仙年恋慕

鴨セイロ

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1章

46.診療所にて sideエドヴァルド

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 目を開けると白い天井が視界に映る。
 ここは確か、ギルドの診療室だったか……。

「あっ、エド先輩。やーっと目覚めましたね」

「マイロここはど――っつ、痛だだだっ」

 知った声がして、反射的に寝かされていたベッドから体を起こすも、枕から頭を上げた途端、俺は酷い頭痛に襲われこめかみを抑えた。

「急に動かない方が良いですよー。先輩ってば丸三日も昏睡状態でしたからね、暫くは後遺症で頭痛や吐き気に悩まされるし、あと肝臓がやられているから酒の類も当分禁止だそうです。薬物による内臓へのダメージって、回復魔法があまり効かないから困りものですよねぇ」

 俺がゆっくりと上半身を起こしていると、ベッドサイドの丸椅子に腰かけていたマイロは立ち上がり、カーテンを開いて柔らかな午後の光を取り込みながら、世間話のノリで俺の状態を説明した。

「後遺症?」

「ほぅ……。やはり記憶は飛んでいるようですね、エド先輩ってばサティ―リア嬢に違法ドラッグを致死量の勢いで盛られたんですよ」

 サティーリアの名を聞いて霞みがかった記憶がボンヤリと蘇る。
 そうだ、俺はサティーリアに酒を勧められて……。

「しかも先輩が盛られた薬ってば、魅了と暗示の魔法をいやらしく組み込んだ魔改造版だったらしくて、よくまぁ貞操が無事でしたよね~って、先ほどお見舞いに来て下さったギルドマスターも感心していましたよ」

「うげっ、ギルマス来たのかよ!」

「はい。ニヤニヤ笑ってましたね」

 そう言ってにこやかな笑顔を浮かべるマイロを見て、次にギルドマスターと顔合わせた際に、ボロクソに弄られる未来を確信した俺は頭を抱えた。
 あのおっさん、俺がドジるとめちゃくちゃ愉快そうにするから嫌なんだよなぁ。

「はぁぁ~、オフまで押しかけて来るくらいにサティ―リアは俺にご執心だったからな。正直、いつか何かしら盛られる気はしていた……のに、警戒を怠った俺のドジだな」

「その節は、僕も先輩の情報を売ってしまって申し訳なく」

 げんなりと溜息をつくと、マイロが申し訳なさげに口を開いた。
「あの時はちょっとした情報交換がありましてねぇ」などと続けるマイロを生暖かく見やりながら、俺は今更ながら気付く。

「つーか、何でお前がここにいんだ? 」

「何で……って?」

 何気なく言った俺の問いに、マイロの目が一瞬で猛禽のソレになった。

「エド先輩が、うかつにヤバイ量のヤバイ薬を盛られてるからでしょーが! その状態で店から勝手に姿を消すものだから、こっちは先輩が行きそうなとこ探し回ったのに全然見つからなくて、っで冷汗掻き始めた頃にいの一番に探した時はいなかった、先輩が使ってる宿部屋の浴槽で服着たまんまぶっ倒れてるって、女将さんから連絡が入って大変だったんですよ! 意識だってなかなか戻らないし、どれだけ心配したとお思いですか!」

 畳みかけるマイロの声量に、俺の二日酔い状態の頭はガンガンと痛みを訴え、ついでに目も回る。
 どうやらマイロには相当な心配と迷惑をかけた様だ。

「そっそうか……すまん、迷惑かけた。色々と、ありがとうな」

 俺の謝罪と礼に「分かればよろしい」と、腕を組むマイロをよくよく見れば、いつもきっちり整えられた髪はほつれ、常にピシリとノリのきいているシャツも、仕立ての良いジャケットも何処と無くくたびれていた。マイロとの付き合いはそこそこ長くなるが、戦闘後以外でこんなにヨレた姿を見るのは初めてだった。

