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本編
Module_017
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「うっ……? こ、ここは――」
ホワイトナイツの面々がセロの家に招かれてから数時間後。ここに担ぎ込まれたグランは、ベッドの上で目を覚ました。
「気がついたか。ここは彼――セロ君が住まう家だ。魔物から攻撃を受け、死の淵にいたグランを救い、さらにはポーションまで提供してくれたんだ」
目を覚ましたグランに、傍にいたカラクが答える。その返答を受けたグランは、視線をセロへと移して「助かった。ありがとうな」と弱々しい口調で感謝の言葉を述べた。
「別に気にしなくていい。礼ならリーダーから受けたしな。それより、ポーションを飲んだとはいえ、アンタは血を失い過ぎた。しばらくは安静にしていることだな」
「……みたいだな。ベッドを占領して悪いが、今はその厚意に甘えるとしよう」
その言葉を発したのち、グランは再び目を閉じて眠りについた。
「さて、と。お仲間の事も一段落したが……この後はどうするんだ? もうすぐ日が暮れるから、夕食の準備をしないとだけど……そっちはどうする? アンタたちは何か食糧を持っているのか?」
セロの言葉を聞くや否や、安堵したキールやミランの腹から空腹音が鳴り響く。彼の発した問いの答えとばかりに、空腹音を掻き鳴らした両者はバツの悪い顔で「アハハ……」と乾いた笑い声で誤魔化す。
「いやぁ……それがそのぅ……魔物との戦闘でダメになったり、予想外にここの探索に時間がかかったりで~」
(……なんとなく予想はついたが、想像以上に余裕のないパーティーだなコリャ)
さらに詳しく経緯を聞けば、この森の外縁の一部に棲息する魔物を討伐するのが当初の目的だったのだが、討伐の最中で牛の魔物の集団と遭遇し、追い立てられた際に荷物を放り出してしまったとのことであった。
「はぁ……仕方がないな。ここまでし来たらついでだ。一緒に夕食の用意してやるから、ちょっと待っていてくれ」
「はい……」
「すまねぇ……」
ガリガリと頭を掻きながら呟いたセロに、ミランとキールはその身体を小さくしてポツリと謝罪めいた言葉を発する。まるで立場があべこべな空気に、アルバとカラクは苦笑いを浮かべるほか無かった。
「急だったからあり合わせのものしかないけど、問題ないか?」
しばらくしてテーブルに着席したホワイトナイツのメンバーたちが目にしたのは、ここが森の中だということを忘れてしまうほどのご馳走であった。
「コレってまさか、『トライホーンボア』のステーキ?」
「こっちは野菜とレッドブルのベーコンのスープか」
「付け合わせのパンも、もちもちしていて美味しいですよ!」
卓上に出された料理をミラン、キール、アルバの三名はそれぞれの感想を呟きながらガツガツと頬張り、あれよあれよという間に胃袋の中へと収めていく。
ちなみに、ミランが口にした「トライホーンボア」とは、額から三本の角を生やした中型の猪で、角を利用した突進攻撃が厄介な魔物である。また、その角を粉末状にしたものは毒や麻痺といった状態異常を解消させる薬の材料にも珍重される代物でもあった。しかしながら、なまじ攻撃力が高いことから、討伐するにもそれなりの技量が要求される。
また、キールが口をつけたスープに使用されているベーコンの材料である「レッドブル」は、その名の通り真っ赤な肌を持つ牛の魔物である。この魔物は気性が荒く、名前の元となったその赤い肌を硬質化させる特徴を有している。
肉質が上等なことから人気は高いものの、やはり手に入れるにはリスキーな相手として躊躇われる代表格であった。
「凄えぜ。こんな高価な材料をふんだんに使った料理なんて……値段をつければ一食あたり平気で三万リドルは飛んでくぞ」
キールは目の前の料理をがっつきながらも、そう言ってセロを褒めそやす。ちなみに、キールの告げた三万リドルとは、一般的な宿でおよそ一カ月分の宿泊費に相当するほどの金額である。
「全くコイツらは……場所まで提供してもらった挙句、食事まで。本当にセロ君には感謝しかないよ」
セロの料理をがっつく三名の隣では、カラクが呆れの顔を見せつつ、家主である彼に改めて感謝の言葉を述べた。
「ははっ。まぁ俺の方も最初はここまですることになるとは思ってもみなかったけどな。まぁこのまま腹を空かせたまま追い出しても、こっちとしては良かったんだが、そのまま野垂れ死ぬことになったら、さすがに悪い気がするし。それに、提供した料理はあり合わせのもので作ったものだから。気にしないでくれ」
カラクの言葉に、セロは淹れたてのハーブ茶を飲みながら鷹揚に答える。
「いやいや。こっちは傷ついたガランの回復ができただけでも十分なんだ。お礼と言ってはなんだけど、私たちに何かできることはないかな?」
セロの「気にするな」という言葉に首を横に振ったカラクは、せめてもの礼をさせてくれと食い下がる。
(うーん、どうするかな。こう言った手合いは、その申し出を断るといつまでも食い下がって来そうだしなぁ……。だったら、相手が可能な限りの対価を求めた方が余計な詮索を生まないで済むか)
セロは前世での社会人経験をもとにそう結論づけるが、では何を対価としようかと思い悩む。
「そうか? ただ、礼と言ってもなぁ……」
セロは顎に手を当てながら考えに耽っていたが、ふとその目が相手のある一点に止まる。
「なら……その剣を見せてくれないか? より正確に言えば、その剣に施された『仕掛け』だが」
「……これかい?」
スッと指差して告げるセロに、その指の先にある自らの剣を見たカラクが反射的に問い返す。
「……ちょっと待って。一体、何をする気なの?」
