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3巻
3-3
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「……それでは、これよりレオバルト=ヘイゲルトとツグナ=サエキの模擬試合を行う。なお、レオバルトの武器は刃引きした片手剣、ツグナの武器も同様の刀とする。勝敗については、どちらかが『参った』と宣言するか、もしくは私が戦闘不能と判断したところで決定することとする! 改めて問うが……双方異存はないな」
「ありません」
「問題ない」
リリアの宣言と呼びかけに、開始線に立って向かい合うレオバルトとツグナが頷きながら同意の言葉を交わす。互いに準備を終え、臨戦態勢をとった両者だが、なんとも対照的な雰囲気をまとっていた。
レオバルトは僅かに腰を落とし、剣を正眼に構える。見る者が見れば、その立ち姿だけでも「コイツはやるな」と感じられるほど隙のない構えである。
一方、ツグナは足を肩幅ほどに開き、右手で刀を握っていた。これは愛刀である「瞬華終刀」をリアベルの街の武器屋でメンテナンスした際、「鍛練用の刀ってある?」と聞いて見繕ったものだ。鍛練用ということで品質はそこそこながら、普段から使用してよく手に馴染んでいた。
もちろんリリア、レオバルト共にこの刀を手に取って確認を済ませている。後のことも考え、シェルムにも同様に確認してもらった。「こんな細い代物でお兄様に勝てるわけないと思うけど」と余計なひと言も頂戴したツグナだったが、いちいち突っかかるのもアホらしいと聞き流しておいた。
刀を持った腕をだらりと下げたまま、ツグナは正面の相手を見据えていた。一般に「無形の位」と呼称される態勢である。これは一方の手で刀を下げている自然体であり、「構え」をとらないため「位」と言う。
ツグナは実戦を重ねる中で、構えをとることは自身のスタイルに合わないと思い知らされていた。戦闘では一瞬の判断ミスが、命を失うことに直結する。また、時には相手の隙を誘うためにあえて無防備を装うことも必要となる。今のツグナは無防備なようでいて、これこそ敵のいかなる攻撃に対しても千変万化・自由自在に対応できる状態なのだ。
ただ、そういった認識が世に広まっていないからか、端から見ればだらしないようにも思えるその姿に、観客席からは「アイツやる気あんのか?」という疑問の声がちらほらと漏れ聞こえた。
「――双方、準備はいいな?」
静かに発せられたリリアの言葉に、向かい合った二人は黙ったまま頷く。
会場内は先ほどまでの喧騒が嘘の如く、水を打ったように静まっている。だが、張り詰めた空気と充満する熱気は、もはや最高潮かというレベルにまで達していた。
今――ここに「舞台」が整い、「役者」が揃った。
「では……始めっ!」
かかげられていたリリアの腕が素早く振り下ろされる。
瞬間、刀と剣が織り成す舞踏の幕が上がった――
第2話 刀剣舞踏
「綺麗……」
ユスティリア王国の第二王女シェルムは、目の前で行われている試合に、ふとそんな感想を漏らした。
これほど大勢の観客がいなければ、彼女の言葉は視線の先にいる二人にも届いていたかもしれない。それほど不用意な言葉が出てしまうまでに、シェルムは二人が繰り広げる舞踏に目を奪われていた。
幾度となく刃と刃が交錯し、その度に甲高い金属音が響く。相対する二人が奏でる剣戟の音色は、交響曲さながらの調べとなって広い空間を駆け抜けていく。銀色の二本の線が舞台の上を踊り、重なり合う清音が会場を揺さぶって、会場のボルテージを次第に上げていった。
多数の観客の視線を釘付けにし、渦巻く熱気の中心に位置するのは、二人の人物。
教科書通りの隙のない型を用い、剣を振うレオバルト。
変幻自在、虚実を混ぜた流れるような所作で刀を扱うツグナ。
開始直前には少なからず「やる気のないヤツ」と見做されていたツグナだったが、そういった評価はものの数分の間に消え失せていた。
レオバルトは第一王子という位もさることながら、剣術に秀でた実力者という認識も国中に浸透している。事実、レオバルトには国王やその臣下の武術に秀でた者が直接指導を行っており、確かな実力がある。この国では、貴族の子息も平民出身者と区別なく、同じ教官の下で剣術の訓練を行うのが通例である。このことからも、いかにレオバルトの置かれている環境が特殊であるかが窺えよう。
そんな王子と正面から向かい合い、引けを取らない力を見せているツグナは、レオバルトよりさらに若い。どことなく頼りないのに鍔迫り合いになっても互角にやり合える膂力、並外れた打ち合いを見せる卓越した技巧に、観客席のそこかしこからは興奮と驚きの歓声が自然と上がっていた。
「ねぇキリア。どう思う?」
観客席から二人を眺めていたソアラが、隣に座るキリアに問いかける。
「どうって?」
「う~ん。ツグナ……本気じゃないよね」
わずかに眉根を寄せながら観察していたソアラが、小さく呟いた。今もなお剣戟の澄んだ音は鳴り止まず、周囲に立つ大勢の観客が二人に声援を送っている。
「そう、ね。相手の出方を窺っているようには見えないし……このまま相手の自滅を誘って終わらせる気かしら」
ソアラと同じく冷静に試合の趨勢を見つめていたキリアは、軽く頷いてそう結論付ける。その言葉を聞きつけたのか、脇にいたシェルムが目を見開いて訊ねた。
「まだ開始して少ししか時間も経っていないというのに、貴方たちはどんな根拠があってそのようなことが言えるの? 今もあの二人が対等に剣を交えているのが見えないの?」
だが二人は、若干の怒気を乗せて紡がれたシェルムの言葉に対して「何故と言われても……」と首を傾げるのみだ。
そうした険悪な空気を切り裂くように、シルヴィの落ち着いた声が割って入る。
「怒るのも無理はないと思いますが……ただ、シェルム様もあまりツグナを見くびらない方がいいですよ?」
「何ですって?」
反射的に言い返し、言葉に併せて鋭い視線を送るシェルム。それでもシルヴィは王女のキツイ眼差しを全く意に介さず、「いずれ分かりますよ」と小さく言葉を添えるのであった。
(くっ……! 攻めきれないっ!)
