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本編
Module_014
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「よし。じゃあ行くとしますか」
翌日、セロの姿はぽっかりと空いた洞窟の入り口にあった。穴の高さは凡そ3メトル、幅は5メトルほどのかなり大きな穴である。
入り口から奥を見通すことは出来ず、彼の前には暗くジメジメとした一本の道があるのみだ。
「こう中が暗いと死角から襲われて……ってのも十分にあり得るな。仕方がない。術式:『光球』、起動」
ピッと人差し指を立てたセロは、すぐに術式を組み立てて発動する。彼の発言と同時に立てた指先から直径10セトルほどの光の球が射出され、頭上から足元を照らした。
わざわざ明かりを得るために魔法を発動させる必要があるのか? という意見もあろう。しかし、ここで敢えて魔法の使用を選択したのには、彼なりの理由があった。
通常考えられる対策としては松明を用いてその火の明かりで視界を確保することだが、それではどうしても片手が塞がってしまう。これでは咄嗟の事態に対処することができず、また手がブレるとそれだけで照らされた範囲がズレてしまうため、戦闘の際は一方的に不利となってしまうからだ。
加えてこれから挑む洞窟の中がどれだけの広さとなっているかが分からない以上、松明を維持するだけに余計な荷物を増やしてしまうのは効率的ではない。
「まぁ、この魔法なら魔力が続く限り発光できるし、光球の位置を固定しておけば照らされる範囲も一定にできる。なおかつ両手が空くってのが最大のメリットだよなぁ~」
誰もいないのをいいことに、上機嫌で魔法のことを呟きながらセロは洞窟の奥へと足を進める。そして――彼の頭上に配置された光球が、向かってくる敵を照らし出した。
「――っ! 敵か……アレは『ゴブリン』ってヤツか?」
光球に照らし出された敵を見たセロが、その姿から相手の種族を割り出す。彼の目に捕らえられた敵は、セロよりも少し低い体躯に全身を濃い緑色の肌で覆い、小さな金色の眼に鋭く尖った犬歯を持っている。そして「ゲヒゲヒ」と耳障りな鳴き声を発しながら、棍棒や錆びた剣を手に向かってくるその人型の魔物は、セロがかつて転生前に目にした小説やアニメで御馴染みのゴブリンそのものの姿であった。
「ゲヒッ! ゲヒャッ!」
「ゲヒャヒャヒャヒャヒャッ!」
セロを見たゴブリンたちは、彼を指差しながらニタリと笑い、言葉を交わす。もちろんその会話の内容を理解することはできないものの、なんとなくどういったことを話しているのかは察しがついた。
ーー人間の子ども。久方ぶりの御馳走だ、と。
ーーそれはゴブリンたちからすれば、稀に見る御馳走であった。彼らはこれまでの経験から、成人の人間は年を重ねるほどに肉質が硬くなるのを知っているからである。
標的を認識したゴブリンは、我先に獲物をかっ喰らいたいと駆け足で突っ込んでくる。その数は十にも及び、いくら武器を持つと言っても、子どもであるセロには荷が重いと判断される状況であろう。
しかし、2桁を超える及ぶ相手を前にしても、セロは退くどころか、腰に装着した鞘から得物を抜いて一歩前へと進む。
「ハッ、そうかいそうかい。俺を喰らうか魔物共……なら、遠慮なく返り討ちにしてやるよ」
視線の先に集うゴブリンたちを「敵」と認定したセロは、呟くや否や、身体強化の術式を自らに施す。脳内に広がる演算領域に瞬く間に展開された術式により彼の身体能力は底上げされ、洞窟の壁を疾駆するほどの能力までに至る。
「ギャヒッ!?」
