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4巻
4-2
しおりを挟む◆ ◇ ◆ ◇ ◆
茜色に染まった夕日を、窓越しに視界の端に捉えたシュティルフィが、受付のカウンターの上でだらけていたアイベルに声をかけた。
「アイベル、ちょっと裏の勝手口の掃除をお願いね」
「えぇ~。受付がいいよぅ~」
「文句言わないの」
ぶつぶつ不満を垂れるアイベルを、シュティルフィは慣れた手つきで外に追いやった。自分は自分で空いている部屋の掃除があるし、そろそろ夕食の準備もしておかなければ、戻ってくる宿泊客への対応が間に合わなくなってしまう。
「さて、と。ちゃっちゃとやらないとね!」
アイベルも文句を言いつつ掃除道具を手にして出て行った。
小さくとも家族で切り盛りするこの宿だけが、シュティルフィのささやかな幸せである。もっとも、宿の立地およびアイベルの存在から、あまりここを訪れる者はいないのではあるが。
――だが、そんな彼女の幸せはこの日を境に大きく変わっていくことになる。
「アイベル、そっちは終わっ……?」
なかなか帰ってこない娘の様子を見に外へと出て、シュティルフィがまず発見したのは、地に転がる箒だった。その持ち手には、まるで見せつけるかのように一通の白い封筒が結わえられている。
「これは……――っ!?」
中にあった手紙を広げ、書かれていた内容に目を走らせると、シュティルフィの顔が一気に強張った。思わずグシャリと手紙を握り潰してしまうが、そんな自分の行動を意識できるほどの余裕は既に無かった。焦燥と不安が身体を駆け巡り、鼓動は早鐘の如く鳴る。
〝娘を返してほしければ、木の根元に刺してある物を、ある人物が宿泊している部屋に置いて来い”
たった一行の簡素な文面だが、それだけに言い知れぬ不気味さがシュティルフィを襲った。
「返してほしければ」の文字で、アイベルがどのような状況に陥ったのかは容易に想像できた。そして従わなければ……愛する娘がどういった結末を迎えるのかも。
周囲を見渡せば、近くの木の根元に、二振りの短剣が突き立てられているのが見えた。引き抜くと、沈む夕日の光を浴びてその剣身がキラリと輝く。柄にそれぞれ三つずつ宝玉が埋め込まれたそれは、シュティルフィのような一般人でも分かるほどの業物だ。
「これを置けば……」
かすかに呟いた自身の声に後押しされるように、彼女は踵を返した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌朝、まだ陽が昇って間もない時間。ツグナはけたたましく扉を叩きつける音に、むくりと身体を起こした。
「はふぁ……一体何なんだよ、ったく……」
寝ぐせの付いた頭をガシガシと掻いてベッドを出る。その間も扉はしつこく叩かれ続けている。ツグナはあくびを噛み殺しながら「今出るよ」と小さな返事を返した。
「はいはい、何か用――」
鍵を開け、わずかに扉を引く。直後、その隙間に指が差し込まれ、扉は一気に押し開けられた。
「ツグナ=サエキとはお前のことか?」
「あぁ……まぁそうだけど? 一体何なんだよ、朝っぱらから非常識――」
眉根を寄せて不機嫌を露わにするツグナ。彼の前に立ったのは、銀色の金属鎧に身を包んだ精悍な大男だった。金髪を短く刈り上げて立派な髭を蓄えたその男がチラリと視線を動かすと、両脇にいた兵士が中に押し入る。
「おい! 勝手に部屋に入ってきて、一体何だってんだよ!」
ツグナの怒声にも構うことなくずかずかと踏み込んだ数人の兵士は、忙しなく室内を歩き回る。机の引き出しを漁り、ベッドのシーツを取り払う様子から、何かを探していることは明白だ。だが、こちらの言葉を一切無視して我が物顔でガチャガチャと鎧の音を立てながら歩くその姿は、ツグナにとって非常に不快であった。
「隊長っ!」
やがてベッドの下を捜索していた兵士の一人が驚いた声を上げ、ツグナと向かい合っている金髪の男に歩み寄った。
「これはっ!? ふむ……もはや確定だな。ツグナ=サエキ――お前を窃盗の容疑で連行する」
「こっちの都合も――って、はぁ?」
それこそ目を点にさせて驚くツグナに、男は部下の一人が手にした物をツグナに見せながら、大仰に告げる。
