グリムの精霊魔巧師

幾威空

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Module_012

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「さて、と。後はどうするかな……」

 魂魄製錬の術式が完了し、自分一人だけとなった室内で、セロはポツリと呟いた。
 辺りを見回せば、セロの他には血を吹き出して倒れる数多くの兵士の死体と、ロッソと同じ末路を辿ったかつての仲間たちしかいない。
 まさに地獄絵図と言って差し支え無い光景である。

(あぁ、そう言えば……俺は初めて人を……殺したのか)

 目に映る惨状を前に、セロは事ここに至り初めて自分の成した結果を実感していた。結果自体に後悔の念は無い。というより、後悔などしていたら、今頃床に転がっているのは自分の方だったかもしれないのだから。

 人を斬ったあの生々しい感触――過去の自分ならば、まず間違い無く忌避感を抱いた挙句、気持ち悪さで胃の中のものを吐いたであろう。
 しかし、今の彼は目の前の惨状と向き合っても、不思議と忌避感や嫌悪感といった感覚には襲われなかった。

(コイツらにも、大切な人、家族はいただろう。けど……それは俺だって同じだ。アンタたちは俺の大切な仲間たちに手をかけただけじゃなく、俺すらも殺そうと目論んだ。俺は生きるために戦い……そして勝った。面白おかしく殺し回ったアンタらとは違うんだ)

 重なり合うように倒れる兵士たちの死体を、セロは茫洋とした目で眺めながら心の中に呟いた。

(ただ、仕方ないこととは言え……あまり気分のいいもんじゃ無いな。慣れればこんな面倒なことも考えなくていいんだろうケド……)

 セロはガリガリと血のこびりついた髪を掻きながら大きなため息を吐くと、気持ちを切り替えて別のものへと目を向けた。

「まぁコレはコレとして……問題はあのクソジジイが残していったものか。つーか、コレ……生きているのか?」

 壁に付着した血飛沫がここで行われた惨状を静かに物語る中、セロはデコイズが「蒐集品」と呼んでいた四体の異形の者たちへと視線を移す。
 セロは異形の者たちが収められた容器に近寄り、じっとその姿を見つめる。

 ――強欲なる者デコイズに見初められ、哀れな姿へと変えられた子どもたち。

 セロは彼らの人間だった時の姿を知らない。もちろん、面識も無い。であるならば、セロは目の前の化け物と成り果てた彼らを気にかける必要は無い。

(別に俺がどうこう言う筋合いは無い。このまま彼らを見捨てて立ち去ることも出来る。けど――)

 接点が無いとは言え、曲がりなりにも自分が過ごした施設で哀れな末路を迎えた彼らを、セロは見捨てることは何故か出来なかった。

(家族……か。俺にもそう呼べる人が出来るのかな)

 ふとそんな問いを手中に収まるかつての友カードへ投げかけたセロは、その目を容器に収められた四体の化け物に向ける。

(あの時のロッソの言葉が事実なら、この容器に収められた化け物たちは、いずれも彼に縁のある人たち……なんだよな)

 デコイズが「蒐集品」だと言い放ったこの化け物たちを視界に捉えながら、セロは思わぬ再会を果たした時に見たロッソの表情を思い起こしながら彼が抱いたであろう思いを想像する。

 ――困惑、否定、逃避……そして絶望と悔恨。

(たった一人の友達をあんな化け物にされるだけでも精神的にキツいんだ。ましてや姉や兄、妹と慕っていたのならなおさらだったろうな)

 そんな風に思いを馳せていたセロの目が、相手のわずかな変化を捉えたのはその時だった。

「――っ!?」

 真紅の液体に浸かる化け物たち。その化け物の身体がピクリと震えたのだ。
 ほんの一瞬の出来事。注視していなければ分からなかったであろう変化を、偶然にも捉えたセロは反射的に目の前に並ぶ容器に触れていき、それぞれに「脆弱化」の術式を施していく。
 青白く光る彼の手で触れられた容器は、みるみるうちに大小様々な亀裂が生じ――ついには盛大な破砕音と共に化け物たちが外へ飛び出す。

 その光景は、さながら生まれたばかりの赤ん坊のようにも思える。真紅の液体を床に撒き散らし、再度の自由を手にした化け物たち。ほどなくして活動を再開させた彼らに、セロは静かに語りかけていく。