数の暴力に恐れをなすことなく、むしろその口角を吊り上げて迫るセロに、対峙したゴブリンの一体は思わず手にしていた棍棒を前に掲げて防御態勢をとる。
しかし、
「――甘ぇよ」
防御するゴブリンに対し、セロはその棍棒が届く一歩手前で力強く大地を踏んで跳躍し、防御するゴブリンの背後に回り込むと、一思いにナイフを一閃した。
「ケヒッ!?」
セロの手により虚空に一本の銀の線が描かれた直後、驚愕の表情を浮かべたまま、ゴブリンの頭が血を撒き散らしながら宙を舞う。
人間の子どもと同体型のゴブリンでは、通常ならば、刃渡り30セトルにも満たない長さのナイフで首から上を吹っ飛ばすことは出来ない。何故なら、首の骨は太く、脳が詰まった頭はそれなりの重量があるからだ。また、断ち切るにしても、首の骨と骨の隙間を勢いよく斬らなければ実現できない。どこが隙間なのかーーそれを瞬時に見極め、狙い違わず一気に斬りつける技量が求められる。
加えてセロは未だ身体が発育途上にある子どもだ。武器があるとは言えど、何もなければせいぜい深い傷を負わせるのがやっとであろう。
しかし、身体強化の術式によりセロの膂力が向上した結果、貧弱な武器とみなされることの多いナイフが、その圧倒的な膂力と速さにより振るわれることで上質な剣と同じ効果をもたらしたのだ。
「ゲヒャアッ!」
「おっと」
仲間の一人が倒されたことに、残るゴブリンたちは皆、怒りの形相を浮かべてセロに猛攻撃を仕掛ける。ゴブリンの持つ錆びた剣が彼の背後から襲いかかるも、セロは足の力だけでその場から跳び上がり、綺麗な背面宙返りで攻撃を華麗に回避する。
そして落下のエネルギーをナイフに乗せ、その刃をゴブリンの頭に突き立てた。
「ギィヤァ!」
「――チィッ!」
ナイフを引き抜こうと試みるセロに、別のゴブリンが好機とばかりに錆び付いた槍を突き出す。その攻撃にセロは舌打ちをしつつ、すぐさまその場から飛び退いた。
「ギヒャヒャ!」
「ゲヒゲヒッ!」
ナイフを頭に突き立てられ、だらしなく倒れる仲間を他所に、残る八体のゴブリンが等間隔に並んでセロを半包囲する。ゴブリンの持つ得物は棍棒や錆びた剣、槍などで、一撃の威力としては弱い。しかし、ハ体ものゴブリンが一斉に攻撃を仕掛け、ふとした拍子に身体に貼り付けられたが最後、情け容赦の無い波状攻撃を浴びせられた挙句、命を落とす危険が付き纏う。
得物であるナイフを失った今、セロに残されたまともな武器は片手剣のみだ。ただ、いくら武器があるとは言え、暗く狭い洞窟でそんな取り回し辛い得物を振り回せる技量は今の彼には無い。
しかし、ほぼ丸腰となった状況下であっても、彼の表情に焦りの色は見られなかった。
「ふむ……ナイフを失った点は大きいが、まだやりようはある。悪いが――実験台として手伝ってもらうぞ」
半包囲するゴブリンたちから距離を置いたセロは、深く息を吐いて一度精神を落ち着かせる。
「見よう見真似だが、この際仕方がない。強靭化、鋭利化……起動」
ポツリと呟いたセロの言葉をトリガーに、発動した魔法が青白い光となって彼の両手に宿る。
「ギヒャッ!」
セロの変化を目の当たりにした一体のゴブリンが、手にした槍を突き出す。しかし、その直線的な動きで身体能力を向上させた彼を捉えることは叶わず、スルリと流れるようなわずかな身動きでもって回避される。
「――シッ!」
その瞬間、セロの手刀が襲いかかってきたゴブリンの喉元を通過し、やがて首から上がグラリと揺れて地に落ちた。
「――!!」
たかが子どもと侮っていた相手が、徒手空拳で仲間の首を刎ねたことに、残る七体のゴブリンの表情が驚愕に染まる。
「さて……いい加減、お前らの耳障りな奇声を聞くのも飽きたトコだ。ここで一気に終わらせてやる」
頬に飛んだ返り血を拭うこともせず、セロは一歩、また一歩とゴブリンたちに歩み寄る。
