グリムの精霊魔巧師

幾威空

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本編

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「それにしても……よくもまぁ続けられるよな」
 セロがこの「楽園」にて目を覚ましてから、かれこれ一カ月ほどの時間が流れたある日、いつものように朝食を摂っていたセロに、ロッソは呆れた調子で話しかけた。

「うん? 何だよ、突然」
「いや? ただ凄ぇなって思っただけさ。俺がアドバイスしたすぐ後だろ? お前が蔵書室に入り浸るようになったのは」
「あー、そうだったっけか?」

 ロッソの言葉に、セロはパンを口に放り込みながら曖昧に答える。だが、話しかけたロッソの言う通り、彼のアドバイスを聞いたセロは、ほぼ毎日のように蔵書室に入り浸り、納められている「魔法」や「精霊機巧学」に関する書籍を読み漁っていた。そんな日々を過ごしていたためか、彼はここ最近ではロッソたちより「本の虫」などと呼ばれている。

「俺も何度かあそこには行ったことあるけどさ、読むのは大抵絵本ばっかりで、読み聞かせるのがメインだったからな」
「読み聞かせ?」
「まぁな。お前が来るちょっと前かな? 俺たちの宿舎にソフィアっていう小さい女の子がいたんだよ。その子がしきりに蔵書室へ俺を誘っては、『あれ読んで』とか『これ読んで』とか言うもんだからさ」
「へぇ……意外だな。お前はどっちかと言えば、身体を動かす方が好きなんだと思ったけど」
 目を丸くさせて小さく驚くセロに、ロッソは頬を掻きながら話を続ける。

「そりゃあ俺も本を読むより外で身体を動かす方が性に合ってるさ。ただな……ソフィアはここに居る子どもの中では病弱な方だったんだよ。実際に、何度か治療を受けては戻って……を繰り返していたからな。今もまだ治療中のはずだ」
「……心配か?」
 コップに入った水を飲み込んだセロは、ロッソの顔色を窺いながら気遣う言葉をかける。

「そうだな。心配していない、と言えば嘘になるけど……まぁ、気がかりではあるな。妹みたいなもんだし。そう言えば……最後に治療のために連れていかれてからどれくらい時間が経つかな? 俺とは違って蔵書室にある本を自分でも読み出すほどに本好きだから、戻ってきたらまた読み聞かせをねだられそうだけど」
「ははっ。そうしたら、今度は俺もそれに付き合ってやるよ」
「期待してるよ。お前なら、ソフィアと話が合いそうだしな」
 わずかに声音から明るさを取り戻したロッソに、セロは「また後でな」と告げて、この日も蔵書室に向かうのだった。

 文字が問題なく読めることが分かってから、セロはそれこそ貪るように次々と書籍を読破していった。

 まるで乾いたスポンジが水を吸い込むように、それこそ陽が暮れるまで書籍に目を通すことにより、精霊構文及び魔法術式の知識を頭に叩き込んだ。そのかいあってか、今では転生する前――本宮数馬として生きていたプログラマーとしての知識をも組み込み、独自に発展・応用した「精霊構文」を書き上げられるレベルにまで至っている。

(ふぅむ……魔法術式と精霊機巧学には驚かされたけど、そのほかの一般常識は、どうやら地球での知識がある程度は通用するみたいだな。ただ、やっぱり異世界だからか、そのまま全部当て嵌まるってワケじゃないみたいだけど……)

 パタンと手にしていた本を閉じたセロは、心の中にふとそんな感想を呟いた。書籍を通じて身につけた知識によれば、彼が転生を果たしたのは「シュタイナー大陸」という、やはり地球では聞いたことも無い場所であった。意図せず自分の身に起きた「転生」という事象。当初は半信半疑であったものの、こうして自分の目や書籍を通じて理解して初めて「あぁ、これは現実なんだ」と実感することができた。

 さて、セロが転生を果たしたこの異世界は、シュタイナー大陸と呼ばれる巨大な一つの陸に周囲を海に囲まれている世界であった。この大陸には、現在五つの国家と一つの自治都市があり、セロがいる「楽園」はその国家の一つである「ブレルデン公国」という国に属している。