そんな思いを心中で吐露したのはレオバルトだった。開始から十分ほどが経過した現在、剣を振う彼の表情には、驚きよりも焦燥の色が見え隠れしていた。
(この少年……本当に人族なのか!?)
今も高速で剣を合わせ続けるレオバルトの脳裏に、そんな疑念が浮かぶ。周囲から「冷静にして慎重」という評価をもらうことの多いレオバルトだったが、この場に限ってはそんな姿は見られない。
持ち前の観察力で、いつもは相手のことをよく見抜く彼も、ツグナの第一印象は「幼く貧弱な雛鳥」といったものであった。
だから、油断した。
自身の放った初撃がアッサリと回避され、カウンターとして打ち込まれたツグナの刃を弾いたところまでは「なかなかやるな」と考えていた。確かに、躱されたことに対してムッとする感情が湧いたのは事実だ。しかし、それもあくまで「このまま行けば強くなるな」という、年長者としての上から目線の評価でしかなかった。
そんなレオバルトの余裕は時間が経つごとになくなり、すぐに「この少年は侮れない」という評価にまで変化していた。そして今まさに、自らに襲いかかる刃を必死で回避し、あるいは弾くだけの防戦を強いられている現状に、レオバルトは恐れすら抱くようになった。
そんな彼は、ふとした拍子にツグナの顔が見えてしまった――いや、見てしまった。
悠然とした、試合開始前と同じ表情のまま、じっと自分を見つめてくる黒い瞳。それを視界に捉えた瞬間、背にゾクリと走った「何か」に従い、レオバルトは距離を取る。その判断は正しかった。直後、鈍い光を放つ刃が、微かな風切り音を立てながら下から上へと軌跡を描いた。
「へぇ~、コレを躱すのか……なかなかやるね」
ニタリと笑みを零すツグナに、レオバルトは内心冷や汗をかきながらも「それはどうも」と短く返した。
レオバルトが辛くも回避できたのは、多分に運の要素が絡んでいる。それも日頃の訓練が育んだ賜物と言い換えていいかもしれないが、本質的には本能に従った結果だ。同じことをもう一度やれと言われてもおそらく再現することは不可能に近いと、彼は自分でもそう思っていた。
(もしこれが――)
本物の刃であったのなら。そんな想像をしたレオバルトの身体から、じわりと嫌な汗が噴き出した。身体は炙られたように熱を帯び、鼓動の一拍一拍がいやに耳の中で響く。吐く息は荒く、手にした剣が訓練時よりも重く感じられていた。既に勝負の均衡は崩れ、天秤は傾き始めている。
距離を取ったことで冷静さを取り戻したレオバルトが、「さてどう攻めるか」と頭の中で戦術を組み立て始めようとした矢先――
「それじゃあコイツはどうかな――付いて来いよ、王子様」
ツグナの姿がふっと掻き消えた。
ツグナの持つ速さは、いくつかの段階に分けることができる。
第一段階は、ただ単純に基礎能力値に従うレベルだ。この状態では、敏捷性に見合った速さを発揮する。この段階でも、そこらにいるレベルの低い魔物や魔獣ならば十分に通用する。だがより強力な迷宮の住人が相手となると、厳しいものがあると言わざるを得ない。
第二段階はスキル「魔闘技」を使用した速さである。この状態では、基礎能力値の値に補整がかかり、より速く刀を振うことが可能となる。どの程度補整がかかるかは熟練度によるが、ツグナの場合は一・二倍から一・五倍ほどまでの強化が可能となっていた。
そして第三段階は、ツグナが修練の末に獲得した魔闘技の派生スキルを使用した速さとなる。
魔闘技Lv7――夢幻燈火。
これは基礎能力値、特に敏捷性に大きな補整がかかるスキルで、通常時の二倍から二・五倍の速さを得ることが可能となる。また、体内を循環する魔力を発散させることにより、残像を形成することもできた。技の名の通り、彼方に揺れる淡く霞がかった灯火の如き残像で相手を惑わし、虚を突くのだ。
ツグナはここまで、第二段階の状態でレオバルトと刃を交えていた。そうして幾度も刃を打ち合わせるうちに、ツグナは自分とレオバルトとの間にある差異を明確に感じ取っていた。
自分は迷宮に潜り、死に物狂いで力を得た。だが、このレオバルトは違う……と。
(まっ、そりゃそうだよな……)
試合の途中、ツグナは心の中に、そんな落胆めいた思いを吐き出した。考えてみれば、育った環境が違い過ぎる。レオバルトは王子として生まれ、幾人もの大人によって大切に育てられた。もちろん、剣術については幼い頃より相当に努力してきたのだということは分かる。実のところ彼の剣技は、C-のギルドランクを有する冒険者よりも優れているだろう。レオバルトの年齢を考えれば、将来に大きな期待を寄せるに足る腕前だ。
けれども、ツグナに言わせれば、レオバルトの剣術はぬるま湯の如き環境で得たものでしかなかった。確かに、技術自体はお手本とも呼べるほどに洗練されている。しかし、それはあくまでも訓練で、「安全」という檻の中で磨かれた技術に過ぎない。「実戦」を知らない剣技にどれほどの価値があろうか、というのがツグナの意見だった。