「もうここには俺しかいない。お前らをこんな異形の姿へと変えた張本人は、お前らを見捨ててさっさと逃げ出した」
「…………」
「もう分かっているだろうが、そんな姿じゃあ今までのような生活は望めない。ここから逃げ出しても、待っているのは人々から忌み嫌われ、いずれ狩り殺される運命だろう」
「…………」
 セロの告げた容赦の無い言葉に、居並ぶ化け物たちの表情に影が差す。彼らの表情を眺めつつ、セロはさらに言葉を続けた。

「そこで俺から提案だ。もし、俺の力になってくれるというのなら、化け物として生きるとは別の、新たな道を歩める。生きたいーーそう強く願うのなら、この提案を受け入れて欲しい」

 告げられたセロの言葉に、相対する化け物たちは互いに顔を見合わせた。彼ら自身もセロの言うことは理解できた。床に広がる血や薬液が、まるで鏡のように彼らの変わり果てた姿を映し出す。

 異形の化け物として姿を変えられ、こんな姿になった張本人たるデコイズが消えた以上、もう元の姿に戻ることは叶わないだろう。

 ――ならば……

「グ……グガァ……」
 居並ぶ化け物の一体が、返答の証として片膝をついたのを皮切りに、その場にいた全ての化け物たちがセロの言葉に従う意思を示す。

「――分かった。これは『契約』だ。俺はお前たちに新たな道を、お前たちは俺に忠誠と力を与えると」

 そして、セロはその場にいた全ての化け物たちに魂魄精錬の術式を施していく。
 結果、先に手にしたロッソの「力」のカードに加え、オリヴィアは「月」に、エイデンは「悪魔」に、エルノディアは「戦車」に、ソフィアは「魔術師」へと生まれ変わり、計五枚のカードが彼の手中に収められた。

 今後セロが手にするこれらのカードは、彼がこの世界を生きる上で特別な存在となる。彼は幾度となく襲い来る危機を、このカードを使い乗り越えていくこととなる。

 ――しかし、この時のセロはまだ自分の身にどのような危機が降りかかるなど知る由もなかったのだが。

◆◇◆

 セロが秘密の実験場で化け物たちを新たな姿へと生まれ変わらせていた頃。
 楽園の周囲を取り囲むように展開していた兵士たちは、辺りを警戒しつつ仲間が中から出て来るのを待っていた。

「なぁ……俺たち、いつまでこうして待ってりゃいいんだ?」
「さぁな。指令も来て無いし、まだかかるんじゃねぇのか? 何せココ……相当広いからなぁ」
「それもそうか。ここはほとんどガキしかいないらしいが、人数が多いからな」
 兵士たちは楽園と外界を隔てる高い壁を前に、そんな会話を展開していた。どこか呑気で不用心だとも思える態度だが、それも仕方がないことだと言える。

 眼前を遮る高い壁により、楽園内の様子を窺い知ることは出来ない。また、楽園の周囲には魔物が棲息していることも確認されていたため、陣頭指揮を執るレカルナ王女を守るためにはどうしても兵を割がなければならなかったのだ。

「オイ、そこ! 無駄口叩くな。周囲の警戒を怠った結果、被害が出たともなれば目も当てられんぞ!」
「ですが隊長~、こんな状況で気ィ張り続けろってのが無理な相談ですよ。楽園の包囲は完了しているし、魔物もこれだけの兵士がいりゃあ恐れるに値しないですしね」
 見張りの兵士のダラけた態度に、隊長の叱責が飛ぶものの、反論した相手の言葉ももっともであったがためにそれ以上の追求は無かった。

 今回の作戦はこのままつつがなく終わるだろう――兵士たちの間にそのような思惑が垣間見られたその時。

「…………何だ?」
「地面が……揺れている?」
 不意に訪れた地震に兵士たちは眉根を寄せ合い、それぞれに当惑の表情を浮かべる。

 そして、我が身を襲った揺れが一瞬鎮まったと同時、楽園内から土埃を撒き散らしてそれらは姿を現した。

「オ、オィ……嘘だろ?」
「な、なぁ……俺たち……夢でも見ているのか?」

 楽園の外に展開していた兵士たちの口から、怯えに満ちた声がそこかしこから上がる。
 身をガタガタと震わせ、恐怖を貼り付かせた彼らは、つい先ほどまで余裕のある態度で不用心な発言をしていた人間と同一人物とはとても思えない。だが、彼らの態度がガラリと変わったのも無理はない。

