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本編
Module_018
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セロがホワイトナイツの所有する精霊武具をメンテナンスした次の日。深手を負っていたグランはセロの提供したポーションの効果もあり、身体を動かせる程度には回復していた。
「ガッハッハ! ウメェなコリャ。こんな美味い料理があるなら、さっさと起きて食えばよかったぜ」
「……いや、食う以前に起き上がれなかっただろうが」
ミランとキールに混じってセロの料理をがっつくグランに、セロが呆れを混ぜた口調で返す。そんなセロに対し、カラクとアルバが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「場所の提供に食事、さらには精霊武具のメンテナンスまで……本当に何から何まですまない」
セロは食事を終え、メンテナンスを施したカラクたちホワイトナイツの精霊武具を引き渡す。再び武具を手にした彼らを代表し、カラクが頭を下げつつ御礼の言葉を告げた。
「何度も礼を言うとは律儀な人だな。まぁ俺も技術者の端くれとして、他の人の書いた構文を見ることができたし、メンテナンスの対価として金ももらった。当初はなし崩し的に家に招いたが、こっちにとっても得るものはそこそこあったことだし、気に病むことはないさ」
「そう言ってもらえると助かるよ。特に精霊武具のメンテナンスについては、こんな森の中で受けられるとは思ってもみなかったからな」
カラクの言葉に対し、セロはカリカリと頬を掻きながら照れ臭そうに呟く。
「いやぁ~、でもホントに助かったよ。森に入ったら動物・魔物関係なく死体があちこちに転がっていたし、外縁部なのに狼や猪、鹿なんていった中型の魔物に出くわすし……」
二人の会話に立ち聞きしていたミランの声が混じる。彼女は当時を振り返って「危ないところだった」と今では笑って話しているものの、発言を耳にしたセロはわずかに眉間に皺を寄せて言葉を返す。
「ちょっと待て。死体が転がっていた? 外縁部で中型の魔物に遭遇した……? 変だな。そんな魔物は外縁部じゃあまず出くわさないってのに……」
訝しむセロに、カラクが肩を竦めつつもミランの言葉に捕捉説明を行う。
「あぁ。おかげでまだ冒険者になって日の浅い連中にも被害が出て来ている。この森には大型の魔物の棲息が確認されているが、それも中心部に限った話だ。新人冒険者はこの森で採取依頼もこなすケースがままある。そうした者たちは外縁部で依頼をすることが多かったんだが、外縁部にまで中型の魔物が出没するようになると、さすがに新人冒険者では荷が重い。かと言って、この森で採取できる薬草類はポーションや解毒薬などの材料になるから、その供給が断たれるのは非常に不味いんだ。森の異変はしばらく前から確認されていたんだが、薬の在庫も底を尽きてきたようでね。ようやくギルドの方も重い腰を上げて本格的な調査を行うことになったんだ。ただ、依頼は受けたものの、芳しい成果は今のところ上がっていないのが実情だけどね」
「まぁ何だ。被害は出てはいるが、まだ確認されたのは数件だ。ギルドの方も調査に乗り出しているし、早晩この異変の原因は特定されるだろうさ」
「……だといいけどな」
キールのやや楽観的な見通しにセロは軽くため息を吐きつつ、出発の準備を整えたホワイトナイツの面々を見送ったのだった。
◆◇◆
セロがカラクたちホワイトナイツを見送ってから数時間後のこと。
「そろそろ汚れ物も溜まってきたし、ここらでまとめて洗濯でもするかな」
ふと窓から外の様子を眺めていた彼は、カゴに溢れんばかりの衣類を突っ込んで扉を開けた。この日の天気は抜けるような青空が広がる快晴で、足元に広がる芝生には燦々と陽の光が降り注ぐ絶好の洗濯日和となっていた。
「そう言えば、さっきの話もあることだし、念のため探査魔法の術式を使って軽く辺りを調べておくとするか……」
近くの川にカゴを持って訪れたセロは、カラクたちの話を思い出して探査魔法の術式を発動させる。魔物はそれぞれに縄張りを持ち、自らの領域を侵す者を徹底的に排除する。縄張りは魔物の種族によってまちまちだが、概して危険度の高い魔物ほどその領域は広い傾向にあった。
(ここの魔物の縄張りは、平均100メトルぐらいだったか? 探査魔法で十分カバーできるが……もう少し広い範囲でかけてみるか)
セロがそんなことを考えていたその時――
「――っ!?」
彼の探査領域内に、巨大な敵意が存在していることが確認された。しかも……
「マズイぞ。真っ直ぐアイツらに向かっている……」
間の悪いことに、その巨大な敵意は、先ほどセロが見送ったホワイトナイツのメンバーに一直線に向かっていたのだ。探査魔法で確認したところ、カラクたちホワイトナイツと巨大な敵意を放つ大型の魔物はこのまま行けば正面からかち合う可能性があることもセロは把握することができた。
魔物と向き合う形で遭遇した場合、全員が無事に撤退できる確率は低い。何故なら、誰かが囮役となったうえで、魔物の注意を引き付けなければならないからだ。
「あぁ……クソッ! 腹括るっきゃねぇか!」