「ギッ! ギヒィッ!」
事ここに至り、自分たちが狩られる側だと悟ったゴブリンたちは、死をもたらすセロから一刻も早く逃げ出そうと武器を投げ捨てて来た道を戻ろうと、洞窟の奥へと足を向けた。
しかし――時は既に遅い。
「逃がしはしない。言っただろ? 『実験に付き合ってもらう』ってな」
背中を見せ、自分から遠ざかろうとする標的に対し、セロは向上させた身体能力でもって相手との距離を瞬時に詰め、先ほどと同様に強靭化と鋭利化を施した手刀で逃げる相手の身体を縦に斬り裂く。
――これで残りは六体。しかし、もはや戦意を喪失した相手などセロの敵とはなり得ず、それから然程の時間もかからずに戦闘は終結した。
「……先に行くとするか」
戦闘終了後、自身にかけていた術式を解除したセロは、軽く息を吐いて先ほどの戦闘での反省を行い、得物のナイフを回収するとブツブツと独り言を呟きながら改善点を洗い出していく。
「うーむ。明かりがあるとは言え、やっぱりこう暗くちゃあ接敵の際に後手に回るのは否めないな。さっきの戦闘でも、予め相手の位置を探れる探索系の術式があれば、奇襲を仕掛けて頭数を減らすこともできただろうし。となれば……まずは粗々でも探索や探知に特化した術式を組む必要があるか。細かいところは、使ってみて徐々にアップデートしていくほかないかなぁ……」
頬に飛んだ返り血を袖で拭ったセロは、顎に手をあてがいながら先ほどの戦闘で得た教訓をもとに新たな術式の構想を練りつつ、ゆっくりと洞窟の奥へと向かうのだった。
◆◇◆
それから、探索系の術式構築や幾度かの魔物との交戦を経て、セロは洞窟の最奥に足を踏み入れた。
「うわっ……何だコレ……」
そこで彼が目にしたのは、彩り鮮やかな結晶が地面や天井から生える幻想的な光景であった。赤、青、緑に黄色と鮮やかな色を持つそれぞれの結晶は、一目見ただけで値打ち物だと分かる価値を有していることが分かる。
「凄いなこれは……これが本に書いてあった『精霊結晶』なのか?」
近くに生えていた結晶を覗き込むようにしてしばらく観察するセロだったが、精霊結晶だと判別はできても、それ以上のことは分からなかった。
「……うん。こうして見ているだけじゃあ埒があかないな。こういう時は――」
セロは言うや否や、ズボンの尻ポケットから一枚のカードを引き抜き、左手の親指を噛んでわずかに出血させる。
「さぁて、出番だ……ウィル・オー・ウィスプ」
引き抜いたカードに出血させた指を走らせ、セロはこの場に最も適した化身を呼び出す。
彼の求めに応えるカード、それは炎にも似た愛くるしいキャラクターの描かれた「魔術師」のアルカナの化身である。セロの血をカギとして呼び出されたウィル・オー・ウィスプは、青白く淡い光を放ちながら宙に浮かぶ、大きな本を脇に抱えた化身であった。
「呼び出して早々悪いが、早速仕事を頼むよ。ここにある資源になりそうなものの鑑定と分析を頼む」
セロの言葉に、「了解」とばかりに小さく頷いたウィル・オー・ウィスプは、脇に抱えていた本を広げて作業に取り掛かる。
セロの持つカード、「魔術師」のアルカナに描かれたウィル・オー・ウィスプには、その特有の技能として「鑑定」と「分析」の能力を持つ。「鑑定」はそのものの価値や特質を評価し、「分析」は対象物を構成する要素を調べるための技能となる。また、一度鑑定ないしは分析したものは所有する本の中に目録として書き込まれ、その内容が保存されるため、魔物や対象物の特性を把握するのに役立つ。
鑑定の間、手持ち無沙汰となったセロは、探査魔法の術式について試行錯誤する時間に当てた。そのアップデートが一段落したところで、ウィル・オー・ウィスプがちょんちょん、とセロの肩を突いた。
「うん? もう終わったのか。どれどれ……」
