わたしの流れ方

阿波野治

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滑る

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「サーフボードとソリ、どちらに乗りたい?」
 父親に問われたが、わたしはどちらにも乗りたくなかった。厳密な意味で操縦することが不可能だからだ。
「サーフボードとソリ、どちらに乗りたい?」
 父親は問いかけを繰り返す。わたしが答えるまで続けるつもりらしい。
 仕方なく、後者を選ぶことにした。海に投げ出されれば溺れるのは必定だが、陸地ならば怪我をするだけで済むと考えたからだ。
 ソリ、と答えた瞬間、わたしと父親は土手の上にいた。わたしは既に、プラスチック製の赤いソリに乗っている。眼前に展開しているのは、芝生に覆われた急斜面。斜面というより、ほぼ垂直だ。果てが見えない。ひとたび滑り落ちれば、永遠に滑り続けそうな気がする。
 必死になって抵抗したが、父親は力任せにソリを押した。赤いプラスチックの器が走り出した。見る見る加速し、あっという間に爆走と形容するのが適当なスピードに達した。奈落へ突き落される感覚に、無実の罪で処刑される人間のように絶叫したが、そんなことではソリは停止してくれない。
 落ちる・落ちる・落ちる!
 ソリは最早、芝生の斜面から離れ、重力に従って空中を降下するのみだ。
 しばし叫びながら落ちるだけの時間が続いた。慣れとは恐ろしいもので、次第に恐怖感が薄らいできた。そのお陰で、周りを見る心の余裕が生まれた。芝生の斜面を背に落下していて、目の前に広がっているのは、雲一つない青空。進行方向には果てしない暗黒が広がるばかり――と思いきや、こちらにも青色が広がっている。
 ソリが青色にぶつかった。痛みは感じなかった。斜面の果てに達し、その先に続く空間に出たのだ。空だ。
 地上を見下ろすと、砂浜が広がっている。人の姿はない。その先は海だ。水質が汚いわけでも綺麗なわけでもない、日本のどこにでもあるような平凡なビーチ。
 柔らかい砂の上とはいえ、この高さから落ちるのは危険かもしれない。しかし、わたしは泳げないので、海に落ちるのも避けたい。
 砂浜と海、わたしはどちらに落ちるのだろう。どちらに落ちるのが、わたしにとって歓迎すべきことなのだろう。
 思案している最中、ふと気がついた。落下していない。空中で止まっている。ソリだけでなく、体を動かすこともできない。わたしはソリに乗ったまま、空中で停止してしまったのだ。
 突然、海面の一部がせり上がったかと思うと、なにが海中から姿を現した。巨大な人間だ。動いている。身長は二十メートル前後だろうか。面差しがどことなく父親に似ている。同一人物かどうかは微妙なところだが、瓜二つなのは確かだ。
 巨人は左目をしきりに手で擦っている。黒い塊が左目に半ば埋もれている。雲丹だ。巨大な雲丹。棘が目に刺さっているのだ。
「痛いよぉ! 助けてよぉ!」
 父親そっくりの巨人は、父親とは似ても似つかない甲高い声で、涙混じりに訴える。棘が深々と突き刺さり、抜けなくて、パニックに陥っているのかもしれない。仮に冷静さを取り戻し、わたしを認めたとしても、空中に停止しているからなんの役にも立たない。
 それでも、気がついてほしかった。巨人が苦しむ姿を、身じろぎ一つできないわたしは見下ろし続けた。
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