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1章
23.山登りと白銀藻草2
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「ふぅ、こんなもんかな」
額にかいた汗を、首にかけた手拭いでぬぐう。
納品に十分な量の白銀藻草を刈り取った俺は、右手で軽く空を切りお盆サイズの魔導陣を呼び出した。
ちなみに、魔導陣とは魔法を行使する際に呼び出す魔導言語が書き込まれた円形のパネルのようなモノで、魔力で具現化している。
魔導陣は大きいほどその処理能力が高く、より高位の魔法を行使できる。つまり、呼び出せる魔導陣が大きい=術者の能力が高いと言うのが、世間の常識で通説だ。
しかし、あえて魔導陣をコンパクトにして、己の技量を隠すタイプもいるので、あくまでも目安程度に思っていた方が良いんだよなぁ……ほら、エドとか無詠唱で魔法を行使する奴もいるくらいだから。
「まっ、エドは規格外だからな」
俺はよそ事をやめ、下位水魔法の呪文を唱えた。すると魔導陣の中の文字列が、中心の紋章に沿ってくるくると回転しほんのり青い光を帯び次の瞬間、一抱えほどの透明な水がたぷんと球体状になって現れた。
俺はもう一度右手を軽く振り、水の球が浮いた魔導陣を地面に置いた。
その横に腰を下ろして、背嚢から数枚の短冊状の綿布を取り出し、それを魔法で生み出した水で濡らして先程刈り取った白銀藻草の切り口に巻く。
その上からさらに俺が術式を書き込んだ保護用の綿布で包むことによって、白銀藻草の鮮度が保たれる。
依頼の備考欄に鮮度が良ければ追加報酬有とあったので、このくらいの手間は惜しんでいられない。
ちなみに魔術で生み出した水を使うのは、普通の水よりも魔力を帯びた水の方が植物の鮮度をより保たせてくれるからだ。
俺は手早く全ての白銀藻草に処理を施し、使用した道具と共に背嚢にしまった。
「納品の分は終わったぞー」
「こっちも乾燥終わりました! 直ぐに詰めますね」
曲げていた腰を伸ばしながら三人組に声を掛けると、アンラが応える。
三人の故郷に送る分はカナトの熱魔法とアンラの風魔法の合わせ技で乾燥させて、各々の背嚢にギュウギュウと詰め込まれた。
***
帰りは行きの登山よりも数段早く下山できる。
岩の谷間、かつての川の終着点つまり崖の淵まで戻って来た俺たちは、各々用意して来たゴーグルを取り出した。
「――っと、いう訳で帰りは落ちます」
「やっぱり落ちるんスね……」
俺がゴーグルを首にかけながら振り返れば、シリトはしおしおと肩を落とす。
「この日の為に、みんなで下位風魔法を習得しましたからね」
対照的にカナトはクールな見かけによらず、ジェットコースターの順番待ちをしている子供のようにワクワクと目を輝かせながら、落下の際に風やゴミから目を保護するためのゴーグルを装備した。
「お兄ちゃんよく聞いて、森の一番高い木のてっぺん辺りまで落ちたら呪文の最後の一節を唱えるんだよ。そしたら風がブワッてなって体が一度持ち上がるから、っで、四つん這いの姿勢で良いから地面に着地ね! 本当に集中してやらないと下手したら死んじゃうからね!」
アンラの具体的な言葉に、シリトがぷるぷると震え涙目になりながら頷く。
そう、帰りは時間短縮と単に楽だからという理由で自由落下で下山する。
しかしこの方法を使うには、着地の際の衝撃を緩和させるために下位風魔法が使える事が最低条件のため、俺はこの山に来る前に三人に下位風魔法の習得をさせたのだ。下位魔法なら俺でも教えられるからな。
相変わらずシリトは怯えてはいるが、魔法自体は完璧に使えるようになっていたし問題はないだろう。
「大丈夫、俺が先に降りて何かあったらちゃんと受け止める。だから安心して落ちてこいよ」
言いながら俺はシリトの肩をポンと叩いた。
「うぅ、イオリさんも初めての時は怖かったスか?」