「数日前、ガヴァット男爵家に代々伝わる家宝の短剣が盗まれる事件が発生した。一対の双短剣で、柄の部分に三つの宝玉が埋め込まれているものだ。調べを進めて得られた有力情報をもとにここへやってきてみれば案の定、というワケだ。それがそこにあるのが一番の証拠だろうが!」
示された方へとツグナが顔を向ければ、確かに朝陽を浴びて輝く二振りの短剣がその身を晒している。
「ちょ、ちょっと待て! 俺は何もやってないぞ!」
ツグナには全く身に覚えのない濡れ衣だった。彼からすれば、こんな事態になること自体がおかしかった。
「ならばどうして盗まれた短剣がお前の部屋にあるんだ?」
「知るかよ! 俺の方が聞きたいわ!」
投げかけられた言葉に、ツグナは反射的に噛み付く。その表情は困惑と苛立ちがない交ぜになっている。
しかし、いくら知らないと突っ張っても、対峙する男の眉はピクリとも動かなかった。
「そうは言っても、この状況をどう説明するつもりだ? こちらとしても、知らないからと言われてそのままお咎めなしとするわけにはいかないのでな。大人しく一緒に来てもらうぞ」
「ぐっ……!?」
真っ直ぐ目を見つめながら告げられて、ツグナは押し黙った。
自らの無実を証明しようにも、状況は既に詰んでいると言わざるを得ない。盗まれたとされる品物が現実にこの場にある以上、いくら「やっていない」「知らない」と言い張っても説得力はない。
結局、彼の主張も虚しく、その両手首に黒光りする手錠がかけられてしまう。
「ツグナ!?」
「これは……一体何が起きたの!?」
騒ぎを聞きつけたのか、朝食を食べようと先に階下に下りていたソアラとキリアが現れ、手錠をはめられた姿のツグナに驚きの表情を見せた。
「――あとは頼んだ」
すれ違いざま、ぽろりと溢すように呟かれたツグナの声が、二人の耳朶に残ったのだった――
第2話 拘束と牢獄
「なんでツグナが……どうして……」
ツグナが連行されてから早数日。借り主が抜けてがらんとした部屋で、窓から射す夕陽を頬に浴びながらぼんやりと外の景色を眺めていたソアラが、生気の抜けた顔でポツリと呟いた。
「ったく、貴方は……いつまでそんな顔してるのよ。そうして待っていれば彼が帰ってくるとでも思うわけ? グチグチ言っても仕方ないでしょ。ため息吐いて落ち込んでたって、状況は何も変わらないわよ」
そんな彼女に活を入れるように声をかけたのは、部屋に入ってきたキリアだ。正論ではあるものの、やや棘のあるその発言に、ソアラはついきつく睨み返してしまう。
だが彼女の姿を見て、湧き上がったソアラの怒りもどこかへと吹き飛んだ。仁王立ちするキリアの足下には点々と泥が跳ね、靴には擦れた痕がいくつもあった。頭や頬には土埃が付いている。その出で立ちから、街の中をかけずり回ったことが容易に想像できる。
いつも落ち着いた雰囲気を纏う、冷静な彼女らしからぬ行動。彼女をそこまで駆り立てた衝動が何だったのか――その思いに気付いたソアラは、続く言葉を発することができなかった。
「ったく、参ったわよ。情報を集める為に街の中を駆けずり回ったし、面会を申し入れても聞き入れてもらえなくて叩き出されるし」
「キリア……」
思わず目尻に涙を溜めるソアラに、キリアは気恥ずかしくなったのか、「フン……べ、別にアイツが心配ってワケじゃないんだけどね」と虚勢を張ってしまう。隠そうとしてもまるで隠し切れていないその物言いに、可笑しさがこみ上げてくるソアラだった。
「まぁでも、無駄じゃなかったのは確かだけれどね」
「何か分かったの?」
溜まっていた涙を拭いて訊ねるソアラに、キリアは小さく頷く。
「えぇ。ツグナの捕まった容疑は窃盗。盗品は『三煉琥魄』と呼ばれる二振りの短剣らしいわ。数日前、その短剣が貴族の屋敷からなくなったみたい。なんでも代々受け継がれてきた家宝らしくて、この街の騎士団はそれこそ血眼になって犯人を追っていたそうよ。そうしてある筋から有力な情報を仕入れ、ツグナの部屋にやってきた……ということらしいわ」
「その情報って、もしかして――」
「『ツグナが目的の短剣を所持している』という情報だったみたいね。もっとも、明確にツグナが盗んだと断定する情報だったのかどうかまでは分からなかったけれど」