セロはウィル・オー・ウィスプから差し出された本に目を通す。だが、その広げた本の中には、彼の予想を大きく超える内容が記されていた。
・精霊結晶(火属性)――ランクS
・精霊結晶(水属性)――ランクS
・精霊結晶(地属性)――ランクS
・精霊結晶(風属性)――ランクS
・精霊結晶(雷属性)――ランクS
・精霊結晶(光属性)――ランクS
・精霊結晶(闇属性)――ランクS
・ミスリル鉱石――ランクS
・鉄鉱石――ランクS
・精霊鋼石――ランクS
「ははっ……マジか? コレ……」
広げた本から顔を上げたセロは、目の前に浮かぶウィル・オー・ウィスプに問いかけるも、返ってきたのは何度も大きく頷く姿だった。
ウィル・オー・ウィスプの鑑定は、その純度及び状態の良し悪しにより、S、A、B、C、Dの五段階に評価される。最上級はS、最下級はDのランクが付けられる。
また、精霊結晶とは、この世界に広く普及した精霊導具の核となる素材であり、その色によって火・水・地・風・雷・光・闇の七つの「属性」が宿る。セロの目の前にある鑑定結果によれば、この場には全ての属性を持つ精霊結晶が存在していることとなる。
通常、精霊結晶はその前段階である精霊石が長い時間をかけて成長した姿とされており、微妙な環境の変化により生成される精霊結晶の属性には違いが生じる。このことから、複数の属性の精霊結晶が同じ場所から発見されるケースは極めて稀とされ、過去には大規模な争いまで引き起こされたほどである。
なお、精霊石の前段階が精霊片、精霊結晶がさらに成長した姿を精霊球と呼び、精霊球が発見されたことは歴史上数回だけとされている。
「……しかも、鉱石系まである。まさに宝の山だな」
一覧を確認したセロは、続いて各項目の詳細へと読み進める。精霊結晶についてはある程度の知識を得ていたので流し読みにとどめたが、問題は鉱石系の項目であった。
「ミスリル鉱石に鉄鉱石、そして精霊鋼石……か。鉄鉱石はいいとして、問題はミスリル鉱石と精霊鋼石だな。『ミスリル』ってことは……あの『ミスリル』か? それに精霊鋼石? ミスリルはまだ想像がついても、コッチはどんなものなのか見当もつかないな」
セロは独り言を呟きつつも、目の前の鑑定結果を注意深く読み進める。そこには次のような解説が記されていた。
――ミスリル鉱石。精霊導具の製作において、精霊結晶等と相性の良い素材とされる鉱石。精霊構文を記述した精霊結晶を配置し、その導線を刻んだ精霊回路に使用さるケースが多い。また、金属としてもその性能は優秀で、鉄以上の硬度と強度を併せ持ち、加工も容易。
しかしながら、その採掘量は少ないため、非常に高価。純度が高いほど性能も優秀となるが、比例して値も高くなる。
――精霊鋼石。精霊結晶とミスリル鉱石のハイブリッド鉱石。この鉱石に直接精霊構文が記述できる上、精霊結晶を用いることなく精霊術の行使が可能。
ただし、その製錬は高難度で熟練の鍛治技術ないしは錬金術と、高度な精霊構文記述技術が求められる。なお、採掘量はミスリル鉱石よりも少なく、市場に流通するのはほとんどない。
「おいおい……確か、ここにあるのって軒並みランクSだったよな。一体どれほどの値打ちなんだ?」
もし、ここの素材をオークションか何かに出せば、どれだけの落札額になるのか……その先を想像しようとして、セロは言い知れぬ不安感を覚えた。
だが、予想以上の鑑定結果に驚いていたセロの耳が、ギチギチと耳障りな音を拾う。反射的に音のした方へと顔を向けた先――自分の歩んできた方角からそれはゆっくりと姿を見せる。
「うそん……ハハッ、さすがにコイツは冗談キツイぞ……」