 またこの世界では一カ月がきっかり三十日(一週間は六日)で区切られ、一年は十二カ月、三百六十日で年が改まる。こうした点は地球での一般常識とは異なるものの、数量や距離、時間といったものは一致していることが確認できた。

 ちなみに、数量は「ラム」という単位で表され、「ミラム」・「ラム」・「キラム」・「トラム」と1,000を基準に単位が推移する。これは地球での「グラム」と同じ基準だ。

 また、長さを示す単位については「トル」という単位が用いられており、「ミトル」・「セトル」・「メトル」・「キトル」と単位が移る。単位の切り替えに必要な長さは地球と同じであった。時間やその他の単位については地球と同じ単位で推移することが分かった。

 なお、通貨は「リドル」と呼ばれ、1、10、100、1,000、10,000の単位でそれぞれ石貨、鉄貨、銅貨、銀貨、金貨と硬貨の材質が異なる制度となっている。

「ここには俺以外誰も来ないようだし、気楽でいいな。一人で思索に没頭できるから」
 呟いてすぐに「決して『ぼっち』ではないから」と心の中にある種の強がりを呟きつつ、セロは気持ちを入れ替えて目の前の作業に取り掛かる。

「さて、と。ここにある書籍も粗方読み終えたし、そろそろ次に行ってみるか」
 関連書籍の最後の一冊を読み終えたセロは、その本を元の場所に戻すと壁に向かって立った。

 これからセロが試すのは、「失われた技法」と呼ばれて久しい「魔法」の復活であった。ここにある魔法に関連する書籍を通して基礎知識を頭に叩き込んだ彼は、その内容を脳裏に思い浮かべつつ深く息を吐いた。

「それじゃ……『実験』開始だ」

 ポツリと呟きつつ、セロはその右手を壁に当てる。そして両眼を閉じて意識を集中させた彼は、暗闇となった中で脳裏に「術式」を組み上げていく。

(魔法関連の書籍から、どうやら術式を動かすエネルギーは術者の「精神力」にあると推測できた。また、無意識下にあった魔法演算領域の認識とその領域に対するアクセスもこの一カ月地道に訓練した結果、今では自在にできるようになった。あとは……術式構築と発動試験だけだ)

 セロはこの一カ月を振り返りながら、精神をより集中させていく。必要な知識を詰め込み、その知識から自分なりの仮説を立て、実証したこの時間は転生した彼にとってはとても有意義な時間であった。

 それはまるで初めてプログラミング言語を学んだ時のような、新しい知識を習得するにも似た新鮮で心躍る時間であった。
 ……その集大成がいよいよ一つの形、事象となって顕現する。

 ――「変数定義ディメンション」及び「初期値イニシャライズ」のセット……完了
 ――対象の把握及び効果範囲の指定……完了
 ――条件分岐、反復処理の構築……完了
 ――エラー処理の構築……完了

 試行錯誤の果てに自在にアクセスできるようになった「魔法演算領域」。それは言うなれば外部機器に頼ることなくプログラムを組み上げられるエディターである。

 この魔法演算領域は、この世界の住人であるならば、(領域の大小を問わなければ)誰もが有する特殊な器官である。しかしながら、この器官は過去に魔法が栄えていた頃の名残りとされており、魔法が「失われた技法」とまで呼ばれる今では使うことのないものである。

 セロはその使われていない魔法演算領域を地道な訓練の果てに拡張し、自在に操るまでに至っていた。そして自分の中に眠るエディターという武器を手に入れたセロは、前世での知識も相まって流れるように作業を終える。

 コードが濁流の如く演算領域上を流れ、一分と経たずして組み上げた術式。

 そこに問題が無いことを最終確認したのち、彼は小さく息を吐いて静かに告げた。

「術式名称――『脆弱化フラジリティ』……発動」

 セロの言葉を合図に、脳裏に組み上げた術式――「魔法」が発動する。すると、自分の中で何かがごっそりと減る、虚脱感にも似た感覚がセロを襲った。また同時に壁面に当てていた右手がほんのりと青白い光を帯び、やがて数秒の後に消える。

「……ふぅむ。発動自体は問題なさそうだな。若干疲れているように感じるのは発動に伴って魔力が消費されたから……か? いや、今は後回しにしよう。問題はこの術式が想定通りの効果を発揮しているかどうかだけど……」

 ブツブツと独り言を呟きつつ、セロは壁面に当てていた手にぐっとわずかに力を込め、壁を押すように力を加える。すると――

 ――ピシッ!