シリトは震えながら、崖の淵にしゃがみ込み絶壁の下を覗く。
その姿がかつての自分と重なった。
「あー、俺の初めての時か……」
*
あれは忘れもしない。俺がマーナムに来てまだ間もない頃の事だ。
俺はエドとメイリンの三人でこの岩山に登り、特に問題も無く白銀藻草を刈り取り下山の時となった。
『めっ、めっちゃ高いホントにココから落ちるのか?』
崖の淵から絶壁の下を覗き込み、俺はぶるりと震える。
『そだよ~、いちいち壁伝って降りてたら日が暮れちゃって麓でキャンプコースだもん。暗くなったらココでもそれなりのモンスター出るから危ないしぃ』
『んー、人間のハンターも普通に飛び降りてるらしいから問題ないだろ』
メイリンもエドも何でもない事のように言うので、俺は余計に冷や汗をかく。
『いやいやいや、その人間のハンターって等級いくつだよ! 俺は駆け出しオブ新米のE級ハンターだぞ! この依頼だって二人が居なかったら受注できないレベルだし』
『でもイオリん下位風魔法使えるんだし大丈夫だよぉ~、ちゅう訳でメイちゃんは先に落ちてるにゃ~っとうっ!』
そう言ってメイリンはプールに飛び込むようにあっさりと絶壁の下へ落ちて行き、その姿は一瞬で豆粒のように小さくなり、あっという間に視界から消えた。
『ええぇっ! メイのやつ呪文唱えないで落ちてったぞ!』
『まぁ、あいつは何だかんだでA級だからな、落ちながら呪文くらいどうとでもだろ』
俺の動揺などどこ吹く風で、エドは荷物を背負い直している。
『ぐぬぬ、言動と能力が一致しない奴め』
『ははっ じゃあ俺たちも行くか!』
ははっ、ではない。
ちょっとソコまで買い物に行くくらいの気軽さで声を掛けないで欲しい。
『いや、今の俺に断崖絶壁を落下しながら呪文詠唱するなんて、普通に無理だから先行ってて』
俺は、背後でイッチニっと掛け声をかけながら準備体操をしていたエドに、先に行くように促しながら崖の淵から立ち上がり振り返る。と、丁度エドが綺麗なフォームでクラウチングスタートを切った所だった。
そのまま飛び降りるのだと思い、俺は走路を開けようと体をそら――
『――んな゛っ!?』
『目ぇつぶってて良いぞー』
楽しげな声が間近から聞こえた。
走ってきたエドに片手でガシッと体をホールドされたと思ったら、エドは俺を片手抱っこして事もあろうか崖の淵から飛び降り――
『ヒッ……、ビヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッモガッ』
空に飛び出した体は僅かな浮遊感の後、猛烈な加速をつけて落下する。
身体が空気をぶち抜くゴォォォォと言う音に、本能的に死を察したらしい俺の口は断末魔の悲鳴を上げるも、耳元で叫ぶ俺があまりに煩かったのか顔面をエドの胸にむぎゅっと押し付けられ、俺は叫ぶ代わりに無我夢中でエドに抱き付いた。
そして、気が付いたら地上だった。
物凄く丁寧に地面に下してもらったようで、俺は地面に着いたことにも気づかず、暫くエドに抱っこちゃん人形の如くしがみ付いていた。
正直、恐怖が限界を突破してシクシクと泣いていたのだ。
しかも! その様子を先に降りてた意地の悪いメイリンが携帯端末で録画していて『生き別れたカップルの再会みたい~』と、帰りの馬車でおちょくられ俺は今度は羞恥で涙目になった。
あまりにも苦すぎる駆け出しの頃の思い出である。
*
「あれ以来、俺は格上と尊敬していたエドへの遠慮も無くなった……」
ガチ泣きと、おちょくられた辺りの事は、個人的な都合により伏せさせてもらったが問題ないだろう。
「さっすが、獣人と古代種はレベルが違うっていうか、俺もエドさんと落ちたかったっス!」
「きゃー、エドヴァルドさんって意外とお茶目なんですね、そんなところも素敵ですー!」
俺が話し終えると、シリトとアンラの中で何故かエドとメイリンの株が上がっていて納得がいかない。
ここは、酷い先輩ですね!って同情票を集められる場面ではないのか?