もちろん一定のレベルまではそれでもいいのかもしれない。しかし、「訓練」と「実戦」の間には大きな隔たりが存在する。
刃先から伝わる死の恐怖。自分以外の誰も頼れない中でこそ発揮される底力。そして、自らの手で命を奪うことの重さ……それらを知らず、どこかヌルささえ透けて見える相手の剣筋に、ツグナは嫌悪感さえ抱いていた。
(さて、と……どうやってケリつけるかな……)
そんな相手に、自分の手札を全て曝け出す必要性はどこにもない。しかも勝負の流れは既にツグナに傾き始めている。このまま押し切れば――と思っていた。
今のレオバルトの目を見るまでは。
それは「絶対に諦めない」という強い意志を宿した目だった。もうずっと防戦一方のレオバルトだが、「隙を見せれば躊躇なく仕留めるぞ」と宣言するようなその目に、ツグナの心が躍った。
そうした「諦めない」という意志はそのまま「生きる」という想いにも似る。
ツグナは生まれてからずっと、いつも生きること、生き抜くことに必死だった。笑われようが、意地汚いと罵られようが、生き残ればそれはすなわち一つの「勝利」だった。常に死が付きまとう冒険者にとって、「潔く死ぬ」ことなどは「敗北」以外の何物でもない。
生きることを諦めた者の前には明日は来ない。
死は全てを終わらせる。たとえ惨めでも、生き残った先にこそ活路が開かれるのだ。
だから、ツグナは全てを曝け出すことにした。力を隠したまま決着するのは、レオバルトの矜持を踏み躙る行為だと感じたから。彼は今まさに「実戦」の只中で活路を開こうとしているのだと感じられたから。
――そしてツグナは、歓喜雀躍と最後の扉を開いた。自身の全身全霊をかけて相手に応えるために。
「くっ……! まだ、まだあああぁぁ!」
レオバルトの声が場内にこだまする。顔を歪め、必死で剣を振うも、その軌跡は虚しく宙を舞うだけだ。軽やかに地を蹴る音がレオバルトの耳に届いた時には、既に刃が目前に迫っているという、冗談としか言い表しようのないツグナの速さ。レオバルトは自らの経験と本能に従って剣を掲げ、辛うじて防ぐことが精いっぱいという状況にまで追い込まれている。
刹那の判断が状況を左右する中、一縷の望みをかけて粘るレオバルトの瞳には、獲物に喰らいつく獣にも似た鋭さが宿っていた。
そんな彼が、ついにツグナの姿を捉えた。「あれもまた残像では……」と躊躇する意識はもう消え失せている。残像だろうが本物だろうが、ここで手を打たなければ結果は変わらない。もはや肉体的にも精神的にも限界が近いことは承知していた。
「そこだあああぁぁ!」
自らの直感を信じ、レオバルトは渾身の力を込めて右腕を振り下ろす。だが、その剣は虚しく空を切り――
「――……チェックメイト」
気付けば、レオバルトの首筋にはピタリと刃が当てられていた。それと同時にリリアの声が響き渡り、会場には天を貫かんばかりの歓声が轟いた。
「一つ聞いてもいいかい?」
「何だよ、突然」
「……キミって本当に人間かい?」
「失礼だな。これでもれっきとした人間だけどな」
興奮に沸く歓声の中でツグナから返ってきた答えに、レオバルトは思わず呆れたように肩を竦めてしまう。
そうしてニシシッと屈託なく笑うツグナの姿は、先ほどまでとは打って変わり、まるでイタズラが成功したと無邪気にはしゃぐ少年のような、年相応のものであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――うん。改めて、自分は未熟だなって痛感したよ」
頬を掻きながら、レオバルトはあっけらかんとそんな感想を零した。一方その横には、どこか憮然とした表情でツグナから視線を外しているシェルムがいる。
あの模擬試合から一夜明けた現在、ツグナ一行はレオバルトたちと共に、王都ユズノハに向けて進行中であった。実はそれは、王子たちが宿まで迎えに来たために、半ば強引に一緒に行くこととなったのであったが。
勝敗が決して以降、ツグナはレオバルトから妙に気に入られたらしく、「是非一緒の馬車で」と誘われ、一行は同じ馬車に乗って移動することになった。「俺はノーマルだ」と若干被害妄想めいた思いを抱いて憮然とするツグナとは対照的に、第一王子はニコニコと笑みを浮かべている。
「しっかし、ツグナは凄いね。あれだけの錬度でいながら、まだ十三歳とはね……ちなみに、あそこまでの技術をどうやって身に付けたんだい?」
「どうやってって……魔闘技は師匠がいたからな。基本は師匠から叩き込まれたよ。ひと通りできるようになった後は『ひたすら実戦あるのみ』って感じだったな」
当時を振り返りつつ、ツグナは端的に告げる。もちろん実戦に至るまでは師匠であるリリアによって散々叩きのめされたわけだが、敢えてそれには触れなかった。
「なるほど。う~ん……やっぱり実戦に勝るものはないよね……僕もそうしようかな」