二人の会話を耳にしたミランが、その手を止めてセロに問いただす。その声に、セロが彼女の方を見ると、先ほどまで楽しげに飲み食いしていたその顔がわずかに険しいものに変化していた。
「えっ? 何をするって……ただその剣を見せてもらうだけだけど?」
「いい? 君は知らないようだけれど、私たち冒険者にとって、武具はいわば自分の半身のような存在なの。それに、カラクだけじゃなく、他の人にとっても『精霊術』が使える武器――精霊武具を赤の他人に見せることは避けたいものなの。何故なら、そこに刻まれた精霊構文を解読されてしまえば、その武具がどんな精霊術が使えるか分かってしまうから。いたずらに手の内を曝け出すリスクはしない方が自分の身のためだもの」
ミランの言う通り、冒険者は他人に自分の武具を見せることはあまりしない傾向にあった。それが精霊術を使える武具であれば、なおさらその傾向が強い。
彼女の言う「精霊武具」とは、例えば剣や斧、杖といった武具にあらかじめ精霊石や精霊結晶を嵌め込み、武具自体に精霊回路と精霊構文を刻み込んだ、いわば武器版の精霊導具のことを総称した言葉だ。一般的な人々の生活水準を向上せる「精霊導具」とは異なり、外敵から身を守る武具を特別にチューニングしたものであるため、厳密には「精霊武具」も精霊導具の一つなのだが、特別に切り分けて呼ばれることが多い。
なお、精霊武具は通常の使用に加えて「精霊術」という精霊石や精霊結晶の持つ神秘の力たる「精霊力」を引き出し、攻撃の威力を高めたり、防御や回復などの支援を可能にしたりする。
この際、引き出された精霊力を術として顕現させるのが精霊回路と精霊構文の役割といえる。
一つの武具に嵌められる精霊石や精霊結晶の数、刻める精霊回路と精霊構文は上限があり、限界を超える分量の場合には、武具それ自体が自壊してしまう。そのため、セロのように構文が読み解ける者からすれば、その精霊武具に刻まれた精霊術の種類、効果範囲、持続時間、再発動までのリキャストタイムなどが全て把握されてしまうのだ。
そのため、武具のメンテナンスをする際には、自分が信頼できる機巧師に依頼するのが常であった。
「……なるほど。分かったよ。俺としても別に無理強いさせる意図は無いさ。ただ、他の人はどんな風に構文を刻んでいるのか、ちょっと興味が湧いただけだから。見せられないならそれはそれで構わない。ただ……」
「ただ?」
どこか含ませた発言をするセロに、ミランが問い返すと、彼は眉根を寄せながら言葉を続けた。
「ただ、そんな状態で帰れるのか? って見た時に気になっただけだ。その剣の柄頭にあるのって精霊結晶だろう? 見たところ、半分以上色を失っているように思えるがどうだ? ここに来た以上、分かっているとは思うが、今いるのは鬱蒼と木々が茂る森の中心部だ。家から一歩でも外に出れば魔物が辺りをうろついている。ここから帰るには、どのみちそんな中を突っ切らなきゃならない。言っちゃあ悪いが、その武具じゃあ、帰るには心許ないと思うけどな」
「うぐっ……」
セロの指摘に、ミランを始め、ホワイトナイツの面々は押し黙る。彼の言葉ももっともで、精霊石や精霊結晶は、その力が引き出される度に少しずつ色を失い、やがては砕けて塵と消える性質がある。そうしたことから、武具に嵌められた精霊石や精霊結晶の色の度合いは、メンテナンスをする一つのバロメーターとされている。カラクの剣に嵌められた精霊結晶のように、半分以上色を失っている状態は、通常ならばとうにメンテナンスをする時期にあることを示していた。
「よせミラン。折角ここまでしてもらったのに、その言い草は無いだろう」
先ほどまでの賑わっていた空気が一転して悪くなったことに、カラクはそのきっかけを生んだミランに釘を刺した。
「でもさぁ~」
カラクの言葉に、ミランは口をへの字に曲げてどこか不満気な表情を見せる。
「悪いな、セロ。ただ、さっきコイツが言ったように、俺たち冒険者は信頼のおけるヤツにしか精霊武具を預けないんだ。冒険者は一歩道を誤れば、すぐに死が訪れるような危険を伴う職業だしな。自分の奥の手とも言える『精霊術』について、おいそれとひけらかすことはしねぇんだよ」
カラクに釘を刺され、不貞腐れたミランを苦笑交じりに眺めていたキールが彼女に代わってセロに詫びを入れた。
「あぁ。まぁ俺の方もちょっと不躾だったとは思うさ。その点についてはお互い様ということにして、本題は――」
セロの言葉を引き継ぐように、カラクが頷きながら後に続くであろう言葉を発する。
「――これからどうするか、か。確かに君の言う通り、このまま今ある精霊武具を使って帰るのはリスクがある。だが、君には何かしらの考えがあるようだね」
セロを見つめるカラクは、そう言いながらわずかにその口角を持ち上げた。
「まぁな。あるにはあるが……ただし、それには二つの条件がある」
「条件?」
「あぁ。一つ目は、さっきのミランの話を混ぜっ返すようで悪いが、アンタらの『相棒』たる精霊武具を、俺に預けることに了承してもらうこと。二つ目は――ここで俺が行うことを口外しないこと。この二つだな」
セロの提示した条件に、カラクを始め、ホワイトナイツのメンバーは皆が皆、眉根を寄せて訝しげな表情を浮かべる。ミランの話を聞いたばかりなのに、それでも敢えて精霊武具の提示を求めること、そしてわざわざ口外禁止を求めることの真意を測りかねたからである。
「……すまない。全くもって君の考えが見当つかないんだが。一体君は何をしようとしているんだ?」
メンバー全員の疑問を代表するかのように訊ねるカラクに、セロはカップに入ったハーブ茶を啜りながら軽い口調で答える。
「まぁこれも何かの縁ってことだろう。もし良ければ、俺がアンタらの精霊武具をメンテナンスしてやるよ」
しれっと告げたセロの言葉を理解するのに、カラクたちはわずかばかりの時間が必要だった。
◆◇◆
「精霊武具のメンテナンスを……君が?」