思わず舌打ちをしたセロは、「アイツらは疫病神か何かか?」と内心毒付きながら、足元に置いたカゴをそのままに、一度家の中へと戻る。
「あの反応の大きさからすると、まず間違いなく相手は大型の魔物だ。いくらメンテナンスを終えた武具があるとは言え、精霊結晶を半分以上も消耗させたアイツらじゃあ……もって十分が限度か」
一目散に家に戻ったセロは、ありったけのポーションをポーチの中に突っ込み、机の上に置いた自らの武具を装備する。
「これが関係ない奴だったらそのまま放置してもいいんだろうが……仕方がない。アフターサービスだ」
ガリガリと頭を掻いたセロは、ため息を吐きつつ家を出る。
「とにかく時間がない。間に合ってくれよ……身体強化っ!」
探査魔法と併せて身体強化の術式を発動させたセロは、祈りにも似た言葉を発して木々の間を疾駆する。
ホワイトナイツが接敵するまで、残り二分余り。
彼らが直後に出会ったものは、彼らの想像を遥かに超える難敵であった。
一方、セロと別れたホワイトナイツの面々は、依頼達成の報告を行うため、ギルドへ向けて森の外へと進んでいた。目端の利くミランを先頭に、キール、カラク、アルバにグランと続き、魔物との遭遇を回避するように進む。
「……ストップ」
しかし、しばらく進んでいたところで、歩いていた一行の前を、ミランが腕を伸ばして制止する。
「これは……血の匂いだね。これほどまでに強い匂いだと……一匹や二匹喰ったわけじゃないね……」
急に腕で行く手を阻まれた一行は、先行する彼女へ反射的にその真意を訊ねようとしたが、続いて出る言葉は無かった。なぜなら……
「オイオイ……マジかよ」
「どうやらコイツが『異変の元凶』のようだな。原因が判明したのは嬉しい限りだが……これは想定外だ」
キールの引き攣った顔で呟かれた言葉に、カラクが厳しい表情を湛えながら視線の先にある茂みから出て来たソレを捉える。
「グルルゥ……」
カラクの絶望にも似た言葉。それを体現するかのように、茂みの向こうから低く重い唸り声を響かせて現れたもの――それは、体長三メトルを優に超える巨大な鎧にも似た装甲を持つ獅子の魔物であった。
「う、嘘だろ……こんなところで鎧獅子だと!?」
現れた巨大な獅子を前に、キールは慄く声を上げながらも剣を手に構える。だが、身体が震え、腰が引けているその様子は、不安しか抱けない。
――鎧獅子。それはベテランの冒険者でさえも一対一の戦闘を避ける大型の魔物であった。その最大の特徴は、その全身を鎧のように覆う固い装甲である。前後の足、そして胴体を覆う岩のような装甲は、さながら巨大な亀を思わせる。しかし、亀を思わせる外見とは裏腹に、その動作は想像以上に俊敏で性格は獰猛とされている。
主な攻撃はその巨躯から繰り出される前足の爪を用いた攻撃に加え、火と土の魔法がこの魔物のパターンである。
鎧獅子の厄介な点は、体表を覆う装甲により、剣や槍などでは大したダメージを与えることは出来ないことにある。体表を覆う装甲は厚く頑丈なことから、単に斬ったり突いたりした攻撃では装甲に傷一つ付けられない。
仮に物理攻撃で仕留めるとしても、装甲に覆われていない顔や腹などの狭い範囲を狙うしか有効打を与えられないことから、「出会ったならば、即刻逃げるべし」と言われるほどに厄介な魔物であった。
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
鎧獅子の咆哮に、周囲の空気が震え、辺りに棲息している動物や格下の魔物たちが我先にとその場から離脱していく。一方の鎧獅子は逃げていく獲物には目もくれず、その金色に輝く両眼を真っ直ぐカラクたちに向けていた。
「……逃げろ」
「えっ?」
「いいからお前らは逃げろっつってんだよ! コイツは俺たちには無理な相手だ。だったらさっさとギルドに駆け込んで応援を寄越してもらった方が賢明だろうが!」
「で、でもっ! ――うわっ!?」
不意に届いたキールの鋭い言葉に、ミランは躊躇いがちに呟く。だが、背後にいたグランが彼女の襟首を掴み、勢いよく後方へ投げ飛ばした。
「キールの言う通りだ。アイツはヤベェ距離を取って対峙しているだけでも体が震える。いいか……このままだと俺たちはなす術なくあの魔物の餌食になるだろう。だったらキールの言う通り、大人しく街まで行くべきだ」
「ま、待ってよ! あんたたちだって精霊武具が限界なはずでしょ! そんな状態で戦っても――」
「いいから行けっつってんだろ!」
なおも食い下がろうとするミランに、キールの叱責が飛んだ。それまでのどこかチャラけた口調とは全く異なる口ぶりに、彼女はぐっと唇を噛んで悔しさを滲ませる。
「グルアアアアアアッ!」
「チィッ! 早く行けっ!」
臨戦態勢を取る鎧獅子に、キールとグランがそれぞれの得物を手に立ちはだかる。切羽詰まったキールの声に、アルバがミランの肩に手を置いてこの場から離脱することを促した。
「ミラン、行きましょう……」
「あぁ……分かったよ。 キールにグラン! 下手こいて死んだらタダじゃおかないからな!」
去り際、ミランが囮役を買って出た二人に発破をかける。しかし、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「へっ……『タダじゃおかない』だとよ」
