1 / 3
後の祭り(※)
しおりを挟む「この頃、帰って来るのが遅いね」
シンクに溜まった洗い物を片付けている僕の背後で、アルビーはコーヒーを飲んでいる。
「イースター休暇前に、レポート提出があるから」
僕は振り返ることなく応える。仕方なさを装って。
「家ですればいい。見てあげるのに」
「いいよ。きみだって忙しくしているじゃないか。自分で何とかできることで、誰かを煩わせる訳にはいかないよ」
「僕はちっとも構わないのに」
背中にアルビーの視線を感じる。僕は身を竦ませて、ぎこちなく洗い物を続ける。彼のコーヒーの香りが纏い付く。この洗剤の香りで消してしまいたい。
僅かしかない洗い物を、時間をかけて何度も擦った。アルビーがコーヒーを飲み終わって部屋に戻ってくれるのを祈りながら。解っているのに。アルビーの方こそ、僕が洗い終わるのを待っているってこと。
「コウ」
うなじにかかる彼の息にびくりと肩が震えて、手にしていた皿を取り落としそうになる。
「僕の部屋に来る?」
ぶんぶんと首を振る。
「レポートが残っているんだ」
肩から抱き抱えられるように廻された腕が邪魔で、上手く洗えない。
「じゃあ、早く終わるように手伝ってあげる。コウの部屋へ行こうか?」
密着される躰に身動ぎもできない。首を小さく横に振る。
「それなら、今、ここでする?」
冗談とも本気ともつかない甘い囁きが耳を擦る。
「アルビーの部屋に行く」
掠れた声で囁くと、アルビーはくすりと笑った。もう僕は、こんな時、彼がどんな顔をするか良く判っている。獲物を捕らえた猫のような、満足そうな瞳でぺろりと顔を舐めるのだ。僕の……。
僕は剥製にでもなったかのように動かない。されるがまま。
マリーのいない金曜日の夜が来ることが、辛かった。友人の家に泊まりに行く彼女の都合が急に変わって、約束をキャンセルされたから夕食を一緒にたべましょう、とか、相手が風邪で泊まれなくなったとか、そんなメールか電話がないものかと、この瞬間まで願っている。
洗い物を終えたら、今度は自分の躰を念入りに洗う。直ぐに浴室に向かわなければならない。ぐずぐずしていると、彼は「一緒に」って言い出すから。あの日のような恥ずかしい想いは、もう二度と味わいたくない。
初めての時は本当に何も知らなくて、まさかあんなことをされるなんて想像すらしていなくて、途中で慌ててシャワールームに駆け込んだ。そんなムードも何もぶち壊しなことを、アルビーが許してくれる訳はもちろんなくて……。シャワールームで、こういうことの礼儀と作法を懇切丁寧に実地で教えられた。
思い出す度に顔から火を噴きそうだ。
でも彼に言わせると、僕は素直で覚えの良い生徒らしい。言われるままにする。繰り返す。それだけで、僕の躰は僕の意志を離れてアルビーの望むままに作り変えられ、どんどん彼に馴染んでいた。もう、あの時のように、歩けないほど痛いと感じることもない。それどころか……。
心の中では、もうこんな事は嫌で嫌で仕方がないのに、彼のあの瞳を見る度に、エレベーターで高層ビルの天辺に昇っていっているような、背骨を這い上がり頭頂から突き抜ける欲望に支配される。
まるでマリオネットのように意志は消え去り、操られるままに踊る自分に吐き気すら覚えるというのに。
それでも、アルビーが僕を求め、僕が応えていさえすれば、彼をあの闇の中に攫われることはないのではないか、と、そんな希望があったから。だから僕は何とかこの現状を耐えられるんだ。
ぽっかりと空いたアルビーの心に巣くう巨大な虚空。あんなものに、彼を奪われたくない、その一心だけで。
熱いシャワーで丁寧に躰を洗い、泡を落とし、禊を済ませる。
まるで神に捧げられた生贄の供物。僕を支配する美しい神に、こうして幾度となく喰い散らかされても、僕はまたすぐに再生する。何度でも喰われるために。天上の火を地上に与えたプロメテウスのように。果てしなく、この残酷な儀式は繰り返される。
こうして今日も僕は彼の部屋のドアを叩くんだ。
痺れるほどに甘美で、虚しい、僕を蝕む毒をこの躰の隅々まで浴びる、それだけのために。
シンクに溜まった洗い物を片付けている僕の背後で、アルビーはコーヒーを飲んでいる。
「イースター休暇前に、レポート提出があるから」
僕は振り返ることなく応える。仕方なさを装って。
「家ですればいい。見てあげるのに」
「いいよ。きみだって忙しくしているじゃないか。自分で何とかできることで、誰かを煩わせる訳にはいかないよ」