「そうさ。もちろんやるからにはキッチリ対価はもらうけどな。さっきの条件は、言い換えれば『俺のことを信頼できるか?』という意味だ。今日初めて出会った相手、しかも機巧師のライセンスも何も持っていないガキに、自分の半身とも呼べる武具を預けられるか? ということだよ」
セロは再びハーブ茶を啜りながら、カラクに提案の際に示した条件の真意を告げる。
「……なるほど。魅力的な提案ではある。だが、君にそれができるのか? 預けたはいいものの、『やっぱりできませんでした』と壊されるのは論外だからな」
セロの言葉に対し、カラクがやや真剣味を増した面持ちで確認をとる。その問いに、セロはわずかに肩を竦めつつ言葉を発する。
「そこは信用してくれとしか言えないな。機巧師のライセンスがない以上、俺の技術を公的に示せるものはないからな。まぁ……俺の腕がどの程度のものなのかは、さっき実演した精霊導具で分かるだろう?」
「ふむ……」
その答えに、カラクはチラリと視線を部屋の隅に移した。彼の視線の先には、先ほどポーションの実演をして見せた「メイキングボックス」がある。
「……分かった。こうした状況である以上、ライセンス無しの君の腕に賭けるほかあるまい」
しばらく黙考したカラクは、そう言って腰に吊った相棒をセロの前に差し出すのだった。
「さて、と。それじゃあ取り掛かりますかね……」
夕食後、テーブルの上に並べられた5つの精霊武具を前な、セロは手揉みしながらメンテナンス作業を開始する。自分とは異なる技術者が、どのようなコーディングを施したのか――それを紐解くことに、彼の顔には無意識のうちに笑みが浮かんでいた。
「まずはこの剣からだな。ふーん……雷属性の精霊結晶を嵌めて、構文には『強靭化』と『軽量化』、それに……『飛雷刃』っつう術式か。強靭化と軽量化は剣の強度と重量軽減、飛雷刃はこの構文の内容から察するに――雷の刃を飛ばす精霊術だな。んで、こっちの杖は……」
目の前の剣に刻まれた精霊構文を解読しながら、ブツブツと独り言を呟くセロを、やや離れた場所からカラクたちが見つめる。
「ねぇ、メンテナンスにはどのくらいかかりそう?」
作業中のセロに、カラクの隣に立つミランから声がかかる。その声に、セロは背もたれをギジリと鳴らして答えた。
「うーん……おおよそだが、トータルで四時間くらいだな」
「えっ!? そんなに?」
「あぁ。武具自体の損傷はそれほどじゃないが、一方で結晶の損耗が激しいようだからな。特に、杖に嵌められた精霊結晶はほとんど色を失っている。これほどの損耗だと交換が必要だろうし。他のものはこのままでも問題なさそうだけど、刻まれた精霊構文を書き換えて精霊力の消費量を抑えないと、さすがにこの森を出ることは厳しいと思うぞ?」
つらつらと目の前の武具の状態を口にするセロに対し、問いかけたミランのみならず、他のメンバーが呆けた顔を彼に見せる。
「まぁ、杖の方は一応手持ちの精霊結晶を交換できるけど、他のものは採取して来なきゃならない。だから悪いけど今のもので我慢してもらうことになるけど……って、どうした?」
一通り説明し終えたセロが自分に向けられた視線に気づき、キョトンとした顔で訊ねると、ハッと我を取り戻したミランが興奮した口調で話しかけた。
「いやいやいや! これだけの武具全部のメンテナンスに四時間っておかしいでしょ!」
「何だよ、もっと早くしろってのか? けど――」
「だから違うってば! むしろ、そんなに早く終わるの? って聞きたいのよ! それに、サラッと精霊構文を書き換えるって言ったけど、そんなことが可能なの?」
興奮と驚愕を混ぜた表情で訊ねるミランに、セロは一瞬「コレ、マジで言っているのか?」と疑念を抱いてしまうが、チラリとその視線を彼女の隣に立つカラクに向けると、彼は同感だとばかりに大きく頷いた。
「おいおい、落ち着けって。まず、時間についてはさっき言った通り、あくまでも目安だ。もちろんそれ以上に時間がかかる場合もある。確かに数はあるだろうが、今回は刻まれた術式をベースに、より効率的に発動させるようにするだけだから。ゼロから術式を組み上げるワケじゃないから、それほど時間はかからないよ」
そう説明するセロだったがミランは首を横に振りつつ言葉を返す。
「いや、それがよく分からないんだけど。普通、精霊武具一つをメンテナンスに出すと、平気で三日とかはかかるのに……」
「いや、三日って……さすがに嘘だろ?」
今度はセロが目を見開いて訊ねるものの、彼女の言葉を裏付けるように、キールが「下手したら一週間以上はかかるな」と頷きながら口を開く。
「それに……精霊構文を書き換えるとも言っていましたが、そもそもそんな必要ってあるのですか? 現に支障なく使えているのですから問題は無いと思いますし、書き換えることによって何が変わるのですか?」
続いてアルバが二つ目の疑問をセロに投げかけた。先ほどの説明を聞いても要領を得ていないのか、眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべている。対するセロは、一度大きなため息を吐いてその疑問に答えた。
「あのなぁ……支障なく使えているのだから書き換える必要はないって考えるのは、俺から言わせれば認識が甘過ぎると言わざるを得ないぞ。確かにその理由はもっともだと思える。だが、精霊術を行使するには、『必要な精霊力を精霊構文によって精霊結晶などから取り出す処理』と『取り出した精霊力を精霊構文に沿って外界に具現化させる処理』といった主に二つの処理工程があるんだよ。当然ながら、この処理にはどちらも精霊構文によって行われている。なら、構文に記述されたコードが短いほど短時間で精霊術を発動できるのは自明の理というものだろ? それに、知らないだろうが、この処理自体にも多少ながら精霊力が使われている。つまり、構文量が少ないほど、消費される精霊力は少ないってことだ」