「あぁ。 こりゃあ下手打ったら何されるか分かったもんじゃねぇな」
小さく笑いながら話しかけて来たキールに、斧を肩で担ぐようにして構えたグランが頷きながら相槌を打つ。
やがて視界から消えた仲間たちに、内心安堵した二人は改めて目の前にいる鎧獅子を見据えた。
「チィッ! 手間かけさせやがって……だが、これで心置きなく戦えるぜ!」
自分を叱咤激励するように叫ぶキールに感化され、グランは自らを奮い立たせるように深く息を吐いて臨戦態勢を取った。
しかし、キールとグランの手にする精霊武具は、セロが指摘した通り限界を迎えつつある。それぞれの武具に嵌め込まれた精霊結晶は、既に半分以上が色を失い、繰り出せる精霊術も残すところ数回が限度の状況だ。
端から見ても勝ち目のない戦いである。だが、彼らの胸中に撤退の二字は無かった。
「ゴガアアアアアアアアアッ!」
「ギャアギャア煩えんだよデケェ猫が!」
「本当に耳障りな鳴き声だな! すぐにその脳天をかち割ってやる!」
鎧獅子の咆哮に、二人は限界を迎えつつある武具を手に果敢にも挑む。
逃げていった仲間たちが無事であることを祈りながら。
◆◇◆
「ーー見つけたっ!」
キールとグランが囮役として鎧獅子の注意を引きつけていた頃、身体強化の術式により森の中を疾駆していたセロは、視界にカラクたちの姿を捉えた。
「……大丈夫か?」
「えっ? う、うん……なんとか」
不意に現れたセロに驚きつつも、訊ねられた本人は、何とかそれだけを口にした。
「……剣の兄ちゃんと斧のオッサンはどうした?」
二人の姿が見えないことを訊ねたセロに、ミランはぐっと悔しげな表情を見せる。
「あの二人は……魔物の注意を引きつけるためにその場に残っているわ」
発言しないミランの代わりにアルバがセロの問いに答える。
「すまないね、セロ君。我々は一刻も早くギルドに戻り、至急応援を要請しなければならない。あの魔物に対し、限界を迎えつつある精霊武具では太刀打ちできないだろうからね」
「あの魔物って?」
「鎧獅子だよ。全身を鎧のように固い装甲で守られた巨大な獅子の魔物だ。どこから来たのかは未だ不明だが、今は二人の安全を優先しなければならない」
「……二人は無事なのか?」
「今は、ね。ただ、時間とともにそれも厳しくなるだろう」
「そうか……」
カラクの話にそれまで険しい表情を見せていたセロは、安堵の息を漏らしながら言葉を続ける。
「なら――とっとと向かうとするか」
セロは探査魔法の術式により判明していたキールとグランのいる方角に顔を向けつつ呟く。その発言に、カラクたちは一層険しい表情で彼に凄んだ。
「行って何をする気だ?」
「何って……その魔物を倒すんだけど?」
さらりと告げたセロの言葉に、ミランとアルバが慌てて口を挟む。
「ちょっと、何言ってんのよ! 子どもの君が加勢したところで、あの魔物に敵うワケないでしょ! これは狩りとは違うのよ。分を弁えなさい」
「セロさん、ここはミランの言う通りですよ。鎧獅子はギルドの脅威判定によれば、『災害級』の大型の魔物とランクされています。通常ならば複数のパーティーが互いに連携して初めて勝てる相手です。にもかかわらず、まだ子どもの貴方が加勢したところで、勝てる見込みはほぼ無いに等しいのですよ?」
アルバの言うように、ギルドによる魔物の脅威判定にはそれぞれ「下級」、「中級」、「上級」、「災害級」、「天災級」のクラスに分類され、さらにクラスごとに小型・中型・大型の三つに詳細化される。
通常、単独で討伐できるとされているのは、どれほどの強者でも中級の大型に分類される魔物までとされている。
それより上のランクは複数人でなければ、まず勝機はないとされるのが常であった。
「あー、うん。別に俺一人で闘うワケじゃないから」
「そうなの? なら、誰か君以外の人を既に呼んでいるとか?」
「いやぁ……そう言うわけでもないんだよな」
ミランの指摘に、セロは煮え切らない態度を見せる。その焦らすような態度に、彼女は苛立ちを募らせた。
「もぅ! ハッキリしなさいよ! 私たちには時間が無いんだから!」
とうとうイライラが頂点に達したミランが食ってかかる勢いでセロを問い詰める。しかし、当の本人は、彼女の言葉に対し、スッとその目をわずかに細めて告げた。
「助けは呼ばない。けれども、俺一人で倒すワケでも無い。それを見届けたいのなら……条件がある」
「条件? 何よもう、こっちは時間が無いってあれほど――」
「だったらこの話はナシだ。俺はこのまま何もせずに帰る。ただ……間に合うのか?」
「――っ!」
苛立ちをぶつけるミランとは対照的に、セロは冷徹さを湛えた表情を見せながら呟く。その彼の表情は、とても子どもとは思えない真剣味が宿っていた。
「……その条件とは?」
未だ昂ぶりを見せるミランに代わり、カラクが静かに訊ねる。
「何、別に取って食おうってわけじゃない。事が済んだら、その対価として『制約』を受けて欲しいだけだ」
「制約……?」
「あぁ」
じっとセロを見つめたカラクは、しばしの間逡巡した後、彼の提示した条件を受け入れる旨を告げる。
「契約成立、だな。なら、さっさと向かうとするか」
「で、でも、あの場所からだいぶ離れているんだけど……」
