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琵琶湖の彗星
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移動中の記憶は全くないが、とにもかくにも無事に琵琶湖に辿り着いた。死ぬまでに一度は訪れたいと思っていたので、感無量だ。ナポリを見てから死ね、だとか、日光を見ずして結構と言うな、だとか、その類の慣用句が琵琶湖関連でも一つあったはずだが、生憎思い出せない。
生憎な出来事は続くもので、琵琶湖は濃霧に覆われていて目視できなかった。湖と陸地の境目さえ判然としないのだから、ギネスブック級の濃さと言うべきだろう。間際まで寄れば判然とするかもしれないが、仮に判然としなかった場合のことを思うと、慄然として足が竦む。フェンスが設置されていれば湖に落ちる心配はないが、広大な琵琶湖の全域をカバーしているとは考えにくい。琵琶湖を訪れるのが初めてのわたしにも、そのくらいのことは分かる。
なんの収穫もなく帰宅するのは悔やまれるので、土産物屋に立ち寄った。店内を物色していると、
「お客さん、お客さん」
振り向くと、占い師のような身なりの小男が背後に立っていた。人がよさそうだが、どこか胡散臭い笑みを浮かべている。
「お土産の種類が多すぎて、迷われているんでしょう。でしたら、この商品はいかがですか」
そう言って懐から取り出したのは、円筒形の小瓶。中には虹色の砂が入っている。
「綺麗な砂ですね。それはなんなのですか?」
「彗星の欠片を粉末状にしたものです」
「へえ、彗星の欠片。綺麗なものだと思いますけど、でも、琵琶湖となんの関係が?」
「琵琶湖というのは、あまり知られていませんが、彗星が落下して生じた穴に水が溜まったことで出来た湖なのです。このお土産は、現存する彗星の破片の一部を加工したものになります」
琵琶湖がある場所に過去に彗星が墜落したという話も、その彗星の破片が現存しているという話も、今までに一度も聞いたことがない。小男は恐らく、出鱈目を言っているのだろう。
しかし、彗星の破片の粉末の美しさは偽りではない。
「綺麗だから、記念に買おうかな。おいくらですか?」
「ご購入ありがとうございます。■万円になります」
「えっ、そんなに?」
「お客さんの全財産よりは少ないでしょう」
「勿論少ないですけど……。でもそんな大金、財布には入っていないですよ」
言った直後、ある予感を覚えて財布の中身を確かめると――あった。ちょうど■万円、財布に入っている。
「はい、まいどあり」
小男は財布から■万円分の紙幣を抜き取り、小瓶をわたしに押しつけ、その場から立ち去った。小首を傾げ、土産物屋から出る。
するとそこは、電車の車内だった。
重力が体にのしかかってくる。飛行機が離陸する際に覚えるのにも似た感覚だ。どうやらこの電車は、空へ向かっているらしい。
いや、あるいは、もっと高い場所へと。
こうなってしまった以上は、電車が終着駅に到着するのを待つしかない。彗星の小瓶を手に大人しくしていれば、少なくとも、宇宙空間に放出される心配はないはずだ。
生憎な出来事は続くもので、琵琶湖は濃霧に覆われていて目視できなかった。湖と陸地の境目さえ判然としないのだから、ギネスブック級の濃さと言うべきだろう。間際まで寄れば判然とするかもしれないが、仮に判然としなかった場合のことを思うと、慄然として足が竦む。フェンスが設置されていれば湖に落ちる心配はないが、広大な琵琶湖の全域をカバーしているとは考えにくい。琵琶湖を訪れるのが初めてのわたしにも、そのくらいのことは分かる。
なんの収穫もなく帰宅するのは悔やまれるので、土産物屋に立ち寄った。店内を物色していると、
「お客さん、お客さん」
振り向くと、占い師のような身なりの小男が背後に立っていた。人がよさそうだが、どこか胡散臭い笑みを浮かべている。
「お土産の種類が多すぎて、迷われているんでしょう。でしたら、この商品はいかがですか」
そう言って懐から取り出したのは、円筒形の小瓶。中には虹色の砂が入っている。
「綺麗な砂ですね。それはなんなのですか?」
「彗星の欠片を粉末状にしたものです」
「へえ、彗星の欠片。綺麗なものだと思いますけど、でも、琵琶湖となんの関係が?」
「琵琶湖というのは、あまり知られていませんが、彗星が落下して生じた穴に水が溜まったことで出来た湖なのです。このお土産は、現存する彗星の破片の一部を加工したものになります」
琵琶湖がある場所に過去に彗星が墜落したという話も、その彗星の破片が現存しているという話も、今までに一度も聞いたことがない。小男は恐らく、出鱈目を言っているのだろう。
しかし、彗星の破片の粉末の美しさは偽りではない。
「綺麗だから、記念に買おうかな。おいくらですか?」
「ご購入ありがとうございます。■万円になります」
「えっ、そんなに?」
「お客さんの全財産よりは少ないでしょう」
「勿論少ないですけど……。でもそんな大金、財布には入っていないですよ」
言った直後、ある予感を覚えて財布の中身を確かめると――あった。ちょうど■万円、財布に入っている。
「はい、まいどあり」
小男は財布から■万円分の紙幣を抜き取り、小瓶をわたしに押しつけ、その場から立ち去った。小首を傾げ、土産物屋から出る。
するとそこは、電車の車内だった。
重力が体にのしかかってくる。飛行機が離陸する際に覚えるのにも似た感覚だ。どうやらこの電車は、空へ向かっているらしい。
いや、あるいは、もっと高い場所へと。
こうなってしまった以上は、電車が終着駅に到着するのを待つしかない。彗星の小瓶を手に大人しくしていれば、少なくとも、宇宙空間に放出される心配はないはずだ。
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