「僕はちっとも構わないのに」
背中にアルビーの視線を感じる。僕は身を竦ませて、ぎこちなく洗い物を続ける。彼のコーヒーの香りが纏い付く。この洗剤の香りで消してしまいたい。
僅かしかない洗い物を、時間をかけて何度も擦った。アルビーがコーヒーを飲み終わって部屋に戻ってくれるのを祈りながら。解っているのに。アルビーの方こそ、僕が洗い終わるのを待っているってこと。
「コウ」
うなじにかかる彼の息にびくりと肩が震えて、手にしていた皿を取り落としそうになる。
「僕の部屋に来る?」
ぶんぶんと首を振る。
「レポートが残っているんだ」
肩から抱き抱えられるように廻された腕が邪魔で、上手く洗えない。
「じゃあ、早く終わるように手伝ってあげる。コウの部屋へ行こうか?」
密着される躰に身動ぎもできない。首を小さく横に振る。
「それなら、今、ここでする?」
冗談とも本気ともつかない甘い囁きが耳を擦る。
「アルビーの部屋に行く」
掠れた声で囁くと、アルビーはくすりと笑った。もう僕は、こんな時、彼がどんな顔をするか良く判っている。獲物を捕らえた猫のような、満足そうな瞳でぺろりと顔を舐めるのだ。僕の……。
僕は剥製にでもなったかのように動かない。されるがまま。
マリーのいない金曜日の夜が来ることが、辛かった。友人の家に泊まりに行く彼女の都合が急に変わって、約束をキャンセルされたから夕食を一緒にたべましょう、とか、相手が風邪で泊まれなくなったとか、そんなメールか電話がないものかと、この瞬間まで願っている。
洗い物を終えたら、今度は自分の躰を念入りに洗う。直ぐに浴室に向かわなければならない。ぐずぐずしていると、彼は「一緒に」って言い出すから。あの日のような恥ずかしい想いは、もう二度と味わいたくない。
初めての時は本当に何も知らなくて、まさかあんなことをされるなんて想像すらしていなくて、途中で慌ててシャワールームに駆け込んだ。そんなムードも何もぶち壊しなことを、アルビーが許してくれる訳はもちろんなくて……。シャワールームで、こういうことの礼儀と作法を懇切丁寧に実地で教えられた。
思い出す度に顔から火を噴きそうだ。
でも彼に言わせると、僕は素直で覚えの良い生徒らしい。言われるままにする。繰り返す。それだけで、僕の躰は僕の意志を離れてアルビーの望むままに作り変えられ、どんどん彼に馴染んでいた。もう、あの時のように、歩けないほど痛いと感じることもない。それどころか……。
心の中では、もうこんな事は嫌で嫌で仕方がないのに、彼のあの瞳を見る度に、エレベーターで高層ビルの天辺に昇っていっているような、背骨を這い上がり頭頂から突き抜ける欲望に支配される。
まるでマリオネットのように意志は消え去り、操られるままに踊る自分に吐き気すら覚えるというのに。
それでも、アルビーが僕を求め、僕が応えていさえすれば、彼をあの闇の中に攫われることはないのではないか、と、そんな希望があったから。だから僕は何とかこの現状を耐えられるんだ。
ぽっかりと空いたアルビーの心に巣くう巨大な虚空。あんなものに、彼を奪われたくない、その一心だけで。
熱いシャワーで丁寧に躰を洗い、泡を落とし、禊を済ませる。
まるで神に捧げられた生贄の供物。僕を支配する美しい神に、こうして幾度となく喰い散らかされても、僕はまたすぐに再生する。何度でも喰われるために。天上の火を地上に与えたプロメテウスのように。果てしなく、この残酷な儀式は繰り返される。
こうして今日も僕は彼の部屋のドアを叩くんだ。
痺れるほどに甘美で、虚しい、僕を蝕む毒をこの躰の隅々まで浴びる、それだけのために。
1
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷無慈悲なラスボス王子はモブの従者を逃がさないっ
北川晶
BL
冷徹王子に殺されるモブ従者の子供時代に転生したので、死亡回避に奔走するけど、なんでか婚約者になって執着溺愛王子から逃げられない話。
ノワールは四歳のときに乙女ゲーム『花びらを恋の数だけ抱きしめて』の世界に転生したと気づいた。自分の役どころは冷酷無慈悲なラスボス王子ネロディアスの従者。従者になってしまうと十八歳でラスボス王子に殺される運命だ。
四歳である今はまだ従者ではない。
死亡回避のためネロディアスにみつからぬようにしていたが、なぜかうまくいかないし、その上婚約することにもなってしまった??