躊躇いがちに呟くミランに、セロは「そうだな」と短く返事をしつつ、さらに続ける。
「だったら、間に合うぐらいの速さで走ればいいだろ? ……身体強化」
スッと差し出されたセロの手を合図に、ミランたちの足元に大きな円陣が描かれる。
「えっ? な、何コレ……?」
そして円陣内に立つミランたちの身体を仄かな青白い光が包み、地面に刻まれた円陣は掻き消えた。
「それぞれの身体能力を底上げした。これで走ればなんとか間に合うと思う。再度言うが、『どうやって』は聞くなよ?」
「あ、あぁ……分かった」
「なら問題ない。時間が惜しいんだろ? それじゃ、さっさと行こうか」
カラクの頷きを見たセロは、サッと彼らから視線を外す。
「『行くぞ』って……二人が何処にいるか分かるんですか? 森の中って結構方向感覚が狂いやすいのに……」
「分かるから言っているんだって。もたもたしていると置いて行くぞ?」
アルバの質問に答えたセロは、その理由を告げずに駆け出す。
「ちょ、ちょっと待っ――て、うわぁ!?」
「なっ!?」
「ちょっ、凄いんだけど!?」
セロの後を追いかけようと走り出した三名は、底上げされた自身の身体能力に驚きの声を上げる。それもそのはずで、後方支援がメインのアルバでさえもまるで飛ぶように地を駆けているのだ。にもかかわらず、疲労感や倦怠感といった類は感じられない。
初めての経験に、戸惑いの声を上げる三人を差し置き、セロは目的地へと真っ直ぐに向かっていった。
◆◇◆
「ぜぇ……はぁ……ぜぇ…はぁ……」
「クソッ……理解はしていたがなんつう固さだよ、まったく……」
セロがカラクたちを引き連れて移動を開始した頃、鎧獅子と対峙するキールとグランはボロボロになりながらもなんとか戦線を維持していた。
「オイ、グラン。お前はあと何発精霊術を打てる?」
しきりに肩を上下させ、荒い息を吐くグランにキールが訊ねる。
「悪いがこっちはもう無理だ。さっきので精霊力が尽きちまった。お前は?」
「こっちはあとギリギリ一発ならなんとか……って感じだな。ただ……今までの様子じゃあ、大したダメージは与えられそうに無いがな」
返って来たキール答えに、グランは厳しい表情を浮かべて奥歯を噛んだ。
「……つまりは、もう手がないってコトか?」
「……そうなるな」
グランの表情に釣られるように、キールもその表情を険しくする。現状、「奥の手」ともいえる精霊術はキールの持つ一発のみ。まだ望みがあるだけマシと呼べるものの、それだけでは仕留められないということでは、精霊術が使えなくなったのと大した違いはない。
加えて鎧獅子の攻撃を幾度となく受けた、彼らの防具もまた限界を迎えつつあった。
鎧獅子は大型の魔物に区分されることからも分かるように、その膂力は凄まじく、足の爪を用いた攻撃は容易く鋼鉄を両断する。また、その重量を利用した突進攻撃は、まともに受ければ全身の骨が砕ける破壊力がある。事実、パーティーの中で一番の体格を持ち金属鎧を身につけたグランでさえも、数度の攻撃で防具が悲鳴を上げ、肋骨が数本折れる怪我を負ったのだ。
「クソッ。こっちは追い詰められているっつうのに、あちらさんはまだまだやる気マンマンだぞ」
ギリッと歯を噛んだキールが額に浮かぶ汗を拭うこともせずに呟く。鎧獅子から吹き出すように放たれた殺気が二人の心を恐怖に染め上げる。
相対しているだけで背中を冷たい汗が流れ、恐怖で体が震える。辛うじて戦意は失っていないものの、それもいつまで維持できるのかは未知数だ。
「グルゥオアアアアアアア!」
「チクショウが! 俺は……俺たちは……こんなところで死ねねぇんだよおおお!」
襲い来る鎧獅子の前足に、キールが雄叫びを上げて応戦するものの、振り下ろされた爪はまるで紙片を切るように突き出された剣を両断し、彼の身体を袈裟斬りする。
「――ガハッ!?」
衝撃により地面と水平に吹き飛ばされたキールは、受け身をとる余裕すらなく、大地に転がる。
「ウォリャアアアアアアア!」
攻撃直後の鎧獅子に対し、その間隙を突くように今度はグランの斧が振り下ろされる。しかし、彼の攻撃は全身を覆う装甲に傷をつけることすら叶わず、無残にもその刃が砕けた。
「グフッ!?」
砕けた斧に驚く暇もなく、お返しとばかりにグランの腹に鎧獅子の尻尾が鞭の如くヒットする。両手で持った斧を振り下ろしたため、回避が間に合わず直撃を受けたグランは口から血を吐いて吹っ飛んだ。
「グルルルルゥ……」
(――あぁ、クソッ。もう身体に力が入んねぇ……)
腹の底に響く唸り声を上げながらゆっくりと自分に近づく魔物に、キールは諦めにも似た言葉を心の中に零した。
血を流して倒れるキールに近づいた鎧獅子は、この時を待ち望んでいたと言うように、その大きな口を目一杯開ける。口の上下から伸びる鋭い牙に真っ赤な口蓋がキールの目に捉えられ、いやが応にも恐怖を掻き立てられる。
(悪いなミラン。お前との約束……果たせそうにねぇわ……)
迫る鎧獅子の牙になす術も無いキールは、薄れゆく意識の中でミランへの謝罪の言葉を心の中に吐露する。
残り数セトルにまで迫る鎧獅子の牙。この魔物の力なら、無抵抗のキールの身体など易々と噛み砕くだろう。
だが、その予想が現実のものとなる直前――
――ドゴオッ!
