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本編
Module_005
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楽園内にある施設の一つ――執務棟。その棟の最奥にはこの楽園を統べる長である「院長」が執務を行う部屋がある。その部屋には重厚な長机とその机と調和させるように備え置かれた低めのテーブルにソファ一式、煌びやかなシャンデリア、壁際にはびっちりと本の収められた書棚があり、訪れた者を出迎える。
長机には黒革の格式高い椅子があり、背後の大きな窓から差し込む朝陽を背に浴びながら、一人の老人が椅子に深く腰掛けていた。白髪の長い髪に同じく長い顎鬚。そして細い銀縁の眼鏡を掛けた老人である。彼の名はカサイス=デコイズという。
この一見物腰の柔らかそうな白髪の老人こそ、ここ楽園の統括者であり、「院長」とも呼ばれる人物だ。彼は、子どもたちが「先生」と呼ぶ大人たち――つまり、楽園の職員たち――から上げられた報告を日々取り纏めていた。
デコイズは持ち込まれた報告書に目を通しては、その日もいつものように「違う……」「これも違う……」「これはアリか?」などと独り言をブツブツ呟きながら書類を左右に振り分けていく。この振り分け作業は一日の初めに行われる彼の儀式にも似た大切な仕事だ。
そして、最後に持ち込まれた職員の報告書を目にしたデコイズは、その内容に手を止め、顎を擦ってしばしの間考えに耽る。
「ふぅむ……この報告書を読む限り、なかなかに『適性』がありそうだな。ならば……この後――ここに呼びなさい」
顎を擦っていた手を机の上に置いたデコイズは、机上の報告書から目を移し、机の前に立つ職員を真っ直ぐに見据えて静かに言葉をかけた。眼鏡の縁がキラリと光らせつつ言葉を発した彼には、どこか老人とは思えない凄みが見える。
「は、はい。この部屋に直接……ですね?」
「そうだ。理由はいつものように」
机を挟んで壮年と相対するのは、三十半ばの青年であった。彼の確認を促す問いに、壮年は一度椅子に深く腰掛け直すと、軽く頷きながら短く返答する。
「……承知いたしました。デコイズ院長」
青年は了承の意を告げると、一度深く頭を下げた後に部屋を出ていった。
カサイス=デコイズ。楽園を統括する彼の普段の姿を知っているならば、その印象は、笑みを絶やさず、常に明るい好々爺という人物像を抱くだろう。現に彼が子どもたちの前に姿を見せると、大勢の子たちが笑いながら彼に駆け寄っては「一緒に遊ぼう」と嬉々として話しかけるほどの人物である。
だが、この時職員に呼び出しを命じた際のデコイズは、そんな普段の姿からは全くかけ離れた、どこか険しい表情を見せていた。
◆◇◆
十五分後。再び院長室に来訪者を告げるノック音が響く。
「入りなさい」
「し、失礼します……」
デコイズの返事に、院長室の扉を開けて入って来たのは、まだ十歳前後の少女であった。
「ここに呼ばれた意味は分かっているかな?」
「は、はい……今朝部屋にやって来た先生から、『治療をするから院長先生のところに行ってきなさい』と……」
デコイズの問いかけに対し、部屋を訪れた少女は服の裾をギュッと握りながら弱った声を上げた。
「院長先生……私、病気なの? もう治らないの……?」
顔を伏せ、ぽろぽろと涙を零し、「ヒック……ヒック……」と時折啜り泣きながら訊ねる少女に、デコイズは少女に歩み寄ると柔和な笑みを見せ、その手で少女の頭を撫でながら優しく答えた。
「君は確かに『治療』が必要だ。それは先生から聞かされた通りだ……だが、もう大丈夫。私がちゃんと治してあげるよ」
「……ほ、本当? 治療を受けたら、またみんなと遊べるようになる?」
零れる涙を袖で拭いながら顔を上げて訊ねる少女に、デコイズは「あぁ……もちろん」と優しく声をかける。
「ほらほら、もう泣くのはおやめ。泣かれたら治せるものも治せないではないか」