「な、なるほど……言わんとすることは分かりました。ですが、そもそもそんな書き換えが可能なんでしょうか? 私は聞いたことが無いんですが……」
「結論から言えば、書き換え自体は可能だ。ただ、時間が惜しいから、詳しい説明が聞けるとは期待しないでくれ。つーか、この下手くそな構文書いたのはどこの誰なんだ? 明らかに無駄な記述が多いし、構文内の処理が複雑過ぎる。コレじゃあ術の発動が遅いばかりか、あっという間に精霊力が枯渇するぞ」
並べられた精霊武具を前に悪態をつくセロに、カラクは顔を引きつらせた。
(これは言えないな……まさか彼の目の前にある精霊武具がギルド公認の機巧師の手によって製作されたものだとはな)
そんなカラクの心の内の声など知る由もなく、セロは再び作業に向かっていくのだった。
◆◇◆
「さぁて、だいたいどんな構文が記述されているかは把握できたことだし……いっちょやるかね」
そう言ってぐいっと両腕の袖をまくったセロは、左手で剣の柄を持って目の前に掲げると、その刀身にそっと右手を宛がい静かに目を閉じる。
「精霊言語……読み込み開始……」
ポツリと告げた言葉に呼応し、精霊結晶に触れていた手が青白い光に覆われ、脳内の演算領域に結晶内に刻まれた精霊言語が次々と読み込まれていく。これはセロの「魔法」である「開発」の効果だ。この魔法はセロの作り上げたいわば「プログラム作成パッケージ」というべきもので、脳内の演算領域に対し「ソースの読み込み」・「編集」・「エラーチェック」・「書き込み」を可能にする効果を持つ。なお、ネーミングはExcelのVBAに由来しているのはここだけの話なのだが。
通常、術具や精霊結晶に精霊言語を刻む機巧師と呼ばれる者たちは、「機巧布」と呼ばれる特殊な素材で作られた手袋を装着した上で作業を行う。この手袋は機巧師の必須のアイテムと言うべきものであり、今回のような書き換え作業をする際にも必要なものだ。
しかし、単に「楽園」の蔵書室で書籍を読んでいたセロには、当然ながらそのようなアイテムは存在しなかった。ならば他の方法で代用できないかと考えた挙句、生まれた魔法であった。
そうした背景があるなど分からないカラクたちホワイトナイツの面々は、セロの挙動に不思議そうな目を向ける。だが、「魔法」の存在などバラす訳にもいかないセロは、奇異の視線を受けつつも構うことなく自らの作業に没頭していった。
「変数域の設定及び変数定義……終了。基本構文の定義……終了。続いて書き換え……」
演算領域内に広がる精霊言語に対し、セロは流れるように書き換え作業を行っていく。
「……書き換え完了。構文エラーチェック……完了。そして――書き込み開始っ!」
しばらく目を閉じて黙したままであったセロが、静かにその瞼を上げてポツリと呟く。と同時に、掲げた剣が仄かな黄色の光を帯びた。やがて書き込みが終了したことを示すように、剣に纏っていた光が消える。それはこれまで精霊結晶内に刻まれた精霊言語がセロの組み上げたものへと置換されたことを告げる合図であった。なお、一連の作業終了までにかかった時間は、解読作業におよそ五分、書き換え作業におよそ四十分である。
「……うん。問題は無さそうだ。終わったぞ」
「えっ!? は、早ッ!?」
作業が終了し、剣をカラクに返却したセロの横からミランの驚きに満ちた声が上がる。
「本当に問題無いんだな?」
「疑り深いなぁ……それなら試してみるかい? 基本的に精霊術自体を変更したわけじゃないから、そのまま使えるはずだ」
「わ、分かった……」
不敵な笑みを浮かべるセロから剣を受け取り、再び腰に吊るしたカラクは、外へと出ると半信半疑で精霊術を行使する。
「――飛雷刃っ!」
鞘から抜き放たれた剣は、彼の起動句を合図に青白い光を放つ三日月型の雷の刃を飛ばした。そしてその刃は流星の如き速さで視線の先にあった木の幹を易々と断ち切る。
「本当に問題無さそう……」
カラクの放った精霊術を後方から眺めていたミランがポロリと言葉を漏らす。だが、当の本人はそれ以上の驚愕を受けていた。
「術のスピードが目に見えて上がった。それに……ほとんど精霊力も消費していない」
剣に嵌め込まれた精霊結晶を視界に捉えながら、カラクはうわ言のように呟く。
「嘘っ!? ……本当だ。ほとんど減ってない。今までなら一回行使しただけで、一目で分かるほどに精霊結晶の消耗が確認できていたのに……」
カラクの呟く声を聞きつけたミランが、目を見開きながら彼の術具に嵌められた精霊結晶を覗き込む。彼女の視界には術を行使する前とほとんど変わらない色と輝きを放つ精霊結晶がある。
「じゃ、じゃあさっきこの子が言っていたのは本当ってこと……?」
精霊結晶から視線をセロに向けたミランが恐る恐る口を開き訊ねた言葉に、カラクは「だろうな」と添えるように呟いた。
どのようなプログラムもそうであるように、記述されるコードが短いほど処理速度は向上する。また工程が短いほど、そこに割かれるリソースは少なくて済む。
今回セロが行ったのは、既にある精霊言語を書き換えるものだ。既にあるものに手を加えるだけの作業だが、彼はその記載されているプログラムに転生前の知識を活かした記述を加えている。
すなわち、「変数化」と「基本構文」の記述だ。セロはこの二つの要素を取り入れることで精霊構文そのものの記述を短く収め、処理速度の向上とリソースの省力化を実現したのである。
セロ本人も気づいていないが、これは単なるプログラムの修正にとどまらない。いわば術式の改良という偉業に他ならない。
――最小の構文で、最大の効果をもたらす。
まさにこの言葉通りの偉業をわずかな時間で行ったことなど露知らず、セロは微笑を湛えながら「言った通りだったろ?」と呟いた。