 この男、何だかんだでお人好しだよなぁ。

「あっ因みに、サティ―リア嬢は警備兵に通報して捕まえてもらいました。彼女には現在薬事、傷害、それにエド先輩への準強制わいせつの疑いがかけられているそうです。多分、先輩のご実家方面から圧力がかかって罪状がより重くなってるっぽいですが……まぁそこら辺は自業自得なので気にしなくて良いと思いますよ」

 自身の人を見る目を自画自賛していると、マイロがモノのついでの様に放った言葉に俺は固まる。

「へ? じっか?」

「はい、先輩のご実家ですね」

「っあ゛ぁぁぁ!! って事は、兄貴にドジ踏んだのがバレたのか!?」

 サティーリアの事はこの際どうでも良い。
 それよりも、実家と兄貴に俺の素行が伝わってしまった方が問題だった。

「仕方ないですよココ、先輩と同郷のクリストフェル先生の診療所でもありますし」

 思わず天井を仰ぐ俺に淡々と言いながら、マイロは人差し指で足元を指す。
 あぁ、そうだよな俺も見覚えのあるギルドの診療室だと思っていたさ。

「しかし参った」

 我が実家は……詳しい事は端折るが、兎にも角にも体面がかなり重要視される。その為、家業の相続関係を一切合切放棄している身の俺ではあったが、故郷を出る際に、出先で何かあれば即強制送還だぞと兄貴と約束させられていたのだ。
 クリストフェルの野郎め、いつの間にかマーナムに住み着いたと思っていたが、やはりうちの実家と繋がっていやがったか。

「……で」

 しかし、こんな事が原因で実家になど帰省しようものなら、確実に嫁をあてがわれて身を固められる! それだけは! 何としても阻止しなくては!

「……だそうですよ。って、エド先輩聞いてます?」

「え、あ、なんか言ったか?」

 洒落にならない実家からの招集を、いかにして躱すか思考を巡らしていると、何事かをマイロに話しかけられていたようで、はたと我に返る。

「もー、人の話を聞いてる風に相槌しないで下さいよ! 」

「すまん、思考に没頭して対応がオートモードになってた」

 俺が謝ればマイロはどこか諦めた様子で再び口を開く。

「だから、ルーイ君でしたっけ? 彼がイオリ君に振られちゃったけど、彼の背中を押したのは僕だから少しは感謝してねって、先輩に伝えるように先程ここに来る途中で言付かってですね」

 マイロは慣れた手つきでサイドテーブルに置かれた茶器を並べながら、今ほど口にしたらしい内容を反復してみせた。

「え?」

 イオとルーイの名を耳にした瞬間、三日前のあの店での俺の記憶がバチンと甦る。
 そっそうだ! 俺はイオとあいつ、ルーイの会話を聞いて……、おいおい待て待て、イオがあの餓狼族の男、ルーイを振った? マイロは今そう言ったよな?
 マジかよイオのやつ、俺から見ても優良物件のアイツを振ったのか!?
 いやいや、じゃあ、あの時の『好き』だとか涙とかは一体何だったんだ?

「エド先輩、聞いてます?」

 マイロは固まったまま反応のない俺を、いぶしがりながらティーカップを差し出す。

「聞いてる、聞いてるともマイロ後輩! てか、なんで感謝?」

 俺は上ずりそうになる声を抑え平静を装いつつ、カップを受け取り訊き返した。

「いや、そこは良く分からなかったんですが、惚れた相手には幸せになって欲しいからね(儚げなげ微笑)とか何とかって言ってましたよ。犬獣人ってホントこぅ……、眩しい人がいるんですねぇ。僕には真似できません」

 どこかげんなり顔のマイロに、俺は少し噴き出す。

「あー、それは右に同じく」

 エルフが巷で神秘的で美しい森の賢者などと、鳥肌が立ちそうな事を言われてる様に、他種族も割と勝手なイメージが付けられているのだが、犬獣人は心根が真っすぐで純粋、素直だとか言われている。捻くれた所も人並みにあるマイロは、それを遠回しに揶揄っているのだ。