「う、うん!」
優し気に話しかけるデコイズに、少女は頷きながらゴシゴシと涙の跡を拭う。
「あぁ……いい子だ。なら、早速始めようか」
すっと少女の傍を離れたデコイズは、部屋の中にある本棚の前に立つ。デコイズのとった不可思議な行動を、少女はただ眺めていた。そんな彼女の視線を背に受けながら、彼は棚からとある書籍を取り出すと、静かにその表紙を開いた。
デコイズの取り出した本にはページが無く、代わりに一つのボタンがあった。そのボタンを押すと、彼の目の前の棚がゆっくりと左に移動していく。やがて移動していた書棚は完全に動きを止め、デコイズの前には一つの扉が現れていた。
「こ、これ……!?」
本棚の裏に隠された扉に驚く少女に、デコイズはゆっくりとその扉を開けて告げた。
「他の子にも病気がもしうつってしまったら大変だろう? だから、別の場所で具合が良くなるまで過ごしてもらうのだよ」
「そ、そうなんだ……」
この少女も楽園に来てからそれなりの年月が経過している。だが、彼女は今までこのような場所があること自体初めて知った。きっと他の子たちも似たような思いだったのかな、などと思いを馳せつつ、奥へと続く扉を見つめる。
「なに、元気になったらまたみんなと遊べるさ。それまで少しの我慢だよ」
「わ、わかった……」
少女の頭を撫で、諭すように告げたデコイズは開け放った扉の奥へと進んでいく。訪れた少女も彼に倣うようにその背中を追いかけた。
院長室の本棚の裏に隠された扉。その奥へと進んだ少女は、やがて奇妙なベッドを目にした。
「院長先生……こ、これは?」
少女が指さす方には、重厚そうな革仕様の漆黒のベッドがある。だが、そのベッドは少女が部屋で目にする普通のベッドではなく、まるで人の形を模すように、胴体にも似た長方形の寝台から五つの枝が伸びていた。
「あぁ、これは治す際に使用する専用のベッドだよ。時折嫌がって暴れ出す子も中にはいるからの。暴れられたら治すことは出来ん。ちと窮屈ではあるが、念のためここに来る子たちにはそのベッドに寝てもらい、両手と両足を固定させてもらうんじゃ。すまんの」
「ううん。大丈夫。痛いのは嫌だけど、早く良くなるためなら我慢できるよ!」
少女は軽く謝るデコイズの言葉に、首を横に振って答えた。
特製のベッドに横になった少女に、デコイズは彼女の四肢と頭をベルトで固定する。慣れた手つきで固定作業を終えたデコイズは、横になる少女に何の気なしに問いかけた。
「さて……君はどうしてこの楽園ができたのだと思う?」
「えっ……? どうしてって……それは私のような身寄りのない子を引き取るためじゃないの?」
問いかけに対し、少女はやや面食らいつつも、さも当然だと言わんばかりにそう答える。
「なるほど……では、質問を変えよう。君は『魔法』という言葉を知っているかね?」
「ま、まほう……? なぁに、それ?」
突然の質問に、少女は戸惑いつつも素直に答える。
「さすがにこの歳ではまだ知らんのも当然か……」
ぽつりぽつりとデコイズの口から呟かれた質問。その呟かれた言葉は、これまで少女が感じたことのない冷たさが宿っていた。普段の態度とはまるで異なるデコイズに、少女の心の内には言い様のない不安が募っていく。
「ね、ねぇ……一体どうしたの、院長先生」
不安を抱きつつも、そう口にした少女に対し、デコイズはクスクスと嗤いながら答える。
「魔法とは、今ではとうに失われた技法のことだ。それを扱える人間のことを『魔法使い』などと呼ぶのだよ」
「そ、そう……なんだ。知らなかった……」
普段子どもたちの前で見せる笑みとは一線を画す冷たい笑みを見せながら紡ぐデコイズの答えを聞いた少女は、言外から感じる彼の不気味な空気にわずかに身を震わせつつも、やっとの思いで言葉を絞り出す。
「失われた技法であるとされる『魔法』。それを扱うことの出来る魔法使いを……もしも人の手で造り出せるとしたら……それはとても素晴らしいことだとは思えないかね?」