「覚悟しろよ?」
ツグナの言葉に頷きながら今後の訓練方法を思案するレオバルトに、ツグナは言下に即答した。「へっ?」と呆けた顔をする青年に、ツグナはピッと指を突き立てて忠告する。
「確かに実戦はどんな訓練にも勝る経験になる。が……一歩間違えれば、死ぬぞ」
「な、ならツグナと同じ師匠に師事して――」
「それも選択肢の一つだが……もし教わるなら覚悟しておいた方がいいぞ? 俺の師匠は結構なスパルタだ。最終的には迷宮に一人で放り込まれることになるぞ? 俺のようにな」
ちらり、とツグナは皮肉めいた視線を当事者の方に投げる。だが全く効果はなく、当の師匠は一人読書に耽っていた。
「…………」
ツグナの最後のひと言に、レオバルトは思わず生唾を呑み込む。傍らで話に耳を傾けていたシェルムも、にわかに緊張した面持ちになった。
(たった一人で迷宮に? そんな……)
王国に仕える騎士であったとしても、冗談ととられるような話である。確かに「バカな」と切って捨てるのは簡単だろう。だがしかし……と、レオバルトは対峙した際のツグナを思い返しながら、あながち嘘ではないかもしれないと判断していた。
彼は先の勝負で、自分より年下のツグナに対して終始防戦一方の展開に陥った。試合中どこか余裕を見せていたツグナに引きかえ、レオバルトは全力を尽くしたにもかかわらず。
両者の間に横たわる差は、そう容易く埋められるものではない。実戦経験――それも「常に自らの命を秤にかけた戦いを乗り越えた」という一点が、こんなにも圧倒的な差を生みだすのかとレオバルトは感じていた。
だからといって同じ経験をすればいいかといえば、それは難しいだろう。リスクを度外視した手法を採用するのは、命知らずを通り越して、愚かと非難されてもおかしくない。ましてやレオバルトは近い将来、このユスティリア王国を背負って立つ人間である。そのような無謀な手段をとれるわけがないのは明白であった。
眉根を寄せて唸り出したレオバルトに対し、ツグナは「肩の力を抜けよ」と言わんばかりに口の端を持ち上げる。
「まぁ、俺は冒険者だしな。どう生きるかは自由だ。が、その裏に責任が伴うってのは分かってるさ。いわばハイリスク・ハイリターンの職業だ。もちろん生き抜くことを第一に考えるが、それでも『死んだらそれまで』ってスタンスは変わらない。だけど仮に俺が死んでも、冒険者が一人減ったという程度のことでしかない。一方、お前は違う。この国を背負って立つ人間だろ? そんなヤツが軽々しくリスクを冒すような発言をするなよ。そんなことをせずとも、やり方は色々あるだろ?」
「そ、そう……だよね……そこまでハッキリ言われると、やっぱり地道にやるのが一番だと思うよ」
「それが賢明だろうさ」
強張った笑みを浮かべるレオバルトに、ツグナは軽い調子で答える。
そんな彼らの前には、まだだいぶ距離があるにもかかわらずはっきりと視認できるほど巨大な壁が姿を見せ始めていた。
「ふえぇぇ……ここがユズノハ」
「リアベルよりも人が多いし、様々な店があるわね……」
コウラリアを出て馬車に揺られること半日。リアベルの街とは規模も人の多さも桁違いの景色に、ソアラとキリアがぼそりと感想を漏らす。その様子は、初めて上京してきた田舎者そのものだ。初めての王都を前に目を輝かせている二人を、シルヴィは微笑みながら静かに見つめる。二人の姿は、かつてリリアにくっついて初めてここを訪れた時のことを、シルヴィに思い起こさせていた。
そんな彼女たちとは一線を画す態度で、リリアは一人読書に耽っている。シェルムとも面識があった辺り、彼女は何度かこの場所を訪れているのだろうとツグナは感じていた。
「うむ、御苦労」
「はっ!」
レオバルトやシェルムが一緒にいるためか、ツグナたちはすんなり街に入ることができた。慇懃に敬礼して馬車を見送る衛兵の横を通り過ぎ、馬車は行き交う人の間を縫うようにして、張り巡らされた通りを進んでいく。やがて街の中心部――王城へと辿り着いた。王城へと通じる門が音を立ててゆっくりと開き、ツグナたちを中へと招き入れる。
門番の兵士数人が馬車に向かって敬礼をする中、馬車は堂々と建物の入り口へと乗り付けたのだった。
「ありません」
「問題ない」
リリアの宣言と呼びかけに、開始線に立って向かい合うレオバルトとツグナが頷きながら同意の言葉を交わす。互いに準備を終え、臨戦態勢をとった両者だが、なんとも対照的な雰囲気をまとっていた。
レオバルトは僅かに腰を落とし、剣を正眼に構える。見る者が見れば、その立ち姿だけでも「コイツはやるな」と感じられるほど隙のない構えである。
一方、ツグナは足を肩幅ほどに開き、右手で刀を握っていた。これは愛刀である「瞬華終刀」をリアベルの街の武器屋でメンテナンスした際、「鍛練用の刀ってある?」と聞いて見繕ったものだ。鍛練用ということで品質はそこそこながら、普段から使用してよく手に馴染んでいた。