しかしながら、直後彼は「ホワイトナイツ」のメンバーから俺も私もと術具のメンテナンスを依頼される羽目になり、結局その日は真夜中近くまで作業を行うのであった。
ホワイトナイツの面々がセロの家に招かれてから数時間後。ここに担ぎ込まれたグランは、ベッドの上で目を覚ました。
「気がついたか。ここは彼――セロ君が住まう家だ。魔物から攻撃を受け、死の淵にいたグランを救い、さらにはポーションまで提供してくれたんだ」
目を覚ましたグランに、傍にいたカラクが答える。その返答を受けたグランは、視線をセロへと移して「助かった。ありがとうな」と弱々しい口調で感謝の言葉を述べた。
「別に気にしなくていい。礼ならリーダーから受けたしな。それより、ポーションを飲んだとはいえ、アンタは血を失い過ぎた。しばらくは安静にしていることだな」
「……みたいだな。ベッドを占領して悪いが、今はその厚意に甘えるとしよう」
その言葉を発したのち、グランは再び目を閉じて眠りについた。
「さて、と。お仲間の事も一段落したが……この後はどうするんだ? もうすぐ日が暮れるから、夕食の準備をしないとだけど……そっちはどうする? アンタたちは何か食糧を持っているのか?」
セロの言葉を聞くや否や、安堵したキールやミランの腹から空腹音が鳴り響く。彼の発した問いの答えとばかりに、空腹音を掻き鳴らした両者はバツの悪い顔で「アハハ……」と乾いた笑い声で誤魔化す。
「いやぁ……それがそのぅ……魔物との戦闘でダメになったり、予想外にここの探索に時間がかかったりで~」
(……なんとなく予想はついたが、想像以上に余裕のないパーティーだなコリャ)
さらに詳しく経緯を聞けば、この森の外縁の一部に棲息する魔物を討伐するのが当初の目的だったのだが、討伐の最中で牛の魔物の集団と遭遇し、追い立てられた際に荷物を放り出してしまったとのことであった。
「はぁ……仕方がないな。ここまでし来たらついでだ。一緒に夕食の用意してやるから、ちょっと待っていてくれ」
「はい……」
「すまねぇ……」
ガリガリと頭を掻きながら呟いたセロに、ミランとキールはその身体を小さくしてポツリと謝罪めいた言葉を発する。まるで立場があべこべな空気に、アルバとカラクは苦笑いを浮かべるほか無かった。
「急だったからあり合わせのものしかないけど、問題ないか?」
しばらくしてテーブルに着席したホワイトナイツのメンバーたちが目にしたのは、ここが森の中だということを忘れてしまうほどのご馳走であった。
「コレってまさか、『トライホーンボア』のステーキ?」
「こっちは野菜とレッドブルのベーコンのスープか」
「付け合わせのパンも、もちもちしていて美味しいですよ!」
卓上に出された料理をミラン、キール、アルバの三名はそれぞれの感想を呟きながらガツガツと頬張り、あれよあれよという間に胃袋の中へと収めていく。
ちなみに、ミランが口にした「トライホーンボア」とは、額から三本の角を生やした中型の猪で、角を利用した突進攻撃が厄介な魔物である。また、その角を粉末状にしたものは毒や麻痺といった状態異常を解消させる薬の材料にも珍重される代物でもあった。しかしながら、なまじ攻撃力が高いことから、討伐するにもそれなりの技量が要求される。
また、キールが口をつけたスープに使用されているベーコンの材料である「レッドブル」は、その名の通り真っ赤な肌を持つ牛の魔物である。この魔物は気性が荒く、名前の元となったその赤い肌を硬質化させる特徴を有している。
肉質が上等なことから人気は高いものの、やはり手に入れるにはリスキーな相手として躊躇われる代表格であった。
「凄えぜ。こんな高価な材料をふんだんに使った料理なんて……値段をつければ一食あたり平気で三万リドルは飛んでくぞ」
キールは目の前の料理をがっつきながらも、そう言ってセロを褒めそやす。ちなみに、キールの告げた三万リドルとは、一般的な宿でおよそ一カ月分の宿泊費に相当するほどの金額である。
「全くコイツらは……場所まで提供してもらった挙句、食事まで。本当にセロ君には感謝しかないよ」
セロの料理をがっつく三名の隣では、カラクが呆れの顔を見せつつ、家主である彼に改めて感謝の言葉を述べた。
「ははっ。まぁ俺の方も最初はここまですることになるとは思ってもみなかったけどな。まぁこのまま腹を空かせたまま追い出しても、こっちとしては良かったんだが、そのまま野垂れ死ぬことになったら、さすがに悪い気がするし。それに、提供した料理はあり合わせのもので作ったものだから。気にしないでくれ」
カラクの言葉に、セロは淹れたてのハーブ茶を飲みながら鷹揚に答える。
「いやいや。こっちは傷ついたガランの回復ができただけでも十分なんだ。お礼と言ってはなんだけど、私たちに何かできることはないかな?」
セロの「気にするな」という言葉に首を横に振ったカラクは、せめてもの礼をさせてくれと食い下がる。
(うーん、どうするかな。こう言った手合いは、その申し出を断るといつまでも食い下がって来そうだしなぁ……。だったら、相手が可能な限りの対価を求めた方が余計な詮索を生まないで済むか)
セロは前世での社会人経験をもとにそう結論づけるが、では何を対価としようかと思い悩む。
「そうか? ただ、礼と言ってもなぁ……」
セロは顎に手を当てながら考えに耽っていたが、ふとその目が相手のある一点に止まる。
「なら……その剣を見せてくれないか? より正確に言えば、その剣に施された『仕掛け』だが」
「……これかい?」
スッと指差して告げるセロに、その指の先にある自らの剣を見たカラクが反射的に問い返す。
「……ちょっと待って。一体、何をする気なの?」
二人の会話を耳にしたミランが、その手を止めてセロに問いただす。その声に、セロが彼女の方を見ると、先ほどまで楽しげに飲み食いしていたその顔がわずかに険しいものに変化していた。
「えっ? 何をするって……ただその剣を見せてもらうだけだけど?」