デコイズは告げると同時に指を鳴らして部屋の明かりをつける。すると、部屋の壁際には柱のような円柱が四本ほど並んでいた。
「あっ……あっ……」
その円柱を目にした少女は、血の気の引いた表情で言葉にならない声を発する。その顔に浮かぶものは、怒りでも悲しみでもない――ただただ純粋な恐怖であった。
彼女の抱いた恐怖は当然の反応だろう。
何故ならば――
壁際に並ぶ円柱、その中には魔物と融合した少年少女が紅い水の中に静かに収められていたのだから。
「あぁ、そうだ。言い忘れていたが、ココは私の……いや、楽園の研究を進める秘密の実験場なのだよ。この楽園では日夜『魔法使いの人工的創造』という壮大で意義深い研究が進められている。君はその研究成果を得られる機会を得た――いわば『選ばれし者』だ」
「あっ……いやっ…………」
デコイズが少女に携えていた報告書を見せながら口角を上げて語りかける。少女がデコイズから見せられた報告書には、彼女の身体データのみならず、この楽園に入所してからの行動や口にした食べ物、平均睡眠時間などが事細かに記されていた。
デコイズの持つ、この報告書こそ、実験に際して必要となる基礎データである。これをもとに、これまでの実験データから最適と思われる人材――いや、人柱を選ぶのだ。
デコイズにとって、目の前の少女のように実験に選ばれた子どもは、正に魔法使いとなり得る可能性を秘めた「選ばれし者」であろう。
だが、これまでの実験結果は――その全てが「失敗」に終わっているのだが。
「さて、準備も整ったようであるし、早速取り掛かるとするうかのぅ。はてさて……君は実験の結果、失敗となって処分されるか、もしくはあの者たちのように、ワシの稀少なコレクションの一つとなって末永く愛でられる末路を辿るのか。はたまた……初めての成功例となるのかのう……」
デコイズは狂気に満ちた禍々しい笑みを浮かべながら呟く。だが、彼の顔に浮かぶその表情は、人が人たり得る最後の理性――生命に対する倫理観が欠落した、歪んだ笑みだ。
「いっ、嫌っ! お、お願いっ! 放して! ここから出して!」
これから何が行われるのか、それを直感的に悟った少女は、身を捩ってこの場から逃げ出そうと試みる。彼女の必死の抵抗に、四肢を拘束するベルトが皮膚にギリギリと食い込む。力任せに何度も引き千切ろうとしたことにより、縛られた彼女の両手首や両足首は真っ赤に腫れ上がり、血が滲み出ている。だが、不思議と痛みは感じない。それよりも、デコイズの狂気に満ちた笑みにより増幅された恐怖が彼女の精神を支配していた。
幾度となくこの場から逃げ出そうと身を捩る少女。しかし、無情にもデコイズの言葉が突き刺さった。
「……無駄な抵抗だ。この場に来た時点でお前の逃げ道はない。大人しくすることだ。さぁ始めようか……」
「嫌あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああ!」
少女の血を吐くような悲鳴が辺りに響き渡る中、デコイズは淡々と自らの作業に移っていった。
◆◇◆
「お疲れ様でした。それで、結果は……?」
陽が沈み、茜色の空に夜の闇が姿を見せ始めた頃。
作業を終え、再び院長室に戻ったデコイズを職員の一人が迎えていた。
デコイズを出迎えたのは、今回の「治療対象者」を担当していた青年であった。出迎えた彼に、デコイズは椅子に深く腰掛けるとため息交じりに言葉を返した。
「……駄目だな。君からの報告書から今回は成功するかと思っていたのだが……結局失敗に終わってしもうたよ。心身ともに壊れてしまったからのぅ……最終的には処分するほかなかったのが残念ではあるな」
「左様でしたか……」
デコイズの言葉に、唇を軽く噛みながら口惜しげに青年は呟く。
「理論的には可能なはずなのだ……だが、何故だ! 何故成果が出ない……!」