もちろんリリア、レオバルト共にこの刀を手に取って確認を済ませている。後のことも考え、シェルムにも同様に確認してもらった。「こんな細い代物でお兄様に勝てるわけないと思うけど」と余計なひと言も頂戴したツグナだったが、いちいち突っかかるのもアホらしいと聞き流しておいた。
刀を持った腕をだらりと下げたまま、ツグナは正面の相手を見据えていた。一般に「無形の位」と呼称される態勢である。これは一方の手で刀を下げている自然体であり、「構え」をとらないため「位」と言う。
ツグナは実戦を重ねる中で、構えをとることは自身のスタイルに合わないと思い知らされていた。戦闘では一瞬の判断ミスが、命を失うことに直結する。また、時には相手の隙を誘うためにあえて無防備を装うことも必要となる。今のツグナは無防備なようでいて、これこそ敵のいかなる攻撃に対しても千変万化・自由自在に対応できる状態なのだ。
ただ、そういった認識が世に広まっていないからか、端から見ればだらしないようにも思えるその姿に、観客席からは「アイツやる気あんのか?」という疑問の声がちらほらと漏れ聞こえた。
「――双方、準備はいいな?」
静かに発せられたリリアの言葉に、向かい合った二人は黙ったまま頷く。
会場内は先ほどまでの喧騒が嘘の如く、水を打ったように静まっている。だが、張り詰めた空気と充満する熱気は、もはや最高潮かというレベルにまで達していた。
今――ここに「舞台」が整い、「役者」が揃った。
「では……始めっ!」
かかげられていたリリアの腕が素早く振り下ろされる。
瞬間、刀と剣が織り成す舞踏の幕が上がった――
第2話 刀剣舞踏
「綺麗……」
ユスティリア王国の第二王女シェルムは、目の前で行われている試合に、ふとそんな感想を漏らした。
これほど大勢の観客がいなければ、彼女の言葉は視線の先にいる二人にも届いていたかもしれない。それほど不用意な言葉が出てしまうまでに、シェルムは二人が繰り広げる舞踏に目を奪われていた。
幾度となく刃と刃が交錯し、その度に甲高い金属音が響く。相対する二人が奏でる剣戟の音色は、交響曲さながらの調べとなって広い空間を駆け抜けていく。銀色の二本の線が舞台の上を踊り、重なり合う清音が会場を揺さぶって、会場のボルテージを次第に上げていった。
多数の観客の視線を釘付けにし、渦巻く熱気の中心に位置するのは、二人の人物。
教科書通りの隙のない型を用い、剣を振うレオバルト。
変幻自在、虚実を混ぜた流れるような所作で刀を扱うツグナ。
開始直前には少なからず「やる気のないヤツ」と見做されていたツグナだったが、そういった評価はものの数分の間に消え失せていた。
レオバルトは第一王子という位もさることながら、剣術に秀でた実力者という認識も国中に浸透している。事実、レオバルトには国王やその臣下の武術に秀でた者が直接指導を行っており、確かな実力がある。この国では、貴族の子息も平民出身者と区別なく、同じ教官の下で剣術の訓練を行うのが通例である。このことからも、いかにレオバルトの置かれている環境が特殊であるかが窺えよう。
そんな王子と正面から向かい合い、引けを取らない力を見せているツグナは、レオバルトよりさらに若い。どことなく頼りないのに鍔迫り合いになっても互角にやり合える膂力、並外れた打ち合いを見せる卓越した技巧に、観客席のそこかしこからは興奮と驚きの歓声が自然と上がっていた。
「ねぇキリア。どう思う?」
観客席から二人を眺めていたソアラが、隣に座るキリアに問いかける。
「どうって?」
「う~ん。ツグナ……本気じゃないよね」
わずかに眉根を寄せながら観察していたソアラが、小さく呟いた。今もなお剣戟の澄んだ音は鳴り止まず、周囲に立つ大勢の観客が二人に声援を送っている。
「そう、ね。相手の出方を窺っているようには見えないし……このまま相手の自滅を誘って終わらせる気かしら」
ソアラと同じく冷静に試合の趨勢を見つめていたキリアは、軽く頷いてそう結論付ける。その言葉を聞きつけたのか、脇にいたシェルムが目を見開いて訊ねた。
「まだ開始して少ししか時間も経っていないというのに、貴方たちはどんな根拠があってそのようなことが言えるの? 今もあの二人が対等に剣を交えているのが見えないの?」
だが二人は、若干の怒気を乗せて紡がれたシェルムの言葉に対して「何故と言われても……」と首を傾げるのみだ。
そうした険悪な空気を切り裂くように、シルヴィの落ち着いた声が割って入る。
「怒るのも無理はないと思いますが……ただ、シェルム様もあまりツグナを見くびらない方がいいですよ?」
「何ですって?」
反射的に言い返し、言葉に併せて鋭い視線を送るシェルム。それでもシルヴィは王女のキツイ眼差しを全く意に介さず、「いずれ分かりますよ」と小さく言葉を添えるのであった。
(くっ……! 攻めきれないっ!)
