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1章
41.優しいひと
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「本当にごめんなさいっ」
ギルドにほど近いトラットリアの片隅で、俺はルーイに頭をさげた。
「はははっ、イオリが謝ることじゃないよ」
「でも俺、本当に気持ちは嬉しかったんです。……その、ハンター仲間周りには冗談交じりで付き合わないかって言われた事もあったけど、ルーイみたいにその……、真面目な気持ちで伴侶にって言って貰ったの初めてで」
俺はテーブクロスの布目を見つめたまま、出来るだけ誠実にとあらかじめ考えてきた台詞を口にする。
「……イオリ。そんなに心を砕いた言葉を貰ったら、振られた方はまだ希望があるかもしれないと期待しちゃうだろ? だから男を振る時はサッと切り捨てて良い」
「だからそんなに下ばかり見てないで」そう続けられた言葉に俺がゆっくり顔を上げると、頬杖を付いたルーイが垂れ気味の甘いヘーゼルの瞳を細めて苦笑していた。
「ありがとう、ルーイ」
せっかくの好意を無碍にしてしまったのに、俺を気遣ってくれるその優しさが申し訳なくもありがたかった。
***
夕食時を過ぎた店内は、酔っ払いたちの陽気な喧騒に包まれ始めていた。
この店はエドと俺のお気に入りで二人でよく食事に来ていたのだが、いつも座る窓際の席は今の季節、俺にはちょっぴり隙間風が寒いので、今日は店の奥、暖炉前の二人掛けの席に予約を入れた。
人生初の『お気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい』を何とか穏便に終え、周りに視線を向ける余裕が出来た俺は、今更ながら気が付いたのだが、どうやら近くのテーブルで誰かの誕生日でも祝っているようで度々歓声が上がっている。
あんなに賑やかな集団に気が付かなかったなんて、俺はどんだけ緊張していたのか……。
「っで、イオリは気になる相手に気持ちを伝えないの?」
歌ったり騒いだりしているテーブルに目を留めていると、ルーイがワインの入ったグラスを片手に目を細めて尋ねた。って、言うか!
「ほえっ!?」
驚き過ぎて口から変な声が飛び出してしまう。
だって俺、ルーイのプロポーズをお断りした際に、気になる相手が居るなんて一言も何も言わなかったよな??
「あれ? 違ったかな、イオリからそう言う匂いがしているのだけど」
「に、におい?」
俺の動揺など、どこ吹く風で話し続けるルーイにオウム返しで尋ねると、彼は「あぁ」と何かを心得た顔になる。
「犬獣人の特性の一つでね、簡単に言うと僕らの嗅覚は感情の匂いを感知出来るんだ。僕はこれでも犬獣人上位種とか言われてる餓狼だから、ちょっと凄い」
「なっ、なるほど」
言いながら軽く胸を張るルーイに、俺は反射的に頷く。
「で、ちょっと前まではイオリの匂いの中に無かった香りがふわっと香っていてね、この香りは性的な発じょ――」
「ってぇぇぇ! ちょっと待てぇぇぇい!! こっ、こんなトコで何言いだすんですか!」
ルーイがニコニコしながら語るその先の言葉が分かった俺は、慌てふためいてテーブルに身を乗り出し、ルーイの口を塞ごうとするがスルリと逃げられてしまう。
「その反応だとビンゴみたいだね」
ルーイは慌てる俺に向かって、パチンと様になったウィンクをしてみせた。
「ビンゴも何も! それってルーイや犬獣人さんに感情もろバレって事ですよね!? そう言う情報はもっと早く教えて下さいよ!」
「あはは、大丈夫だよ。ホントはそこまで正確には分からないんだ。他の種よりちょっと他人の感情の機微に聡いだけ。普通の犬獣人はこの人は良い匂いだなーとか、そう言う自分の好みの判定に使うくらいだし」