「いい? 君は知らないようだけれど、私たち冒険者にとって、武具はいわば自分の半身のような存在なの。それに、カラクだけじゃなく、他の人にとっても『精霊術』が使える武器――精霊武具を赤の他人に見せることは避けたいものなの。何故なら、そこに刻まれた精霊構文を解読されてしまえば、その武具がどんな精霊術が使えるか分かってしまうから。いたずらに手の内を曝け出すリスクはしない方が自分の身のためだもの」
ミランの言う通り、冒険者は他人に自分の武具を見せることはあまりしない傾向にあった。それが精霊術を使える武具であれば、なおさらその傾向が強い。
彼女の言う「精霊武具」とは、例えば剣や斧、杖といった武具にあらかじめ精霊石や精霊結晶を嵌め込み、武具自体に精霊回路と精霊構文を刻み込んだ、いわば武器版の精霊導具のことを総称した言葉だ。一般的な人々の生活水準を向上せる「精霊導具」とは異なり、外敵から身を守る武具を特別にチューニングしたものであるため、厳密には「精霊武具」も精霊導具の一つなのだが、特別に切り分けて呼ばれることが多い。
なお、精霊武具は通常の使用に加えて「精霊術」という精霊石や精霊結晶の持つ神秘の力たる「精霊力」を引き出し、攻撃の威力を高めたり、防御や回復などの支援を可能にしたりする。
この際、引き出された精霊力を術として顕現させるのが精霊回路と精霊構文の役割といえる。
一つの武具に嵌められる精霊石や精霊結晶の数、刻める精霊回路と精霊構文は上限があり、限界を超える分量の場合には、武具それ自体が自壊してしまう。そのため、セロのように構文が読み解ける者からすれば、その精霊武具に刻まれた精霊術の種類、効果範囲、持続時間、再発動までのリキャストタイムなどが全て把握されてしまうのだ。
そのため、武具のメンテナンスをする際には、自分が信頼できる機巧師に依頼するのが常であった。
「……なるほど。分かったよ。俺としても別に無理強いさせる意図は無いさ。ただ、他の人はどんな風に構文を刻んでいるのか、ちょっと興味が湧いただけだから。見せられないならそれはそれで構わない。ただ……」
「ただ?」
どこか含ませた発言をするセロに、ミランが問い返すと、彼は眉根を寄せながら言葉を続けた。
「ただ、そんな状態で帰れるのか? って見た時に気になっただけだ。その剣の柄頭にあるのって精霊結晶だろう? 見たところ、半分以上色を失っているように思えるがどうだ? ここに来た以上、分かっているとは思うが、今いるのは鬱蒼と木々が茂る森の中心部だ。家から一歩でも外に出れば魔物が辺りをうろついている。ここから帰るには、どのみちそんな中を突っ切らなきゃならない。言っちゃあ悪いが、その武具じゃあ、帰るには心許ないと思うけどな」
「うぐっ……」
セロの指摘に、ミランを始め、ホワイトナイツの面々は押し黙る。彼の言葉ももっともで、精霊石や精霊結晶は、その力が引き出される度に少しずつ色を失い、やがては砕けて塵と消える性質がある。そうしたことから、武具に嵌められた精霊石や精霊結晶の色の度合いは、メンテナンスをする一つのバロメーターとされている。カラクの剣に嵌められた精霊結晶のように、半分以上色を失っている状態は、通常ならばとうにメンテナンスをする時期にあることを示していた。
「よせミラン。折角ここまでしてもらったのに、その言い草は無いだろう」
先ほどまでの賑わっていた空気が一転して悪くなったことに、カラクはそのきっかけを生んだミランに釘を刺した。
「でもさぁ~」
カラクの言葉に、ミランは口をへの字に曲げてどこか不満気な表情を見せる。
「悪いな、セロ。ただ、さっきコイツが言ったように、俺たち冒険者は信頼のおけるヤツにしか精霊武具を預けないんだ。冒険者は一歩道を誤れば、すぐに死が訪れるような危険を伴う職業だしな。自分の奥の手とも言える『精霊術』について、おいそれとひけらかすことはしねぇんだよ」
カラクに釘を刺され、不貞腐れたミランを苦笑交じりに眺めていたキールが彼女に代わってセロに詫びを入れた。
「あぁ。まぁ俺の方もちょっと不躾だったとは思うさ。その点についてはお互い様ということにして、本題は――」
セロの言葉を引き継ぐように、カラクが頷きながら後に続くであろう言葉を発する。
「――これからどうするか、か。確かに君の言う通り、このまま今ある精霊武具を使って帰るのはリスクがある。だが、君には何かしらの考えがあるようだね」
セロを見つめるカラクは、そう言いながらわずかにその口角を持ち上げた。
「まぁな。あるにはあるが……ただし、それには二つの条件がある」
「条件?」
「あぁ。一つ目は、さっきのミランの話を混ぜっ返すようで悪いが、アンタらの『相棒』たる精霊武具を、俺に預けることに了承してもらうこと。二つ目は――ここで俺が行うことを口外しないこと。この二つだな」
セロの提示した条件に、カラクを始め、ホワイトナイツのメンバーは皆が皆、眉根を寄せて訝しげな表情を浮かべる。ミランの話を聞いたばかりなのに、それでも敢えて精霊武具の提示を求めること、そしてわざわざ口外禁止を求めることの真意を測りかねたからである。
「……すまない。全くもって君の考えが見当つかないんだが。一体君は何をしようとしているんだ?」
メンバー全員の疑問を代表するかのように訊ねるカラクに、セロはカップに入ったハーブ茶を啜りながら軽い口調で答える。
「まぁこれも何かの縁ってことだろう。もし良ければ、俺がアンタらの精霊武具をメンテナンスしてやるよ」
しれっと告げたセロの言葉を理解するのに、カラクたちはわずかばかりの時間が必要だった。
◆◇◆
「精霊武具のメンテナンスを……君が?」
「そうさ。もちろんやるからにはキッチリ対価はもらうけどな。さっきの条件は、言い換えれば『俺のことを信頼できるか?』という意味だ。今日初めて出会った相手、しかも機巧師のライセンスも何も持っていないガキに、自分の半身とも呼べる武具を預けられるか? ということだよ」