現れた相手に、セロは思わず顔を引きつらせた。何故なら彼の視線の先には――幅10メトル、高さ5メトルを超える、巨大な漆黒の蜘蛛が真っ直ぐにセロを見据えていたのだから。
翌日、セロの姿はぽっかりと空いた洞窟の入り口にあった。穴の高さは凡そ3メトル、幅は5メトルほどのかなり大きな穴である。
入り口から奥を見通すことは出来ず、彼の前には暗くジメジメとした一本の道があるのみだ。
「こう中が暗いと死角から襲われて……ってのも十分にあり得るな。仕方がない。術式:『光球』、起動」
ピッと人差し指を立てたセロは、すぐに術式を組み立てて発動する。彼の発言と同時に立てた指先から直径10セトルほどの光の球が射出され、頭上から足元を照らした。
わざわざ明かりを得るために魔法を発動させる必要があるのか? という意見もあろう。しかし、ここで敢えて魔法の使用を選択したのには、彼なりの理由があった。
通常考えられる対策としては松明を用いてその火の明かりで視界を確保することだが、それではどうしても片手が塞がってしまう。これでは咄嗟の事態に対処することができず、また手がブレるとそれだけで照らされた範囲がズレてしまうため、戦闘の際は一方的に不利となってしまうからだ。
加えてこれから挑む洞窟の中がどれだけの広さとなっているかが分からない以上、松明を維持するだけに余計な荷物を増やしてしまうのは効率的ではない。
「まぁ、この魔法なら魔力が続く限り発光できるし、光球の位置を固定しておけば照らされる範囲も一定にできる。なおかつ両手が空くってのが最大のメリットだよなぁ~」
誰もいないのをいいことに、上機嫌で魔法のことを呟きながらセロは洞窟の奥へと足を進める。そして――彼の頭上に配置された光球が、向かってくる敵を照らし出した。
「――っ! 敵か……アレは『ゴブリン』ってヤツか?」
光球に照らし出された敵を見たセロが、その姿から相手の種族を割り出す。彼の目に捕らえられた敵は、セロよりも少し低い体躯に全身を濃い緑色の肌で覆い、小さな金色の眼に鋭く尖った犬歯を持っている。そして「ゲヒゲヒ」と耳障りな鳴き声を発しながら、棍棒や錆びた剣を手に向かってくるその人型の魔物は、セロがかつて転生前に目にした小説やアニメで御馴染みのゴブリンそのものの姿であった。
「ゲヒッ! ゲヒャッ!」
「ゲヒャヒャヒャヒャヒャッ!」
セロを見たゴブリンたちは、彼を指差しながらニタリと笑い、言葉を交わす。もちろんその会話の内容を理解することはできないものの、なんとなくどういったことを話しているのかは察しがついた。
ーー人間の子ども。久方ぶりの御馳走だ、と。
ーーそれはゴブリンたちからすれば、稀に見る御馳走であった。彼らはこれまでの経験から、成人の人間は年を重ねるほどに肉質が硬くなるのを知っているからである。
標的を認識したゴブリンは、我先に獲物をかっ喰らいたいと駆け足で突っ込んでくる。その数は十にも及び、いくら武器を持つと言っても、子どもであるセロには荷が重いと判断される状況であろう。
しかし、2桁を超える及ぶ相手を前にしても、セロは退くどころか、腰に装着した鞘から得物を抜いて一歩前へと進む。
「ハッ、そうかいそうかい。俺を喰らうか魔物共……なら、遠慮なく返り討ちにしてやるよ」
視線の先に集うゴブリンたちを「敵」と認定したセロは、呟くや否や、身体強化の術式を自らに施す。脳内に広がる演算領域に瞬く間に展開された術式により彼の身体能力は底上げされ、洞窟の壁を疾駆するほどの能力までに至る。
「ギャヒッ!?」
数の暴力に恐れをなすことなく、むしろその口角を吊り上げて迫るセロに、対峙したゴブリンの一体は思わず手にしていた棍棒を前に掲げて防御態勢をとる。
しかし、
「――甘ぇよ」
防御するゴブリンに対し、セロはその棍棒が届く一歩手前で力強く大地を踏んで跳躍し、防御するゴブリンの背後に回り込むと、一思いにナイフを一閃した。