 何故なら――

「ドラゴン……だと? バカな! そんな生き物がいるなど、事前の情報では無かったはずだ!」

 叱責した隊長が苦しげな表情を浮かべながら吐き出した言葉の通り、彼らの視線の先にはあまりにも巨大なドラゴンが悠然たる姿を見せている。相対するだけで全身が粟立つほどの気迫を感じられるそのドラゴンは、その両翼をはためかせながら兵士たちを上空から睥睨していた。

 そのドラゴンの頭には、雪のように白い髪を持ち、真紅の眼で散開する兵士たちを悠然と見下ろすセロの姿があった。

「あー、やっぱり他にもいたのか。さて、どーすっかなぁ……」

 眼下で恐怖と混乱の坩堝と化した兵士たちのことなど全く意に介せず、ドラゴンの頭から俯瞰的に様子を眺めていたセロは、まるで蜘蛛の子のように散り散りになって右往左往する彼らをぼうっと眺めながら思案にくれる。

 なお、兵士たちの恐怖の対象であるこのドラゴンは、もちろんこの楽園に以前から棲みついていたものではない。この竜はセロの「魂魄製錬」によって生み出されたカード――「力」のアルカナの化身たる「バハムート」である。

 全長30メトルを優に超える高さを誇り、両翼を広げた幅は40を超える巨大な竜。全身が艶のある漆黒の鱗で覆われ、大型の魔物でさえ易々とその骨を噛み砕く牙、鮮血を連想させる二つの眼が特徴的だ。雲一つない晴天が広がるなか、バハムートの威風堂々たる姿は、恐怖よりも畏怖の念を先に抱くだろう。

「うーん。なら、そうだな……」

 セロはこの楽園で仲間たちをいたぶってくれた返礼と言うかの如く、その表情を凶悪な笑みに歪める。次いで右手の親指の先を噛んで出血させると、反対の手で持ったカードを扇状に広げ、そのカードに自らの血を擦るように塗り付ける。

「……折角だ。死なない程度に・・・・・・・遊んでやれ」

 セロは不敵な笑みを浮かべたまま告げると、左手に持っていた銀のカードを頭上に放り投げる。
 陽の光を浴びながら宙に放り投げられたカードは、その全てが「魂魄製錬」によって生み出されたものである。

 創造主たるセロの血が塗り付けられたそのカードは、彼らの主の意を汲むように、一枚、また一枚とその姿を顕現させていく。
 セロが「魂魄製錬」によって生み出したカードは、総計五枚。それぞれのカードには番号とアルカナが記され、またその中央には獣や化け物などといった絵柄が刻まれている。
 なお、その一覧は以下の通りとなっている。

 ――No.1_魔術師The Magician:ウィル・オー・ウィスプ
 ――No.7_戦車The Chariot:グリフォン
 ――No.8_Strength:バハムート
 ――No.15_悪魔The Devil:ベリアル
 ――No.18_The Moon:サキュバス

 既に顕現したバハムートを含め、セロの声に応じた総勢五体のアルカナの化身たち。彼を中心に展開する彼らは、その場にいるだけで見る者を畏怖させるほどの迫力があった。

「さて、俺はさっき散々暴れたことだし……屋上から見物でもするかな」
 身体強化を自身に施したセロは、「くれぐれもやり過ぎるなよ」と忠告を残してひょいっとバハムートの背から飛び去り、近くに建つ建物の屋上へと舞い降りた。

 一方、残された化身たちはその表情を新たな生を受けられた歓喜に染めながら、主人の命を全うすべく、全身全霊でもって兵士たちへ迫る。

「「「うわああああああああああああああああっ!」」」

 楽園施設内に乗り込んだ者を除く、総数四百を超える兵士たちは、迫り来る化け物たちを前に、狂ったように叫び声を張り上げながら我が身可愛さに潰走し始める。

「な、なんだよ……なんなんだよアレ! あんなの……俺たちが敵うわけないだろ!」
「た、助けてくれ! い、命だけは……命だけは……っ!」
「ハハッ……これは夢、いや幻なんだ。そうさ、きっとそうに違いない!」

 セロが嗾しかけた化身たちを前に、不様に喚き散らす者、命乞いをする者、現実から目を逸らす者など、まるで軍隊としての統率を放棄したかのような混乱に包まれる。
 その様子からは「物量で優っている」という自分たちの優位性など皆無に等しい。

