仙年恋慕

鴨セイロ

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1章

01.長生きしたいと願った転生者

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 眠りから覚めるように意識が浮上する。
 ゆらゆらと波間を漂うような感覚、暑くも寒くもなくて上も下も分からない。

 目を開くと、そこは暗闇だった。
 しかしその闇にはキラキラと煌めく光の粒が漂い、まるで満天の星のただ中の様な、そんな空間が広がっていた。

「やっぱ死んだかー」

 そう、おそらく俺は死んだ。
 このキラキラ空間で目覚める前の最後の記憶は、薄汚れた俺の指先を舐める子猫の小さな赤い舌。

「……ねこ、生きてて良かったな」

 日向伊織ひゅうがいおり、享年十九歳。
 先月、十代最後の誕生日を迎えたばかりだった。


 ***


『あんたって校則や門限とか破らないし、同年代の男共より落ち着いてるけど、肝心なところで地に足がついていないと言うか、危ういと言うか、……いつかどこかに飛んで行っちゃいそうなのよね』

 俺の誕生日ケーキの苺をつつきながらそう言ったのは、五つ上の姉だった。

 いや、だがしかしだなー。
 まさか本当に十代で命飛ばしちゃうとは思わなかったよ? 俺だって。

 でも道路の真ん中でうずくまっていた小さな毛玉を見つけた瞬間、俺は飛び出してしまったのだ。
 そして、その震える小さな子猫を抱きあげ、あとちょっとで歩道に戻れるという所で明らかにスピードを出し過ぎの乗用車が突っ込んできて――

 まぁ、子猫が無事でよかったさ。
 不幸な男子大学生の死と共にニュースで取り上げられれば注目度抜群だし、きっとあの子猫を飼いたいって言ってくれる人も出てくるだろう。子猫よ、幸せになれよ!
 俺はこの天国(?)でのんびりするさ! と、再び目を瞑った時だ。

「ごめんなさいね、ここは天国ではないの」

 鈴を転がすような女性の声が響いた。
 俺は驚いて目を見開き、転がったままの姿勢から上体を起こす。

「あなたの姉君は本質を見抜いていらしたのですね。まさにイオリの魂はふらふらと常に不安定にあったのだから、地に足がつかないとは実に言いえて妙ですわ!」

 うんうん。感心しました! 的な独り言が空間に響き続ける。

「えっと、どちら様? てか、なんで俺の名前とか姉貴の言ったこと知って――あぁ、心を読んだのか?」

「えぇ、そうなの! やっぱり最近の子は順応が早いのね~、様々な読み物に触れているかしら?」

 俺の問いに応えて、コロコロと笑う女性の声。

「最近の子って……、まぁ死後の世界だし何でもありなんだと思う事にしますが、天国じゃないならここは地獄ですか?」

 地獄だったら嫌だなーと思いつつ、訳知りそうな出所不明のその声にたずねてみる。

「ふふ。ここは輪廻を待つ、魂がながるる星の運河よ。そしてイオリがこれから行くのは天国でも地獄でも無い、あなたが本来生まれるべきだった世界……そうね、今までイオリが生きた世界の読み物で言うところの異世界転生を貴方はするの」

「へァッ?」

 いやー、思わず声が裏返っちゃったよ。
 あるよね~異世界転生モノ。知ってるよ、知ってる。
 姉貴の本棚にも転生モノの有名な小説が何冊かあったもんな、俺は読んでないけど本のタイトルと、帯のあおり文で概要は把握している。しかし――

「転生って、俺が!?」

「あっ。違う違う、妾はこっちよ。やはり姿が無いと話しにくいものね」

 いかんせん声の主の姿が見えないので、適当な方向に顔を向けて問う俺に訂正が入る。
 前じゃないなら後ろかなと思って振り返れば、純白の裾の長いドレスを身に纏った女性がふわりと舞い降りたところだった。

