恋まで0センチメートル

高羽流生

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 腰に回された伊織の手。目の前にある顔が近づいてくる。数センチ先で伊織が「雄大」と言った。

 掠れたみたいになった伊織の声と、遊びに行っているときとは違う空気感。頭の後ろに伊織の手が当たる。

 伊織が瞼を閉じた。

 キスされるな、と思ったときには唇が重なっていた。

「っ……、ん、っ……」

 つられて目を閉じた雄大の唇に軽く当たった伊織の唇は一度離れ、今度はしっかりと合わさってきた。伊織の唇の間から、ほんの少し伸びてきた舌に、ちろりと唇を舐められて、伊織の腰あたりにあったシャツを掴む。

 部屋でキスをせがんだ時にされたような、ねっとりとした口づけ。口内に入ってきた舌が、雄大の舌に絡んでくる。舌の上、舌の横、舌の裏側。くるりと舌を一周した伊織の舌は、今度は逆回転して上あごに当たった。深く入っていた伊織の舌が抜けていく。

「ん……、ぁ……」

 チュッと音を立てて唇が離れた。

「っ、雄大……」

 名前を呼ぶ伊織の声に耳を塞ぎたくなった。

(うわぁ……。ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ……)

 頭の後ろをそろそろと撫でられる。

 雄大はシャツから手を離し、もう一度口づけようとしてきた伊織の二の腕を掴んでグイと押す。

「い、伊織! 待って!」

「は? 何?」

「ちょ、一回ストップ!」

 伊織に言って、雄大は下を向いた。伊織との間にできた隙間に頭を突っ込み、喚きそうになった声を飲みこむ。

(これ……、ちょっと、マジで……)

 途端に、心臓がバクバクしてきた。伊織の雰囲気が前とは違うのだ。大事なものを扱うみたいに伊織が頭を撫でてくるから、耐えられなくなった。キスした時とも、触り合いをした時とも違って、甘ったるくて、柔らかい。

「雄大? どうした?」

 頭上から伊織の声がする。下を向いたまま、「ちょっと、待って」と雄大は言った。

(どうしよう……、すげえ、緊張する)

 どうしてあんなに気軽に『キスしたい』とか『触ってみたい』などと言えたのだろう。なんでもないことみたいに、遊び半分で触れたのだろう。バカみたいに道具を買いに行って、まるでゲームを攻略するみたいに『練習』できたのだろう。まだ、キスをされただけなのに、ひどく緊張してしまって伊織を掴んだ指先に力が入った。

 ずっと下を向いていたら、「大丈夫か?」と伊織に聞かれた。

「平気」

 土壇場になって雄大が慌てたとでも思ったのだろうか。無理強いする気はないと伊織に言われて、雄大は言った。

「いや、でもお前……」

 顔を上げた先にあった伊織の顔から、さっきまでの熱が引いている。心配そうな顔だ。

(あ……)

 ノリで交際を始めたのも、キスをせがんだのも、触り合いも、全部雄大からだ。練習を始めて、かまってくれない伊織に腹を立て、伊織を探しに来た。全部、雄大が勝手にしたことだ。雄大のペースで、雄大の自由に。

「なあ、伊織。オレのこと好き?」

「え? ああ、うん」

「ヤリたい?」

 じっと目を見て言ったら、伊織の目が僅かに揺れた。

「……そりゃあ、まあ……、うん」

「だよな。じゃあ、オレ風呂入ってくる。伊織、ちょっと待ってて」

 ぱっと伊織から手を離して、雄大は洗面所に駆け込んだ。勢いよく服を脱いで風呂場の扉を開ける。

 してもいいと言ったのは雄大なのだ。伊織としてみたい、ホテルに入るまでは確かにそう思っていたし、今もしたくないとは思っていない。ただ、伊織といるこの部屋の空気があまりにいつもと違うから、緊張しただけだ。

(ビビんな、オレ!)

 道具も何もないから、あるもので準備しなくては、と気合を入れた。
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