そんな思いを心中で吐露したのはレオバルトだった。開始から十分ほどが経過した現在、剣を振う彼の表情には、驚きよりも焦燥の色が見え隠れしていた。
(この少年……本当に人族なのか!?)
今も高速で剣を合わせ続けるレオバルトの脳裏に、そんな疑念が浮かぶ。周囲から「冷静にして慎重」という評価をもらうことの多いレオバルトだったが、この場に限ってはそんな姿は見られない。
持ち前の観察力で、いつもは相手のことをよく見抜く彼も、ツグナの第一印象は「幼く貧弱な雛鳥」といったものであった。
だから、油断した。
自身の放った初撃がアッサリと回避され、カウンターとして打ち込まれたツグナの刃を弾いたところまでは「なかなかやるな」と考えていた。確かに、躱されたことに対してムッとする感情が湧いたのは事実だ。しかし、それもあくまで「このまま行けば強くなるな」という、年長者としての上から目線の評価でしかなかった。
そんなレオバルトの余裕は時間が経つごとになくなり、すぐに「この少年は侮れない」という評価にまで変化していた。そして今まさに、自らに襲いかかる刃を必死で回避し、あるいは弾くだけの防戦を強いられている現状に、レオバルトは恐れすら抱くようになった。
そんな彼は、ふとした拍子にツグナの顔が見えてしまった――いや、見てしまった。
悠然とした、試合開始前と同じ表情のまま、じっと自分を見つめてくる黒い瞳。それを視界に捉えた瞬間、背にゾクリと走った「何か」に従い、レオバルトは距離を取る。その判断は正しかった。直後、鈍い光を放つ刃が、微かな風切り音を立てながら下から上へと軌跡を描いた。
「へぇ~、コレを躱すのか……なかなかやるね」
ニタリと笑みを零すツグナに、レオバルトは内心冷や汗をかきながらも「それはどうも」と短く返した。
レオバルトが辛くも回避できたのは、多分に運の要素が絡んでいる。それも日頃の訓練が育んだ賜物と言い換えていいかもしれないが、本質的には本能に従った結果だ。同じことをもう一度やれと言われてもおそらく再現することは不可能に近いと、彼は自分でもそう思っていた。
(もしこれが――)
本物の刃であったのなら。そんな想像をしたレオバルトの身体から、じわりと嫌な汗が噴き出した。身体は炙られたように熱を帯び、鼓動の一拍一拍がいやに耳の中で響く。吐く息は荒く、手にした剣が訓練時よりも重く感じられていた。既に勝負の均衡は崩れ、天秤は傾き始めている。
距離を取ったことで冷静さを取り戻したレオバルトが、「さてどう攻めるか」と頭の中で戦術を組み立て始めようとした矢先――
「それじゃあコイツはどうかな――付いて来いよ、王子様」
ツグナの姿がふっと掻き消えた。
ツグナの持つ速さは、いくつかの段階に分けることができる。
第一段階は、ただ単純に基礎能力値に従うレベルだ。この状態では、敏捷性に見合った速さを発揮する。この段階でも、そこらにいるレベルの低い魔物や魔獣ならば十分に通用する。だがより強力な迷宮の住人が相手となると、厳しいものがあると言わざるを得ない。
第二段階はスキル「魔闘技」を使用した速さである。この状態では、基礎能力値の値に補整がかかり、より速く刀を振うことが可能となる。どの程度補整がかかるかは熟練度によるが、ツグナの場合は一・二倍から一・五倍ほどまでの強化が可能となっていた。
そして第三段階は、ツグナが修練の末に獲得した魔闘技の派生スキルを使用した速さとなる。
魔闘技Lv7――夢幻燈火。
これは基礎能力値、特に敏捷性に大きな補整がかかるスキルで、通常時の二倍から二・五倍の速さを得ることが可能となる。また、体内を循環する魔力を発散させることにより、残像を形成することもできた。技の名の通り、彼方に揺れる淡く霞がかった灯火の如き残像で相手を惑わし、虚を突くのだ。
ツグナはここまで、第二段階の状態でレオバルトと刃を交えていた。そうして幾度も刃を打ち合わせるうちに、ツグナは自分とレオバルトとの間にある差異を明確に感じ取っていた。
自分は迷宮に潜り、死に物狂いで力を得た。だが、このレオバルトは違う……と。
(まっ、そりゃそうだよな……)
試合の途中、ツグナは心の中に、そんな落胆めいた思いを吐き出した。考えてみれば、育った環境が違い過ぎる。レオバルトは王子として生まれ、幾人もの大人によって大切に育てられた。もちろん、剣術については幼い頃より相当に努力してきたのだということは分かる。実のところ彼の剣技は、C-のギルドランクを有する冒険者よりも優れているだろう。レオバルトの年齢を考えれば、将来に大きな期待を寄せるに足る腕前だ。
けれども、ツグナに言わせれば、レオバルトの剣術はぬるま湯の如き環境で得たものでしかなかった。確かに、技術自体はお手本とも呼べるほどに洗練されている。しかし、それはあくまでも訓練で、「安全」という檻の中で磨かれた技術に過ぎない。「実戦」を知らない剣技にどれほどの価値があろうか、というのがツグナの意見だった。