 彼女が降り立つと、今まで明確に無かった上下が成立し、ふわふわとしたこの空間に重力が生まれたのだと俺は理解した。

「初めましてイオリ・ヒューガ、妾は女神アンフィーナ、我が夫であり数多の世界の創造主エレンの代理で参りました」

 俺がよっこいしょと立ち上がるのに手を貸してくれながら、ふわりと微笑んだ彼女は、ひと目で普通の人間では無いと分かる規格外の美しい容姿をしていた。

「女神……さま?」

 きっと、どんな国籍の人間も見惚れてため息を付きたくなるような理想を描いた輪郭には、慈愛を湛えたオパールの瞳に、涼やかな鼻梁。ほんのり微笑む珊瑚のくちびるは庇護欲をそそり、それらを縁取る銀糸の髪はまばゆく輝きふわりふわりと波打って、その姿は世界中の美しいと愛らしいをかき集めたかのようだった。

 俺がその神々しさに惚けていると、女神と名乗った女性はコホンと小さな咳払いをして話し始めた。

「元々ね、イオリは産まれるべき世界を誤ってしまった魂だったの。生まれ落ちる前にその魂を回収出来れば問題なかったのだけど、あなたの様に一度肉体を持ち、世界の連鎖に関連付けられてしまうと、その連鎖から分かつ運命が決定するまで魂を回収出来なくて……」

「う、生まれる世界を間違えるなんて事あるの!? あっいや、あるのですか?」

 突拍子もない話しについ勢いでツッコミを入れてしまったが、相手が女神様である事を思い出し、俺はタメ口から敬語に切り替える。
 そんな俺の様子に女神様はコロコロと笑う。

「ふふっ、えぇ、めったには無いのだけれど、輪廻の準備段階で稀に起こってしまうの……本当にごめんなさいね」

「いえいえいえ、俺には間違えて生まれた自覚すらなかったですし!」

 女神様の宝石のような容姿が愁いを帯びると、自分が物凄く酷い事を言ったような気がして、俺は慌てて両手を胸の前で振り、気にしないで下さいのジェスチャーをする。

「でもね、イオリが今世の寿命が短かったのは誤った世界で上手く魂が根付けなかったせいなのよ。そういう魂は世界から拒絶されてしまって……きっと子供の頃から妙に運が悪いとか、危険な目に沢山あったと思うわ」

 そう言われてみれば、確かに昔から生傷が絶えなかったかもしれない。
 つまり俺は、ただのドジっ子ではなかったと言う事か! 小学生の頃の成績表に『伊織君はちょっと注意力が足りない時があります』って書かれ続けたのは俺のせいじゃなかったって事か!

「うーん、そこは本人の性格もちょっぴりあるかも知れないわねぇ」

 女神様はふたたび俺の心を読んだのか、その白い頬にたおやかな指を添えて何とも言えない表情で突っ込みを入れる。なかなかに親しみのある女神様だ。

 まぁ、死んじゃった件は悔しいと言うか悲しいと言うか、ただもうひたすら両親に申し訳ないし、俺だってやり残した事の一つや二つ、三つや四つ……いや、沢山あった。

「でも、転生してもう一度生きられるって考えたら俺は凄いラッキー……なのかも?」

 どんなに後悔しても前の生活に戻る事は出来ないのなら、ならば俺は進むしか無いのだろう。

「ふふ、そうね。イオリが悲しみや後悔よりも新しい人生を前向きに捉えた時点で、その風向きは決まるのではないかしら」

 そう言って、女神様はとても綺麗に微笑んだ。


 ***


「さて。イオリが転生するは剣と魔法、そして科学が混在する世界イプテシィアになります」

「そ、そんな全力でファンタジーしてる世界本当にあるんですか!?」

「ありますとも!」

 俺の合の手に、エッヘンと胸をはる女神様。

「そしてイオリをイプテシィアに転生させる前に、こちらの手違いでちょっぴり大変な人生を歩ませてしまったお詫びに<ギフト>を授けます。何か希望はあるかしら?」

「おぉー! これは異世界に行くとチート能力を授かれるとかそう言うやつですよね! えっどうしよ、どんな能力が良いんだろう……四次元アイテムボックス標準装備とか、なんか不労所得に直結する凄い魔法が使えるとか? こんなことなら姉貴所蔵の異世界転生小説、ちゃんと読んでおくべきだったな!」