 そんな音を響かせながら、手を押し当てていた壁面に放射状の亀裂が生じた。手を退けると、そこにはセロの手のひらと同じ大きさの窪みが生じ、蜘蛛の巣状に・・・・・・大小様々な亀裂が走っていた。

「よしっ! 実験は成功だ! しっかしまぁ……我ながら凄いな。まだ実験とは言え、壁にこんな窪みができるだなんて……」

 自分の行った結果をしげしげと観察したセロは、目を見開きながらどこか嬉しそうな声を上げた。今回組み上げた術式は、認識した対象の構造や構成を掌握し、その物質的な繋がりを弱めるものだ。この術式を用いれば、「壁に大穴を空ける」というセロほどの子どもならば到底実現不可能な事象も達成できてしまう。

「あ~、うん……。実験が成功したとは言え、このままじゃあさすがに不味いか」
 ふと現実に戻ったセロは、ぽっかりと凹む壁を見ながらどうしようかと思案する。
「このまま放置しておくと、後でどんなこと言われるか分からないしな……仕方がない。もう一度術式を組んで復元させておくか」

 面倒だと言わんばかりにカリカリと頭を掻いたセロは、先ほどと同様両眼を閉じて演算領域にアクセスすると、今度は先ほどの脆弱化の術式をベースに、「復元レストレーション」の術式を組み上げて発動する。すると、今度はまるで動画を逆再生するかのように、壁面に刻まれた亀裂が徐々に消え、手の形に窪んでいた箇所も元の平面に戻っていく。

「うっ……たった二回の発動なのに、どっと疲れた」
 予想以上な精神的疲労を覚えたセロは、その日いつもより随分と早く自室に戻るのだった。

◆◇◆

 初めて魔法を発動できた日以降、セロはいつものように蔵書室に入り浸っては一人研鑽を続けていた。

「やっぱり初めて見た時に直感したことは間違ってなかった……この『魔法』を発動させる術式は、言ってみれば古いプログラミング言語に近い。精神力……いや、魔力を動力源にするのはファンタジー小説で御馴染みのものだったけど、これにはきちんとした論理法則が貫かれている。フワッとしたイメージだけで発動できないのは融通が利かない反面、魔法術式という『ソースコード』さえしっかりしていれば、あとはその命令に従って効果を発揮できる……」

 その後も何度か「脆弱化」と「復元」の魔法を繰り返し発動し、術式構成や発動速度などを観察したセロは納得顔で自身の立てた仮説に確信を深めていった。実験と検証の結果、術式の効果範囲を拡大すれば、わずかに発動速度が遅くなり、逆に範囲を絞れば発動にかかる時間も若干ではあるが短くなった。

 また、発動時間が長くなるにつれ、その直後に身体を襲う疲れや倦怠感も増加した。これらを総合すれば、魔法の効果範囲と発動速度、そしてその発動にかかる魔力の消費量コストには正の相関があることが分かる。

「けど、発動する際にいちいちゼロから術式を組み上げるのは面倒だな。機械の中にデータとして残るプログラムとは違って、全部頭の中でしなきゃならないからなぁ……自分の頭の中だけで完結できるから便利と言えば便利だけど、急いでるときに慌てて組み上げた結果大事故に――なんてのは御免だしなぁ……」

 セロはそう呟きつつ、腕を組んで方策を練る。だが、これといった妙案はなかなか出てこなかった。彼が思索を巡らせているのは、「術式の外部記録化」である。

 これはPCで例えるなら、メモリである自分の脳とは別に「術式を保存」できる箱――つまり、外付けハードディスクドライブHDDに似たもの――を用意することと同じようなものだ。この試みが実現すれば、セロが懸念していた「術式構築」における安全性を確保できる。

 また、「予め記述された術式」という記録媒体を別に持つことにより、術式構築における時間が省略され、展開もスムーズに行うことが可能となる。

(要するに外部に記録できて、使いたいときにいつでも読み込めるようにできればいいんだよなぁ……うん? 記録……?)