「レ、レカルナ王女っ! 一刻も早くこの場から撤退を!」
「し、しかし! あの中に残っている者たちは……!」
「レカルナ様。上空に躍り出たあのドラゴンでさえ、我々の今の軍勢では到底歯が立ちますまい。それこそ、決死の覚悟で挑んでも、私にはあのドラゴンに勝てる光景が想像出来ません。我らに出来るのは、いかにしてこの場から逃げおおせられるかです。中にいる兵たちも気がかりでしょうが、あの者たちは軍人です。自らの死は、とうに覚悟しておるでしょう」

 必死の形相で本陣のテントに駆け込んだ兵士は、口角泡を飛ばしながら速やかな撤退を進言する。告げられた撤退の進言に対し、レカルナが躊躇う素振りを見せたものの、側に控えていたミュルゼ侯爵が首を横に振りつつ、やんわりと撤退の意を促す。

「分かり、ました……それしか道はないのね」
「えぇ、残念ながら……」
「――――全軍に通達っ! 各自、速やかな撤退を命じる! その場の判断で臨機応変に対処しつつ、この戦域から脱しなさい!」

 ミュルゼの言葉に、レカルナは目を閉じて一瞬だけ黙した後、全軍に速やかな撤退を命じる。彼女の命を受け、駆け込んできた兵士は挨拶もそこそこにテントから再び駆け出した。

「さぁ、我々も速やかに……」
「えぇ、そうね」
 ミュルゼ侯爵に促され、レカルナをはじめとした貴族たちは楽園の周囲から撤退し始めた。

「グルオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 その背に勝鬨を上げるヴリトラの咆哮を受けながら。

◆◇◆

「行ったか……」
 屋上から兵士たちの姿が見えなくなったのを確認したセロは、ヴリトラに頼んで回収してもらい、再び大地に足をつけた。

「お前たちもありがとうな。それと、生まれ変わって早々に呼び出す真似してすまないな」
 セロは地に伏せて自分を降ろしてくれたバハムートの身体を撫でながら、他の化身たちを労う。

「――それは違います、我が主」

 労いの言葉をかけたセロに、横合いから声がかけられる。バハムートの光沢を放つ鱗を撫でていたセロが、その手を止めて声のした方を見ると、そこには背中から蝙蝠にも似た一対の羽を伸ばした女性が微笑を湛えているのが見えた。

 彼女はセロの持つカード、「月」に描かれたサキュバスである。腰まで届く紫紺の長髪に銀色の瞳を持つ彼女は、その姿を見れば誰もが目を奪われる容姿である。外見から察すれば、その歳は十代後半から二十代前半といったところだろう。
 そのスレンダーな体格とは不釣り合いとも思える双丘は、世の男たちを虜にできると断言できる。

「違うって……何が?」
 サキュバスの持つ妖艶な姿に、セロは緊張しつつも言葉を紡ぐ。

「我が主は『化け物』と成り果て、あの暗く狭い場所から解き放ただけではなく、我らに力と新たな姿を与えていただきました。そして、慈悲深くも我々に共に歩もうと手を差し伸べていただきました。確かに、主の言う通り、もう二度と以前のような人間としての振る舞いは出来ないでしょう。しかし、再びこの大地に降り立ち、仲間たちと共に新たな道を歩んでいけることに、我が主が謝ることなど無いのです」
 笑顔でそう言い切った彼女は、片膝をついて畏まり、恭しく頭を垂れる。

「――我、月のアルカナの化身、サキュバス。御身の前に、永遠なる忠誠をここに誓います」

 静かに告げた彼女の意見が自分の意見だと主張するように、その場に集まった化身たちが次々と思い思いにセロへの恭順を示す。

(………………マジかよ)

 セロの眼前に並ぶ総計五体のアルカナの化身たち。その全てが自分に頭を垂れて忠誠を誓う光景に、彼はぎこちない笑みを浮かべながら心中に驚きの言葉を呟く。

 転生前、本宮数馬として日本で生活していた時には、せいぜい同僚の仕事を手伝って感謝されたぐらいの経験しかない。
 今回の件も、セロが「不憫だから」という、ある意味で身勝手な理由から彼らに魂魄製錬の術式を用いて助けたに過ぎない。デコイズの実験により化け物とされた彼らに対し、自らの魔法術式では元の姿に戻すことができず、「カード」として生まれ変わらせるということしかできなかった。そのことに、自分では「中途半端」だとすら感じていた。

