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第1章
1話 【イマワノキワ 不思議な女子中学生】
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「う……ん、なかなかいける!」
雪解け水が残る校庭で、一人の少女が自分の姿を水面に映し、つぶやいた。
真新しい濃紺のセーラー服は、仕立てたばかりの風合いが漂っていた。
水溜りの中には、まだあどけなさが残る抜けるような白い肌にリンゴ色の頬をした少女が、スカートのヒダの両端をつまんで、西欧の中世の女性が挨拶をする時のようにポージングしている。
少女の、キリッとした意志の強そうな眼差しの奥には、どこか寂しげな、潤んだ大きな瞳があった。
肩まで伸びた漆黒のセミロングが、春の日差しの中で、ツヤツヤと輝いている。
「希和ちゃん、何やってるの!」
後ろから駆け付けたもう一人の少女が、その様子を見て、おかしそうに声をかける。
二人とも、四月だというのに黒いタイツをはいているのは、寒い東北の片田舎にある中学校だからだ。
今日は希和たちが住んでいる”寒川町・町立中学校”の入学式だった。
「あっ留美ちゃん、中学でもよろしくね」
「小学校からの持ち上がりだから、メンバーは変わらないし、一学年一クラスだから、お互いに避けようがないっしょ」
「それもそうだね」
留美は、希和の肩を力いっぱい叩いて笑い、希和もそれに呼応した。
斉藤留美は忌野希和にとって、幼なじみで親友だ。ちょっとふっくらとした面立ちが、接する相手に癒しを与えてくれる。性格もおっとりしていて、アダ名は”お母ちゃん”だ。
名付け親は、もちろん希和である。
「留美、帰るよ~」
「は~い」
左胸にブーケを付けた、留美の母親が立っていた。
ついこの間まで小学生だった子供たちの入学式に、保護者の付き添いがないのは希和だけだった。
なので希和には、仲の良さそうな留美親子の姿が、とても羨ましく映った。
希和の涙で滲んだ瞳のフィルターを通した留美親子は、陽炎のように、ユラユラと揺れて見えた。
希和の姿を認識すると、留美の母親は声をかけた。
「希和ちゃん、中学入学おめでとう。これからも留美と仲良くしてちょうだいね」
その声に、希和は急いでいずまいを正し、
「留美のお母さん、いつも留美さんにはお世話になっています」
と、ペコリと頭を下げた。そして、希和は留美のほうへ視線を送りながら、母親と一緒に早く帰るように促した。
バツが悪そうに留美が言った。
「じゃあ希和ちゃん、次に会うのは、あさってからの授業だね。間違って明日学校に来るんじゃないよ!」
「わかったよ。お母ちゃん、早く行きな」
希和はなるべく平静を装って、明るく答えた。
留美の母親は、希和に向かって軽く会釈をすると、くるりと背を向けて歩き出した。留美はそのあとを小走りに追いかけている。
留美が希和のほうを振り返り手を振ってくれた。希和は固くなった顔の筋肉をほぐすように、口角をあげて、無理やり笑顔を作って応えた。
門を出ると、家路の違うふた組は、左右に別れて歩き出した。
数歩あるき出して角で振り返ると、涙を溜めた希和の目に、留美親子の後ろ姿が薄ぼんやりと映った。二人が、遠目にも肩を寄せ合って、楽しそうに談笑しているのがわかった。
右に行く二つの影と、左に行くひとつの影は、とても対照的だった。
「ばあちゃん、ただいま!」
「希和、お帰り……」
杖をついた老婆が、家の前に立って希和を迎えた。
希和の祖母だった。名前は忌野トヨ。
気丈な人で、杖に頼らないと歩けないほど悪い足なのに、毎日畑に出ていた。黒く日に焼けた肌と、割れた指の爪に染みた土が、彼女が働き物だということを物語っていた。
きれいな濁りのない目をもつトヨには、真面目に朴訥に生きてきた人間の誇りが感じられた。なんびとも、この目を見たら嘘やおべっかを言っても見抜かれそうだった。
トヨの口癖は、「悪いものは悪い! 理屈じゃないっぺ」というものだった。
「ごめんな希和。ばあちゃん、大事な中学の入学式に出られなくて……、ホントごめんな……」
肌が黒いのでかえって目立つ、きれいに澄んだトヨの目が潤んでいた。
若く健康な希和でさえ、中学まで歩いて行くと軽く片道二十分はかかる。足の悪いトヨには、過酷な道のりだった。
希和は優しい娘なので、そんなトヨに無理を言って「来てほしい」とは、口が裂けても言えなかった。
「うぅん、うぅん」
希和は首を振った。孫娘の帰りが待ち遠しくて家の前に立っていたトヨが、希和にはとてもいじらしく感じられた。
優しいばあちゃんのことだ、きっと家の中では居ても立ってもいられず、何十分も前からあそこに立って待っていたに違いない。
「まーた、頭っこさ、かわいいリボンを付けてさ」
と言って、トヨは笑った。
「えっ?」
何事かと、トヨの皺だらけの皮膚に埋まった瞳を、希和は覗き込んだ。
「あっ、チョウチョのシロちゃんだ」
希和の頭の上に真っ白なモンシロチョウが一羽、まるで彼女のリボンの如く止まっている姿が、トヨの瞳に映っていた。”シロちゃん”という呼び名からは、希和と蝶が知り合いだということを物語っていた。
『キワチャン、アソボ、アソボ』
蝶は、友達に話しかけるかのように、希和に言った。
「希和、早く着替えて行ってこい」
まるで、蝶の声が聞こえたかのように、トヨがそれに答えた。
『モリデ、マッテルヨ』
『うんっ、あとでねシロちゃん』