デコイズは不意に声を荒らげ、右拳を力任せに机の上に叩き付けた。ドンッと強く叩きつけた衝撃により、彼のもとに寄せられた報告書の何枚かが床の上に落ちた。
「君も知っているだろう? この楽園の目的を……」
デコイズは不意に心の内に湧いた怒りを鎮めるかのように、傍らにある職員に話しかける。
「え、えぇ……『魔法使いの人工的創造手法の確立』――ですね」
デコイズの気迫に怯んだ青年職員は、言葉を詰まらせつつも問いかけに答える。デコイズはその返答に軽く頷きながら、さらに話を進めた。
「その目的を達成すべく集められた子どもたちを日々観察し、適性があると見込まれる人物を報告書としてまとめるのが君らの主要な任務だ。だが……これまで幾度となく実験を繰り返しても、未だ成功例は存在しない」
彼はその落ちた書類を拾おうともせず、軽く息を吐くと徐に椅子から腰を浮かせた。
「いかんいかん……苛立っていては壮大な研究もおぼつかん。これは気分転換が必要だな」
そして部屋の入り口に向かって左に備えられた書棚に歩み寄る。
「どちらへ?」
「ちと気晴らしに『蒐集品』でも眺めておるよ。それを眺めつつ酒でも呷って思索に耽ることとしよう。何か妙案が浮かぶかもしれんしな」
デコイズはそう呟きながら嬉しそうな表情を見せる。だが、その笑みはいつもの優し気なものではなく、どこか狂気じみた不気味さが宿っている。
彼の言うコレクションとは、すなわち先ほどの実験で少女が目にした異形の姿に変えられた子どもたちを指す。円柱の入れ物に液体を満たしたものの中でそのおぞましい姿を晒していた者たちは、デコイズの実験により生み出された、いわば失敗作である。
だが、デコイズはその失敗作たる異形の子どもたちを、自身の稀少なコレクションとして研究室に置いたのだ。
――たとえ失敗作であったとしても、それは偉大な研究の礎となった敬愛すべき者たちなのだと言うように。
「承知いたしました。では、私はまた業務に戻ります」
「うむ。宜しく頼む」
デコイズの頷きを見た青年は、軽く頭を下げた後に静かに部屋を退出した。
「キヒヒッ……! さぁて……今宵はどれを見ながら酒を飲もうかのぅ……」
職員が去り、一人部屋に残されたデコイズは、口の端を大きく吊り上げながらぽつりとそんな言葉を呟くのだった。
長机には黒革の格式高い椅子があり、背後の大きな窓から差し込む朝陽を背に浴びながら、一人の老人が椅子に深く腰掛けていた。白髪の長い髪に同じく長い顎鬚。そして細い銀縁の眼鏡を掛けた老人である。彼の名はカサイス=デコイズという。
この一見物腰の柔らかそうな白髪の老人こそ、ここ楽園の統括者であり、「院長」とも呼ばれる人物だ。彼は、子どもたちが「先生」と呼ぶ大人たち――つまり、楽園の職員たち――から上げられた報告を日々取り纏めていた。
デコイズは持ち込まれた報告書に目を通しては、その日もいつものように「違う……」「これも違う……」「これはアリか?」などと独り言をブツブツ呟きながら書類を左右に振り分けていく。この振り分け作業は一日の初めに行われる彼の儀式にも似た大切な仕事だ。
そして、最後に持ち込まれた職員の報告書を目にしたデコイズは、その内容に手を止め、顎を擦ってしばしの間考えに耽る。
「ふぅむ……この報告書を読む限り、なかなかに『適性』がありそうだな。ならば……この後――ここに呼びなさい」
顎を擦っていた手を机の上に置いたデコイズは、机上の報告書から目を移し、机の前に立つ職員を真っ直ぐに見据えて静かに言葉をかけた。眼鏡の縁がキラリと光らせつつ言葉を発した彼には、どこか老人とは思えない凄みが見える。
「は、はい。この部屋に直接……ですね?」
「そうだ。理由はいつものように」
机を挟んで壮年と相対するのは、三十半ばの青年であった。彼の確認を促す問いに、壮年は一度椅子に深く腰掛け直すと、軽く頷きながら短く返答する。
「……承知いたしました。デコイズ院長」
青年は了承の意を告げると、一度深く頭を下げた後に部屋を出ていった。