我ながら情けない声で抗議をすると、ルーイは愉快そうに笑いながらフォローをしてくれるが、俺は先程の言葉を忘れていない。
「でも、ルーイはちょっと凄いんですよね?」
俺は頬が熱くなるのを感じつつ、もぞもぞと椅子に座り直す。
「まぁね、でも匂いだけだと判断を間違えちゃうこともあるから……。ただ、イオリの場合は顔に出やすいから最初の『ほえっ!?』だけでそう言う相手が居るって確証持てたよ?」
「ぬぅぅぅ。……じゃあ、さっきの性的な~とかって言うのは、俺にカマかけたって事ですか!?」
「あははは、ごめんごめん。つまらない嫉妬だよ。イオリの気持ちがどれくらいお相手に向かってるのか知りたかったんだ。普通に聞いてもはぐらかされそうだし」
「まぁ、それは否めないですけど」
はぁー。と、ため息を付く俺にルーイはごめんと笑いかける。
嫉妬だなんて素直に言われたら、これ以上の苦情は言いにくいじゃないか。
「っで、イオリはどうするの?」
「黙秘権を行使します」
「つれないなぁ」
ジト目で返す俺に苦笑を漏らすが、それ以上は追及して来ない様子のルーイに、俺はもう一つため息をついて口を開いた。
「ずっと、友達だと思ってて」
「うん」
ルーイは相槌を打ち、先を促す。
「多分、俺一人だったら、今も自分の気持ちに気が付かないまま過ごしていたと思うんです」
「うん」
「……でも最近、色々と考える機会があって」
「もしかして、その考える機会に僕のプロポーズも入ってたりする?」
「ふふ、するかも」
先程の意趣返しのつもりでニヤリと笑って応えれば「僕は知らぬ間にライバルに塩を送ってしまっていたのか」と、ルーイは芝居がかった仕草でガクッと肩を落とし、そのコミカルなリアクションに俺は思わず笑ってしまう。
「ははっ、……うん。でも、俺が自分の気持ちを自覚した時には、そいつにはもう結婚したい相手も決まってるみたいな噂が出てて」
と言うか、その噂を聞いたからこそ結果的に自分の気持ちを自覚した訳で、我ながら鈍かったなぁと思う。
「噂だなんて、その友達から直接聞けばいいんじゃ無いかな?」
「うーん、まぁそうなんだけど。あいつ今はちょっと忙しくしてて、いや、本当は忙しく無いみたいなんだけど、まぁ……そこら辺も俺にはよく分からないんですけど、お互い昇級試験がひと段落するまで距離置く感じになってて、で、落ち着いたら話があるから聞いて欲しいって言われてて」
話しながら鼻がツンとしたが、気にしない様にする。
「それは……」
「多分、その結婚の報告とかじゃないかと」
「って言うのは?」
「方々からの意見から推測しまして」
「つまりは憶測だよね?」
「でっでも、俺もそうかなって思うんです! ちょっと前までは沢山の彼女がいたのにいつの間にかその全員と分かれたらしくて……、あっ、言い忘れてたんですけど、そもそもそいつは男で、恋愛対象は女の子なんですよ! あはは」
勢いで作った不自然な作り笑いに、もう一度鼻がツンとする。
エドがギルドで水の加護を貸してくれた時、俺は物凄くドキドキして、いままで感じたとのない高揚感で胸がいっぱいになった。
その制御できない不整脈には自分でもビックリしたけど、ギルドから出る前にもう一度エドの顔を見たくてたまらなくなって、俺はそっと振り返った。
もしかしたら、見送ってくれてるのかなー何て、自覚したばかりの気持ちに浮かれて……。
「あいつには、男からの好意なんて迷惑なだけなんです」
あの時、俺が振り返るとエドはとても幸せそうに笑っていた。
サティと愛称で呼ばれていた兎獣人の女性に向かって――
「だから俺は、何も伝える気は無いんです」
あんなに相好を崩して甘い顔して、嬉しそうに笑うエドなんて俺は初めて見た。
そして一発で思い知った。
エドの恋愛対象はあくまでも女性なんだって……。
「……」