 もちろん、いくら古の失われた技法たる魔法を行使しても、覆せない結果があるのだろうということはセロ自身も薄々と感じていた。

 しかしながら、実際に「魂魄製錬」の術式により、デコイズの実験の犠牲者たちを新たな存在として生まれ変わらせることしか選択できなかったことに、自分の未熟さや無力さを覚えた。

 加えて、彼らはこの先ずっとセロを主人として仕えなければならないのだ。セロとしては中途半端な救い方しか出来ず、しかも彼らの人生(?)を縛ってしまったことに申し訳なさすら感じていたのだ。

 それが一転してこれほどまでの忠誠を集めるのだから、当人でさえ「どう返せばいいんだ」と当惑するのは仕方がないことだと言えるだろう。

「――して、我が主」
「えっ!? は、はいっ! な、何でしょう……」
 あまりにもガチで一途過ぎる忠誠を向けられて呆けていたセロに、サキュバスと同様に片膝ついていたダンディな渋い男が訊ねる。

 見るからに有能な、「デキる執事」という印象を抱くこの男性は、その身に足首までかかる漆黒のコートを纏う白髪オールバックのイカしたおじ様だ。しかしながら、コートの隙間から覗くその肌は青白く、ややもすれば病人のようにも思える。

「あー………お前は確か……」
 唐突なフリに一瞬その身をビクつかせて返事をしたセロは、声をかけて来た美男子が何のアルカナだったっけ……と思い返す。

(つーか、カードは一枚だけじゃないんだぞ? 一度で全てを把握することなんかできねぇって。さっきの召喚もまとめて呼び出したし)

「ハッ! 我は『悪魔』のアルカナの化身、ベリアルと申します。幾久しく――」
「あー、うん。そうだったな。それで?」

 セロの内なる愚痴にも似た言葉など知る由も無く、ベリアルは頭を下げたまま自らの名を告げる。彼のハリのある声量に気圧されつつも、セロは生返事をして話を促した。

「畏れ多くも、我が主に刃を向けた塵芥共は不様に逃走いたしました。ここにいるのは我らのみとなります。この後はどのように?」
「…………」

 今後の方針をベリアルより問われたセロは、その目を周囲に向ける。彼の言う通り、この場にはもう兵士たちの姿は一人として見受けられず、穏やかな風がセロの頬を撫でていた。

「そう……だな」
 遠くを見つめ、しばらく黙考したセロは、ベリアルの問いに静かに答えた。
「もうここに俺の……いや、俺たちの居場所はない。だから、どこか適当な場所に拠点を移すとしよう」
「ハッ! では早速――」
「……けど」

 ベリアルが深々と頷きながら発した言葉をセロは途中で遮る。
 発言を遮られたベリアルが、ふと頭を上げて主であるセロの顔を仰ぎ見ると、彼は未だ遠くを見つめつつポツリと呟いた。

「ただし、それは……『残された者』としての務めを果たしてからだ」

 そう告げるセロの視線は、大勢の子どもたちが命を落とした宿舎棟に向けられていた。

◆◇◆

「フフッ……フハハハハッ! 私の研究は、既に達成していたのか!」

 セロがアルカナの化身たちを襲撃する兵士たちに差し向けていた時。一人あの実験室から難を逃れたデコイズは、楽園から離れた場所から様子を窺いつつ高笑いを上げていた。あの時セロが発動させた「身体強化」の術式。その一連の流れを視界に捉えていたデコイズは、彼が見せた力が何であったのか、即座に思い至った。

「間違いない。精霊結晶を用いることなく発動させたあの力は……あの白髪の少年が見せた技は、紛れもなくワシが長年追い求めた『魔法』そのものだ! ハハハハハッ!」

 遠くから聞こえてくる兵士たちの阿鼻叫喚を耳にしながら、デコイズは幾分スッキリした表情を浮かべる。

「愚かなるは楽園の研究を蔑ろにし、あまつさえ崇高な実験を『悪魔の所業』などと言い放った彼奴らの方であったか……」
 彼は兵士たちを追い立てる化身たちを遠巻きに眺めつつ、さらに言葉を重ねる。

「どれだけ兵を集めようと、アルカナの化身(あのもの)たちに勝ち目はあらんよ。アレは魔法という古の技法により顕現した存在なのだ。脆弱な人間にはな……」

 デコイズはそう呟きつつ、その視線をヴリトラの頭に立つセロへと向ける。

(げに恐ろしきはあの少年よな。あれほど強大な化け物を、しかも複数従えつつも涼しい顔で見下ろしておるわ……)