「なぁ、兄妹のエドに対する評価ガバガバじゃない?」
「すみません、二人共エドさんに憧れているもので」
俺がカナトに訴えると、彼は可笑しそうに苦笑した。
まぁ確かにマーナムでAAA級のハンターは、今はエドだけだから憧れる気持ちは分かるが……。
「人間って獣人や古代種に比べて色々と劣るから、どうしても彼らの強さや美しさに憧れちゃうんですよね。特にホラ、エドさんって同性から見てもカッコイイタイプですし」
「確かにその気持ちはわかる。しかも、ハンターやってるエルフなんてあんまり居ないからなー」
そう言えばエルフって、基本的にあまり生まれ故郷から出てこない種族らしくて、王都の様な大きな街でも二、三人居るかいないかなんだけど、俺が住む地方都市のマーナムにはハーフエルフのエドと、ギルドの診療所に勤める治療士のエルフさんが居て、地方都市にしてはエルフ密度が高めだ。
なんでもマーナムの緑豊かな街造りがお気に入りだと、治療士のエルフさんは言っていたな。
「……でも、俺にとっては同じ人間に生まれたのに、彼らと肩を並べてハンターをされているイオリさんの方が憧れです」
「えっ」
よそ事をしていた俺は、不意打ちでそんな事を言ってじっと見つめてくるカナトに思わず赤面をしてしまう。
そんな風に思っていてくれたとは……。
「あー! カナト自分だけ抜け駆けずるいー、私だってイオリさんに憧れてますー! 人間でB級のハンターなんてマーナムよりおっきい街でも一人か二人しか居ないですもん!」
「俺だってイオリさん尊敬してるっスよ! でもでも、カナトを誘惑するのはやめてくださぁい!」
「そう言ってくれるのはありがたいけど、俺は魔法とかそこまで上手くないからなー」
俺は後輩たちの嬉しい言葉に、照れ隠しで頬をかく。
「ははっ そこは親しみですよ。ただでさえ仙人で仙術が使えるのに、魔法まで完璧だったら恐れ多くて新米の俺たちじゃこんなにお話しできませんからね」
言ってカナトは器用にウィンクを決めた。
この子、絶対村一番のモテボーイだったんだろうなー。シリトが惚れちゃうのちょっとわかる気がする。
「もー、カナトもイオリさんも、俺の言った事を半分聞かなかった事にしないで欲しいっス!」
「はいはい、誘惑なんてイオリさんはしてないし、俺もされてないだろ? まったくシリトは子供なんだから」
焼きもちを焼くシリトをカナトが受け流す。最近よく見る平和な光景だった。
だから油断した。
「もぉぉ子供じゃないっス! むーん、じゃあ俺が今すぐここから飛び降りたらカナトは俺のになってくれる?」
「分かった分かった、考えといてやるよ」
当たり障りなく無くカナトはシリトの相手をする。
「えっまじっスか!? わーい! じゃあ俺、行ってきまっス!」
止める間も無かった。
行ってきますと言いながらシリトは、喜び勇んで絶壁へ向かって走って行き飛び降りた。
「えっ、ちょっ待て」
シリトってば呪文唱えてなーー
「きゃぁぁぁぁお兄ちゃんっ!!」
アンラの悲鳴を背中で聞きながら、俺はシリトを追い崖から飛び降りた。
***
「まったく、お前って子は!」
俺は風に煽られ鳥の巣のようになった蜜柑色の頭をぺシリとは叩く。
「ごめんなさいっス、呪文の事忘れちゃってて、めっちゃ怖かったグスッ」
結果的に言うと、シリトは無事だった。
後を追って飛び降りた俺が、このままではシリトの着地に間に合わないと判断し、落ちながら唱えた下位風魔法を落下の加速に放とうとした時だ。
突然、地面から風魔法が放たれ落ちゆくシリトをふわりと浮かせたのだ。その風はシリトよりも上空に居た俺も巻き上げて、ふわりと体を包みそっと地面に下すと、空気に溶ける様に消えた。おそらく、完璧に制御をされた高位風魔法だったのだと思う。
「いやぁ、僕も泣き叫ぶ人間の子が落ちて来たのにはビックリだったけど、怪我がなくて何よりだよ」
そう言って笑うピンと立った犬耳の恩人に、俺は改めて頭を下げる。
