いかされ

阿波野治

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「右傾化する日本」について

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 服を脱いでいたのは不幸中の幸いだった。下着で尿を拭い、水道で髪の毛をざっと洗うと、臭いは大分ましになった。

 わたしは感情というものをほとんど覚えない。数少ない例外としては好悪があるが、一般人と比べれば抱く機会は少ないと思われる。抱いた場合も、極めてささやかなものでしかない。
 ここは悲しむべき場面なのだ、怒る場面なのだ、という認識は正常なおかげで、表面的には問題なく社会生活に適応できている。

 とはいえ、世間が定義するところの普通から逸脱している影響は大きく、多くの人間から異常な人間だと見なされてきた。無気力だとか、冷血人間だとかいった蔑称を、これまでに何度授かっただろう。今年のように、クラスメイトからいじめを受けることも少なくない。

 難儀なことだ、と思う。

 なにが難儀かといえば、殴られても悲しみや恐怖や不安は覚えないが、痛みはしっかりと感じることだ。
 さらには、好悪のセンサーは完全には壊れていないから、殴られるのは嫌だな、という思いはある。痛いという意味でも、穏やかな暮らしが阻害されるという意味でも。
 世間一般のいじめられっ子と同様、可能ならば現状から脱したいと、わたしは願っている。

 ただ、残念ながら、現実的で効果的な解決方法は未だに見つけられていない。欠陥人間であるわたしがいじめに対して抱いている感情は、切羽詰まった憎しみでも、恐怖でも、不安でもなく、皮相的な嫌悪だ。従って、なんとしてでも解決策を見つけ出さねば、という情熱が不足している。それゆえに、腰を入れて解決策を模索しよう、という心境にはなれない。このことが、願望を叶えるにあたっての大きな障害になっているのは、疑いようがなかった。

 時間の無駄だから、考えるのはそろそろやめようにしよう。

 そう思ったとき、今夕、碇が去りぎわに残した捨てゼリフが甦った。

『「右傾化する日本」に犯されて殺されちまえ、バーカ』

「右傾化する日本」とは、今春からこの街とその界隈で犯罪をくり返す、正体不明の人物のこと。罪状は、傷害、殺人、強姦、死体損壊、死体遺棄――ようするに、人間を壊すことに犯行の主点を置いた強力犯だ。被害者の体内に体液が残されている場合があるため、犯人は男性ではないかと言われているが、それ以外に判明している事実は少ない。
「右傾化する日本」という通称は、極めて暴力的で残忍な犯行様態に由来するらしい。原理主義者が必ずしも過激派には属さないように、右寄りの考え方をする人間が必ずしも暴力的だとは限らないはずだが、自国民の右傾化を危惧するこの国の風潮に乗って、そのような呼称が定着していた。

 残虐な犯行という点では共通しているものの、様態がバラエティに富んでいるため、複数名による犯行説もまことしやかにささやかれているらしい。
 単独犯か、複数犯か、単独犯プラス便乗犯ないし模倣犯の豪華共演なのか。
 わたしには知る由もないが、厳然として揺るぎないのは、すでに八人もの人間が殺されているということ。この街だけではなく、近隣の市町村にも複数人の行方不明者がいるようだから、実際の犠牲者の数はもっと多いかもしれない。

 あの五人が「右傾化する日本」の魔手にかかれば、

 という方向に想像を展開しようとしたが、殺された八名のうち六名は女性。いずれも、性的暴行を受けてから殺害され、場合によっては遺体の一部を切除される、というパターンだった。二人の男性も、犯人像を絞りにくくさせる目的で殺されたとか、「右傾化する日本」の模倣犯ないし便乗犯の仕業だ、といった説が濃厚と言われている。
 わたしが期待する行為を、「右傾化する日本」が結果的に代行してくれる可能性は、極めて低いと見るべきだろう。

 五人の死と「右傾化する日本」を結びつけるのは、やめよう。
 そう結論し、思案を終了した。
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