「ふむ。じゃあ、イオリがハンター昇級試験を受けないのって、その気になる友達を意識して?」
黙り込んだ俺に、ルーイはゆっくりとした喋りで問うた。
「あっあれ、俺、試験受けないってルーイに言いましたっけ? まぁ……そうですね。意識と言うか、この気持ちがバレたくないってのはあるかも。でもそれだけじゃなくて、この前ドジって結構な怪我をしちゃったから己の力不足を痛感したっていうのもあるし、幸い生活に困らない程度は今のままでも稼げるので、慌てて昇級狙わなくても良いかなって」
怪我をしたあの日、心配をして来てくれたエドにその場の勢いで試験を受けないなんて言ってしまったけど、結果的に良かったと思っている。
ハンターの級差が今以上に開けば、一緒に依頼を受ける事は確実に減るだろうが、今の俺にとってはその方が都合が良い。こんな厄介な気持ちを抱えたまま何処かの誰かと結婚したエドと、これまでの様に友達が出来るとは思えなかったし、自分の能力に自信の持てない今、あえて試験を受ける事も無いだろう。
しかし、エドの本命がサティ―リア嬢だったら流石に素直に祝える気がしないなぁ。
確かに顔は可愛いし、スタイルも凄いし、服装も露出度高いけど、エドはもう少し相手の内面を見ろ! って言っちゃうかも。
まぁ言えないけどさ、だって今の俺が言ったらただの醜い嫉妬になる。
だけど。
だけどもし俺が女の子だったら、少しくらいチャンスがあったのかな……
「……リ、イオリ。眉間に凄いしわ寄ってるよ」
思考にトリップしていた俺は、ルーイの声にハッと我に返った。
「ふわぁっ! すっすみません! えっと、そう言えば、ギルドの診療所で治療すると医療費の高さを思い出しますね、高位回復魔法一回で家賃二か月分のお金が飛びました。いつもその、くだんの友達が回復してくれてたから、これからは大きな怪我には気をつけないとって」
「イオリ、君は」
ルーイと居るのに何てことを考えてるんだと慌てたせいで、挙動不審にペラペラと関係ない事を喋りだした俺に、ルーイは困った様に耳を下げる。
「へ?」
「君は、自分が泣いている事にも気が付かないのかい?」
ルーイの視線がゆっくり下がるのと同じタイミングで、ポツリとテーブルに置いた俺の手に雫が落ちた。
「あれ?」
「まったく、眉間にしわを寄せながら泣くんだもの。笑うべきか、心配して良いのか悩んじゃったよ」
ルーイは苦笑しながら指先で俺の目元を拭う。
「君は多分、君が思っている以上に、意中の相手に惚れこんでいるんじゃないかな? そして、僕の立場でこんな事を言うのも何だけど、彼にイオリの好意を伝えたっていいんじゃないかな?」
「だっダメです! あいつは女の子が好きで、男の俺なんか、最初から……。それに、変な事を言ってあいつに嫌われたくない」
嫌われたくない。
そう口にして、俺はその言葉に震えそうな自分に気が付いた。
そうか、俺は怖いのだ。あの、気の良いハーフエルフに嫌われたらと思うと怖くてしょうがないのだ。
試験の準備で忙しいなどと嘘までつかれて距離を置かれて、正直かなり落ち込んでいるし、もし試験が終わっても前みたいに笑ってふざけ合える仲に戻れなかったら……と、想像して涙がボロっと零れた。今日は妙に涙腺が弱い。
「イオリはさ、僕にプロポーズされて嫌だった? 気持ち悪かった?」
俺は目をこすりながら小さく首を横に振る。
応えられはしなかったが、ルーイの気持ちは嬉しかった。でも、それとこれは……。
「うん、ありがと。 ……僕はね、君のその友達は君に気持ちを伝えてもらえたら、きっと嫌な気はしないと思うんだ」
「でも」
「勿論、色よい返事が返って来るとは限らない。現に僕も振られてしまったばっかりだしね。でもイオリは僕を振ったけど、この先も良い友人でいてくれると僕は思っているんだ。だって僕が惚れたイオリはそんな心の狭い男じゃないって知っているからね」