なんと、たまたま居合わせたこちらの犬獣人の彼が風魔法でシリトを助けてくれたのだ。
「本当に、本当にありがとうございました。ほら、シリトも泣いてないでちゃんとお礼する!」
「ふぇ、ありがとうございましたっス」
「良いって良いって、ほら飴をあげるから泣き止みなさい」
グズグズと、泣きべそをかいているシリトの背中をさすりながら俺はお礼を伝えさせた。怖かったのは分かるが、こういう事はしっかりしなければならないからな。
そうこうしていると、アンラとカナトも降りて来て地面の手前で放った風の魔法を上手に使い、しっかりと着地を決め、そのまま俺とシリトの方へ駆け寄ってくる。
「お兄ちゃんもイオリさんも無事なのね!?」
「シリトッ! 怪我はないか!?」
二人は口々に言いながら俺たちに怪我がない事を確認し安堵の息を吐いた。が、次の瞬間にはシリトへのお説教が始まる。
まぁそれだけ心配したって事だからな、ガミガミ怒られて俯き加減のシリトも流石に大人しく……って、シリト素直にしてると思ったら、さっき貰った飴ちゃん口の中で転がしてんじゃん。
「ははっ、仲が良い子たちだね。でも、まさかこんな所で君にまた会えるなんて……僕はついている」
頬をポコっと飴ちゃんで膨らますシリトに目を眇めて居れば、いつの間にか俺の隣に立ち爽やかに笑うシリトの恩人。
しかし、まるでどこかで会った事があるようなその口ぶりに、俺の頭に疑問符が浮かぶ。
「へっ? 俺、貴方とどこかでお会いしまし……あ」
まじまじとその犬耳の男前な顔を見つめれば、俺の脳裏にある人物が頭に浮かんだ。
「あぁー! もしかして、あの時の!?」
「ふふっ、やっと思い出してくれたかな」
そう言ってふさふさの尾をふわりと揺らし、ちょっと困ったように笑うシリトの恩人は、いつかの掃討作戦に向かう馬車で俺に声をかけてきた犬獣人の、餓狼族の青年だった。
額にかいた汗を、首にかけた手拭いでぬぐう。
納品に十分な量の白銀藻草を刈り取った俺は、右手で軽く空を切りお盆サイズの魔導陣を呼び出した。
ちなみに、魔導陣とは魔法を行使する際に呼び出す魔導言語が書き込まれた円形のパネルのようなモノで、魔力で具現化している。
魔導陣は大きいほどその処理能力が高く、より高位の魔法を行使できる。つまり、呼び出せる魔導陣が大きい=術者の能力が高いと言うのが、世間の常識で通説だ。
しかし、あえて魔導陣をコンパクトにして、己の技量を隠すタイプもいるので、あくまでも目安程度に思っていた方が良いんだよなぁ……ほら、エドとか無詠唱で魔法を行使する奴もいるくらいだから。
「まっ、エドは規格外だからな」
俺はよそ事をやめ、下位水魔法の呪文を唱えた。すると魔導陣の中の文字列が、中心の紋章に沿ってくるくると回転しほんのり青い光を帯び次の瞬間、一抱えほどの透明な水がたぷんと球体状になって現れた。
俺はもう一度右手を軽く振り、水の球が浮いた魔導陣を地面に置いた。
その横に腰を下ろして、背嚢から数枚の短冊状の綿布を取り出し、それを魔法で生み出した水で濡らして先程刈り取った白銀藻草の切り口に巻く。
その上からさらに俺が術式を書き込んだ保護用の綿布で包むことによって、白銀藻草の鮮度が保たれる。
依頼の備考欄に鮮度が良ければ追加報酬有とあったので、このくらいの手間は惜しんでいられない。
ちなみに魔術で生み出した水を使うのは、普通の水よりも魔力を帯びた水の方が植物の鮮度をより保たせてくれるからだ。
俺は手早く全ての白銀藻草に処理を施し、使用した道具と共に背嚢にしまった。
「納品の分は終わったぞー」
「こっちも乾燥終わりました! 直ぐに詰めますね」
曲げていた腰を伸ばしながら三人組に声を掛けると、アンラが応える。
三人の故郷に送る分はカナトの熱魔法とアンラの風魔法の合わせ技で乾燥させて、各々の背嚢にギュウギュウと詰め込まれた。
***
帰りは行きの登山よりも数段早く下山できる。