希和が答えると、頭に止まっていたモンシロチョウは、ヒラリと森のほうへと飛び立って行った。
雪解け水が残る校庭で、一人の少女が自分の姿を水面に映し、つぶやいた。
真新しい濃紺のセーラー服は、仕立てたばかりの風合いが漂っていた。
水溜りの中には、まだあどけなさが残る抜けるような白い肌にリンゴ色の頬をした少女が、スカートのヒダの両端をつまんで、西欧の中世の女性が挨拶をする時のようにポージングしている。
少女の、キリッとした意志の強そうな眼差しの奥には、どこか寂しげな、潤んだ大きな瞳があった。
肩まで伸びた漆黒のセミロングが、春の日差しの中で、ツヤツヤと輝いている。
「希和ちゃん、何やってるの!」
後ろから駆け付けたもう一人の少女が、その様子を見て、おかしそうに声をかける。
二人とも、四月だというのに黒いタイツをはいているのは、寒い東北の片田舎にある中学校だからだ。
今日は希和たちが住んでいる”寒川町・町立中学校”の入学式だった。
「あっ留美ちゃん、中学でもよろしくね」
「小学校からの持ち上がりだから、メンバーは変わらないし、一学年一クラスだから、お互いに避けようがないっしょ」
「それもそうだね」
留美は、希和の肩を力いっぱい叩いて笑い、希和もそれに呼応した。
斉藤留美は忌野希和にとって、幼なじみで親友だ。ちょっとふっくらとした面立ちが、接する相手に癒しを与えてくれる。性格もおっとりしていて、アダ名は”お母ちゃん”だ。
名付け親は、もちろん希和である。
「留美、帰るよ~」
「は~い」
左胸にブーケを付けた、留美の母親が立っていた。
ついこの間まで小学生だった子供たちの入学式に、保護者の付き添いがないのは希和だけだった。
なので希和には、仲の良さそうな留美親子の姿が、とても羨ましく映った。
希和の涙で滲んだ瞳のフィルターを通した留美親子は、陽炎のように、ユラユラと揺れて見えた。
希和の姿を認識すると、留美の母親は声をかけた。
「希和ちゃん、中学入学おめでとう。これからも留美と仲良くしてちょうだいね」
その声に、希和は急いでいずまいを正し、
「留美のお母さん、いつも留美さんにはお世話になっています」
と、ペコリと頭を下げた。そして、希和は留美のほうへ視線を送りながら、母親と一緒に早く帰るように促した。
バツが悪そうに留美が言った。
「じゃあ希和ちゃん、次に会うのは、あさってからの授業だね。間違って明日学校に来るんじゃないよ!」
「わかったよ。お母ちゃん、早く行きな」
希和はなるべく平静を装って、明るく答えた。
留美の母親は、希和に向かって軽く会釈をすると、くるりと背を向けて歩き出した。留美はそのあとを小走りに追いかけている。
留美が希和のほうを振り返り手を振ってくれた。希和は固くなった顔の筋肉をほぐすように、口角をあげて、無理やり笑顔を作って応えた。
門を出ると、家路の違うふた組は、左右に別れて歩き出した。
数歩あるき出して角で振り返ると、涙を溜めた希和の目に、留美親子の後ろ姿が薄ぼんやりと映った。二人が、遠目にも肩を寄せ合って、楽しそうに談笑しているのがわかった。
右に行く二つの影と、左に行くひとつの影は、とても対照的だった。
「ばあちゃん、ただいま!」
「希和、お帰り……」
杖をついた老婆が、家の前に立って希和を迎えた。
希和の祖母だった。名前は忌野トヨ。
気丈な人で、杖に頼らないと歩けないほど悪い足なのに、毎日畑に出ていた。黒く日に焼けた肌と、割れた指の爪に染みた土が、彼女が働き物だということを物語っていた。
きれいな濁りのない目をもつトヨには、真面目に朴訥に生きてきた人間の誇りが感じられた。なんびとも、この目を見たら嘘やおべっかを言っても見抜かれそうだった。
トヨの口癖は、「悪いものは悪い! 理屈じゃないっぺ」というものだった。
「ごめんな希和。ばあちゃん、大事な中学の入学式に出られなくて……、ホントごめんな……」
肌が黒いのでかえって目立つ、きれいに澄んだトヨの目が潤んでいた。
若く健康な希和でさえ、中学まで歩いて行くと軽く片道二十分はかかる。足の悪いトヨには、過酷な道のりだった。
希和は優しい娘なので、そんなトヨに無理を言って「来てほしい」とは、口が裂けても言えなかった。
「うぅん、うぅん」
希和は首を振った。孫娘の帰りが待ち遠しくて家の前に立っていたトヨが、希和にはとてもいじらしく感じられた。
優しいばあちゃんのことだ、きっと家の中では居ても立ってもいられず、何十分も前からあそこに立って待っていたに違いない。
「まーた、頭っこさ、かわいいリボンを付けてさ」
と言って、トヨは笑った。
「えっ?」
何事かと、トヨの皺だらけの皮膚に埋まった瞳を、希和は覗き込んだ。
「あっ、チョウチョのシロちゃんだ」
希和の頭の上に真っ白なモンシロチョウが一羽、まるで彼女のリボンの如く止まっている姿が、トヨの瞳に映っていた。”シロちゃん”という呼び名からは、希和と蝶が知り合いだということを物語っていた。
『キワチャン、アソボ、アソボ』
蝶は、友達に話しかけるかのように、希和に言った。
「希和、早く着替えて行ってこい」
まるで、蝶の声が聞こえたかのように、トヨがそれに答えた。
『モリデ、マッテルヨ』
『うんっ、あとでねシロちゃん』
希和が答えると、頭に止まっていたモンシロチョウは、ヒラリと森のほうへと飛び立って行った。
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