「ケヒッ!?」
セロの手により虚空に一本の銀の線が描かれた直後、驚愕の表情を浮かべたまま、ゴブリンの頭が血を撒き散らしながら宙を舞う。
人間の子どもと同体型のゴブリンでは、通常ならば、刃渡り30セトルにも満たない長さのナイフで首から上を吹っ飛ばすことは出来ない。何故なら、首の骨は太く、脳が詰まった頭はそれなりの重量があるからだ。また、断ち切るにしても、首の骨と骨の隙間を勢いよく斬らなければ実現できない。どこが隙間なのかーーそれを瞬時に見極め、狙い違わず一気に斬りつける技量が求められる。
加えてセロは未だ身体が発育途上にある子どもだ。武器があるとは言えど、何もなければせいぜい深い傷を負わせるのがやっとであろう。
しかし、身体強化の術式によりセロの膂力が向上した結果、貧弱な武器とみなされることの多いナイフが、その圧倒的な膂力と速さにより振るわれることで上質な剣と同じ効果をもたらしたのだ。
「ゲヒャアッ!」
「おっと」
仲間の一人が倒されたことに、残るゴブリンたちは皆、怒りの形相を浮かべてセロに猛攻撃を仕掛ける。ゴブリンの持つ錆びた剣が彼の背後から襲いかかるも、セロは足の力だけでその場から跳び上がり、綺麗な背面宙返りで攻撃を華麗に回避する。
そして落下のエネルギーをナイフに乗せ、その刃をゴブリンの頭に突き立てた。
「ギィヤァ!」
「――チィッ!」
ナイフを引き抜こうと試みるセロに、別のゴブリンが好機とばかりに錆び付いた槍を突き出す。その攻撃にセロは舌打ちをしつつ、すぐさまその場から飛び退いた。
「ギヒャヒャ!」
「ゲヒゲヒッ!」
ナイフを頭に突き立てられ、だらしなく倒れる仲間を他所に、残る八体のゴブリンが等間隔に並んでセロを半包囲する。ゴブリンの持つ得物は棍棒や錆びた剣、槍などで、一撃の威力としては弱い。しかし、ハ体ものゴブリンが一斉に攻撃を仕掛け、ふとした拍子に身体に貼り付けられたが最後、情け容赦の無い波状攻撃を浴びせられた挙句、命を落とす危険が付き纏う。
得物であるナイフを失った今、セロに残されたまともな武器は片手剣のみだ。ただ、いくら武器があるとは言え、暗く狭い洞窟でそんな取り回し辛い得物を振り回せる技量は今の彼には無い。
しかし、ほぼ丸腰となった状況下であっても、彼の表情に焦りの色は見られなかった。
「ふむ……ナイフを失った点は大きいが、まだやりようはある。悪いが――実験台として手伝ってもらうぞ」
半包囲するゴブリンたちから距離を置いたセロは、深く息を吐いて一度精神を落ち着かせる。
「見よう見真似だが、この際仕方がない。強靭化、鋭利化……起動」
ポツリと呟いたセロの言葉をトリガーに、発動した魔法が青白い光となって彼の両手に宿る。
「ギヒャッ!」
セロの変化を目の当たりにした一体のゴブリンが、手にした槍を突き出す。しかし、その直線的な動きで身体能力を向上させた彼を捉えることは叶わず、スルリと流れるようなわずかな身動きでもって回避される。
「――シッ!」
その瞬間、セロの手刀が襲いかかってきたゴブリンの喉元を通過し、やがて首から上がグラリと揺れて地に落ちた。
「――!!」
たかが子どもと侮っていた相手が、徒手空拳で仲間の首を刎ねたことに、残る七体のゴブリンの表情が驚愕に染まる。
「さて……いい加減、お前らの耳障りな奇声を聞くのも飽きたトコだ。ここで一気に終わらせてやる」
頬に飛んだ返り血を拭うこともせず、セロは一歩、また一歩とゴブリンたちに歩み寄る。
「ギッ! ギヒィッ!」
事ここに至り、自分たちが狩られる側だと悟ったゴブリンたちは、死をもたらすセロから一刻も早く逃げ出そうと武器を投げ捨てて来た道を戻ろうと、洞窟の奥へと足を向けた。