カサイス=デコイズ。楽園を統括する彼の普段の姿を知っているならば、その印象は、笑みを絶やさず、常に明るい好々爺という人物像を抱くだろう。現に彼が子どもたちの前に姿を見せると、大勢の子たちが笑いながら彼に駆け寄っては「一緒に遊ぼう」と嬉々として話しかけるほどの人物である。
だが、この時職員に呼び出しを命じた際のデコイズは、そんな普段の姿からは全くかけ離れた、どこか険しい表情を見せていた。
◆◇◆
十五分後。再び院長室に来訪者を告げるノック音が響く。
「入りなさい」
「し、失礼します……」
デコイズの返事に、院長室の扉を開けて入って来たのは、まだ十歳前後の少女であった。
「ここに呼ばれた意味は分かっているかな?」
「は、はい……今朝部屋にやって来た先生から、『治療をするから院長先生のところに行ってきなさい』と……」
デコイズの問いかけに対し、部屋を訪れた少女は服の裾をギュッと握りながら弱った声を上げた。
「院長先生……私、病気なの? もう治らないの……?」
顔を伏せ、ぽろぽろと涙を零し、「ヒック……ヒック……」と時折啜り泣きながら訊ねる少女に、デコイズは少女に歩み寄ると柔和な笑みを見せ、その手で少女の頭を撫でながら優しく答えた。
「君は確かに『治療』が必要だ。それは先生から聞かされた通りだ……だが、もう大丈夫。私がちゃんと治してあげるよ」
「……ほ、本当? 治療を受けたら、またみんなと遊べるようになる?」
零れる涙を袖で拭いながら顔を上げて訊ねる少女に、デコイズは「あぁ……もちろん」と優しく声をかける。
「ほらほら、もう泣くのはおやめ。泣かれたら治せるものも治せないではないか」
「う、うん!」
優し気に話しかけるデコイズに、少女は頷きながらゴシゴシと涙の跡を拭う。
「あぁ……いい子だ。なら、早速始めようか」
すっと少女の傍を離れたデコイズは、部屋の中にある本棚の前に立つ。デコイズのとった不可思議な行動を、少女はただ眺めていた。そんな彼女の視線を背に受けながら、彼は棚からとある書籍を取り出すと、静かにその表紙を開いた。
デコイズの取り出した本にはページが無く、代わりに一つのボタンがあった。そのボタンを押すと、彼の目の前の棚がゆっくりと左に移動していく。やがて移動していた書棚は完全に動きを止め、デコイズの前には一つの扉が現れていた。
「こ、これ……!?」
本棚の裏に隠された扉に驚く少女に、デコイズはゆっくりとその扉を開けて告げた。
「他の子にも病気がもしうつってしまったら大変だろう? だから、別の場所で具合が良くなるまで過ごしてもらうのだよ」
「そ、そうなんだ……」
この少女も楽園に来てからそれなりの年月が経過している。だが、彼女は今までこのような場所があること自体初めて知った。きっと他の子たちも似たような思いだったのかな、などと思いを馳せつつ、奥へと続く扉を見つめる。
「なに、元気になったらまたみんなと遊べるさ。それまで少しの我慢だよ」
「わ、わかった……」
少女の頭を撫で、諭すように告げたデコイズは開け放った扉の奥へと進んでいく。訪れた少女も彼に倣うようにその背中を追いかけた。
院長室の本棚の裏に隠された扉。その奥へと進んだ少女は、やがて奇妙なベッドを目にした。
「院長先生……こ、これは?」
少女が指さす方には、重厚そうな革仕様の漆黒のベッドがある。だが、そのベッドは少女が部屋で目にする普通のベッドではなく、まるで人の形を模すように、胴体にも似た長方形の寝台から五つの枝が伸びていた。
「あぁ、これは治す際に使用する専用のベッドだよ。時折嫌がって暴れ出す子も中にはいるからの。暴れられたら治すことは出来ん。ちと窮屈ではあるが、念のためここに来る子たちにはそのベッドに寝てもらい、両手と両足を固定させてもらうんじゃ。すまんの」
「ううん。大丈夫。痛いのは嫌だけど、早く良くなるためなら我慢できるよ!」
少女は軽く謝るデコイズの言葉に、首を横に振って答えた。