十八歳で死にたくないので、婚約も従者もごめんです。だけど家の事情で断れない。
こうなったら婚約も従者契約も撤回するよう王子を説得しよう!
そう思ったノワールはなんとか策を練るのだが、ネロディアスは撤回どころかもっと執着してきてーー!?
クールで理論派、ラスボスからなんとか逃げたいモブ従者のノワールと、そんな従者を絶対逃がさない冷酷無慈悲?なラスボス王子ネロディアスの恋愛頭脳戦。


ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

ヴェリテ〜賢竜帝様の番は過ちを犯し廃嫡されて幽閉されている元王太子で壊れていました
ひよこ麺
BL
賢王と慕われる竜帝がいた。彼が統治してからの500年の長きに渡りポラリス帝国は繁栄を極めた。そんな素晴らしい竜帝にもひとつだけ問題があった。
彼は妃を迎えていなかった。竜人である竜帝には必ず魂の伴侶である番が存在し、歴代の竜帝も全て番と妻として迎えていた。
長命である竜人であるがゆえにそこまで問題視されてはいなかったが、それでも500年もの長い間、竜帝の番が見つからないのは帝国でも異例な事態だった。
その原因を探るために、数多手を尽くしてきたが、番の行方はようとしてしれなかった。
ある日、ひとりの男が竜帝の元を訪れた。彼は目深にローブを被り、自らを『不死の魔術師』と名乗るとひとつの予言を竜帝に与えた。
『貴方の番は、この1000年不幸な運命に翻弄され続けている。それは全て邪悪なものがその魂を虐げて真実を覆い隠しているからだ。番を見つけたければ、今まで目を背けていた者達を探るべきだ。暗い闇の底で貴方の番は今も苦しみ続けているだろう』
それから、ほどなくして竜帝は偶然にも番を見つけることができたが、番はその愚かな行いにより、自身の国を帝国の属国に堕とす要因を作った今は廃嫡されて幽閉されて心を壊してしまった元王太子だった。
何故、彼は愚かなことをしたのか、何故、彼は壊れてしまったのか。
ただ、ひたすらに母国の言葉で『ヴェリテ(真実)』と呟き続ける番を腕に抱きしめて、竜帝はその謎を解き明かすことを誓う。それが恐ろしい陰謀へつながるとことを知らぬままに……。
※話の性質上、残酷な描写がございます。また、唐突にシリアスとギャグが混ざります。作者が基本的にギャグ脳なのでご留意ください。ざまぁ主体ではありませんが、物語の性質上、ざまぁ描写があります。また、NLの描写(性行為などはありませんが、元王太子は元々女性が好きです)が苦手という方はご注意ください。CPは固定で割と早めに性的なシーンは出す予定です、その要素がある回は『※』が付きます。
5/25 追記 5万文字予定が気づいたらもうすぐ10万字に……ということで短編⇒長編に変更しました。

アルファな俺が最推しを救う話〜どうして俺が受けなんだ?!〜
車不
BL
5歳の誕生日に階段から落ちて頭を打った主人公は、自身がオメガバースの世界を舞台にしたBLゲームに転生したことに気づく。「よりにもよってレオンハルトに転生なんて…悪役じゃねぇか!!待てよ、もしかしたらゲームで死んだ最推しの異母兄を助けられるかもしれない…」これは第2の性により人々の人生や生活が左右される世界に疑問を持った主人公が、最推しの死を阻止するために奮闘する物語である。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる