わたしの流れ方

阿波野治

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発射前

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 夏草に覆われたな土手の斜面に仰向けに寝転び、青空を眺める午後二時。視線を隣に移すと、手持無沙汰に草を指で弄っていた恋人と目が合った。
 草から手を離し、困ったように微笑する。上体を起こそうとしたが、掌で制された。逆らおうかと一瞬思ったが、自制する。
 恋人は顔を正面に戻し、また草を触り始めた。白い指先はうっすらと緑色に染まっている。
「……わたしだって怖いよ」
 草を弄っていた手が一時停止ボタンを押したように静止する。顔を青空へと戻し、語を継ぐ。
「でも、行かなきゃいけないんだ。それが規則だし、幸福になる唯一の道だから」
 返事はない。
 無理もないな。心中で呟き、瞼を閉ざした直後、聞こえてきたのは洟をすする音。
 閉じたばかりの瞼を開いて恋人の方を向くと、泣いていた。緑に汚れた指で膝を抱えて、今にも壊れてしまいそうな顔で。
「分かってる。分かってるけど――寂しいよぉ」
 泣き顔がこちらに向けられた。堪らない気持ちになり、上体を起こした瞬間、恋人が飛びついてきた。両腕を腰に回して抱き締める。恋人はわたしにしがみついた。柔らかな胸の感触が衣服越しに伝わった瞬間、わたしの体は斜面を転がり始めた。抱き合っているから、必然に恋人も一緒に転がる。
「私を放さないで! ずっと傍にいて!」
 恋人は絶叫し、両腕の力を強めた。それに応えるように、さらに強く抱き締める。
 そうだ、一緒にいるのだ。どんな時も、なにがあっても、ずっと、ずっと。
 やがてわたしたちの体は停止した。川辺に設置されたフェンスに突き当たったらしい。しがみついていたはずの恋人が消えている。立ち上がって辺りを見回したが、いない。どこにもいない。
 途方に暮れて川に視線を注ぐと、川面に映るわたしの顔は中性的になっていた。わたしの顔と恋人の顔を足して二で割ったような顔だ。一緒に転がった影響で、わたしたちは合体してしまったらしい。
「これからどうする?」
 義務的に問いかけたが、問いかける前から答えは分かっていた。わたしは下流に向かって河原を歩き始めた。
 河口近くに建つ工場の敷地内に足を踏み入れる。奥へ、奥へと進み、ドーム状の建物の中に入る。内部は広く空洞になっていて、中央に黒に限りなく近いグレイ一色の、新幹線の先端部を切り取ったような乗り物が安置されている。
 ドーム内で作業していた整備士に尋ねると、今ちょうど最終確認が終わり、いつでも打ち上げ可能な状態だという。
 恋人と合体した当初は、怖いものはなにもないという心境だった。しかし、いざ自分が乗り込む物を目の当たりにした途端、四肢が小刻みに震え始めた。
 怖い。乗りたくない。
 されども、わたしは乗らなければならない。
 乗り物に近づくと、ハッチが自動的に開いた。乗り込み、シートに深々と腰を下ろす。ハッチが閉まる。触手状のシートベルトがシート下部の左右から現れ、あっという間にわたしを雁字搦めにした。
 身動きを封じられた瞬間、恐怖が爆発的に膨張し、体外に溢れ出した。
「嫌だ! 行きたくない! 降ろしてくれ!」
 ハッチは開かない。応える声もない。内部に取りつけられたランプの全てに緑色の光が灯った。乗り物が小刻みに振動し始めた。
「止めてくれ! 嫌なんだ! わたしは、わたしは……!」
 声は届かず、束縛は解けない。頭上でドームの天井部が開く音が聞こえた。
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