 ウキウキと考え始めた俺に、女神様がそろーっと近づきおずおずと話しかける。

「イオリ、大変心苦しいのだけど、世界のことわりを破って均衡を崩しかねない様な物凄いチートは授けてあげられないわ」

「あ……」

 なるほど、現実はそんなに甘くないらしい。

「ならば女神様、逆にどんな希望なら聞いてもらえるんですか?」

「そうね、ある程度の生まれや素質……例えば何処かの王家に生まれたいとか、剣が強くなりたいのなら、努力して鍛えれば国一番の剣士になれる体を授けることが出来るわ」

「ほー」

 つまり努力無しで俺つぇぇぇ的な、そんな楽チンは出来ない世界という訳か。
 そうなると、王家とか貴族、大金持ちは権力絡みで色々と面倒そうだし、剣士はカッコいいけど努力の労力がどれほどのモノか想像できんからな、ここは確実に……うん。

「じゃあ、俺は健康に長生きしたいです!」

 俺は別に王様や貴族や剣士や魔法使い、騎士団――は、正直ちょっと憧れるけど、まぁそこまでの興味は湧かない。どちらかと言えば、今世では典型的な都会っ子だったこともあり、田舎でのんびりスローライフとかそんな生き方に憧れていたし、来世はそんな暮らしをしてみたい。
 故に、俺には健康な身体と十九と言う若さで死なない保証があればそれで良いのだ! これは決して努力が嫌とかそう言うのでは無い! 決して!

「健康で長生きですね、確かに承りました。ふふっ、イオリは全然欲がないのね、下手に異世界転生モノの知識がある子達はここでなかなか引き下がってくれなくて、最終的に記憶を消して村人Aとして転生させたこともあったのよ。記憶って生きた証だし、とっても大切なモノだから本当はそんな事したくなかったのだけど」

 そう言って、ほぅとため息を付く女神様。

「む、村人A」

 異世界転生の裏事情をさらっと聞いてしまった気がするが、何事も欲張り過ぎちゃいけないってやつですね。把握。

「あとはそうね、種族や容姿などに希望はあるかしら?」

「うーん、種族と容姿かぁ」

 生まれてこの方、人間しかやった経験ないしなぁ。
 今の顔にも愛着あるから別にこのままで構わないけど、現地でこのアジア顔が浮く可能性もあるか……ふむむむ。

「もし悩むのだったら、イプテシィアで与えられるはずだった姿にしてはどうかしら? 遺伝以外の元々イオリの魂に付随している情報は受け継ぐから、丸っきり新しい姿を作るより違和感も少なくて済むと思うわ」

 俺が悩んでいると、女神様がありがたい助言をくれる。

「それでお願いしたいです!」

 考えることを放棄した俺は一も二もなくその案に乗る。こういうのはプロに任せるに限るよね!
 そんな俺に女神様はあははと吹き出す。おそらく、俺の心を読んだのだろう。

「では容姿は決まりね、あとはイオリが健康で長生き出来る様に手配しましょう。あまり希望がないようだからこちらで最善と思われる環境を用意するわ!」

 そう言って何やら透明なパネルの様なものを展開し、テキパキと何かを打ち込んでいる様子の女神様を暫く眺めていると「はい、準備完了です! 新たな生を存分に謳歌してくださいね」と女神様が一仕事終えた良い笑顔で振り返った。

 こうして俺は、異世界転生をはたしたのであった。

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