「で、でも、おかしくない? ツグナは私たちと一緒に行動していたよね?」
小首を傾げるソアラに、キリアは「確かにそうね……」と小さく答える。事実、ツグナが一人でどこかに出かけた記憶はない。
三人は昨日このメフィストバル帝国にやってきたばかりだ。盗みを働くにしても、ろくに準備期間もない状況で実行したとは客観的に見て考えにくい。
このことから、ソアラとキリアは早い段階で、「ツグナは何者かによって罠に嵌められた」という結論を下していた。だが、誰が何の為に、という疑念は依然残ったままだ。街を駆けずり回ったキリアもそこまでは掴めていないのか、歯を噛み締めて悔しさを露わにしている。
「でも、それなら!」
しかし、ソアラの言わんとしていることを察したキリアは、「けど、無理ね」と弱々しく告げた。
「ど、どうして? やってないなら、すぐにツグナは帰ってくるはずでしょ……?」
期待に水を差されたソアラは、急かすように問いかける。一方のキリアは唇を噛みながら、頭に浮かぶ懸念を言葉にした。
「仮に仕組まれていたとして、どうやってそれを証明するの? 私たちは、誰かがツグナを陥れようと動いているという確たる証拠を掴んでいるわけでもない……」
「そ、そんな……」
どちらにしろ、情報が少な過ぎた。仕組まれたとすれば、ツグナを捕らえて終わりとならないだろう。最終的な目的がその先にあるなら、残された時間はわずかだった。
「――思ったより、時間はないかもしんないネ」
苦い表情の二人の間に重苦しい空気が流れる中、その声はするりと耳に入ってきた。
「えっ!?」
「はぁ!?」
ふと聞こえた声に、二人は女性に似つかわしくない潰れた声を出してしまう。
そして、キィっと開いたドアの隙間から、ゆっくりとそれは姿を現した。
「ね、猫?」
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「た・だ・の猫じゃにゃいんだナァ~、これが」
再び喋り始めた猫を、ソアラとキリアはまじまじと見つめる。よほど二人の反応が面白かったのか、白猫はただニヤニヤと笑うのみだが、やがてこの猫は何者かと警戒心を見せる二人に、ピッと前足を上げて、キッパリと告げた。
「もぅ! 貴方たち、御主人様のすぐ傍にいるのなら、私が何者かぐらいすぐに察しがつくでしょう?」
「えっ!? じゃあ……もしかして?」
ソアラのその言葉に、白い猫はこくりと頷いた。
「そうよ。私の名はニア。主の持つ 《創造召喚魔法》によって創造された従者の一人、主の目となり耳となって情報を集めるモノよ」
「それで、時間がないというのは?」
白猫の正体が明かされて落ち着いたのか、キリアがニアに訊ねる。ニアの話しぶりからは、まずこの事態が「何者かが仕組んだこと」だとするニュアンスは読み取れた。二人にとってそれはあくまで推測の域を出ていないものだったが、ニアは何らかの確証を元に話しているのが窺える。
「言葉通りよ。だってヤツら……最初っから御主人様を殺すことが目的なんだから」
「ちょ、それってどういうこと!?」
素っ頓狂な声を出すソアラに、「声が大きいわよ」とすかさずキリアが口元に指を立ててたしなめる。
それに「あっ、ゴメン」と獣の耳を伏せ、しおしおと萎むように肩を落とすソアラを尻目に、ニアは話を続けた。
「主は『アイテムボックス』のスキル持ち。もし主が犯人なら、証拠となるような物は全てアイテムボックスの中に入れるでしょ? なのになぜ、盗まれたとされる短剣は主のベッドの下にあったのか。しかも短剣は相当貴重なもの。わざわざここまでの罠を用意するからには、単に主を陥れたいだけではない目的を感じるの。これは主のスキルの存在を知らない者が、強い悪意のもとにやったことに違いないわ」
「そんな……」
「でも――一体誰が?」
降って湧いたように現れた猫が見せた洞察に、二人は驚きを隠せなかった。
ブツブツと呟き出したキリアをよそに、ニアは軽やかに机から飛び降りる。不意に行動を起こした白い猫に、ソアラが「どこへ行くの?」と問いかけた。
「時間がない、って言ったでしょ? 行くわよ、あの短剣を置いた人のもとに、ね」
「えっ?」
「し、知ってるの?」