耳をつんざくほどの轟音とともに、茂みから飛び出した何かがキールとグランの二人がかりでも苦戦を強いられた鎧獅子の身体が吹っ飛ばした。続けてそれまで聞き慣れた仲間のものとは異なる少年の声がキールの耳朶を打った。
「チッ。助走付けて跳び蹴りかましたわりには大したダメージになってねぇな。つーか固過ぎるだろ、あの装甲。アレを砕くには徹甲弾並みの威力が必要だな」
ふと声のした方へと目を向けると、そこには――
「……良かった。ギリギリ間に合ったみたいだな」
コキコキと首を鳴らしながら吹き飛ばした鎧獅子を見据えるセロの小さな背中があった。
「よくもまぁ……俺がわざわざ手間をかけて助けたヤツらを甚振ってくれたナァ、オィ。そんなオイタをする悪戯猫は……ズドンと一発キツイお仕置きをかましてやるぞ」
ニヤリと子どもとは思えないほどの凶悪な笑みを浮かべたセロは、唸り声を上げて彼を睨みつける鎧獅子に威勢よく言い放った。
「ガッハッハ! ウメェなコリャ。こんな美味い料理があるなら、さっさと起きて食えばよかったぜ」
「……いや、食う以前に起き上がれなかっただろうが」
ミランとキールに混じってセロの料理をがっつくグランに、セロが呆れを混ぜた口調で返す。そんなセロに対し、カラクとアルバが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「場所の提供に食事、さらには精霊武具のメンテナンスまで……本当に何から何まですまない」
セロは食事を終え、メンテナンスを施したカラクたちホワイトナイツの精霊武具を引き渡す。再び武具を手にした彼らを代表し、カラクが頭を下げつつ御礼の言葉を告げた。
「何度も礼を言うとは律儀な人だな。まぁ俺も技術者の端くれとして、他の人の書いた構文を見ることができたし、メンテナンスの対価として金ももらった。当初はなし崩し的に家に招いたが、こっちにとっても得るものはそこそこあったことだし、気に病むことはないさ」
「そう言ってもらえると助かるよ。特に精霊武具のメンテナンスについては、こんな森の中で受けられるとは思ってもみなかったからな」
カラクの言葉に対し、セロはカリカリと頬を掻きながら照れ臭そうに呟く。
「いやぁ~、でもホントに助かったよ。森に入ったら動物・魔物関係なく死体があちこちに転がっていたし、外縁部なのに狼や猪、鹿なんていった中型の魔物に出くわすし……」
二人の会話に立ち聞きしていたミランの声が混じる。彼女は当時を振り返って「危ないところだった」と今では笑って話しているものの、発言を耳にしたセロはわずかに眉間に皺を寄せて言葉を返す。
「ちょっと待て。死体が転がっていた? 外縁部で中型の魔物に遭遇した……? 変だな。そんな魔物は外縁部じゃあまず出くわさないってのに……」
訝しむセロに、カラクが肩を竦めつつもミランの言葉に捕捉説明を行う。
「あぁ。おかげでまだ冒険者になって日の浅い連中にも被害が出て来ている。この森には大型の魔物の棲息が確認されているが、それも中心部に限った話だ。新人冒険者はこの森で採取依頼もこなすケースがままある。そうした者たちは外縁部で依頼をすることが多かったんだが、外縁部にまで中型の魔物が出没するようになると、さすがに新人冒険者では荷が重い。かと言って、この森で採取できる薬草類はポーションや解毒薬などの材料になるから、その供給が断たれるのは非常に不味いんだ。森の異変はしばらく前から確認されていたんだが、薬の在庫も底を尽きてきたようでね。ようやくギルドの方も重い腰を上げて本格的な調査を行うことになったんだ。ただ、依頼は受けたものの、芳しい成果は今のところ上がっていないのが実情だけどね」
「まぁ何だ。被害は出てはいるが、まだ確認されたのは数件だ。ギルドの方も調査に乗り出しているし、早晩この異変の原因は特定されるだろうさ」
「……だといいけどな」
キールのやや楽観的な見通しにセロは軽くため息を吐きつつ、出発の準備を整えたホワイトナイツの面々を見送ったのだった。
◆◇◆
セロがカラクたちホワイトナイツを見送ってから数時間後のこと。
「そろそろ汚れ物も溜まってきたし、ここらでまとめて洗濯でもするかな」
ふと窓から外の様子を眺めていた彼は、カゴに溢れんばかりの衣類を突っ込んで扉を開けた。この日の天気は抜けるような青空が広がる快晴で、足元に広がる芝生には燦々と陽の光が降り注ぐ絶好の洗濯日和となっていた。
「そう言えば、さっきの話もあることだし、念のため探査魔法の術式を使って軽く辺りを調べておくとするか……」
近くの川にカゴを持って訪れたセロは、カラクたちの話を思い出して探査魔法の術式を発動させる。魔物はそれぞれに縄張りを持ち、自らの領域を侵す者を徹底的に排除する。縄張りは魔物の種族によってまちまちだが、概して危険度の高い魔物ほどその領域は広い傾向にあった。
(ここの魔物の縄張りは、平均100メトルぐらいだったか? 探査魔法で十分カバーできるが……もう少し広い範囲でかけてみるか)
セロがそんなことを考えていたその時――
「――っ!?」
彼の探査領域内に、巨大な敵意が存在していることが確認された。しかも……
「マズイぞ。真っ直ぐアイツらに向かっている……」
間の悪いことに、その巨大な敵意は、先ほどセロが見送ったホワイトナイツのメンバーに一直線に向かっていたのだ。探査魔法で確認したところ、カラクたちホワイトナイツと巨大な敵意を放つ大型の魔物はこのまま行けば正面からかち合う可能性があることもセロは把握することができた。