岩の谷間、かつての川の終着点つまり崖の淵まで戻って来た俺たちは、各々用意して来たゴーグルを取り出した。
「――っと、いう訳で帰りは落ちます」
「やっぱり落ちるんスね……」
俺がゴーグルを首にかけながら振り返れば、シリトはしおしおと肩を落とす。
「この日の為に、みんなで下位風魔法を習得しましたからね」
対照的にカナトはクールな見かけによらず、ジェットコースターの順番待ちをしている子供のようにワクワクと目を輝かせながら、落下の際に風やゴミから目を保護するためのゴーグルを装備した。
「お兄ちゃんよく聞いて、森の一番高い木のてっぺん辺りまで落ちたら呪文の最後の一節を唱えるんだよ。そしたら風がブワッてなって体が一度持ち上がるから、っで、四つん這いの姿勢で良いから地面に着地ね! 本当に集中してやらないと下手したら死んじゃうからね!」
アンラの具体的な言葉に、シリトがぷるぷると震え涙目になりながら頷く。
そう、帰りは時間短縮と単に楽だからという理由で自由落下で下山する。
しかしこの方法を使うには、着地の際の衝撃を緩和させるために下位風魔法が使える事が最低条件のため、俺はこの山に来る前に三人に下位風魔法の習得をさせたのだ。下位魔法なら俺でも教えられるからな。
相変わらずシリトは怯えてはいるが、魔法自体は完璧に使えるようになっていたし問題はないだろう。
「大丈夫、俺が先に降りて何かあったらちゃんと受け止める。だから安心して落ちてこいよ」
言いながら俺はシリトの肩をポンと叩いた。
「うぅ、イオリさんも初めての時は怖かったスか?」
シリトは震えながら、崖の淵にしゃがみ込み絶壁の下を覗く。
その姿がかつての自分と重なった。
「あー、俺の初めての時か……」
*
あれは忘れもしない。俺がマーナムに来てまだ間もない頃の事だ。
俺はエドとメイリンの三人でこの岩山に登り、特に問題も無く白銀藻草を刈り取り下山の時となった。
『めっ、めっちゃ高いホントにココから落ちるのか?』
崖の淵から絶壁の下を覗き込み、俺はぶるりと震える。
『そだよ~、いちいち壁伝って降りてたら日が暮れちゃって麓でキャンプコースだもん。暗くなったらココでもそれなりのモンスター出るから危ないしぃ』
『んー、人間のハンターも普通に飛び降りてるらしいから問題ないだろ』
メイリンもエドも何でもない事のように言うので、俺は余計に冷や汗をかく。
『いやいやいや、その人間のハンターって等級いくつだよ! 俺は駆け出しオブ新米のE級ハンターだぞ! この依頼だって二人が居なかったら受注できないレベルだし』
『でもイオリん下位風魔法使えるんだし大丈夫だよぉ~、ちゅう訳でメイちゃんは先に落ちてるにゃ~っとうっ!』
そう言ってメイリンはプールに飛び込むようにあっさりと絶壁の下へ落ちて行き、その姿は一瞬で豆粒のように小さくなり、あっという間に視界から消えた。
『ええぇっ! メイのやつ呪文唱えないで落ちてったぞ!』
『まぁ、あいつは何だかんだでA級だからな、落ちながら呪文くらいどうとでもだろ』
俺の動揺などどこ吹く風で、エドは荷物を背負い直している。
『ぐぬぬ、言動と能力が一致しない奴め』
『ははっ じゃあ俺たちも行くか!』
ははっ、ではない。
ちょっとソコまで買い物に行くくらいの気軽さで声を掛けないで欲しい。
『いや、今の俺に断崖絶壁を落下しながら呪文詠唱するなんて、普通に無理だから先行ってて』
俺は、背後でイッチニっと掛け声をかけながら準備体操をしていたエドに、先に行くように促しながら崖の淵から立ち上がり振り返る。と、丁度エドが綺麗なフォームでクラウチングスタートを切った所だった。
そのまま飛び降りるのだと思い、俺は走路を開けようと体をそら――
『――んな゛っ!?』
『目ぇつぶってて良いぞー』
楽しげな声が間近から聞こえた。
走ってきたエドに片手でガシッと体をホールドされたと思ったら、エドは俺を片手抱っこして事もあろうか崖の淵から飛び降り――