細長い尻尾を揺らしながら先陣切って悠々と歩くニアを、二人はポカンと呆けた顔で眺める。だがそれも一瞬のことで、何かに背を押されるように忙しなく、揃って部屋を出るのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「首尾はどうなっている?」
執務室の椅子に座るガヴァットは、愛用している葉巻を咥えながら部屋に呼びつけた兵士の顔を真っ直ぐに見つめ、静かに訊ねた。
「ハッ! 既にこの建物の地下牢へと収監を終えております」
敬礼をして答える兵士に、ガヴァットは「よし」と頷き、言葉を続けていく。
「処置については指示通りに行っているか?」
「ハッ、全てご指示通りに! 手錠を外さず牢へ押し込み、食事も与えておりません」
「そうか」
これで一段落、と言わんばかりにガヴァットは、既に短くなった葉巻を灰皿の上でもみ消し、背もたれに身を預けて深く息を吐いた。その様子を見ていた兵士は表情を曇らせる。
「どうした?」
「いっ、いえ……ただ」
「ただ、何だ?」
言おうか言うまいか悩んでいた兵士はついに意を決し、ガヴァットに尋ねた。
「これで宜しかったのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
兵士の問いに対し、新たな葉巻を咥えたガヴァットが反射的に呟く。その目は鋭く、どこか不快感が混じっていた。
「その、状況を整理しようと容疑者に聴取を行いましたが、最初から最後まで一貫して『やっていない』と言ったまま態度を崩していません」
「……」
ガヴァットは何も言わず、じっと兵士の顔を見つめた。何か悩んでいるように眉間に皺を寄せるその表情には、「もし少年の主張が真実ならば」という心の迷いが透けて見えた。
しかし――
「ふむ。だが、そんなことはどうでもよい」
ガヴァットは明快にそう言い切る。微笑を浮かべ、これからの出来事を待ち望む彼の様子は、子供のようでもあった。
「あぁ、君はもしかして最近になって我が隊に所属したのか?」
「は、はい」
「ならそう思うのも仕方がないかもしれんな」
ガヴァットは幾度か首を縦に振った後、添えるように言葉を発した。
「ただ、これだけは言っておこう。ここでは――私がルールだ」
この街ではガヴァットのひと言が、その人間が歩む道の分岐点となり得る。それが証明されるのには、それほど時間はかからなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「う……ぁ――」
声にもならない呟きと共に、ツグナは床を転がった。
あの日の朝、両手に手錠をかけられて騎士団が詰める建物に連行されたツグナは、長時間にわたる取り調べを受けた。そして休む間もなく地下にあるこの独房へ両手を繋がれたまま放り込まれて、既に三日が過ぎ去っている。
視界に広がるのは無骨な鉄格子。冷たい空気が肌を撫でていく。時折天井から水の滴る音が聞こえる薄暗い廊下を、壁に取り付けられた蝋燭が仄かな光で照らす。その灯火が風に煽られて揺れる度に、床に広がった影が右に左にと振れた。
こうした状況下では、大抵の人間はあまりの不自由さに痛みすら覚え、襲い来る絶望感と孤独感に身を切り刻まれるかのようにもだえ苦しむ。
しかしながら、幼い頃を地下室で孤独に過ごしたツグナは慣れたものである。そんなことよりももっと差し迫った問題が、彼を襲っていた。
「腹……減った……」
そう。牢に入れられて以来、これまでずっと何も食べていなかったのだ。朝早く宿から連行されたツグナにとっては、それがもっとも精神的にこたえる仕打ちだった。
三日の間に彼が口にしたのは、天井から床に落ちてくる水だけ。当然、そんなわずかな水分で空腹が紛れるわけはない。栄養が欠乏した状態では脳の思考速度が低下し、正常な判断は困難になる。地下の鉄格子の中で極度に不自由な生活を強いられた今のツグナの頭の中にあるのは、「食べたい」という純粋な欲望と「このままでは死んでしまう」という絶望のみだ。彼はそれに、強靭な精神だけを頼りに耐え忍んでいた。
「う……ぐっ……」