魔物と向き合う形で遭遇した場合、全員が無事に撤退できる確率は低い。何故なら、誰かが囮役となったうえで、魔物の注意を引き付けなければならないからだ。
「あぁ……クソッ! 腹括るっきゃねぇか!」
思わず舌打ちをしたセロは、「アイツらは疫病神か何かか?」と内心毒付きながら、足元に置いたカゴをそのままに、一度家の中へと戻る。
「あの反応の大きさからすると、まず間違いなく相手は大型の魔物だ。いくらメンテナンスを終えた武具があるとは言え、精霊結晶を半分以上も消耗させたアイツらじゃあ……もって十分が限度か」
一目散に家に戻ったセロは、ありったけのポーションをポーチの中に突っ込み、机の上に置いた自らの武具を装備する。
「これが関係ない奴だったらそのまま放置してもいいんだろうが……仕方がない。アフターサービスだ」
ガリガリと頭を掻いたセロは、ため息を吐きつつ家を出る。
「とにかく時間がない。間に合ってくれよ……身体強化っ!」
探査魔法と併せて身体強化の術式を発動させたセロは、祈りにも似た言葉を発して木々の間を疾駆する。
ホワイトナイツが接敵するまで、残り二分余り。
彼らが直後に出会ったものは、彼らの想像を遥かに超える難敵であった。
一方、セロと別れたホワイトナイツの面々は、依頼達成の報告を行うため、ギルドへ向けて森の外へと進んでいた。目端の利くミランを先頭に、キール、カラク、アルバにグランと続き、魔物との遭遇を回避するように進む。
「……ストップ」
しかし、しばらく進んでいたところで、歩いていた一行の前を、ミランが腕を伸ばして制止する。
「これは……血の匂いだね。これほどまでに強い匂いだと……一匹や二匹喰ったわけじゃないね……」
急に腕で行く手を阻まれた一行は、先行する彼女へ反射的にその真意を訊ねようとしたが、続いて出る言葉は無かった。なぜなら……
「オイオイ……マジかよ」
「どうやらコイツが『異変の元凶』のようだな。原因が判明したのは嬉しい限りだが……これは想定外だ」
キールの引き攣った顔で呟かれた言葉に、カラクが厳しい表情を湛えながら視線の先にある茂みから出て来たソレを捉える。
「グルルゥ……」
カラクの絶望にも似た言葉。それを体現するかのように、茂みの向こうから低く重い唸り声を響かせて現れたもの――それは、体長三メトルを優に超える巨大な鎧にも似た装甲を持つ獅子の魔物であった。
「う、嘘だろ……こんなところで鎧獅子だと!?」
現れた巨大な獅子を前に、キールは慄く声を上げながらも剣を手に構える。だが、身体が震え、腰が引けているその様子は、不安しか抱けない。
――鎧獅子。それはベテランの冒険者でさえも一対一の戦闘を避ける大型の魔物であった。その最大の特徴は、その全身を鎧のように覆う固い装甲である。前後の足、そして胴体を覆う岩のような装甲は、さながら巨大な亀を思わせる。しかし、亀を思わせる外見とは裏腹に、その動作は想像以上に俊敏で性格は獰猛とされている。
主な攻撃はその巨躯から繰り出される前足の爪を用いた攻撃に加え、火と土の魔法がこの魔物のパターンである。
鎧獅子の厄介な点は、体表を覆う装甲により、剣や槍などでは大したダメージを与えることは出来ないことにある。体表を覆う装甲は厚く頑丈なことから、単に斬ったり突いたりした攻撃では装甲に傷一つ付けられない。
仮に物理攻撃で仕留めるとしても、装甲に覆われていない顔や腹などの狭い範囲を狙うしか有効打を与えられないことから、「出会ったならば、即刻逃げるべし」と言われるほどに厄介な魔物であった。
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
鎧獅子の咆哮に、周囲の空気が震え、辺りに棲息している動物や格下の魔物たちが我先にとその場から離脱していく。一方の鎧獅子は逃げていく獲物には目もくれず、その金色に輝く両眼を真っ直ぐカラクたちに向けていた。
「……逃げろ」
「えっ?」
「いいからお前らは逃げろっつってんだよ! コイツは俺たちには無理な相手だ。だったらさっさとギルドに駆け込んで応援を寄越してもらった方が賢明だろうが!」
「で、でもっ! ――うわっ!?」
不意に届いたキールの鋭い言葉に、ミランは躊躇いがちに呟く。だが、背後にいたグランが彼女の襟首を掴み、勢いよく後方へ投げ飛ばした。
「キールの言う通りだ。アイツはヤベェ距離を取って対峙しているだけでも体が震える。いいか……このままだと俺たちはなす術なくあの魔物の餌食になるだろう。だったらキールの言う通り、大人しく街まで行くべきだ」
「ま、待ってよ! あんたたちだって精霊武具が限界なはずでしょ! そんな状態で戦っても――」
「いいから行けっつってんだろ!」
なおも食い下がろうとするミランに、キールの叱責が飛んだ。それまでのどこかチャラけた口調とは全く異なる口ぶりに、彼女はぐっと唇を噛んで悔しさを滲ませる。
「グルアアアアアアッ!」
「チィッ! 早く行けっ!」
臨戦態勢を取る鎧獅子に、キールとグランがそれぞれの得物を手に立ちはだかる。切羽詰まったキールの声に、アルバがミランの肩に手を置いてこの場から離脱することを促した。
「ミラン、行きましょう……」