もちろん一定のレベルまではそれでもいいのかもしれない。しかし、「訓練」と「実戦」の間には大きな隔たりが存在する。
刃先から伝わる死の恐怖。自分以外の誰も頼れない中でこそ発揮される底力。そして、自らの手で命を奪うことの重さ……それらを知らず、どこかヌルささえ透けて見える相手の剣筋に、ツグナは嫌悪感さえ抱いていた。
(さて、と……どうやってケリつけるかな……)
そんな相手に、自分の手札を全て曝け出す必要性はどこにもない。しかも勝負の流れは既にツグナに傾き始めている。このまま押し切れば――と思っていた。
今のレオバルトの目を見るまでは。
それは「絶対に諦めない」という強い意志を宿した目だった。もうずっと防戦一方のレオバルトだが、「隙を見せれば躊躇なく仕留めるぞ」と宣言するようなその目に、ツグナの心が躍った。
そうした「諦めない」という意志はそのまま「生きる」という想いにも似る。
ツグナは生まれてからずっと、いつも生きること、生き抜くことに必死だった。笑われようが、意地汚いと罵られようが、生き残ればそれはすなわち一つの「勝利」だった。常に死が付きまとう冒険者にとって、「潔く死ぬ」ことなどは「敗北」以外の何物でもない。
生きることを諦めた者の前には明日は来ない。
死は全てを終わらせる。たとえ惨めでも、生き残った先にこそ活路が開かれるのだ。
だから、ツグナは全てを曝け出すことにした。力を隠したまま決着するのは、レオバルトの矜持を踏み躙る行為だと感じたから。彼は今まさに「実戦」の只中で活路を開こうとしているのだと感じられたから。
――そしてツグナは、歓喜雀躍と最後の扉を開いた。自身の全身全霊をかけて相手に応えるために。
「くっ……! まだ、まだあああぁぁ!」
レオバルトの声が場内にこだまする。顔を歪め、必死で剣を振うも、その軌跡は虚しく宙を舞うだけだ。軽やかに地を蹴る音がレオバルトの耳に届いた時には、既に刃が目前に迫っているという、冗談としか言い表しようのないツグナの速さ。レオバルトは自らの経験と本能に従って剣を掲げ、辛うじて防ぐことが精いっぱいという状況にまで追い込まれている。
刹那の判断が状況を左右する中、一縷の望みをかけて粘るレオバルトの瞳には、獲物に喰らいつく獣にも似た鋭さが宿っていた。
そんな彼が、ついにツグナの姿を捉えた。「あれもまた残像では……」と躊躇する意識はもう消え失せている。残像だろうが本物だろうが、ここで手を打たなければ結果は変わらない。もはや肉体的にも精神的にも限界が近いことは承知していた。
「そこだあああぁぁ!」
自らの直感を信じ、レオバルトは渾身の力を込めて右腕を振り下ろす。だが、その剣は虚しく空を切り――
「――……チェックメイト」
気付けば、レオバルトの首筋にはピタリと刃が当てられていた。それと同時にリリアの声が響き渡り、会場には天を貫かんばかりの歓声が轟いた。
「一つ聞いてもいいかい?」
「何だよ、突然」
「……キミって本当に人間かい?」
「失礼だな。これでもれっきとした人間だけどな」
興奮に沸く歓声の中でツグナから返ってきた答えに、レオバルトは思わず呆れたように肩を竦めてしまう。
そうしてニシシッと屈託なく笑うツグナの姿は、先ほどまでとは打って変わり、まるでイタズラが成功したと無邪気にはしゃぐ少年のような、年相応のものであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――うん。改めて、自分は未熟だなって痛感したよ」
頬を掻きながら、レオバルトはあっけらかんとそんな感想を零した。一方その横には、どこか憮然とした表情でツグナから視線を外しているシェルムがいる。
あの模擬試合から一夜明けた現在、ツグナ一行はレオバルトたちと共に、王都ユズノハに向けて進行中であった。実はそれは、王子たちが宿まで迎えに来たために、半ば強引に一緒に行くこととなったのであったが。
勝敗が決して以降、ツグナはレオバルトから妙に気に入られたらしく、「是非一緒の馬車で」と誘われ、一行は同じ馬車に乗って移動することになった。「俺はノーマルだ」と若干被害妄想めいた思いを抱いて憮然とするツグナとは対照的に、第一王子はニコニコと笑みを浮かべている。
「しっかし、ツグナは凄いね。あれだけの錬度でいながら、まだ十三歳とはね……ちなみに、あそこまでの技術をどうやって身に付けたんだい?」
「どうやってって……魔闘技は師匠がいたからな。基本は師匠から叩き込まれたよ。ひと通りできるようになった後は『ひたすら実戦あるのみ』って感じだったな」