セロは再びハーブ茶を啜りながら、カラクに提案の際に示した条件の真意を告げる。
「……なるほど。魅力的な提案ではある。だが、君にそれができるのか? 預けたはいいものの、『やっぱりできませんでした』と壊されるのは論外だからな」
セロの言葉に対し、カラクがやや真剣味を増した面持ちで確認をとる。その問いに、セロはわずかに肩を竦めつつ言葉を発する。
「そこは信用してくれとしか言えないな。機巧師のライセンスがない以上、俺の技術を公的に示せるものはないからな。まぁ……俺の腕がどの程度のものなのかは、さっき実演した精霊導具で分かるだろう?」
「ふむ……」
その答えに、カラクはチラリと視線を部屋の隅に移した。彼の視線の先には、先ほどポーションの実演をして見せた「メイキングボックス」がある。
「……分かった。こうした状況である以上、ライセンス無しの君の腕に賭けるほかあるまい」
しばらく黙考したカラクは、そう言って腰に吊った相棒をセロの前に差し出すのだった。
「さて、と。それじゃあ取り掛かりますかね……」
夕食後、テーブルの上に並べられた5つの精霊武具を前な、セロは手揉みしながらメンテナンス作業を開始する。自分とは異なる技術者が、どのようなコーディングを施したのか――それを紐解くことに、彼の顔には無意識のうちに笑みが浮かんでいた。
「まずはこの剣からだな。ふーん……雷属性の精霊結晶を嵌めて、構文には『強靭化』と『軽量化』、それに……『飛雷刃』っつう術式か。強靭化と軽量化は剣の強度と重量軽減、飛雷刃はこの構文の内容から察するに――雷の刃を飛ばす精霊術だな。んで、こっちの杖は……」
目の前の剣に刻まれた精霊構文を解読しながら、ブツブツと独り言を呟くセロを、やや離れた場所からカラクたちが見つめる。
「ねぇ、メンテナンスにはどのくらいかかりそう?」
作業中のセロに、カラクの隣に立つミランから声がかかる。その声に、セロは背もたれをギジリと鳴らして答えた。
「うーん……おおよそだが、トータルで四時間くらいだな」
「えっ!? そんなに?」
「あぁ。武具自体の損傷はそれほどじゃないが、一方で結晶の損耗が激しいようだからな。特に、杖に嵌められた精霊結晶はほとんど色を失っている。これほどの損耗だと交換が必要だろうし。他のものはこのままでも問題なさそうだけど、刻まれた精霊構文を書き換えて精霊力の消費量を抑えないと、さすがにこの森を出ることは厳しいと思うぞ?」
つらつらと目の前の武具の状態を口にするセロに対し、問いかけたミランのみならず、他のメンバーが呆けた顔を彼に見せる。
「まぁ、杖の方は一応手持ちの精霊結晶を交換できるけど、他のものは採取して来なきゃならない。だから悪いけど今のもので我慢してもらうことになるけど……って、どうした?」
一通り説明し終えたセロが自分に向けられた視線に気づき、キョトンとした顔で訊ねると、ハッと我を取り戻したミランが興奮した口調で話しかけた。
「いやいやいや! これだけの武具全部のメンテナンスに四時間っておかしいでしょ!」
「何だよ、もっと早くしろってのか? けど――」
「だから違うってば! むしろ、そんなに早く終わるの? って聞きたいのよ! それに、サラッと精霊構文を書き換えるって言ったけど、そんなことが可能なの?」
興奮と驚愕を混ぜた表情で訊ねるミランに、セロは一瞬「コレ、マジで言っているのか?」と疑念を抱いてしまうが、チラリとその視線を彼女の隣に立つカラクに向けると、彼は同感だとばかりに大きく頷いた。
「おいおい、落ち着けって。まず、時間についてはさっき言った通り、あくまでも目安だ。もちろんそれ以上に時間がかかる場合もある。確かに数はあるだろうが、今回は刻まれた術式をベースに、より効率的に発動させるようにするだけだから。ゼロから術式を組み上げるワケじゃないから、それほど時間はかからないよ」
そう説明するセロだったがミランは首を横に振りつつ言葉を返す。
「いや、それがよく分からないんだけど。普通、精霊武具一つをメンテナンスに出すと、平気で三日とかはかかるのに……」
「いや、三日って……さすがに嘘だろ?」
今度はセロが目を見開いて訊ねるものの、彼女の言葉を裏付けるように、キールが「下手したら一週間以上はかかるな」と頷きながら口を開く。
「それに……精霊構文を書き換えるとも言っていましたが、そもそもそんな必要ってあるのですか? 現に支障なく使えているのですから問題は無いと思いますし、書き換えることによって何が変わるのですか?」
続いてアルバが二つ目の疑問をセロに投げかけた。先ほどの説明を聞いても要領を得ていないのか、眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべている。対するセロは、一度大きなため息を吐いてその疑問に答えた。
「あのなぁ……支障なく使えているのだから書き換える必要はないって考えるのは、俺から言わせれば認識が甘過ぎると言わざるを得ないぞ。確かにその理由はもっともだと思える。だが、精霊術を行使するには、『必要な精霊力を精霊構文によって精霊結晶などから取り出す処理』と『取り出した精霊力を精霊構文に沿って外界に具現化させる処理』といった主に二つの処理工程があるんだよ。当然ながら、この処理にはどちらも精霊構文によって行われている。なら、構文に記述されたコードが短いほど短時間で精霊術を発動できるのは自明の理というものだろ? それに、知らないだろうが、この処理自体にも多少ながら精霊力が使われている。つまり、構文量が少ないほど、消費される精霊力は少ないってことだ」
「な、なるほど……言わんとすることは分かりました。ですが、そもそもそんな書き換えが可能なんでしょうか? 私は聞いたことが無いんですが……」
