71 / 77
発射前
しおりを挟む
夏草に覆われたな土手の斜面に仰向けに寝転び、青空を眺める午後二時。視線を隣に移すと、手持無沙汰に草を指で弄っていた恋人と目が合った。
草から手を離し、困ったように微笑する。上体を起こそうとしたが、掌で制された。逆らおうかと一瞬思ったが、自制する。
恋人は顔を正面に戻し、また草を触り始めた。白い指先はうっすらと緑色に染まっている。
「……わたしだって怖いよ」
草を弄っていた手が一時停止ボタンを押したように静止する。顔を青空へと戻し、語を継ぐ。
「でも、行かなきゃいけないんだ。それが規則だし、幸福になる唯一の道だから」
返事はない。
無理もないな。心中で呟き、瞼を閉ざした直後、聞こえてきたのは洟をすする音。
閉じたばかりの瞼を開いて恋人の方を向くと、泣いていた。緑に汚れた指で膝を抱えて、今にも壊れてしまいそうな顔で。
「分かってる。分かってるけど――寂しいよぉ」
泣き顔がこちらに向けられた。堪らない気持ちになり、上体を起こした瞬間、恋人が飛びついてきた。両腕を腰に回して抱き締める。恋人はわたしにしがみついた。柔らかな胸の感触が衣服越しに伝わった瞬間、わたしの体は斜面を転がり始めた。抱き合っているから、必然に恋人も一緒に転がる。
「私を放さないで! ずっと傍にいて!」
恋人は絶叫し、両腕の力を強めた。それに応えるように、さらに強く抱き締める。
そうだ、一緒にいるのだ。どんな時も、なにがあっても、ずっと、ずっと。
やがてわたしたちの体は停止した。川辺に設置されたフェンスに突き当たったらしい。しがみついていたはずの恋人が消えている。立ち上がって辺りを見回したが、いない。どこにもいない。
途方に暮れて川に視線を注ぐと、川面に映るわたしの顔は中性的になっていた。わたしの顔と恋人の顔を足して二で割ったような顔だ。一緒に転がった影響で、わたしたちは合体してしまったらしい。
「これからどうする?」
義務的に問いかけたが、問いかける前から答えは分かっていた。わたしは下流に向かって河原を歩き始めた。
河口近くに建つ工場の敷地内に足を踏み入れる。奥へ、奥へと進み、ドーム状の建物の中に入る。内部は広く空洞になっていて、中央に黒に限りなく近いグレイ一色の、新幹線の先端部を切り取ったような乗り物が安置されている。
ドーム内で作業していた整備士に尋ねると、今ちょうど最終確認が終わり、いつでも打ち上げ可能な状態だという。
恋人と合体した当初は、怖いものはなにもないという心境だった。しかし、いざ自分が乗り込む物を目の当たりにした途端、四肢が小刻みに震え始めた。
怖い。乗りたくない。
されども、わたしは乗らなければならない。
乗り物に近づくと、ハッチが自動的に開いた。乗り込み、シートに深々と腰を下ろす。ハッチが閉まる。触手状のシートベルトがシート下部の左右から現れ、あっという間にわたしを雁字搦めにした。
身動きを封じられた瞬間、恐怖が爆発的に膨張し、体外に溢れ出した。
「嫌だ! 行きたくない! 降ろしてくれ!」
ハッチは開かない。応える声もない。内部に取りつけられたランプの全てに緑色の光が灯った。乗り物が小刻みに振動し始めた。
「止めてくれ! 嫌なんだ! わたしは、わたしは……!」
声は届かず、束縛は解けない。頭上でドームの天井部が開く音が聞こえた。
草から手を離し、困ったように微笑する。上体を起こそうとしたが、掌で制された。逆らおうかと一瞬思ったが、自制する。
恋人は顔を正面に戻し、また草を触り始めた。白い指先はうっすらと緑色に染まっている。
「……わたしだって怖いよ」
草を弄っていた手が一時停止ボタンを押したように静止する。顔を青空へと戻し、語を継ぐ。
「でも、行かなきゃいけないんだ。それが規則だし、幸福になる唯一の道だから」
返事はない。
無理もないな。心中で呟き、瞼を閉ざした直後、聞こえてきたのは洟をすする音。
閉じたばかりの瞼を開いて恋人の方を向くと、泣いていた。緑に汚れた指で膝を抱えて、今にも壊れてしまいそうな顔で。
「分かってる。分かってるけど――寂しいよぉ」
泣き顔がこちらに向けられた。堪らない気持ちになり、上体を起こした瞬間、恋人が飛びついてきた。両腕を腰に回して抱き締める。恋人はわたしにしがみついた。柔らかな胸の感触が衣服越しに伝わった瞬間、わたしの体は斜面を転がり始めた。抱き合っているから、必然に恋人も一緒に転がる。
「私を放さないで! ずっと傍にいて!」
恋人は絶叫し、両腕の力を強めた。それに応えるように、さらに強く抱き締める。
そうだ、一緒にいるのだ。どんな時も、なにがあっても、ずっと、ずっと。
やがてわたしたちの体は停止した。川辺に設置されたフェンスに突き当たったらしい。しがみついていたはずの恋人が消えている。立ち上がって辺りを見回したが、いない。どこにもいない。
途方に暮れて川に視線を注ぐと、川面に映るわたしの顔は中性的になっていた。わたしの顔と恋人の顔を足して二で割ったような顔だ。一緒に転がった影響で、わたしたちは合体してしまったらしい。
「これからどうする?」
義務的に問いかけたが、問いかける前から答えは分かっていた。わたしは下流に向かって河原を歩き始めた。
河口近くに建つ工場の敷地内に足を踏み入れる。奥へ、奥へと進み、ドーム状の建物の中に入る。内部は広く空洞になっていて、中央に黒に限りなく近いグレイ一色の、新幹線の先端部を切り取ったような乗り物が安置されている。
ドーム内で作業していた整備士に尋ねると、今ちょうど最終確認が終わり、いつでも打ち上げ可能な状態だという。
恋人と合体した当初は、怖いものはなにもないという心境だった。しかし、いざ自分が乗り込む物を目の当たりにした途端、四肢が小刻みに震え始めた。
怖い。乗りたくない。
されども、わたしは乗らなければならない。
乗り物に近づくと、ハッチが自動的に開いた。乗り込み、シートに深々と腰を下ろす。ハッチが閉まる。触手状のシートベルトがシート下部の左右から現れ、あっという間にわたしを雁字搦めにした。
身動きを封じられた瞬間、恐怖が爆発的に膨張し、体外に溢れ出した。
「嫌だ! 行きたくない! 降ろしてくれ!」
ハッチは開かない。応える声もない。内部に取りつけられたランプの全てに緑色の光が灯った。乗り物が小刻みに振動し始めた。
「止めてくれ! 嫌なんだ! わたしは、わたしは……!」
声は届かず、束縛は解けない。頭上でドームの天井部が開く音が聞こえた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
夫の不倫で離婚することになったから、不倫相手の両親に告発してやった。
ほったげな
恋愛
夫から離婚したいと言われた。その後私は夫と若い伯爵令嬢が不倫していることを知ってしまう。離婚は承諾したけど、許せないので伯爵令嬢の家に不倫の事実を告発してやる……!
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる