仙年恋慕

鴨セイロ

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2章

47.マーナムのS級ハンター side辺境のハンター

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 ゆるやかな丘の続く地平線から太陽が昇る。
 朝もやが朝日に輝き、美しくもどこか牧歌的な風景に――ソレは蠢いていた。

「オジロ隊長!」

 やぐらに登った若い人間のハンターが声を上げた。

「あぁ?」

 壊れかけた盾を応急処置する手を止め、オジロは答える。

「亡者の群れが視認できる距離まで迫っています! アレが来たら、これ以上は持ちこたえられませんよ!」

 その報告を待っていたかのように、風に乗って微かに聞こえる歩く屍たちの不気味なうめき声と、鼻をかすめる腐臭。
 村を囲う簡素な防壁は先のモンスターによる襲撃で既にボロボロで、もはやその役目を果たせないだろう。

「チッ、この村もここまでか」

 斥候役の報告では亡者の群れは数百単位、奴らが行進するだけでこの小さな村が陥落するのは避けられない。

 元々オジロたちが受けた依頼は、この村の近くにある一昔前の戦場跡で発生した戦死者の甦りの調査だったのだが、当初の報告から想定された甦った死者の数――つまり、亡者の数が予想をはるかに超えていた。
 その為、戦場跡周辺の森に生息していたモンスターたちが亡者の群れから逃げ出して、そのモンスターたちがこの村を襲う事態となったのだ。

 この村を調査の拠点にしていたオジロたちは、想定外のモンスターの襲撃から村人を守り逃がしていたが、元々少数のオジロの隊は、一昨日からのモンスターとの連戦で皆疲弊し、これから迫り来ようとしている亡者の群れとまともに戦う力は残っていなかった。

「まぁ、あの数が相手じゃあ万全の状態でもかなりキツイけどな……おい! 村の連中の避難はまだ完了しねぇのか!?」

 ハンターは基本的に非戦闘員を優先に守る責務がある。
 この役目を放棄する者もいるが、オジロはそれを良しとしない。ゆえに村人の避難が完了するまで、彼らはここを離れるわけにはいかなかった。
 しかし、逆に言えば非戦闘員を逃がしてしまえば、彼らも村を放棄して撤退して構わないのだ。

「はいっ! 次の馬車が出発すれば、村人は全員脱出できます! ですが、その馬車は我々の、最後の馬車で……」

 走り戻って来た、村人の誘導役を任せていた犬獣人の男に問えば語尾を震わせた報告を受ける。

「気にするな、お前の判断は正しい」

「オジロ隊長……」

 オジロは盾を背負いながら、男を労う。
 何よりも本人が、血を吐く想いで決断したしたことを知っているからだ。

「あはは、ラルフさんは優しいからなぁ。仕方ないですよ! これもハンターを生業に選んだ者の運命ってやつなのかな?」

 やぐらから降りて来たまだ少年の面差しを残した人間のハンター、ニコはどこか達観した様に笑いながら、ラルフと呼んだ犬獣人の横に立つ。

「……っ。すまないニコ、お前はまだ十数年しか生きていないのに」

 ラルフは尾を垂れて、ニコを抱きしめる。

「ふふ、もしもの時はそうだな……。ラルフさんと同じ時間を生きるために勉強してる延命の魔法、アレめちゃ難しいから覚えなくて済んで良かったなって事にしておきます」

 ニコは自分を抱きしめるラルフの背をポンポンと優しく叩いた。

「ニコ……」

 それは、生きて明日を迎えることは難しいと覚悟した者たちの穏やかな時間だった。

「オジロのおっちゃー、じゃなかった。オジロ隊長ー! 最後の馬車定員オーバーで馬が死にそうな顔してたけど、村人の脱出かんりょーしたみたいですよー! って、なになにー、ニコもラルフもこんな時にまでイチャコラせんでくれますぅ」

 賑やかにやってきた斥候役を任せていた猫獣人の女は、見つめ合う恋人たちを心底嫌そうに見やりながら、イライラとその縞柄の尾を揺らす。

「メディ、お前さんにゃあ情緒ってぇモンがトンとねぇなぁ」

「はぁぁ、何故にアタシがディスられるし? てか、諦めモードはやくない? こんなトコで呑気してないで悪あがきしましょーよー」

 メディと呼ばれた猫獣人の緊迫感の無い物言いに、オジロはやれやれと肩をすくめる。

「しかしまぁ……そうだな、こういう事態も起こりうるからこそのハンターの高収入ってな、それに素直にやられてやる義理はねぇ」

「そうそう、ハンターはそうでなくっちゃ! ほら、お前らもいつまでも乳繰り合ってないで、アタシを一秒でも長く生かす様に頑張ってー!」

 ぱんぱんと手を叩き、恋人たちを引き剥がすメディにニコは「あーやだやだ」とジト目を向ける。

「メディさん、乳繰り合うって意味知ってるの? そんなんだからいつまでたっても独り者なんですよ」

「こらニコ。メディは下品なとこもあるけど、最後までこうして一緒に粘ってくれてる誇るべき仲間だ。たとえ事実でもそんな事を言うもんじゃないぞ」

「まぁ、ラルフがそう言うなら」

「あーもー、うるさいうるさーい! これだからバカップルハンターは嫌いなんだよー! 時間ないんだからさっさと作戦立て――」

「――メディ避けろ!!」

 ラルフが叫ぶと同時に、メディは軽やかに前方に飛ぶ。
 メディが一瞬前まで立っていた地面には、黄緑色の液体がぶちまけられ、刺激臭を放つ煙が上がっていた。

「っぶなー! アタシが猫じゃなかったら死んでたわー」

「クソッ、まだ湧きやがるのか」

 オジロが振り返れば、これまでイヤと言うほど戦った紫と黒の縞模様が毒々しい馬車並みの図体の大蜘蛛が、カチカチと牙を鳴らしながら、四人の立つやぐら下から少し離れた民家の屋根に張り付いていた。
 あの大蜘蛛の吐き出す黄緑色の強酸性の毒には何度も苦しめられ、回復魔法を多用する羽目になり魔力を大量に削られたのだ。

「亡者たちが来る前にこいつやっつけないと、撤退も籠城もできませんね」

 ラルフから離れたニコが一歩下がる。

「あぁ全くだ。ラルフいけるか?」

「はい」

 問われてラルフは剣の柄に手をかけ、オジロは盾を構え大蜘蛛に向かう。
 後方では魔導陣を出したニコとメディが呪文を唱え、前衛二人のサポートに回る。

「オッジロ隊長ー、盾に水属性防御かけましたよー!」

 メディが声を上げた瞬間、飛んで来た毒液のつぶてをオジロが水属性防御がかかった盾で弾き、そのタイミングで盾の付加スキル挑発を発動、大蜘蛛を自分に引きつける。

「うおらぁぁ! こっちだ化け物!」

 オジロは盾を操り次々に飛んでくる毒液のつぶてを捌く。
 その隙にラルフは民家の壁を蹴って屋根に飛び乗り、背後から大蜘蛛と距離をつめ一気にその脚を薙いだ。

「はっ!」

 ――ザンッ!

 ヂィィィィィ!!!!

 二、三の脚を落とされた大蜘蛛は異音を発しながらバランスを崩すが、荒縄の様な糸を腹部から吹き出して体を建物へ固定し、追い打ちを狙うラルフに毒液を吐いて抵抗した。

「炎よ! ラルフさんを守れ!」

 後ろに飛び毒液を回避したラルフを守るように、ニコが放った炎の矢が大蜘蛛に降り注ぐ。
 大蜘蛛が炎に怯み体を縮み込ませたその瞬間、一足遅れて屋根へと駆け上がったオジロがその盾を振り回し大蜘蛛の頭を撃った。

「ふんっ!!」

 ――ゴォンッ!

 ヂィィッ!!

 オジロに殴り飛ばされた勢いで、大蜘蛛は屋根から転げ落ちる。

「だりゃー!」

 下で待ち構えていたメディが、地面に落ち、体液が漏れ出した大蜘蛛の頭をどこからか拾ってきたツルハシで潰し、やっと大蜘蛛は動きを止めた。

「はぁー、ゾンビ軍が迫ってるってーのに、無駄な魔力使わせるなっつーの」

「でも最小限の労力で倒せたんだから上々ですよメディさ……」

 ツルハシを杖にしゃがみこんだメディの目の前で、突然ニコが視界から消えた。

「へ?」

「ニコ!」

 ラルフの悲痛な声にメディが首を巡らすと、いつの間にかやぐらの上にもう一匹の大蜘蛛が張り付き、ニコをその太い糸でグルグルと絡めとっていた。

「このっ!」

「蜘蛛野郎がー!」

 オジロは盾を、メディはツルハシをそれぞれ大蜘蛛に向かって投げるが、どちらも飛ばされた毒液によって墜とされてしまう。
 そうこうしている間にもニコの体は大蜘蛛に引き寄せられ、その牙の餌食になろうとしていた。

「二コォォォ!!」

 ラルフが叫びながら駆ける。
 だが、それは火を見るより明らかだった。

 間に合わない。

 彼らが目の前の現実を理解した瞬間――


 ザンッ――


「なっ!?」

 ラルフの目の前で大蜘蛛の牙が飛ぶ。
 何が? と思った時には、大蜘蛛は腹から体液を吹き出しやぐらから転げ落ちた。
 そして地面にぶつかった衝撃で腹から臓器がグシャリと飛び出し、大蜘蛛はそのまま息絶える。

 大蜘蛛に捕まっていたニコも、糸に絡めとられす巻き状態のまま地面に叩きつけられるはずだったのだが、訳が分からぬうちに地面に横たえられていた。

「怪我はないか」

 体中に巻き付く糸を剥がされながら問われて、ニコはハッとする。
 ここに来て、ニコはようやく自分が何者かに救われたことに気づいたのだ。

「はっはい、ありがとうござ、いま……す」

 礼を言わねばと、慌てて糸を剥がしてくれる恩人を見上げれば、フードを被った男がじっと自分を見つめていて思わず声が詰まってしまう。

「ニコ! 無事か!?」

 駆け寄って来たラルフにニコは糸まみれのまま抱き着き、その胸に顔をうずめた。

「ニコ?」

 ニコの赤くなった耳と、フードの男を微妙な顔で見比べているラルフを横目で見ながら、オジロはやれやれと投げた盾を拾い肩をすくめる。

「まーたお前さんは、他所の恋人を誘惑すんのはやめとけ」

「別に、俺は……」

「ラルフも安心しろ、大方そいつは栗毛のニコをどっかの誰かさんと間違えたのさ」

 オジロの言葉に、フードの男は憮然として顔をそむけた。

「いやー大蜘蛛を瞬殺とかすっげーですね! こちらのフードさんはオジロ隊長の知り合いですかー?」

 ややややーと、空気を読まないメディが好奇心いっぱいの目でオジロに詰め寄る。

「知り合いと言うか、こいつは俺たちの同業者――」

「俺はエドヴァルドだ。エドで良い」

 メディの問いに答えるオジロの言葉を遮ってフードの男――エドが名乗ると同時に、今度は何処からともなくベルがカラカラカラと鳴り響く。

「あっ、これアタシが防壁の手前に気休め程度にかけといた結界やつ。気休めってのは何百も相手じゃ全然駄目なヤツってことね。つーわけで、ゾンビ軍きちゃったから逃げるか籠城しよー」

「……亡者か」

 風に乗って漂う腐臭に顔をしかめながら、エドは外套のフードを外す。
 エドの素顔をまじまじと見たメディが、にやにやと意味深にラルフを見やるが、オジロはそれを無視してエドに向き直った。

「エド、お前さんに頼めるか?」

「問題ない」

 オジロの問いに一言で返し、エドはスタスタと東の防壁へと歩いて行く。

「ちょっ、オジロのおっちゃん隊長ー! 問題あるって、エドさんがめちゃ強くてもあっちは三百はくだらない感じだっつーの! 数で押し負けるよ!」

 声を上げるメディと、ラルフの腕の中で心配そうな面持ちのニコを視線で制して、オジロは腕を組んでエドを見送る。

「まぁ見とけって。お前らぶったまげるぞ」


 ***


 ――ぅおぉん、うおぉおおおん。


 合唱の様に大地に響くそのうめき声は、どこか悲し気で郷愁を誘う唄のようだった。
 しかしこの亡者の声は、生あるものに無差別に呪いをふりまく呪詛であり、耳にするだけで生気を少しずつ奪っていく。

「……とうとう来ましたね、本当に彼一人に任せて良いのでしょうか」

 オジロたち四人は、比較的丈夫な建物である神殿の屋根に避難して、崩れかけた防壁に一人立つエドを見守っていた。
 エドの足元には、今にも崩れ落ちそうな緑褐色の腐った腕を上げ、生者にしがみつかんともがく何百もの亡者の群れが詰めかけており、その光景は遠目からでも吐き気をもよおすものだった。

「あの人、僕をみて凄く悲しそうな顔した」

 亡者に囲まれたエドの背を見つめながら、ニコがぽそりと呟く。

「そいつはただの私情だ。気にすることはねぇ、それよりお前等これから見る光景を目ぇかっぽじってよーく見とけ」

「オジロおっちゃん隊長ー、目ぇはかっぽじれんしー」

 屋根の端に座り足をプラプラとさせていたメディが軽口を叩いていると、それまで静かに立っていたエドが右手をおもむろに上げ、自身の身の丈を超える魔導陣を出す。

「うえぇ、何あの魔導陣。えぐ! デカッ! 私やニコの三倍以上あっぞ!?」

 魔導陣の大きさはそのまま術者の実力に比例する。
 メディほどではないが、ラルフもニコもエドの出した魔導陣のサイズに目を見開く。

 やがて彼らの目の前で、魔導陣は白い光を零しながら空にふわりと舞い上がる。

「オジロ隊長、彼は一体……」

 ラルフはニコを抱きよせ、白く輝く魔導陣が東の空いっぱいに展開するのを見つめながら、うわ言の様に口を開く。

「お前等も聞いたことくらいあるだろ。四、五年前、イレギュラータイプの飽和魔素解消現象で召喚された魔族を一人で殲滅したS級がいるってのは……」

「えっ。あれって、都市伝説じゃないの!?」

「まさか彼が?」

「みんな見てっ!」

 動揺を隠せないラルフの胸で、静かにエドの後姿を見守っていたニコが声をあげる。
 次の瞬間、東の空で花の様に開いた魔導陣からまばゆい光が降り注いだ。

「……これって。高位どころか、最高位の魔法じゃ」

 若者三人の心の声を代表するかの如く、メディが誰に言うともなく零す。
 目の前で起こっている出来事に、呆然とし動けないでいる若者たちを見てオジロはニヤリと愉快そうに笑った。

「まぁ、なんだ。あいつがその都市伝説とやらの、マーナムのS級ハンターって事さ」

 その幻想的な魔法の光はあっという間に収束し、空いっぱいに展開していた魔導陣が朝日に溶けた頃には、軍隊のごとき亡者の群れは跡形もなく消え失せていた。
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