「……あ」
ルーイは俺の表情をみて「伝わったみたいで嬉しいよ」と、ニコリと笑う。
何年もつるんでいたくせに、俺の頭からは根本的な事が抜けていた。
そうだ、エドという男は俺が気持ちを打ち明けた所で、その程度の事で、俺を避ける様な繊細な性格はしていない。
きっと俺の気持ちは受け入れられないだろうが、ごめんなってちょっと申し訳なさそうに頭をぐりぐりと撫でる……そんな光景が目に浮かぶ。
「イオリはさ、その彼のことが好きなんだろ?」
「……好きです」
言葉に出すと、じんわりと胸が温かくなってドキドキして、自分は本当にエドに惚れているのだと改めて実感する。
「うん、それで良いんじゃないかな」
それで良い、ルーイのシンプルな言葉が胸にストンと落ちた。
「まぁ、僕的にはイオリがサクッと告白して玉砕してきてくれたら、これ幸いって迎えに行くんだけどなぁ」
内容はあんまりだけど、その言葉の端々にルーイからの気遣いと優しさが滲む。
「ははっ、何それひっど」
もっと早くにルーイと出会っていたなら、いや、あの馬車で会った時にちゃんとルーイと話していたなら。俺は今頃、ルーイとどうにかなっていた未来もあったのかもしれないのかなと、そんな想像がほんの少しだけ頭をよぎった。
「そしたらさ、振られた者同士仲良く傷を舐め合って、元鞘に納まっちゃえば良いかなって思うんだけど、このプランどう?」
「僕は待っているから」と言いながら、ルーイは頬杖を付いてふわりと笑う。
「元鞘も何も、俺たち一度も付き合ってませんから」
俺は笑うのをこらえて、ジト目で返した。
「でも、ありがとうルーイ。話してたら玉砕してスッキリするのも有りかなって気持ちになれました」
「ふふ、良かった。……僕はね、好きな人には幸せになって欲しいタイプなんだ」
そう言ってルーイは静かにグラスに口をつける。
店には酔っ払いの陽気な笑い声が満ちていた。
ギルドにほど近いトラットリアの片隅で、俺はルーイに頭をさげた。
「はははっ、イオリが謝ることじゃないよ」
「でも俺、本当に気持ちは嬉しかったんです。……その、ハンター仲間周りには冗談交じりで付き合わないかって言われた事もあったけど、ルーイみたいにその……、真面目な気持ちで伴侶にって言って貰ったの初めてで」
俺はテーブクロスの布目を見つめたまま、出来るだけ誠実にとあらかじめ考えてきた台詞を口にする。
「……イオリ。そんなに心を砕いた言葉を貰ったら、振られた方はまだ希望があるかもしれないと期待しちゃうだろ? だから男を振る時はサッと切り捨てて良い」
「だからそんなに下ばかり見てないで」そう続けられた言葉に俺がゆっくり顔を上げると、頬杖を付いたルーイが垂れ気味の甘いヘーゼルの瞳を細めて苦笑していた。
「ありがとう、ルーイ」
せっかくの好意を無碍にしてしまったのに、俺を気遣ってくれるその優しさが申し訳なくもありがたかった。
***
夕食時を過ぎた店内は、酔っ払いたちの陽気な喧騒に包まれ始めていた。
この店はエドと俺のお気に入りで二人でよく食事に来ていたのだが、いつも座る窓際の席は今の季節、俺にはちょっぴり隙間風が寒いので、今日は店の奥、暖炉前の二人掛けの席に予約を入れた。
人生初の『お気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい』を何とか穏便に終え、周りに視線を向ける余裕が出来た俺は、今更ながら気が付いたのだが、どうやら近くのテーブルで誰かの誕生日でも祝っているようで度々歓声が上がっている。
あんなに賑やかな集団に気が付かなかったなんて、俺はどんだけ緊張していたのか……。
「っで、イオリは気になる相手に気持ちを伝えないの?」
歌ったり騒いだりしているテーブルに目を留めていると、ルーイがワインの入ったグラスを片手に目を細めて尋ねた。って、言うか!