 ふと思いついたことを試そうと、セロは手元にあった書籍の白紙ページを切り取り、それを手に入り口付近に設置された受付へと向かった。蔵書室の受付にはペンとインクが備え置かれ、台の隅にはこの部屋の蔵書されているほんの目録や利用記録をまとめた台帳が備えられている。だが、台帳を確認すると、どうやら最後に記された日はもう三年以上も前の日付であることが分かった。

「ふぅん……この蔵書室は『楽園』の大人たちもほとんど利用しないのか。書籍が納められていればいいってことなのかな? まぁ、俺にとっては一人で色々試行錯誤できるから好都合だけど」
 どうして誰も利用しないのだろうか、という疑問が氷解したセロは、備え付けられていたペンで先ほど発動した「脆弱化」の術式を書き連ねていった。

「発動条件を『右手が触れたとき』に書き換えて、と……これでいけるか?」
 一部の魔法術式ソースコードを書き換えたセロは、その紙片を台の上に置いて実験した時と同じように目を瞑って集中する。

「……うん? おかしいな……」
 だが、記した術式の上に手を置いているにも関わらず、演算領域に書き記した術式は流れ込んでは来なかった。これまでの実験から必要と目される魔力量があることは感覚的に理解できる。
 だが、いくらエネルギーがあれど、魔法という”結果”を生み出すプログラムである魔法術式が演算領域に流れなければ、発動は出来ない。

「う~ん。いけると思ったんだけどなぁ……やっぱりイチイチ頭の中で術式を組む方法以外ないのか……?」

 ややあって再び目を開いたセロは、実験が失敗に終わったことため息交じりにそうぼやく。

「でも……関連書籍によれば、昔の人は遺跡の一部に術式を残していたんだよな。その術式を見た感じ、大規模な術式だというのは分かる。それを備忘録的に残した……? いや、そんなメモ程度の目的で残したのなら、もっと資料はあってもいいはずだし、術式の修正履歴も追えるはずだ。それなら「失われた技法」なんて呼ばれるはずはないだろうし、術式のサンプルが少ないという事態にはならないはず……」

 ペラペラと手元にあった「魔法概論考察」に記されているいくつかの術式を紐解きながら、セロは思索を巡らせていった。

「――っ!?」
 その折、捲っていた指を紙で切ってしまう。その傷口からタラリと血が流れ、先ほど記したばかりの紙片に小さな紅い点を残してしまった。

「あっ、やべ……」
 その血を拭おうとした瞬間――

「えっ……?」

 唐突に脳内にある魔法演算領域に書き記した「脆弱化」の術式が流れ込み、右手がほんのりと青白い光に包まれた。

「まさか……」

 そのまま右手を台の上に置くと、ミシリと音を立てて陥没する。
「実験……成功……? でも、どうして――」
 予想外の結果に目を見開いたセロは、じっと紙で切った指を見つめながらふと呟く。

「もしかして……術者の『血』が媒介になってる……のか?」

 呟いたセロは、今度は先ほどとは別の紙に「復元」の術式を記し、そこに未だ血が流れる指を押し当てた。すると、彼の推論を裏付けるように、魔法演算領域に書き記したばかりの術式が流れていく。

 再び青白い光に包まれた手を陥没した台の上に置くと、まるで時間が逆再生されているように傷が修復され、凹みも元通りになった。

「間違いない……これなら!」
 実験が成功し、確信を深めたセロはぐっと手のひらを握り、軽くガッツポーズを決める。

「術式の外部記録化も目途が立ったし、あとは実用的な術式をいくつか候補を挙げて書いておくか」
 紙で切った指を舐めて止血したセロは、意気揚々と手あたり次第に余った紙に頭に浮かぶ術式を記していった。

 ――そうした研鑽が遠からず身を助けることになるとは、この時は微塵も感じずに。
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