恋まで0センチメートル

高羽流生

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「おじゃましまーす」

 半畳ほどの玄関でスニーカーを脱ぐ。誰もいない部屋に向かって「おじゃましまーす」と一言言って、春日雄大はフローリングに足を乗せた。

 短い廊下の右側には扉が二つ。一つは、洗濯機が置いてある狭い脱衣所と風呂場になっていて、もう一つはトイレだ。廊下の左側には、ミニキッチンと冷蔵庫。三メートルにも満たない廊下を抜けて、間仕切りになっている扉を開ける。

 数歩進んでテーブルに紙袋を置いた。床に鞄を置き、二人掛けのソファにごろりと寝そべる。

「片付いてんなぁ」

 横向きになったまま、部屋全体に視線を移動させる。

 ソファの前にあるローテーブルの上にあるのは、リモコンだけ。向かいの壁際に設置されたテレビボードの上にはテレビしか載っていない。テレビボードの下もすっきりとしていて余計なものが何もない。部屋の奥にあるベッドも綺麗な状態だ。

 当たり前の顔をして寛いではいるが、この部屋は雄大の部屋ではない。雄大の友達、夏木伊織の部屋だ。

 (喉乾いたな)

 むくりと身体を起こし、冷蔵庫に向かう。扉を開けて中を覗き込んだ。

「あ、これでいいや」

 お茶やコーヒーに混じって並ぶ派手な柄のペットボトル。数日前に雄大が来たときに置いて帰ったものだ。キャップを回して口をつけ、歩きながらごくごくと喉の奥に流し込む。

「っはー。うんまいっ! よいしょっと」

 開けたままのペットボトルとキャップをテーブルに載せて、鞄を漁る。携帯を取り出し、またごろりとソファに転がった。

 画面に指を滑らせて、スクロールする。漫画を読んでいたら、ガチャリと音がした。

「あ、おかえりー」
「雄大。お前何やってんだ」

 身体を起こしもせずに、頭だけを動かして言ったら、廊下を進んできた伊織に頭を叩かれた。

「いっ……、何すんだよ?」

 頭を押さえ、「ひどい」と唇を尖らせたら、「起きろ」と一蹴された。
のそのそと身体を起こし、ソファに座りなおす。伊織が雄大の隣に座った。

 雄大と変わらない位置にある頭。幼馴染だから、年齢も同じ十八歳。そこまではお揃いだけれど、ここからが違う。

 伊織は大学に進学して、家庭教師のバイトをしながら一人暮らしをしている。対して雄大はいわゆるフリーターだ。

 耳にかかる程度に切りそろえられた黒髪に、黒縁の眼鏡。伊織の見た目を一言で表すなら、おとなしそうな雰囲気だ。けれど、本当の伊織は温和なタイプでも、堅物でもない。口も悪いし、どちらかと言えば横柄なくらいだ。

「ったく、ここはお前んちじゃねえぞ」

 軽く舌打ちしながら、伊織がかけていた黒縁の眼鏡を外す。うっとおしそうな顔だ。

「面倒ならかけなきゃいいのに」
「前にも言ったろ? こっちのが都合いいんだって」
「まあ、そうだろうけどさぁ……。あ、そうだ。これ、うちの母ちゃんから」

 テーブルに置いた紙袋を掴み、伊織の前に置く。紙袋の中を覗き込んだ伊織が、中からいくつかのタッパーを取り出した。

「相変わらず、大量だな」
「だろ? オレが伊織んとこに行くつったら、持ってけってさ」
「とりあえず、冷蔵庫入れとくか」

 立ち上がった伊織が紙袋を持って移動する。伊織の背中をぼおっと見つめる。

(付き合っても、別に変わんねえな)

 そうなのだ。雄大と伊織は一週間前から付き合っている。けれど、雄大は伊織のことを特別好きだとは思っていない。もちろん好きは好きなのだけれど、恋愛感情があるのかと言われれば、ないのだと思う。おそらくは、伊織も同じだろう。
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