特製のベッドに横になった少女に、デコイズは彼女の四肢と頭をベルトで固定する。慣れた手つきで固定作業を終えたデコイズは、横になる少女に何の気なしに問いかけた。
「さて……君はどうしてこの楽園ができたのだと思う?」
「えっ……? どうしてって……それは私のような身寄りのない子を引き取るためじゃないの?」
問いかけに対し、少女はやや面食らいつつも、さも当然だと言わんばかりにそう答える。
「なるほど……では、質問を変えよう。君は『魔法』という言葉を知っているかね?」
「ま、まほう……? なぁに、それ?」
突然の質問に、少女は戸惑いつつも素直に答える。
「さすがにこの歳ではまだ知らんのも当然か……」
ぽつりぽつりとデコイズの口から呟かれた質問。その呟かれた言葉は、これまで少女が感じたことのない冷たさが宿っていた。普段の態度とはまるで異なるデコイズに、少女の心の内には言い様のない不安が募っていく。
「ね、ねぇ……一体どうしたの、院長先生」
不安を抱きつつも、そう口にした少女に対し、デコイズはクスクスと嗤いながら答える。
「魔法とは、今ではとうに失われた技法のことだ。それを扱える人間のことを『魔法使い』などと呼ぶのだよ」
「そ、そう……なんだ。知らなかった……」
普段子どもたちの前で見せる笑みとは一線を画す冷たい笑みを見せながら紡ぐデコイズの答えを聞いた少女は、言外から感じる彼の不気味な空気にわずかに身を震わせつつも、やっとの思いで言葉を絞り出す。
「失われた技法であるとされる『魔法』。それを扱うことの出来る魔法使いを……もしも人の手で造り出せるとしたら……それはとても素晴らしいことだとは思えないかね?」
デコイズは告げると同時に指を鳴らして部屋の明かりをつける。すると、部屋の壁際には柱のような円柱が四本ほど並んでいた。
「あっ……あっ……」
その円柱を目にした少女は、血の気の引いた表情で言葉にならない声を発する。その顔に浮かぶものは、怒りでも悲しみでもない――ただただ純粋な恐怖であった。
彼女の抱いた恐怖は当然の反応だろう。
何故ならば――
壁際に並ぶ円柱、その中には魔物と融合した少年少女が紅い水の中に静かに収められていたのだから。
「あぁ、そうだ。言い忘れていたが、ココは私の……いや、楽園の研究を進める秘密の実験場なのだよ。この楽園では日夜『魔法使いの人工的創造』という壮大で意義深い研究が進められている。君はその研究成果を得られる機会を得た――いわば『選ばれし者』だ」
「あっ……いやっ…………」
デコイズが少女に携えていた報告書を見せながら口角を上げて語りかける。少女がデコイズから見せられた報告書には、彼女の身体データのみならず、この楽園に入所してからの行動や口にした食べ物、平均睡眠時間などが事細かに記されていた。
デコイズの持つ、この報告書こそ、実験に際して必要となる基礎データである。これをもとに、これまでの実験データから最適と思われる人材――いや、人柱を選ぶのだ。
デコイズにとって、目の前の少女のように実験に選ばれた子どもは、正に魔法使いとなり得る可能性を秘めた「選ばれし者」であろう。
だが、これまでの実験結果は――その全てが「失敗」に終わっているのだが。
「さて、準備も整ったようであるし、早速取り掛かるとするうかのぅ。はてさて……君は実験の結果、失敗となって処分されるか、もしくはあの者たちのように、ワシの稀少なコレクションの一つとなって末永く愛でられる末路を辿るのか。はたまた……初めての成功例となるのかのう……」
デコイズは狂気に満ちた禍々しい笑みを浮かべながら呟く。だが、彼の顔に浮かぶその表情は、人が人たり得る最後の理性――生命に対する倫理観が欠落した、歪んだ笑みだ。
「いっ、嫌っ! お、お願いっ! 放して! ここから出して!」