「ほえっ!?」
驚き過ぎて口から変な声が飛び出してしまう。
だって俺、ルーイのプロポーズをお断りした際に、気になる相手が居るなんて一言も何も言わなかったよな??
「あれ? 違ったかな、イオリからそう言う匂いがしているのだけど」
「に、におい?」
俺の動揺など、どこ吹く風で話し続けるルーイにオウム返しで尋ねると、彼は「あぁ」と何かを心得た顔になる。
「犬獣人の特性の一つでね、簡単に言うと僕らの嗅覚は感情の匂いを感知出来るんだ。僕はこれでも犬獣人上位種とか言われてる餓狼だから、ちょっと凄い」
「なっ、なるほど」
言いながら軽く胸を張るルーイに、俺は反射的に頷く。
「で、ちょっと前まではイオリの匂いの中に無かった香りがふわっと香っていてね、この香りは性的な発じょ――」
「ってぇぇぇ! ちょっと待てぇぇぇい!! こっ、こんなトコで何言いだすんですか!」
ルーイがニコニコしながら語るその先の言葉が分かった俺は、慌てふためいてテーブルに身を乗り出し、ルーイの口を塞ごうとするがスルリと逃げられてしまう。
「その反応だとビンゴみたいだね」
ルーイは慌てる俺に向かって、パチンと様になったウィンクをしてみせた。
「ビンゴも何も! それってルーイや犬獣人さんに感情もろバレって事ですよね!? そう言う情報はもっと早く教えて下さいよ!」
「あはは、大丈夫だよ。ホントはそこまで正確には分からないんだ。他の種よりちょっと他人の感情の機微に聡いだけ。普通の犬獣人はこの人は良い匂いだなーとか、そう言う自分の好みの判定に使うくらいだし」
我ながら情けない声で抗議をすると、ルーイは愉快そうに笑いながらフォローをしてくれるが、俺は先程の言葉を忘れていない。
「でも、ルーイはちょっと凄いんですよね?」
俺は頬が熱くなるのを感じつつ、もぞもぞと椅子に座り直す。
「まぁね、でも匂いだけだと判断を間違えちゃうこともあるから……。ただ、イオリの場合は顔に出やすいから最初の『ほえっ!?』だけでそう言う相手が居るって確証持てたよ?」
「ぬぅぅぅ。……じゃあ、さっきの性的な~とかって言うのは、俺にカマかけたって事ですか!?」
「あははは、ごめんごめん。つまらない嫉妬だよ。イオリの気持ちがどれくらいお相手に向かってるのか知りたかったんだ。普通に聞いてもはぐらかされそうだし」
「まぁ、それは否めないですけど」
はぁー。と、ため息を付く俺にルーイはごめんと笑いかける。
嫉妬だなんて素直に言われたら、これ以上の苦情は言いにくいじゃないか。
「っで、イオリはどうするの?」
「黙秘権を行使します」
「つれないなぁ」
ジト目で返す俺に苦笑を漏らすが、それ以上は追及して来ない様子のルーイに、俺はもう一つため息をついて口を開いた。
「ずっと、友達だと思ってて」
「うん」
ルーイは相槌を打ち、先を促す。
「多分、俺一人だったら、今も自分の気持ちに気が付かないまま過ごしていたと思うんです」
「うん」
「……でも最近、色々と考える機会があって」
「もしかして、その考える機会に僕のプロポーズも入ってたりする?」
「ふふ、するかも」
先程の意趣返しのつもりでニヤリと笑って応えれば「僕は知らぬ間にライバルに塩を送ってしまっていたのか」と、ルーイは芝居がかった仕草でガクッと肩を落とし、そのコミカルなリアクションに俺は思わず笑ってしまう。
「ははっ、……うん。でも、俺が自分の気持ちを自覚した時には、そいつにはもう結婚したい相手も決まってるみたいな噂が出てて」
と言うか、その噂を聞いたからこそ結果的に自分の気持ちを自覚した訳で、我ながら鈍かったなぁと思う。
「噂だなんて、その友達から直接聞けばいいんじゃ無いかな?」
