請求した。
 そこで分かった事は、イオが街から出て三週間目以降、魔導通貨の使用履歴が全く無かったと言う事だった。

 数か月も外出をしていれば必ず入用はあるものなのに、金を使った形跡が三週間目以降まったく無くなっていたのだ。
 それどころか、その同時期からイオの旅の足取りも途絶え追えなくなっていた。

 数時間で調べ上げた情報を並べ、俺は己の判断ミスを悔いた。

「待つんじゃなくて、追えば良かったんだ」

 俺は二度も間違えを繰り返してしまったのだ。
 イオが自分の気持ちに気づくまで、イオが自分から戻るまで……と。

「旅人がある日突然消えることなんか、珍しくもないのに」

 イオが行方不明になり五年が経った頃、ギルドの尋ね人登録を延長した際に言われた言葉が蘇る。

『運が良ければ質に流れた遺留品が出て来る事もありますが、あまり期待はしない方が良いですよ』

 そう言った受付嬢の操作するパネルには、多くの行方不明者情報が記載されていた。
 その多くが、二度と見つかる事はないと俺は知っている。

「……それでも、俺は」

 もう一度あいつに会いたい。
 謝罪を跳ねのけられても、二度と目の前に現れるなと罵られても、せめてもう一度だけでもイオに会いたかった。
 だからどうか……。


「生きていてくれ、イオ」


 ――ポチャン。

 祈りの言葉と共に零れた雫が、湯船に落ちて波紋を広げる。
 イオと共に背を流し合ったいつかの風呂が、はるか昔の事の様に思えた。

「……、……はぁ。ダメだな、こんな調子で戦ってたら命がいくつあっても足りない」

 俺は湯を両手ですくい、バシャバシャと雑に顔を洗う。

「ったく、イオを見つけて謝罪するまで、俺は死ねないってのに」

 先程から、こんなにも心が波立っている理由は明白であった。
 あの給仕をしてくれていた、イオにそっくりなペリドットの瞳を持つ人間の少女。

「イリア……、か」

 あの瞳を見ると、どうしてもイオを想わずにはいられなくなる。
 勝手だなとは重々承知であったが、イリアの存在は俺にとって厄介以外の何者でもなかった。


 ***


 風呂から上がると、髪を乾かすのも億劫で夜風で乾かすかなと廊下に出る。

 割り当てられた部屋の窓から裏庭にフラワーガーデンが見えたので、夜風に当たるついでに少々見学させてもらうかと考えながら歩いていると、ある部屋の前から賑やかな声が聞こえ、俺は思わずそのドアの前で立ち止まった。


「しっ、しょぉぉぉ! やめてくださいぃぃぃ!」

「いやーんっ! イリアちゃん逃げちゃダメー! 大人しくしなさーい!」

 珍妙な言い合いともに、ドタバタと人が走る音がこちらに向かって来――


 ――バンッ!!


 勢いよく部屋のドアが開き、俺の目の前に給仕をしてくれた少女――イリアが飛び出した。
 ……何故か、半裸で。

「ヒェッ」

 ドアの前に俺が居た事に驚き固まるイリアに、俺もどう反応すべきかと迷っているうちに、イリアの顔からはサァーッと血の気の引く。
 これはどうやら、気まずいところに居合わせてしまったようだ。
 俺は内心冷や汗をかきながら、目を見開いたままピクリとも動かないイリアに部屋に戻る様に促そうと――

「いやーん! エド君ったらラッキースケベ」

 ――したところで、開いたままのドアからひょこっと出てきたエミリアによって、イリアは室内へ回収されていった。

「なっ何なんだ……、いまのは」

 飛び出してきたイリアはブラウスの前をこれでもかとはだけさせ、下着も肩ひもがずり落ち、その……中が、見えてしまっていた。
 スカートはしっかり着ていたのは幸いではあったが……。しかし、師弟間のこの状況は一体……?