「あぁ……分かったよ。 キールにグラン! 下手こいて死んだらタダじゃおかないからな!」
去り際、ミランが囮役を買って出た二人に発破をかける。しかし、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「へっ……『タダじゃおかない』だとよ」
「あぁ。 こりゃあ下手打ったら何されるか分かったもんじゃねぇな」
小さく笑いながら話しかけて来たキールに、斧を肩で担ぐようにして構えたグランが頷きながら相槌を打つ。
やがて視界から消えた仲間たちに、内心安堵した二人は改めて目の前にいる鎧獅子を見据えた。
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しかし、キールとグランの手にする精霊武具は、セロが指摘した通り限界を迎えつつある。それぞれの武具に嵌め込まれた精霊結晶は、既に半分以上が色を失い、繰り出せる精霊術も残すところ数回が限度の状況だ。
端から見ても勝ち目のない戦いである。だが、彼らの胸中に撤退の二字は無かった。
「ゴガアアアアアアアアアッ!」
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「本当に耳障りな鳴き声だな! すぐにその脳天をかち割ってやる!」
鎧獅子の咆哮に、二人は限界を迎えつつある武具を手に果敢にも挑む。
逃げていった仲間たちが無事であることを祈りながら。
◆◇◆
「ーー見つけたっ!」
キールとグランが囮役として鎧獅子の注意を引きつけていた頃、身体強化の術式により森の中を疾駆していたセロは、視界にカラクたちの姿を捉えた。
「……大丈夫か?」
「えっ? う、うん……なんとか」
不意に現れたセロに驚きつつも、訊ねられた本人は、何とかそれだけを口にした。
「……剣の兄ちゃんと斧のオッサンはどうした?」
二人の姿が見えないことを訊ねたセロに、ミランはぐっと悔しげな表情を見せる。
「あの二人は……魔物の注意を引きつけるためにその場に残っているわ」
発言しないミランの代わりにアルバがセロの問いに答える。
「すまないね、セロ君。我々は一刻も早くギルドに戻り、至急応援を要請しなければならない。あの魔物に対し、限界を迎えつつある精霊武具では太刀打ちできないだろうからね」
「あの魔物って?」
「鎧獅子だよ。全身を鎧のように固い装甲で守られた巨大な獅子の魔物だ。どこから来たのかは未だ不明だが、今は二人の安全を優先しなければならない」
「……二人は無事なのか?」
「今は、ね。ただ、時間とともにそれも厳しくなるだろう」
「そうか……」
カラクの話にそれまで険しい表情を見せていたセロは、安堵の息を漏らしながら言葉を続ける。
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セロは探査魔法の術式により判明していたキールとグランのいる方角に顔を向けつつ呟く。その発言に、カラクたちは一層険しい表情で彼に凄んだ。
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「何って……その魔物を倒すんだけど?」
さらりと告げたセロの言葉に、ミランとアルバが慌てて口を挟む。
「ちょっと、何言ってんのよ! 子どもの君が加勢したところで、あの魔物に敵うワケないでしょ! これは狩りとは違うのよ。分を弁えなさい」
「セロさん、ここはミランの言う通りですよ。鎧獅子はギルドの脅威判定によれば、『災害級』の大型の魔物とランクされています。通常ならば複数のパーティーが互いに連携して初めて勝てる相手です。にもかかわらず、まだ子どもの貴方が加勢したところで、勝てる見込みはほぼ無いに等しいのですよ?」
アルバの言うように、ギルドによる魔物の脅威判定にはそれぞれ「下級」、「中級」、「上級」、「災害級」、「天災級」のクラスに分類され、さらにクラスごとに小型・中型・大型の三つに詳細化される。
通常、単独で討伐できるとされているのは、どれほどの強者でも中級の大型に分類される魔物までとされている。
それより上のランクは複数人でなければ、まず勝機はないとされるのが常であった。
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ミランの指摘に、セロは煮え切らない態度を見せる。その焦らすような態度に、彼女は苛立ちを募らせた。
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「だったら、間に合うぐらいの速さで走ればいいだろ? ……身体強化」
スッと差し出されたセロの手を合図に、ミランたちの足元に大きな円陣が描かれる。
「えっ? な、何コレ……?」
そして円陣内に立つミランたちの身体を仄かな青白い光が包み、地面に刻まれた円陣は掻き消えた。
「それぞれの身体能力を底上げした。これで走ればなんとか間に合うと思う。再度言うが、『どうやって』は聞くなよ?」
「あ、あぁ……分かった」
「なら問題ない。時間が惜しいんだろ? それじゃ、さっさと行こうか」
カラクの頷きを見たセロは、サッと彼らから視線を外す。
「『行くぞ』って……二人が何処にいるか分かるんですか? 森の中って結構方向感覚が狂いやすいのに……」
「分かるから言っているんだって。もたもたしていると置いて行くぞ?」