しかし――時は既に遅い。
「逃がしはしない。言っただろ? 『実験に付き合ってもらう』ってな」
背中を見せ、自分から遠ざかろうとする標的に対し、セロは向上させた身体能力でもって相手との距離を瞬時に詰め、先ほどと同様に強靭化と鋭利化を施した手刀で逃げる相手の身体を縦に斬り裂く。
――これで残りは六体。しかし、もはや戦意を喪失した相手などセロの敵とはなり得ず、それから然程の時間もかからずに戦闘は終結した。
「……先に行くとするか」
戦闘終了後、自身にかけていた術式を解除したセロは、軽く息を吐いて先ほどの戦闘での反省を行い、得物のナイフを回収するとブツブツと独り言を呟きながら改善点を洗い出していく。
「うーむ。明かりがあるとは言え、やっぱりこう暗くちゃあ接敵の際に後手に回るのは否めないな。さっきの戦闘でも、予め相手の位置を探れる探索系の術式があれば、奇襲を仕掛けて頭数を減らすこともできただろうし。となれば……まずは粗々でも探索や探知に特化した術式を組む必要があるか。細かいところは、使ってみて徐々にアップデートしていくほかないかなぁ……」
頬に飛んだ返り血を袖で拭ったセロは、顎に手をあてがいながら先ほどの戦闘で得た教訓をもとに新たな術式の構想を練りつつ、ゆっくりと洞窟の奥へと向かうのだった。
◆◇◆
それから、探索系の術式構築や幾度かの魔物との交戦を経て、セロは洞窟の最奥に足を踏み入れた。
「うわっ……何だコレ……」
そこで彼が目にしたのは、彩り鮮やかな結晶が地面や天井から生える幻想的な光景であった。赤、青、緑に黄色と鮮やかな色を持つそれぞれの結晶は、一目見ただけで値打ち物だと分かる価値を有していることが分かる。
「凄いなこれは……これが本に書いてあった『精霊結晶』なのか?」
近くに生えていた結晶を覗き込むようにしてしばらく観察するセロだったが、精霊結晶だと判別はできても、それ以上のことは分からなかった。
「……うん。こうして見ているだけじゃあ埒があかないな。こういう時は――」
セロは言うや否や、ズボンの尻ポケットから一枚のカードを引き抜き、左手の親指を噛んでわずかに出血させる。
「さぁて、出番だ……ウィル・オー・ウィスプ」
引き抜いたカードに出血させた指を走らせ、セロはこの場に最も適した化身を呼び出す。
彼の求めに応えるカード、それは炎にも似た愛くるしいキャラクターの描かれた「魔術師」のアルカナの化身である。セロの血をカギとして呼び出されたウィル・オー・ウィスプは、青白く淡い光を放ちながら宙に浮かぶ、大きな本を脇に抱えた化身であった。
「呼び出して早々悪いが、早速仕事を頼むよ。ここにある資源になりそうなものの鑑定と分析を頼む」
セロの言葉に、「了解」とばかりに小さく頷いたウィル・オー・ウィスプは、脇に抱えていた本を広げて作業に取り掛かる。
セロの持つカード、「魔術師」のアルカナに描かれたウィル・オー・ウィスプには、その特有の技能として「鑑定」と「分析」の能力を持つ。「鑑定」はそのものの価値や特質を評価し、「分析」は対象物を構成する要素を調べるための技能となる。また、一度鑑定ないしは分析したものは所有する本の中に目録として書き込まれ、その内容が保存されるため、魔物や対象物の特性を把握するのに役立つ。
鑑定の間、手持ち無沙汰となったセロは、探査魔法の術式について試行錯誤する時間に当てた。そのアップデートが一段落したところで、ウィル・オー・ウィスプがちょんちょん、とセロの肩を突いた。
「うん? もう終わったのか。どれどれ……」
セロはウィル・オー・ウィスプから差し出された本に目を通す。だが、その広げた本の中には、彼の予想を大きく超える内容が記されていた。
・精霊結晶(火属性)――ランクS