当時を振り返りつつ、ツグナは端的に告げる。もちろん実戦に至るまでは師匠であるリリアによって散々叩きのめされたわけだが、敢えてそれには触れなかった。
「なるほど。う~ん……やっぱり実戦に勝るものはないよね……僕もそうしようかな」
「覚悟しろよ?」
ツグナの言葉に頷きながら今後の訓練方法を思案するレオバルトに、ツグナは言下に即答した。「へっ?」と呆けた顔をする青年に、ツグナはピッと指を突き立てて忠告する。
「確かに実戦はどんな訓練にも勝る経験になる。が……一歩間違えれば、死ぬぞ」
「な、ならツグナと同じ師匠に師事して――」
「それも選択肢の一つだが……もし教わるなら覚悟しておいた方がいいぞ? 俺の師匠は結構なスパルタだ。最終的には迷宮に一人で放り込まれることになるぞ? 俺のようにな」
ちらり、とツグナは皮肉めいた視線を当事者の方に投げる。だが全く効果はなく、当の師匠は一人読書に耽っていた。
「…………」
ツグナの最後のひと言に、レオバルトは思わず生唾を呑み込む。傍らで話に耳を傾けていたシェルムも、にわかに緊張した面持ちになった。
(たった一人で迷宮に? そんな……)
王国に仕える騎士であったとしても、冗談ととられるような話である。確かに「バカな」と切って捨てるのは簡単だろう。だがしかし……と、レオバルトは対峙した際のツグナを思い返しながら、あながち嘘ではないかもしれないと判断していた。
彼は先の勝負で、自分より年下のツグナに対して終始防戦一方の展開に陥った。試合中どこか余裕を見せていたツグナに引きかえ、レオバルトは全力を尽くしたにもかかわらず。
両者の間に横たわる差は、そう容易く埋められるものではない。実戦経験――それも「常に自らの命を秤にかけた戦いを乗り越えた」という一点が、こんなにも圧倒的な差を生みだすのかとレオバルトは感じていた。
だからといって同じ経験をすればいいかといえば、それは難しいだろう。リスクを度外視した手法を採用するのは、命知らずを通り越して、愚かと非難されてもおかしくない。ましてやレオバルトは近い将来、このユスティリア王国を背負って立つ人間である。そのような無謀な手段をとれるわけがないのは明白であった。
眉根を寄せて唸り出したレオバルトに対し、ツグナは「肩の力を抜けよ」と言わんばかりに口の端を持ち上げる。
「まぁ、俺は冒険者だしな。どう生きるかは自由だ。が、その裏に責任が伴うってのは分かってるさ。いわばハイリスク・ハイリターンの職業だ。もちろん生き抜くことを第一に考えるが、それでも『死んだらそれまで』ってスタンスは変わらない。だけど仮に俺が死んでも、冒険者が一人減ったという程度のことでしかない。一方、お前は違う。この国を背負って立つ人間だろ? そんなヤツが軽々しくリスクを冒すような発言をするなよ。そんなことをせずとも、やり方は色々あるだろ?」
「そ、そう……だよね……そこまでハッキリ言われると、やっぱり地道にやるのが一番だと思うよ」
「それが賢明だろうさ」
強張った笑みを浮かべるレオバルトに、ツグナは軽い調子で答える。
そんな彼らの前には、まだだいぶ距離があるにもかかわらずはっきりと視認できるほど巨大な壁が姿を見せ始めていた。
「ふえぇぇ……ここがユズノハ」
「リアベルよりも人が多いし、様々な店があるわね……」
コウラリアを出て馬車に揺られること半日。リアベルの街とは規模も人の多さも桁違いの景色に、ソアラとキリアがぼそりと感想を漏らす。その様子は、初めて上京してきた田舎者そのものだ。初めての王都を前に目を輝かせている二人を、シルヴィは微笑みながら静かに見つめる。二人の姿は、かつてリリアにくっついて初めてここを訪れた時のことを、シルヴィに思い起こさせていた。
そんな彼女たちとは一線を画す態度で、リリアは一人読書に耽っている。シェルムとも面識があった辺り、彼女は何度かこの場所を訪れているのだろうとツグナは感じていた。
「うむ、御苦労」
「はっ!」
レオバルトやシェルムが一緒にいるためか、ツグナたちはすんなり街に入ることができた。慇懃に敬礼して馬車を見送る衛兵の横を通り過ぎ、馬車は行き交う人の間を縫うようにして、張り巡らされた通りを進んでいく。やがて街の中心部――王城へと辿り着いた。王城へと通じる門が音を立ててゆっくりと開き、ツグナたちを中へと招き入れる。
門番の兵士数人が馬車に向かって敬礼をする中、馬車は堂々と建物の入り口へと乗り付けたのだった。
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❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
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