『ヒッ……、ビヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッモガッ』
空に飛び出した体は僅かな浮遊感の後、猛烈な加速をつけて落下する。
身体が空気をぶち抜くゴォォォォと言う音に、本能的に死を察したらしい俺の口は断末魔の悲鳴を上げるも、耳元で叫ぶ俺があまりに煩かったのか顔面をエドの胸にむぎゅっと押し付けられ、俺は叫ぶ代わりに無我夢中でエドに抱き付いた。
そして、気が付いたら地上だった。
物凄く丁寧に地面に下してもらったようで、俺は地面に着いたことにも気づかず、暫くエドに抱っこちゃん人形の如くしがみ付いていた。
正直、恐怖が限界を突破してシクシクと泣いていたのだ。
しかも! その様子を先に降りてた意地の悪いメイリンが携帯端末で録画していて『生き別れたカップルの再会みたい~』と、帰りの馬車でおちょくられ俺は今度は羞恥で涙目になった。
あまりにも苦すぎる駆け出しの頃の思い出である。
*
「あれ以来、俺は格上と尊敬していたエドへの遠慮も無くなった……」
ガチ泣きと、おちょくられた辺りの事は、個人的な都合により伏せさせてもらったが問題ないだろう。
「さっすが、獣人と古代種はレベルが違うっていうか、俺もエドさんと落ちたかったっス!」
「きゃー、エドヴァルドさんって意外とお茶目なんですね、そんなところも素敵ですー!」
俺が話し終えると、シリトとアンラの中で何故かエドとメイリンの株が上がっていて納得がいかない。
ここは、酷い先輩ですね!って同情票を集められる場面ではないのか?
「なぁ、兄妹のエドに対する評価ガバガバじゃない?」
「すみません、二人共エドさんに憧れているもので」
俺がカナトに訴えると、彼は可笑しそうに苦笑した。
まぁ確かにマーナムでAAA級のハンターは、今はエドだけだから憧れる気持ちは分かるが……。
「人間って獣人や古代種に比べて色々と劣るから、どうしても彼らの強さや美しさに憧れちゃうんですよね。特にホラ、エドさんって同性から見てもカッコイイタイプですし」
「確かにその気持ちはわかる。しかも、ハンターやってるエルフなんてあんまり居ないからなー」
そう言えばエルフって、基本的にあまり生まれ故郷から出てこない種族らしくて、王都の様な大きな街でも二、三人居るかいないかなんだけど、俺が住む地方都市のマーナムにはハーフエルフのエドと、ギルドの診療所に勤める治療士のエルフさんが居て、地方都市にしてはエルフ密度が高めだ。
なんでもマーナムの緑豊かな街造りがお気に入りだと、治療士のエルフさんは言っていたな。
「……でも、俺にとっては同じ人間に生まれたのに、彼らと肩を並べてハンターをされているイオリさんの方が憧れです」
「えっ」
よそ事をしていた俺は、不意打ちでそんな事を言ってじっと見つめてくるカナトに思わず赤面をしてしまう。
そんな風に思っていてくれたとは……。
「あー! カナト自分だけ抜け駆けずるいー、私だってイオリさんに憧れてますー! 人間でB級のハンターなんてマーナムよりおっきい街でも一人か二人しか居ないですもん!」
「俺だってイオリさん尊敬してるっスよ! でもでも、カナトを誘惑するのはやめてくださぁい!」
「そう言ってくれるのはありがたいけど、俺は魔法とかそこまで上手くないからなー」
俺は後輩たちの嬉しい言葉に、照れ隠しで頬をかく。
「ははっ そこは親しみですよ。ただでさえ仙人で仙術が使えるのに、魔法まで完璧だったら恐れ多くて新米の俺たちじゃこんなにお話しできませんからね」
言ってカナトは器用にウィンクを決めた。
この子、絶対村一番のモテボーイだったんだろうなー。シリトが惚れちゃうのちょっとわかる気がする。
「もー、カナトもイオリさんも、俺の言った事を半分聞かなかった事にしないで欲しいっス!」