・精霊結晶(水属性)――ランクS
・精霊結晶(地属性)――ランクS
・精霊結晶(風属性)――ランクS
・精霊結晶(雷属性)――ランクS
・精霊結晶(光属性)――ランクS
・精霊結晶(闇属性)――ランクS
・ミスリル鉱石――ランクS
・鉄鉱石――ランクS
・精霊鋼石――ランクS
「ははっ……マジか? コレ……」
広げた本から顔を上げたセロは、目の前に浮かぶウィル・オー・ウィスプに問いかけるも、返ってきたのは何度も大きく頷く姿だった。
ウィル・オー・ウィスプの鑑定は、その純度及び状態の良し悪しにより、S、A、B、C、Dの五段階に評価される。最上級はS、最下級はDのランクが付けられる。
また、精霊結晶とは、この世界に広く普及した精霊導具の核となる素材であり、その色によって火・水・地・風・雷・光・闇の七つの「属性」が宿る。セロの目の前にある鑑定結果によれば、この場には全ての属性を持つ精霊結晶が存在していることとなる。
通常、精霊結晶はその前段階である精霊石が長い時間をかけて成長した姿とされており、微妙な環境の変化により生成される精霊結晶の属性には違いが生じる。このことから、複数の属性の精霊結晶が同じ場所から発見されるケースは極めて稀とされ、過去には大規模な争いまで引き起こされたほどである。
なお、精霊石の前段階が精霊片、精霊結晶がさらに成長した姿を精霊球と呼び、精霊球が発見されたことは歴史上数回だけとされている。
「……しかも、鉱石系まである。まさに宝の山だな」
一覧を確認したセロは、続いて各項目の詳細へと読み進める。精霊結晶についてはある程度の知識を得ていたので流し読みにとどめたが、問題は鉱石系の項目であった。
「ミスリル鉱石に鉄鉱石、そして精霊鋼石……か。鉄鉱石はいいとして、問題はミスリル鉱石と精霊鋼石だな。『ミスリル』ってことは……あの『ミスリル』か? それに精霊鋼石? ミスリルはまだ想像がついても、コッチはどんなものなのか見当もつかないな」
セロは独り言を呟きつつも、目の前の鑑定結果を注意深く読み進める。そこには次のような解説が記されていた。
――ミスリル鉱石。精霊導具の製作において、精霊結晶等と相性の良い素材とされる鉱石。精霊構文を記述した精霊結晶を配置し、その導線を刻んだ精霊回路に使用さるケースが多い。また、金属としてもその性能は優秀で、鉄以上の硬度と強度を併せ持ち、加工も容易。
しかしながら、その採掘量は少ないため、非常に高価。純度が高いほど性能も優秀となるが、比例して値も高くなる。
――精霊鋼石。精霊結晶とミスリル鉱石のハイブリッド鉱石。この鉱石に直接精霊構文が記述できる上、精霊結晶を用いることなく精霊術の行使が可能。
ただし、その製錬は高難度で熟練の鍛治技術ないしは錬金術と、高度な精霊構文記述技術が求められる。なお、採掘量はミスリル鉱石よりも少なく、市場に流通するのはほとんどない。
「おいおい……確か、ここにあるのって軒並みランクSだったよな。一体どれほどの値打ちなんだ?」
もし、ここの素材をオークションか何かに出せば、どれだけの落札額になるのか……その先を想像しようとして、セロは言い知れぬ不安感を覚えた。
だが、予想以上の鑑定結果に驚いていたセロの耳が、ギチギチと耳障りな音を拾う。反射的に音のした方へと顔を向けた先――自分の歩んできた方角からそれはゆっくりと姿を見せる。
「うそん……ハハッ、さすがにコイツは冗談キツイぞ……」
現れた相手に、セロは思わず顔を引きつらせた。何故なら彼の視線の先には――幅10メトル、高さ5メトルを超える、巨大な漆黒の蜘蛛が真っ直ぐにセロを見据えていたのだから。
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