しかし何かに追われるでもなく、ただ漫然と牢獄に繋がれるだけの時間が過ぎ去る過酷な状況下で襲い来る飢餓感は、ゆっくりとではあるが着実に彼の思考力と判断力を蝕んでいく。ついには動くこともできなくなり、何も食べ物を寄こさない主人に愛想を尽かしたのか、あれほど鳴っていた腹もついにはなりを潜めている始末であった。
もちろん、アイテムボックスの中を漁れば、非常用の食料を取り出すことはできる。だが――彼の両手首に嵌められた二つの手錠がそれを阻んでいた。
(あぁ、クソッ……何にしてもこの手錠が邪魔だな)
ツグナは寝転んだまま、ちらりと目を両手に向けた。そこでジャラリと音を立てるのは、「封魔錠」という赤茶けた手錠と「封技錠」と呼ばれる深緑の拘束錠である。
この二つの手錠は、鋼鉄を鋳る際に「封魔石」と「封技石」という特殊加工された鉱石を組み込んだもので、囚人を縛るに最適な性質を有している。
封魔錠は触れた者の身体に流れる魔力を吸い取り、空気中に放出する性質を持つ。これにより魔法は封じられ、拘束者が戒めを解こうとするのを阻げる。
一方、封技錠は触れた者のスキルを文字通り使用不可にし、筋力や敏捷などの能力値を下げる性質がある。そうした状態で鋼鉄の手錠を引き千切るのは至難の業である。
ご丁寧にもこの二つの錠を共に嵌められ、極度の空腹も加わったツグナは今やただの幼い少年に成り下がり、この状況に甘んじていた。
「ふざけんな! 俺は無実だって言ってんだろ!」
「ならどうして盗まれた物がお前のベッドの下にあったんだ! 言ってみろ!」
「知るかよ!」
長時間にわたった取り調べの間ずっと、兵士たちからは侮蔑と嘲笑の目が向けられた。何度無実を訴えても取り合ってくれない態度に、苛立ちばかりが募っていった。
「だああああっ! ちっくしょー!」
ならばいっそと脱出を試みるも、まだ幼い身体の力では押しても引いても鉄格子はびくともしなかった。
連れてこられた当初こそ必死に身の潔白を訴えていたツグナも、時が経つにつれ大人しくなっていった。本当に無実でも、寄ってたかって「お前がやったのだ!」と言われれば、人は「そうかもしれない」と錯覚を起こしてしまう。肉体的な自由を奪われ、精神的にも追い詰められるこの状況は、ツグナにとっても相当にキツかった。
それに加えて食事もなく、薄暗い檻の中でただ時間ばかりが過ぎていくのだ。刻一刻と、鬱屈した思考がツグナの精神をゆっくりと蝕む。並の人間ならば、とっくに「楽になりたい」とありもしない罪を認めているだろう。しかしながら、ツグナは切り立った岸壁に爪を立てる思いでただ必死に抗う。
しかしそんなツグナでも、ふとした拍子に悲観的な思考が頭をよぎるのだった。
(俺、どうなるんだろ……)
霞がかった思考の中、ツグナはふとそんなことを考えた。まともに動くこともできず、地を這い回る芋虫の如き自分。緩めればプツリと切れてしまいそうな気力を繋ぎとめているのは、ただ「帰りたい」という思いだけだ。
――俺、こんなところで死ぬのか?
そんな考えが幾度も脳裏を掠めては消えていく。浮かぶ度に「嫌だ嫌だ嫌だ!」と声を荒らげてマイナスな考えを振り払うも、時を経るに従いその頻度は増えていた。代わり映えしない風景とたった一人という孤独感が、ツグナの意識をズブズブと闇の中へ引き摺り込む。
そんな彼を嘲笑うかのように、一人の兵士が牢の前で平然と言い放った。
「一五七番――お前の刑が決まった」
するりと耳の中に入った言葉を聞き流しながら、ツグナは目だけを兵士に向ける。
告げられた一五七という数字は、もちろんツグナのことを指している。「牢獄に入ったヤツにもはや人間の名などない」と暗に示すかの如く、ここではツグナは専ら番号で呼ばれていた。それでも今のツグナにとってはその番号だけが、「自分はここにいる」という存在証明なのだ。
「かの屋敷の家宝である宝剣を盗んだお前の罪は、非常に重いと言わざるを得ない。あの宝剣は代々――」
兵士の姿をぼんやりと視界に入れながら、ツグナは最後までつらつらと垂らされる口上を黙って聞いた。兵士を鉄格子越しに見る光景は、まるで映画のワンシーンのようでもある。ツグナがそんな場違いな感想を抱いているとも知らず、兵士は最後に取って付けたように刑の名を告げた。
「――お前は、死刑だ」と。
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