「はいはい、誘惑なんてイオリさんはしてないし、俺もされてないだろ? まったくシリトは子供なんだから」
焼きもちを焼くシリトをカナトが受け流す。最近よく見る平和な光景だった。
だから油断した。
「もぉぉ子供じゃないっス! むーん、じゃあ俺が今すぐここから飛び降りたらカナトは俺のになってくれる?」
「分かった分かった、考えといてやるよ」
当たり障りなく無くカナトはシリトの相手をする。
「えっまじっスか!? わーい! じゃあ俺、行ってきまっス!」
止める間も無かった。
行ってきますと言いながらシリトは、喜び勇んで絶壁へ向かって走って行き飛び降りた。
「えっ、ちょっ待て」
シリトってば呪文唱えてなーー
「きゃぁぁぁぁお兄ちゃんっ!!」
アンラの悲鳴を背中で聞きながら、俺はシリトを追い崖から飛び降りた。
***
「まったく、お前って子は!」
俺は風に煽られ鳥の巣のようになった蜜柑色の頭をぺシリとは叩く。
「ごめんなさいっス、呪文の事忘れちゃってて、めっちゃ怖かったグスッ」
結果的に言うと、シリトは無事だった。
後を追って飛び降りた俺が、このままではシリトの着地に間に合わないと判断し、落ちながら唱えた下位風魔法を落下の加速に放とうとした時だ。
突然、地面から風魔法が放たれ落ちゆくシリトをふわりと浮かせたのだ。その風はシリトよりも上空に居た俺も巻き上げて、ふわりと体を包みそっと地面に下すと、空気に溶ける様に消えた。おそらく、完璧に制御をされた高位風魔法だったのだと思う。
「いやぁ、僕も泣き叫ぶ人間の子が落ちて来たのにはビックリだったけど、怪我がなくて何よりだよ」
そう言って笑うピンと立った犬耳の恩人に、俺は改めて頭を下げる。
なんと、たまたま居合わせたこちらの犬獣人の彼が風魔法でシリトを助けてくれたのだ。
「本当に、本当にありがとうございました。ほら、シリトも泣いてないでちゃんとお礼する!」
「ふぇ、ありがとうございましたっス」
「良いって良いって、ほら飴をあげるから泣き止みなさい」
グズグズと、泣きべそをかいているシリトの背中をさすりながら俺はお礼を伝えさせた。怖かったのは分かるが、こういう事はしっかりしなければならないからな。
そうこうしていると、アンラとカナトも降りて来て地面の手前で放った風の魔法を上手に使い、しっかりと着地を決め、そのまま俺とシリトの方へ駆け寄ってくる。
「お兄ちゃんもイオリさんも無事なのね!?」
「シリトッ! 怪我はないか!?」
二人は口々に言いながら俺たちに怪我がない事を確認し安堵の息を吐いた。が、次の瞬間にはシリトへのお説教が始まる。
まぁそれだけ心配したって事だからな、ガミガミ怒られて俯き加減のシリトも流石に大人しく……って、シリト素直にしてると思ったら、さっき貰った飴ちゃん口の中で転がしてんじゃん。
「ははっ、仲が良い子たちだね。でも、まさかこんな所で君にまた会えるなんて……僕はついている」
頬をポコっと飴ちゃんで膨らますシリトに目を眇めて居れば、いつの間にか俺の隣に立ち爽やかに笑うシリトの恩人。
しかし、まるでどこかで会った事があるようなその口ぶりに、俺の頭に疑問符が浮かぶ。
「へっ? 俺、貴方とどこかでお会いしまし……あ」
まじまじとその犬耳の男前な顔を見つめれば、俺の脳裏にある人物が頭に浮かんだ。
「あぁー! もしかして、あの時の!?」
「ふふっ、やっと思い出してくれたかな」
そう言ってふさふさの尾をふわりと揺らし、ちょっと困ったように笑うシリトの恩人は、いつかの掃討作戦に向かう馬車で俺に声をかけてきた犬獣人の、餓狼族の青年だった。
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BLゲーム的な感覚で、次から次にあらゆるメンズとエッチなハプニングが起こる、ご都合主義BL小説。
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