 自分がその生涯を捧げた研究の唯一の成功例。その存在に興味を惹かれながらも、デコイズはその場から静かに立ち去る。
「いずれは我が物として、ワシの研究を完成させる礎とさせてもらうぞ……それまでしばし潜るとするかの」

 ――不気味にその口角を吊り上げながら。

◆◇◆

 同時刻、楽園から離れた場所に存在する薄暗い部屋の中では、円柱状の青い液体を満たした容器に入った一人の人間が微笑を浮かべていた。
「ご機嫌ですね、我が主様マイロード
 そばに控えていたメイド姿の女性が、容器の中に浮かぶ人間の表情の変化を捉えて訊ねる。

「あぁ……やっと現れたんだ。この世の理を覆し得る存在をね。あまりに嬉しかったもんだから、ついつい彼の意識に介入しちゃったよ。余計なお世話だったかな?」
「それはそれは……大変喜ばしゅうことですね」
 主人たる人間の呟きに、言葉を返す女性であったが、放たれるその声音は、どこか人間としての温かみが感じられないものであった。

「まぁね。私に作られた自動人形オートマタたる君には、この私の喜びは伝わらないと思うけどね」
「それは当然のことでございましょう。私は貴方様の手により生み出された人形。姿形は人間とほぼ同じなれど、その内には心などあるわけがありませんから。して、我が主様……先ほどの『介入』とは?」
「うん? あぁ……まだ『魔技師マギエンジニア』……今では『魔法使い』って呼ぶんだったっけかな? として目覚めたばかりの彼に、『真理の保管庫』へのアクセス権を与えちゃったんだよね。あはは……」
 あっけらかんと軽い調子で呟かれたその言葉に、じっと見つめる自動人形のメイドは若干冷ややかな声で問いかける。

「簡単におっしゃいますが……確か、『真理の保管庫』へアクセスすること自体、熟達した技量が無ければ出来ない筈ですが。加えて、保管庫バンクに収められた数々の理を閲覧し、その断片的な知識を得るだけでも術者に相当な負荷がかかるものと記憶しておりますが?」
 彼女の指摘に対し、主人たる人物は「あはは……」と乾いた笑い声を上げながら言葉を返す。

「いやはや、まったくもってその通りなんだよねぇ……ついつい調子に乗ってアクセス権限を与えちゃったけど、それをすぐに使うとはこっちも予想外だったよ」
「我が主様……貴方は折角見つけた人材を潰す気なのですか? 下手をしたらただ生命活動を続けるだけの廃人になるところだったのですよ? 今回は奇跡的に耐えられたものの、次からはもっと慎重に事を運ぶべきですね」
「……面目無い」
 自動人形のメイドにやり込められた主人は、シュンと肩を窄めて反省の態度を見せる。

「それで? 今後はどのように?」
 反省の態度を見せた主人に、メイドは気を取り直すように訊ねる。
「しばらくは様子見かな。何せ、彼はここ一,〇〇〇年来の逸材だ。僕の全てを受け継ぐに値するまで、観察を続けるよ。時間はたっぷりあるし、彼にはアクセス権を与えた。保管庫を通じて観察は出来るからね」
「委細承知いたしました。では、私はこれで……」
 質問への回答を得たメイドは、主人に対して黙礼すると、扉の向こうへと去っていった。
「さて、見させてもらおうとするかな。久方ぶりの新人魔技師君。僕はいつでも君を見ているからね……」
 一人残された主人は、そう呟きながら嬉しそうに再び目を閉じるのだった――

◆◇◆

 ――かくして、「魔法使いの人工的創造」という目的から立ち上げられた研究機関である楽園は、その裏にいくつもの思惑を交錯させつつもこの日をもってその長い歴史に幕を下ろした。
 だが、その終わりは決して穏やかなものではなく、楽園の終焉には多くの者の血が流れた。

 結局、機関の長であったデコイズの消息はその日を境に忽然と消え失せ、崩壊の際にヴリトラが現れたその跡地には、長い間人の寄り付かない場所となった。
 なお、兵士たちを恐怖の底へと叩き込んだヴリトラ及びその他の召喚獣たちに関する情報は、「下手に国民を不安に晒すべきではない」との意見により統制されたことから、次第に「眉唾な話」としてその存在を確認しようと試みる動きはなされなかった。

 そして――多くの犠牲者を出したその跡地には、製作者不明の簡素な百を超える墓が整然と並び、穏やかな時を過ごすのであった。
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