「うーん、まぁそうなんだけど。あいつ今はちょっと忙しくしてて、いや、本当は忙しく無いみたいなんだけど、まぁ……そこら辺も俺にはよく分からないんですけど、お互い昇級試験がひと段落するまで距離置く感じになってて、で、落ち着いたら話があるから聞いて欲しいって言われてて」
話しながら鼻がツンとしたが、気にしない様にする。
「それは……」
「多分、その結婚の報告とかじゃないかと」
「って言うのは?」
「方々からの意見から推測しまして」
「つまりは憶測だよね?」
「でっでも、俺もそうかなって思うんです! ちょっと前までは沢山の彼女がいたのにいつの間にかその全員と分かれたらしくて……、あっ、言い忘れてたんですけど、そもそもそいつは男で、恋愛対象は女の子なんですよ! あはは」
勢いで作った不自然な作り笑いに、もう一度鼻がツンとする。
エドがギルドで水の加護を貸してくれた時、俺は物凄くドキドキして、いままで感じたとのない高揚感で胸がいっぱいになった。
その制御できない不整脈には自分でもビックリしたけど、ギルドから出る前にもう一度エドの顔を見たくてたまらなくなって、俺はそっと振り返った。
もしかしたら、見送ってくれてるのかなー何て、自覚したばかりの気持ちに浮かれて……。
「あいつには、男からの好意なんて迷惑なだけなんです」
あの時、俺が振り返るとエドはとても幸せそうに笑っていた。
サティと愛称で呼ばれていた兎獣人の女性に向かって――
「だから俺は、何も伝える気は無いんです」
あんなに相好を崩して甘い顔して、嬉しそうに笑うエドなんて俺は初めて見た。
そして一発で思い知った。
エドの恋愛対象はあくまでも女性なんだって……。
「……」
「ふむ。じゃあ、イオリがハンター昇級試験を受けないのって、その気になる友達を意識して?」
黙り込んだ俺に、ルーイはゆっくりとした喋りで問うた。
「あっあれ、俺、試験受けないってルーイに言いましたっけ? まぁ……そうですね。意識と言うか、この気持ちがバレたくないってのはあるかも。でもそれだけじゃなくて、この前ドジって結構な怪我をしちゃったから己の力不足を痛感したっていうのもあるし、幸い生活に困らない程度は今のままでも稼げるので、慌てて昇級狙わなくても良いかなって」
怪我をしたあの日、心配をして来てくれたエドにその場の勢いで試験を受けないなんて言ってしまったけど、結果的に良かったと思っている。
ハンターの級差が今以上に開けば、一緒に依頼を受ける事は確実に減るだろうが、今の俺にとってはその方が都合が良い。こんな厄介な気持ちを抱えたまま何処かの誰かと結婚したエドと、これまでの様に友達が出来るとは思えなかったし、自分の能力に自信の持てない今、あえて試験を受ける事も無いだろう。
しかし、エドの本命がサティ―リア嬢だったら流石に素直に祝える気がしないなぁ。
確かに顔は可愛いし、スタイルも凄いし、服装も露出度高いけど、エドはもう少し相手の内面を見ろ! って言っちゃうかも。
まぁ言えないけどさ、だって今の俺が言ったらただの醜い嫉妬になる。
だけど。
だけどもし俺が女の子だったら、少しくらいチャンスがあったのかな……
「……リ、イオリ。眉間に凄いしわ寄ってるよ」
思考にトリップしていた俺は、ルーイの声にハッと我に返った。
「ふわぁっ! すっすみません! えっと、そう言えば、ギルドの診療所で治療すると医療費の高さを思い出しますね、高位回復魔法一回で家賃二か月分のお金が飛びました。いつもその、くだんの友達が回復してくれてたから、これからは大きな怪我には気をつけないとって」
「イオリ、君は」
ルーイと居るのに何てことを考えてるんだと慌てたせいで、挙動不審にペラペラと関係ない事を喋りだした俺に、ルーイは困った様に耳を下げる。
「へ?」
「君は、自分が泣いている事にも気が付かないのかい?」