 パタンと閉まったドアを呆然と見つめながら、俺の脳裏にある一つの言葉が浮かんだ。

「はっ! まさかこれは師匠による弟子への虐待か!?」

「虐待ではありません」

 俺がイリアを助けるべきかとドアノブに手をかけようとしたタイミングで、背後から声が掛けられる。
 振り返れば、黒髪の少年がこれでもかと言うほどのジト目で俺を見上げていた。

「イリアはエミリア師匠の趣味に付き合わされているだけです。それより貴方、女性の着替え中に乱入しようだなんて、失礼千万ですよ」

 言いながら少年はつかつかと俺とドアの間に滑り込み、目の前の部屋にごく自然に入ろうとするので、俺はその手を遠慮なくペシっと払う。

「いや、それ言ったら君だって女性の着替え中に入るのは良くない」

「むぅ……、イリアは姉のようなものだし、いつか僕のお嫁さんになってもらうから問題ありません!」

 少年は言い切り、フンっと鼻を鳴らして腕を組み俺を睨み上げる。
 年の頃は十を過ぎたくらいか、まだまだ幼さの残る顔には俺への敵愾心がありありと浮かんでいた。
 ふむ、なるほど、なるほど。

「……なぁお前、同じことイリアに言って困らせてた事あるだろ」

「そっ、そんなコトありません! それに、僕の名前はセスです。お前なんて名前ではありません!」

 どうやら図星だったようで、少年――、セスが顔を紅潮させながら俺に食ってかかってきた瞬間、ドアが再びガチャリと開き満面の笑みのエミリアが現れた。

「二人ともぉ見て見てー!」

「師匠ぉぉぉ、本当にこういうの必要ないんですってばぁぁぁ!」

 エミリアに半ば引きずられるように出てきたイリアは、当然のことながら先ほどの半裸の状態ではなかったが、今度はこれでもかとばかりにフリルが施されたエプロンドレスを着せられていた。

「もぉっ。イリアちゃんったら、せっかくお客様がいるのに可愛い格好しないなんて勿体ないじゃない。ねぇエド君、うちのイリアちゃん可愛いでしょ?」

「えっ、えぇ」

 俺は瞳や髪の色ばかりを意識してしまっていたが、イリアと言う少女は、艶のあるエミリアとはまた違うふわりとした砂糖菓子の様な可愛らしい容姿をしている。
 そんな元々整った少女が着飾るのだから、それはまぁ見栄えはするのだが……それ以上に、反対意見は小麦一粒ぶんだって認めません! と言わんばかりのエミリアの笑顔の圧に、突然話を振られた俺は思わず言葉が詰まってしまう。

「あ、あ、あの、師匠の戯れに付き合わなくて良いですので!」

 エミリアの横で「ご迷惑になりますから!」と言い募っていたイリアが、苦笑いを浮かべた俺に涙目になってアワアワと声をあげている。
 その涙に揺れるペリドットの瞳を見た瞬間、胸がギュッと痛みを訴えた。


 あぁ、やはりこの瞳は厄介だ。


「や、本当に可愛いと思ってはいる! います! 凄く可愛いです!」

 内心の動揺を隠し、俺は涙目になった少女に慌ててフォローを入れる。

「そうそう、うちのイリアちゃんは可愛いのですよー。はいどーん! アンド、パシャリー」

「きゃっ」

「ちょっ」

 エミリアはこちらの都合などお構いなしで、俺の胸にイリアをどーん! っと突き飛ばし、すかさず携帯端末で撮影をする。くっ……誰でも良いから、この魔女様の勢いをどうにかしてくれ。

「いいわぁ、二人共とっても絵になるわ~!」

「あ、あの、ご迷惑をかけて申し訳ありません」

 頬を上気させながら、カシャカシャとさまざまな角度で撮影を続けるエミリアに対し、イリアは赤くなったり青くなったりしながら俺に頭を下げた。

「い、いえ、おかまいなく」

 ポーズ指定を受けながら、俺は確実に引きつっているだろう笑みを張り付けなんとか体裁を保つ。
 しかし、この様子では、イリアは普段からこの師匠に振り回されているのだろうな……。

「エミリア師匠、僕もイリアと写真撮りたいです」

 それまで黙っていたセスが面白くないと書かれた顔で、アクロバティックな体勢で携帯端末を構えるエミリアの袖を引く。

「えぇ、えぇそうね。私たちも可愛いイリアちゃんと一緒に撮りたいわ! エドさん申し訳ないのだけれど、今度は私とイリアちゃんとセスちゃんを一緒に撮ってくださいませ」

「はい?」

 サラリと言われた言葉に語尾が上がる。
 話の流れに付いていけてない俺などお構いなしに、エミリアは何処から取り出したのか妙に本格的な撮影機材をポンと俺に手渡した。

「それではエドさん、お願いしますね!」

 にっこりと微笑む魔女様から、撮影機材を反射で受け取ってしまった俺はその後、数十分間シャッターを切らされることとなったのだった。
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