 しかしあいつ、イオに振られたくせにそんな事まで言ったのかよ。
 やはり恐ろしいライバルである。いや、あった……か。
 まぁ何だ。腑に落ちない点もあるが、これで何の憂いなくイオに俺の恋人になって欲しいと伝えられる訳か……ふっふっふ。

「エドせーんぱーい。イオリ君を横取りされなくて嬉しいのは分かりますが、ニヤけたその顔、無性にはっ倒したくなるんで止めてもらえますかね?」

「だってなぁマイロ~あははっ、はっ? あれ……ここ切れてる」

 マイロの苦情に俺が堪えきれずにヘラリと笑った瞬間、ピリっと顔に痛みが走り指先で痛みの中心を確認すると、顎先にそこそこ立派な瘡蓋が出来ていた。

「あぁソレね、クリストフェル先生が治してくれなかったんですよ。その怪我を見て何事か考えてる顔してましたけど、ソレはどこでこさえて来たんです?」

 問われて俺は瘡蓋を撫でながら、昨夜……いや、三日前の夜の記憶を思い出そうと試みた。

「うーん、薬盛られた以降は記憶が断片的なんだよなぁ。街を歩いて、雨が降ってたような?」

「ほぅ。まぁ泥酔していましたしね。何にせよ、顔の怪我は早く治しておいた方が良いですよ。実力勝負のハンター業界では体裁に関わりますし」

「あぁそうだな」

 俺は手に持っていたティーカップをサイドテーブルに置き、無詠唱で回復魔法をかける。それは今まで何度も繰り返してきた、欠伸しながらだって出来る俺にとって簡単な魔法コトのひとつだ。
 だから俺は、いつものように指先に魔法を纏わせ顔の傷に触れた。


「?」


 指の腹で触れた傷が塞がる瞬間、俺の脳裏に虚ろな瞳が映った。
 それは薄暗い何処かで、光を失ったその瞳はこちらに目もくれず、ただ地面に投げ出した己の指先だけを映している。

「……これは」

 俺は脳裏に浮かぶ身に覚えのない映像に多少の混乱をするものの、不思議とこれは自分自身の記憶だという実感があった。

 段々と鮮明になる記憶の映像に、俺は誰かを組み敷いていたのだと気付く。
 そして、己が組み敷いたその人物が誰かなのかを把握し――


「――っ」


 ――血の気が引いた。


 俺を見ず、身じろぎひとつせず、全身で自分を穢す者を拒絶するその死人の様な彼の姿に、記憶の中の俺は酷く悲しくなるが、それ以上にどこか諦めたような気持で動き続けていた。

「はっ、はは、嘘だろ……」

 掠れた、音にもならぬ囁きが口から漏れるが、脳裏を駆ける映像は止まらない。

 組み敷かれ路地に転がされた体からは血の臭いがして、その記憶の中の匂いに俺は絶望的な気持ちになる。
 やがて、記憶の中の俺が彼の中から抜くとその反射でだろう、生理的な瞬きをしたペリドットの瞳から涙が一つ零れ、彼が生きている事が分かり、俺は無意識につめていた息を吐いた。


「エド先輩?」

「わっ!!」

 マイロに叩かれた肩が大きく跳ねる。

「もー、さっきからいきなり黙り込まないで……って、どうしたんですかその顔、真っ青ですよ!? ちょっ、ちょっと待っててください! すぐにクリストフェル先生を呼んできますから!」

 マイロは俺の顔を見るなり血相を変え部屋から出て行く。
 翻ったマイロの尾羽を呆然と見送りながら、俺は途切れた記憶に意識を戻すが、どんなに集中してもそれ以上の記憶は戻らなかった。

「俺が、イオを」

 心臓がドッドッと不穏な脈を打つ。
 ヘッドボードに畳まれていた自分のジャケットを引き寄せ、ポケットから携帯端末を取り出し、俺は震える手でイオの携帯端末の番号を押す。
 長い、長い呼び出し音を、俺は祈るような気持で聞き続けたが、十数回目のベルの後、呼び出し音はぶつりと切れた。

 それから幾年が過ぎたが、あの日以来、何度かけ直してもイオの携帯端末に繋がる事は無かった。
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