ルーイの視線がゆっくり下がるのと同じタイミングで、ポツリとテーブルに置いた俺の手に雫が落ちた。
「あれ?」
「まったく、眉間にしわを寄せながら泣くんだもの。笑うべきか、心配して良いのか悩んじゃったよ」
ルーイは苦笑しながら指先で俺の目元を拭う。
「君は多分、君が思っている以上に、意中の相手に惚れこんでいるんじゃないかな? そして、僕の立場でこんな事を言うのも何だけど、彼にイオリの好意を伝えたっていいんじゃないかな?」
「だっダメです! あいつは女の子が好きで、男の俺なんか、最初から……。それに、変な事を言ってあいつに嫌われたくない」
嫌われたくない。
そう口にして、俺はその言葉に震えそうな自分に気が付いた。
そうか、俺は怖いのだ。あの、気の良いハーフエルフに嫌われたらと思うと怖くてしょうがないのだ。
試験の準備で忙しいなどと嘘までつかれて距離を置かれて、正直かなり落ち込んでいるし、もし試験が終わっても前みたいに笑ってふざけ合える仲に戻れなかったら……と、想像して涙がボロっと零れた。今日は妙に涙腺が弱い。
「イオリはさ、僕にプロポーズされて嫌だった? 気持ち悪かった?」
俺は目をこすりながら小さく首を横に振る。
応えられはしなかったが、ルーイの気持ちは嬉しかった。でも、それとこれは……。
「うん、ありがと。 ……僕はね、君のその友達は君に気持ちを伝えてもらえたら、きっと嫌な気はしないと思うんだ」
「でも」
「勿論、色よい返事が返って来るとは限らない。現に僕も振られてしまったばっかりだしね。でもイオリは僕を振ったけど、この先も良い友人でいてくれると僕は思っているんだ。だって僕が惚れたイオリはそんな心の狭い男じゃないって知っているからね」
「……あ」
ルーイは俺の表情をみて「伝わったみたいで嬉しいよ」と、ニコリと笑う。
何年もつるんでいたくせに、俺の頭からは根本的な事が抜けていた。
そうだ、エドという男は俺が気持ちを打ち明けた所で、その程度の事で、俺を避ける様な繊細な性格はしていない。
きっと俺の気持ちは受け入れられないだろうが、ごめんなってちょっと申し訳なさそうに頭をぐりぐりと撫でる……そんな光景が目に浮かぶ。
「イオリはさ、その彼のことが好きなんだろ?」
「……好きです」
言葉に出すと、じんわりと胸が温かくなってドキドキして、自分は本当にエドに惚れているのだと改めて実感する。
「うん、それで良いんじゃないかな」
それで良い、ルーイのシンプルな言葉が胸にストンと落ちた。
「まぁ、僕的にはイオリがサクッと告白して玉砕してきてくれたら、これ幸いって迎えに行くんだけどなぁ」
内容はあんまりだけど、その言葉の端々にルーイからの気遣いと優しさが滲む。
「ははっ、何それひっど」
もっと早くにルーイと出会っていたなら、いや、あの馬車で会った時にちゃんとルーイと話していたなら。俺は今頃、ルーイとどうにかなっていた未来もあったのかもしれないのかなと、そんな想像がほんの少しだけ頭をよぎった。
「そしたらさ、振られた者同士仲良く傷を舐め合って、元鞘に納まっちゃえば良いかなって思うんだけど、このプランどう?」
「僕は待っているから」と言いながら、ルーイは頬杖を付いてふわりと笑う。
「元鞘も何も、俺たち一度も付き合ってませんから」
俺は笑うのをこらえて、ジト目で返した。
「でも、ありがとうルーイ。話してたら玉砕してスッキリするのも有りかなって気持ちになれました」
「ふふ、良かった。……僕はね、好きな人には幸せになって欲しいタイプなんだ」
そう言ってルーイは静かにグラスに口をつける。
店には酔っ払いの陽気な笑い声が満ちていた。
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