「結論から言えば、書き換え自体は可能だ。ただ、時間が惜しいから、詳しい説明が聞けるとは期待しないでくれ。つーか、この下手くそな構文書いたのはどこの誰なんだ? 明らかに無駄な記述が多いし、構文内の処理が複雑過ぎる。コレじゃあ術の発動が遅いばかりか、あっという間に精霊力が枯渇するぞ」
並べられた精霊武具を前に悪態をつくセロに、カラクは顔を引きつらせた。
(これは言えないな……まさか彼の目の前にある精霊武具がギルド公認の機巧師の手によって製作されたものだとはな)
そんなカラクの心の内の声など知る由もなく、セロは再び作業に向かっていくのだった。
◆◇◆
「さぁて、だいたいどんな構文が記述されているかは把握できたことだし……いっちょやるかね」
そう言ってぐいっと両腕の袖をまくったセロは、左手で剣の柄を持って目の前に掲げると、その刀身にそっと右手を宛がい静かに目を閉じる。
「精霊言語……読み込み開始……」
ポツリと告げた言葉に呼応し、精霊結晶に触れていた手が青白い光に覆われ、脳内の演算領域に結晶内に刻まれた精霊言語が次々と読み込まれていく。これはセロの「魔法」である「開発」の効果だ。この魔法はセロの作り上げたいわば「プログラム作成パッケージ」というべきもので、脳内の演算領域に対し「ソースの読み込み」・「編集」・「エラーチェック」・「書き込み」を可能にする効果を持つ。なお、ネーミングはExcelのVBAに由来しているのはここだけの話なのだが。
通常、術具や精霊結晶に精霊言語を刻む機巧師と呼ばれる者たちは、「機巧布」と呼ばれる特殊な素材で作られた手袋を装着した上で作業を行う。この手袋は機巧師の必須のアイテムと言うべきものであり、今回のような書き換え作業をする際にも必要なものだ。
しかし、単に「楽園」の蔵書室で書籍を読んでいたセロには、当然ながらそのようなアイテムは存在しなかった。ならば他の方法で代用できないかと考えた挙句、生まれた魔法であった。
そうした背景があるなど分からないカラクたちホワイトナイツの面々は、セロの挙動に不思議そうな目を向ける。だが、「魔法」の存在などバラす訳にもいかないセロは、奇異の視線を受けつつも構うことなく自らの作業に没頭していった。
「変数域の設定及び変数定義……終了。基本構文の定義……終了。続いて書き換え……」
演算領域内に広がる精霊言語に対し、セロは流れるように書き換え作業を行っていく。
「……書き換え完了。構文エラーチェック……完了。そして――書き込み開始っ!」
しばらく目を閉じて黙したままであったセロが、静かにその瞼を上げてポツリと呟く。と同時に、掲げた剣が仄かな黄色の光を帯びた。やがて書き込みが終了したことを示すように、剣に纏っていた光が消える。それはこれまで精霊結晶内に刻まれた精霊言語がセロの組み上げたものへと置換されたことを告げる合図であった。なお、一連の作業終了までにかかった時間は、解読作業におよそ五分、書き換え作業におよそ四十分である。
「……うん。問題は無さそうだ。終わったぞ」
「えっ!? は、早ッ!?」
作業が終了し、剣をカラクに返却したセロの横からミランの驚きに満ちた声が上がる。
「本当に問題無いんだな?」
「疑り深いなぁ……それなら試してみるかい? 基本的に精霊術自体を変更したわけじゃないから、そのまま使えるはずだ」
「わ、分かった……」
不敵な笑みを浮かべるセロから剣を受け取り、再び腰に吊るしたカラクは、外へと出ると半信半疑で精霊術を行使する。
「――飛雷刃っ!」
鞘から抜き放たれた剣は、彼の起動句を合図に青白い光を放つ三日月型の雷の刃を飛ばした。そしてその刃は流星の如き速さで視線の先にあった木の幹を易々と断ち切る。
「本当に問題無さそう……」
カラクの放った精霊術を後方から眺めていたミランがポロリと言葉を漏らす。だが、当の本人はそれ以上の驚愕を受けていた。
「術のスピードが目に見えて上がった。それに……ほとんど精霊力も消費していない」
剣に嵌め込まれた精霊結晶を視界に捉えながら、カラクはうわ言のように呟く。
「嘘っ!? ……本当だ。ほとんど減ってない。今までなら一回行使しただけで、一目で分かるほどに精霊結晶の消耗が確認できていたのに……」
カラクの呟く声を聞きつけたミランが、目を見開きながら彼の術具に嵌められた精霊結晶を覗き込む。彼女の視界には術を行使する前とほとんど変わらない色と輝きを放つ精霊結晶がある。
「じゃ、じゃあさっきこの子が言っていたのは本当ってこと……?」
精霊結晶から視線をセロに向けたミランが恐る恐る口を開き訊ねた言葉に、カラクは「だろうな」と添えるように呟いた。
どのようなプログラムもそうであるように、記述されるコードが短いほど処理速度は向上する。また工程が短いほど、そこに割かれるリソースは少なくて済む。
今回セロが行ったのは、既にある精霊言語を書き換えるものだ。既にあるものに手を加えるだけの作業だが、彼はその記載されているプログラムに転生前の知識を活かした記述を加えている。
すなわち、「変数化」と「基本構文」の記述だ。セロはこの二つの要素を取り入れることで精霊構文そのものの記述を短く収め、処理速度の向上とリソースの省力化を実現したのである。
セロ本人も気づいていないが、これは単なるプログラムの修正にとどまらない。いわば術式の改良という偉業に他ならない。
――最小の構文で、最大の効果をもたらす。
まさにこの言葉通りの偉業をわずかな時間で行ったことなど露知らず、セロは微笑を湛えながら「言った通りだったろ?」と呟いた。
しかしながら、直後彼は「ホワイトナイツ」のメンバーから俺も私もと術具のメンテナンスを依頼される羽目になり、結局その日は真夜中近くまで作業を行うのであった。
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