これから何が行われるのか、それを直感的に悟った少女は、身を捩ってこの場から逃げ出そうと試みる。彼女の必死の抵抗に、四肢を拘束するベルトが皮膚にギリギリと食い込む。力任せに何度も引き千切ろうとしたことにより、縛られた彼女の両手首や両足首は真っ赤に腫れ上がり、血が滲み出ている。だが、不思議と痛みは感じない。それよりも、デコイズの狂気に満ちた笑みにより増幅された恐怖が彼女の精神を支配していた。
幾度となくこの場から逃げ出そうと身を捩る少女。しかし、無情にもデコイズの言葉が突き刺さった。
「……無駄な抵抗だ。この場に来た時点でお前の逃げ道はない。大人しくすることだ。さぁ始めようか……」
「嫌あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああ!」
少女の血を吐くような悲鳴が辺りに響き渡る中、デコイズは淡々と自らの作業に移っていった。
◆◇◆
「お疲れ様でした。それで、結果は……?」
陽が沈み、茜色の空に夜の闇が姿を見せ始めた頃。
作業を終え、再び院長室に戻ったデコイズを職員の一人が迎えていた。
デコイズを出迎えたのは、今回の「治療対象者」を担当していた青年であった。出迎えた彼に、デコイズは椅子に深く腰掛けるとため息交じりに言葉を返した。
「……駄目だな。君からの報告書から今回は成功するかと思っていたのだが……結局失敗に終わってしもうたよ。心身ともに壊れてしまったからのぅ……最終的には処分するほかなかったのが残念ではあるな」
「左様でしたか……」
デコイズの言葉に、唇を軽く噛みながら口惜しげに青年は呟く。
「理論的には可能なはずなのだ……だが、何故だ! 何故成果が出ない……!」
デコイズは不意に声を荒らげ、右拳を力任せに机の上に叩き付けた。ドンッと強く叩きつけた衝撃により、彼のもとに寄せられた報告書の何枚かが床の上に落ちた。
「君も知っているだろう? この楽園の目的を……」
デコイズは不意に心の内に湧いた怒りを鎮めるかのように、傍らにある職員に話しかける。
「え、えぇ……『魔法使いの人工的創造手法の確立』――ですね」
デコイズの気迫に怯んだ青年職員は、言葉を詰まらせつつも問いかけに答える。デコイズはその返答に軽く頷きながら、さらに話を進めた。
「その目的を達成すべく集められた子どもたちを日々観察し、適性があると見込まれる人物を報告書としてまとめるのが君らの主要な任務だ。だが……これまで幾度となく実験を繰り返しても、未だ成功例は存在しない」
彼はその落ちた書類を拾おうともせず、軽く息を吐くと徐に椅子から腰を浮かせた。
「いかんいかん……苛立っていては壮大な研究もおぼつかん。これは気分転換が必要だな」
そして部屋の入り口に向かって左に備えられた書棚に歩み寄る。
「どちらへ?」
「ちと気晴らしに『蒐集品』でも眺めておるよ。それを眺めつつ酒でも呷って思索に耽ることとしよう。何か妙案が浮かぶかもしれんしな」
デコイズはそう呟きながら嬉しそうな表情を見せる。だが、その笑みはいつもの優し気なものではなく、どこか狂気じみた不気味さが宿っている。
彼の言うコレクションとは、すなわち先ほどの実験で少女が目にした異形の姿に変えられた子どもたちを指す。円柱の入れ物に液体を満たしたものの中でそのおぞましい姿を晒していた者たちは、デコイズの実験により生み出された、いわば失敗作である。
だが、デコイズはその失敗作たる異形の子どもたちを、自身の稀少なコレクションとして研究室に置いたのだ。
――たとえ失敗作であったとしても、それは偉大な研究の礎となった敬愛すべき者たちなのだと言うように。
「承知いたしました。では、私はまた業務に戻ります」
「うむ。宜しく頼む」
デコイズの頷きを見た青年は、軽く頭を下げた後に静かに部屋を退出した。
「キヒヒッ……! さぁて……今宵はどれを見ながら酒を飲もうかのぅ……」
職員が去り、一人部屋に残されたデコイズは、口の端を大きく吊り上げながらぽつりとそんな言葉を呟くのだった。
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