アルバの質問に答えたセロは、その理由を告げずに駆け出す。
「ちょ、ちょっと待っ――て、うわぁ!?」
「なっ!?」
「ちょっ、凄いんだけど!?」
セロの後を追いかけようと走り出した三名は、底上げされた自身の身体能力に驚きの声を上げる。それもそのはずで、後方支援がメインのアルバでさえもまるで飛ぶように地を駆けているのだ。にもかかわらず、疲労感や倦怠感といった類は感じられない。
初めての経験に、戸惑いの声を上げる三人を差し置き、セロは目的地へと真っ直ぐに向かっていった。
◆◇◆
「ぜぇ……はぁ……ぜぇ…はぁ……」
「クソッ……理解はしていたがなんつう固さだよ、まったく……」
セロがカラクたちを引き連れて移動を開始した頃、鎧獅子と対峙するキールとグランはボロボロになりながらもなんとか戦線を維持していた。
「オイ、グラン。お前はあと何発精霊術を打てる?」
しきりに肩を上下させ、荒い息を吐くグランにキールが訊ねる。
「悪いがこっちはもう無理だ。さっきので精霊力が尽きちまった。お前は?」
「こっちはあとギリギリ一発ならなんとか……って感じだな。ただ……今までの様子じゃあ、大したダメージは与えられそうに無いがな」
返って来たキール答えに、グランは厳しい表情を浮かべて奥歯を噛んだ。
「……つまりは、もう手がないってコトか?」
「……そうなるな」
グランの表情に釣られるように、キールもその表情を険しくする。現状、「奥の手」ともいえる精霊術はキールの持つ一発のみ。まだ望みがあるだけマシと呼べるものの、それだけでは仕留められないということでは、精霊術が使えなくなったのと大した違いはない。
加えて鎧獅子の攻撃を幾度となく受けた、彼らの防具もまた限界を迎えつつあった。
鎧獅子は大型の魔物に区分されることからも分かるように、その膂力は凄まじく、足の爪を用いた攻撃は容易く鋼鉄を両断する。また、その重量を利用した突進攻撃は、まともに受ければ全身の骨が砕ける破壊力がある。事実、パーティーの中で一番の体格を持ち金属鎧を身につけたグランでさえも、数度の攻撃で防具が悲鳴を上げ、肋骨が数本折れる怪我を負ったのだ。
「クソッ。こっちは追い詰められているっつうのに、あちらさんはまだまだやる気マンマンだぞ」
ギリッと歯を噛んだキールが額に浮かぶ汗を拭うこともせずに呟く。鎧獅子から吹き出すように放たれた殺気が二人の心を恐怖に染め上げる。
相対しているだけで背中を冷たい汗が流れ、恐怖で体が震える。辛うじて戦意は失っていないものの、それもいつまで維持できるのかは未知数だ。
「グルゥオアアアアアアア!」
「チクショウが! 俺は……俺たちは……こんなところで死ねねぇんだよおおお!」
襲い来る鎧獅子の前足に、キールが雄叫びを上げて応戦するものの、振り下ろされた爪はまるで紙片を切るように突き出された剣を両断し、彼の身体を袈裟斬りする。
「――ガハッ!?」
衝撃により地面と水平に吹き飛ばされたキールは、受け身をとる余裕すらなく、大地に転がる。
「ウォリャアアアアアアア!」
攻撃直後の鎧獅子に対し、その間隙を突くように今度はグランの斧が振り下ろされる。しかし、彼の攻撃は全身を覆う装甲に傷をつけることすら叶わず、無残にもその刃が砕けた。
「グフッ!?」
砕けた斧に驚く暇もなく、お返しとばかりにグランの腹に鎧獅子の尻尾が鞭の如くヒットする。両手で持った斧を振り下ろしたため、回避が間に合わず直撃を受けたグランは口から血を吐いて吹っ飛んだ。
「グルルルルゥ……」
(――あぁ、クソッ。もう身体に力が入んねぇ……)
腹の底に響く唸り声を上げながらゆっくりと自分に近づく魔物に、キールは諦めにも似た言葉を心の中に零した。
血を流して倒れるキールに近づいた鎧獅子は、この時を待ち望んでいたと言うように、その大きな口を目一杯開ける。口の上下から伸びる鋭い牙に真っ赤な口蓋がキールの目に捉えられ、いやが応にも恐怖を掻き立てられる。
(悪いなミラン。お前との約束……果たせそうにねぇわ……)
迫る鎧獅子の牙になす術も無いキールは、薄れゆく意識の中でミランへの謝罪の言葉を心の中に吐露する。
残り数セトルにまで迫る鎧獅子の牙。この魔物の力なら、無抵抗のキールの身体など易々と噛み砕くだろう。
だが、その予想が現実のものとなる直前――
――ドゴオッ!
耳をつんざくほどの轟音とともに、茂みから飛び出した何かがキールとグランの二人がかりでも苦戦を強いられた鎧獅子の身体が吹っ飛ばした。続けてそれまで聞き慣れた仲間のものとは異なる少年の声がキールの耳朶を打った。
「チッ。助走付けて跳び蹴りかましたわりには大したダメージになってねぇな。つーか固過ぎるだろ、あの装甲。アレを砕くには徹甲弾並みの威力が必要だな」
ふと声のした方へと目を向けると、そこには――
「……良かった。ギリギリ間に合ったみたいだな」
コキコキと首を鳴らしながら吹き飛ばした鎧獅子を見据えるセロの小さな背中があった。
「よくもまぁ……俺がわざわざ手間をかけて助けたヤツらを甚振ってくれたナァ、オィ。そんなオイタをする悪戯猫は……ズドンと一発キツイお仕置きをかましてやるぞ」
ニヤリと子どもとは思えないほどの凶悪な笑みを浮かべたセロは、唸り声を上げて彼を睨みつける鎧獅子に威勢よく言い放った。
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